「𠂉=髪挿し・鈿・簪・釵・楴・笄・櫛」、「𠂉=人」?
↓↑
W C・・・toilet(トイレットゥ・トイレット)?・・・問例通訳・・・?
ハンカチーフ= hand (手) + kerchief (頭布))=handkerchief(ハンカチーフ)
Wild Card(何でもあり・Joker・ババ)の略・・・?
almighty(オールマイティー)がババ?・・・万能のババ・・・Urinal (小便器)?
「𠂉=カミさし=髪挿し・鈿・・簪・釵・楴・笄・兂・櫛」・・・
かんざし=髪飾り
篸 =篸差・古同「参差」=長短、或粗細不揃い
互いに入りまじるさま
高低・長短などの不揃いなさま
参差錯落(シンㇱサクラク)=変化に富んで、美しいこと
篸=縫衣針
古通「簪=かんざし」
「插=棒状、へら状のものを
穴などに)挿す・差し込む・突っ込む
篸=一种簸箕(塵取り・チリとり)
・・・地理採り?
𠂉=人・・・?
㫃=旗印が風に靡(なび)くさま
旗が風に翻(ひるがえ)るさま
「旗」の原字・・・
旗竿の吹流しが靡(なび)くさま
「旌旗の游、㫃蹇たるの
皃(かたち)なり(説文解字)」
皃=白+儿=貌(風貌・容貌・顔貌)
形(姿態)
游=氵+斿(𠂉子)=吹流し
斿=あそぶ・浮かぶ・ただよう
旗の先につけた飾り
異体字「旒」
「斿=㫃+汓」
「汓」=子供が水に浮かぶ様
斿=push open
アイ
ひらく
旌旗垂
斿=リュウ・ル・ユウ・ユ
𣽩=氵+斿
氵+亠+勹
'+万+𠂉+去+川
氵+方+𠂉+㐬(亠厶川)
旒旗=縁に房状の飾りがある旗
旒旗の先の房飾り
ひらひらと揺らめくさま=游
㫃蹇=吹流しのさま
「屮に從ひ、曲がりて垂下す
㫃=相ひ出入りするなり」
㫃=旗
人=𠂉+其
旗=方+𠂉+其
・・・㫃+其=旗=方+人+其
㫃+也=施=方+人+也
・・・箕=竹+其
キ
ちりとり
み
穀物の殻やちりを
ふるいわける道具
両足を投げ出して
胡坐(あぐら)をかく
二十八宿の「みぼし」
昔の国名
旗=方+𠂉+卄+二+一+八
亠+勹+𠂉+卄+二+一+八
オン・ヱン
はた・ふきながし
「旗」=方形のもの
㫃=旗・旌・旄・旆
旗がなびくさま
游は吹流し
「㫃(はた)+从(人が従う)」の形
旅
甲骨文・金文=「旗がなびく形」
篆文=「㫃」→「方+人(𠂉)」→「旗」 に変化
㫃=エン=方+人
異体字「偃」
偃=亻+匽
亻+匚+妟
亻+匚+日+女
エン
おごる
ふす
ふせる
やめる
おごりたかぶる
たおれる
やめる・戦をやめる
やすむ・一休みする
せき・せく
水などをせき止める=堰
便所・厠(かわや)
ーーーーー
・・・???・・・「トイレのカミさま」・・・ウン次第・・・
WC=Water Closet の略・水洗式便所
炭化タングステン(タングステン W +炭素 C) の化合物記号
World Cupの略
World Championの略
Water Carrier(戦車)の略
Wild Caught(捕獲野生動物)の略
What color?の略
Wild Card(何でもあり・Joker・ババ)の略
ーーーーー
・・・
朝鮮半島
「百済」
「穴太(あのう)」
と名乗る部族・・・?
土木工事
石工
の集団
↓↑
穴太衆(あの-う-しゅう)
・・・・・ 太-秦(うづ-まさ)
タイ・ダイ・ふとい
織豊時代(安土桃山時代)の
石工の集団
寺院や城郭などの
石垣施工を行った技術者集団
石工衆・(いしくしゅう)
石垣職人(いしがきしょくにん)
歴史的仮名遣
「穴太=あなふ」
↓↑
大きな石と小さな石を点在させ
バランスよく組み立て
奥行きのある石を使い
裏手には
「ぐり石」と呼ばれる
「艫介石」
・・・盧+α
櫨(はぜ・枦・黄櫨・沙魚・土師)
櫨(うつぎ)
櫨(はし)
櫨(はせ)
櫨(はぜ)
濾(こす・濾す・漉す・濾過)
爐(いろり・囲炉裏・鑪)
黸(くろ・黒・黑)
驢(ろば・驢馬)
↓↑ ↓↑
獹(いぬ・ロ・ル・犭+盧=犬・狗・戌)
dog(ドッグ)・・・ドック(dock)
ラテン語 canis(カニ)
hound(ハウンド) =猟犬
dachshund・greyhound
「韓盧=為戰國時代 善馳的 獵犬」
ダメ男・女好きの男・ヒモ
熱中者・~狂・おたく?
ハウンド・ドッグ誘導弾
(空対地ミサイル)
ドック(dock)=船の建造・修理の
乾ドック・湿ドック・浮きドック
乾(いぬい)ドック(dock)
戌 亥 渡通句⇔dog
船渠 (センキョ・ドライドック)
↓↑ ↓↑
渠=洰+木
↓↑氵+巨+木
キョ
おおきい
かしら
かれ
なんぞ
みぞ
掘り割り
地面を掘って作った水路
地下灌漑用水路・小川
大きい。広い。
かしら・親分
かれ・三人称の代名詞
なんぞ・いずくんぞ
疑問や反語の助字
↓↑ ↓↑
暗渠・河渠・開渠
街渠・溝渠・船渠
入渠・明渠・渠帥・渠魁
↓↑ ↓↑
永済渠・開船渠・乾船渠
係船渠・湿船渠・導水渠
↓↑ ↓↑
暗渠排水
水到渠成(蘇軾「答秦太虚書」
郭刑部に寄せた書簡)
↓↑ ↓↑
蘇 軾(ソショク)
景祐三年十二月十九日(1037年1月8日)
~
建中靖国元年七月二十八日(1101年8月24日)
大運1094年6月~1104年6月
丙午 正財
丙子(壬 癸)正財・比肩建禄⇔辛巳 偏印
庚子(壬 癸)印綬・比肩建禄⇔丙申 正財
┏癸亥(戊甲壬) ・劫財帝旺⇔丁亥 偏財
┗戊午(丙 丁)正官・偏財 絶⇔丙午 正財
子丑空亡
↓↑ ↓↑
廬山の偈(ゲ=仏の教えをほめたたえた韻文)
蘇那曷叱知(そなかしち
蘇那曷叱智)
曷=なんぞ?
奚・何・胡・曷、一聲之轉、義同
曷+α
渇望・渇水・掲載・羯啼
恐愒・恐喝・恐猲・恫喝
靺鞨・蠍蝎=蠆・さそり
磨羯宮⇔羯=去勢された羊
諸葛亮・轇轕・靄靄
齃=鼻筋・鼻柱
鶡=雉(きじ)・山鳥(サンチョウ)
猲=カツ・カチ・リョウ・ケツ
おおかみ(狼)
↓↑ ↓↑
サソリ(蠍蝎)に似ているのは
「ザリガニ(蝲蛄・蜊蛄・躄蟹
クレイフィッシュ)」
「海老=蝦・蛯・鰕」
「海鰻(あなご)」
「硨磲(しゃこ)
シャコガイ(蝦蛄貝)科二枚貝」
鷓鴣・青竜蝦・史蛙古解?
mantis shrimp=カマキリエビ?
アナジャコ(穴蝦蛄)
蝦夷=えぞ・えみし・カイ
蝦蟆(ガマ・説文解字・巻十三)
鯢(さんしょううお=山椒魚
鯢魚
牝鯨の大なる者を
之れ蝦と謂ふ・爾雅・釈魚)
鯨鯢=鯨は雄クジラ
鯢は雌クジラ
ケイゲイ
大魚
大悪人・悪党の首領
↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑
瓐(緑色の玉)
嚧(口+盧=是唤猪声・笑也・阿伽嚧=華言沈香)
矑(ひとみ・瞳・人見)
臚(はだ・膚・肌・波田)
纑(ぼろ・母鸕・藍褸)
罏(かめ・瓶・甖・甕・亀・鹿目)
籚(ひつ・御櫃)
蘆(あし・芦・葦・足・脚・肢)
艫(へさき・みよし・とも
船首 船尾)
轤(ろくろ・轆轤=轆䡎=滑車・・・鹿路)
鑢(おひつ・御櫃・米櫃)
顱(かしら・こうべ・どくろ・髑髏・毒鴉)
髗(かしら・こうべ・どくろ・髑髏・毒鴉)
↓↑ ↓↑
鸕=う・鸕鶿(ろし)鵜(う)
・・鸕野讚良?
鱸=すずき・魲・出世魚
鈴 木・高木(すずき)?
↓↑ ↓↑
盧・瀘・廬・蘆・櫨・瓐・爐・臚・矑
籚・艫・纑・罏・轤・鑪・顱・驢・髗
鸕・鱸・黸・䰕・攎・㱺・嚧・蠦・㠠
曥・㿖・壚・㪭・獹・㔧
↓↑ ↓↑
王楊盧駱(応用呂楽?)
湛盧之剣(譚侶・史・詞・の
巻・縣・研・検・兼・建?)
盧生之夢(賂所為詞瑜海布?)
↓↑ ↓↑
小石を組み上げ
地震の緩衝材の遊びとし
接着剤となる
漆喰・・・・・シックイ=詞通句意?
などを使っていない
↓↑
胴介石
飼石
裏込
栗石を十分に充塡し
積み石
↓↑
石積みの構造(穴太衆積み関係資料)
根石・積み石(自然石)
艫介石・・・艫(石の奥側・石の端尻尾)
には艫介石を配置・・・
胴介石・・・築石の合端範囲と
胴部および石尻(艫飼)部分に
飼石(介石)の据えられた位置・・・
↓↑
琵琶湖湖西
穴太の地
6世紀~7世紀前半
渡来人が居住した
縄文時代の集落跡
穴太遺跡
昭和61年9月
同遺跡から
古墳時代後期の
オンドル遺構が発見
・・・オンドル(温突)・・・音頭留・音採る?
怨取る?
朝鮮半島の床下暖房
クドゥル(突火煖寢・堗厝火)とも・・・
↓↑
平安時代
弘仁六年(815年)
「新撰姓氏録」には
穴太の地を包括する
大友郷
その南に隣接する
錦部郷
古市郷
では
穴太-村主(すぐり)氏
大友-村主
錦部-村主
などの
渡来人が
穴太や周辺一帯に居住した記録
平安時代
全国各地の主要道に
馬や船などを備えて
中央からの使者に
馬や食事などを提供した
畿内と北陸を結ぶ始発駅
穴太駅家が設けられた
「日本書記」「古事記」では
景行
成務
仲哀
天皇の三代が営んだ
志賀
高穴穂宮の伝承地・・・
↓↑
延暦四年(785年)
伝教大師・最澄
延暦寺創建
俗名 三津首(おびと)・・・地名を氏とする
↓↑ 県主
稲置など領首的性格をもつもの
職名
部曲名を氏とする
伴造的性格をもつもの
・・・「帯の人=帯方郡からの移民」?
「タラシの人」・・・張政?
後漢 献帝の末裔・・・献=南の犬
↓↑ 隼人(はやと)
阿多・大隅(鹿児島)に居住した人々
海幸彦が隼人の阿多君の始祖
祖神-火照命の末裔
「はやひと(はやびと)」
「はいと」とも呼ばれ
「犬のように吠える人」の意
兵部省-東百官の
「隼人助(はやとのすけ)=早い人・速い人・疾い人
↓↑ 捷い人?
登万貴王の後
志賀の漢人の子孫
渡来氏族
出生地
古市郷(大津市膳所・石山付近)
伝承では東坂本
最澄と穴太氏
「続正法論」
南北朝末期
応安元年(1368年)八月二十五日
延暦寺の衆徒が
万所集会(寺内の諸般議決機関)開催
二十八日
御輿を担いで入洛決定するが
京都側の西坂は大変険阻で
坂道を修築するよう
穴太のの民に命令
穴太氏が
穴太衆積みの起源である
横穴式石室墳の石室作りにたずさわり
後
最澄とともに
比叡山に登り
土木工事を請け負う
の民である技術者集団として結び付き
各種
堂塔伽藍の造成
基礎石垣
登山道の土留石垣
水田整備の
石垣畦
井戸・・・イド=緯度・伊土?
の構築等を通じて
穴太衆と呼ばれる職能集団を形成
穴太衆
史料上
京都吉田社の神官
吉田兼見の日記
「兼見卿記」・・・兼(かねて)
見(みる)
↓↑ キョウ(共・協・拱・教・鏡=鑑)記?
安土=ウ+女+拾+壱
桃山=木+兆+山・・・「記帳・基調」+「纂・簒・撰」
時代
天正五年(1577年)九月二十四日条
「穴太を召し寄せ
石懸け(石垣)普請す・・・石(岩・磐・違和・伊和)
懸け・・・磐余=神武天皇
醍醐清滝の御修理也」と記録
↓↑
天正四年(1576年)
安土城築城
穴太より
石工が呼ばれ石垣築
諸国の築城にも用いられ
次第に
石垣作りが上達し
五輪塔作りを止めて
石築を専業とする
以来諸国では
石垣築者を
穴太
といい
技能者を
穴太手筋の者
石垣を築く役人を
穴太役と呼ぶようになった・・・
↓↑
文録二年頃
筑後、三河という
受領名をもつ
城郭
石垣築成者として認められ
江戸開府後は
穴太頭の制度
↓↑
元亀二年(1571年)
織田信長の山門攻略
門前町坂本は
比叡山とともに
壊滅的な被害
↓↑
天正十二年(1584年)
一山大衆の
施薬院全宗
観音寺
詮舜
が中心になって
山門再興を
豊臣秀吉
に願い出て許可
根本中堂
堂塔伽藍
が再建
延暦寺の再興
坂本も門前町と再出発
↓↑
慶長十年(1605年)
「一山衆徒法度」
坂本に「里坊」制度
↓↑
元和元年(1615年)
天海僧正が
天台座主の常住
並びに
延暦寺本坊となった
滋賀院を建立
坂本に居住する僧侶が増加
山上の僧侶が60歳を向えると
座主より
「里坊を賜う」と称され
坂本に住居を設け
多くの里坊が形成
里坊は
道路に面して
野面石を積んだ
穴太積みの石垣を設け
その上に
土塀や生垣
竹垣を配し
主屋を囲んでいる
城壁のような
滋賀院石垣
生源寺
律院
実蔵坊の桝形をした石垣
大将軍神社
白髭神社等が
里坊群の景観を形成
↓↑
穴太衆
近江
比叡山山麓
穴太(穴太ノ里=あのうのさと)
滋賀県
大津市
坂本
穴太
延暦寺
と
日吉大社
の門前町・坂本の近郊
出身
古墳築造などを行っていた
石工の末裔
安土城の石垣を施工
織田信長
豊臣秀吉
らによって
城郭の石垣構築にも携わった
以降は江戸時代初頭に到るまで
多くの城の石垣が
穴太衆の指揮のもとで造られた・・・
坂本の町の
「里坊(さとぼう)」
と呼ばれる延暦寺の末端の寺院群は
彼らの組んだ石垣で囲まれている
↓↑
穴太積(あのうづみ、穴太積み)
野面積(のづらづみ、野面積み)を指し
昭和初期以降の俗称
穴太衆が手がけた野面積の石垣
穴太衆は
石垣職人で
玉石積
や
切石積も行った
↓↑
諸家
後藤家
石垣職人
後藤基次(又兵衛)が
加藤清正から
伝授を受け
『城石垣始秘伝抄』
「城取りの石垣の事」
又兵衛は大坂夏の陣で討死する
前に
腹違いの弟
彦八(後の初代後藤杢兵衛)
に
これまで学んだ成果を
『石垣根元抄』として
元和元年(1615年)四月に伝授
「元和八年(1622年)以来
一子相伝の他これを許さずのもの也」
とした
後藤家が関わった石垣
加賀藩
金沢城
↓↑
穴太衆の石垣
安土城
彦根城
竹田城(但馬)
篠山城
角牟礼城
など
↓↑
粟田家
江戸時代初期
阿波屋喜兵衛が祖・・・阿波
会社組織として存続
1964年(昭和39年)
十三代目が
粟田建設を商号
1972年(昭和47年)
有限会社化
十四代目継承
2005年(平成17年)
株式会社化
2017年(平成29年)
粟田純徳(すみのり)社長が
「第十五代目
穴太衆頭」として活動
↓↑
粟田家
坂本を門前町とする
比叡山延暦寺の石積み
第二次世界大戦後
兵庫県の
竹田城や篠山城
滋賀県の
安土城や彦根城
高知城、洲本城
などの石垣修復
2010年
野面積の頑丈さと芸術性が評価され
アメリカでも施工
↓↑
日本一の高さの石垣
丸亀城
山崎氏が
石垣職人の
羽坂重三郎(はさかじゅうざぶろう)に対し
誰も登れまいと語ったところ
羽坂がこれを登った
軍事機密上
洩れるのを恐れた
山崎氏が
二の丸井戸に呼び出し
これは登れまいと
羽坂を挑発し
井戸に降りさせ
投石で暗殺した・・・
『石垣築様目録』(奈良県所蔵)中に
「丸亀(城の石垣)から学んだ」という記述
丸亀城石垣に
特徴的な
扇形の配置・配列を
数字で暗号化した記述が目録にあり
羽坂の技法が広まった・・・
『石垣築様目録』の記述は
四国
東部系統の
石垣職人の技法を手本とした・・・
↓↑
日本の石垣職人は
朝鮮出兵時にも活動
倭城石垣が確認
朝鮮半島の倭城
アメリカなど海外でも
石垣の施工
↓↑
石介・・・石の介護・介入・一介・介意・介音???
一介(イッカイ)
介意(カイイ)
介護(カイゴ)
介在(カイザイ)
介錯(カイシャク)
介助(カイジョ)
介入(カイニュウ)
介抱(カイホウ)
狷介(ケンカイ)
紹介(ショウカイ)
仲介(チュウカイ)
媒介(バイカイ)
厄介(ヤッカイ)
鱗介(リンカイ)
魚介類(ギョカイルイ)
真名&貝類・・・?
↓↑
見田・石介(みた・せきすけ)?
↓↑ ↓↑
1906年4月23日~1975年8月9日
大運1970年9月(64歳)己亥~1980年9月
丙 午(丙 丁)劫財・食神建禄⇔乙卯
┏壬┏辰(乙癸戊)正官・傷官 衰⇔甲申
┗丁┗酉(庚 辛) ・偏財長生⇔丁亥
丙・・午(丙 丁)劫財・食神建禄⇔丙午
辰巳空亡 天地徳合
旧姓
甘粕・・・?
1933年
結婚より妻の姓
見田を名乗る
↓↑
筆名
佐竹・恒有
瀬木・健
島根県
津和野出身
憲兵大尉
甘粕正彦
は従兄弟
ーーーーー
・・・???・・・
参差錯落=シンㇱサクラク)=「新史・神史・審史」錯覼句・・・
桜苦・・・佐倉 惣五郎(木内 惣五郎)の苦・・・?
W C・・・toilet(トイレットゥ・トイレット)?・・・問例通訳・・・?
ハンカチーフ= hand (手) + kerchief (頭布))=handkerchief(ハンカチーフ)
Wild Card(何でもあり・Joker・ババ)の略・・・?
almighty(オールマイティー)がババ?・・・万能のババ・・・Urinal (小便器)?
「𠂉=カミさし=髪挿し・鈿・・簪・釵・楴・笄・兂・櫛」・・・
かんざし=髪飾り
篸 =篸差・古同「参差」=長短、或粗細不揃い
互いに入りまじるさま
高低・長短などの不揃いなさま
参差錯落(シンㇱサクラク)=変化に富んで、美しいこと
篸=縫衣針
古通「簪=かんざし」
「插=棒状、へら状のものを
穴などに)挿す・差し込む・突っ込む
篸=一种簸箕(塵取り・チリとり)
・・・地理採り?
𠂉=人・・・?
㫃=旗印が風に靡(なび)くさま
旗が風に翻(ひるがえ)るさま
「旗」の原字・・・
旗竿の吹流しが靡(なび)くさま
「旌旗の游、㫃蹇たるの
皃(かたち)なり(説文解字)」
皃=白+儿=貌(風貌・容貌・顔貌)
形(姿態)
游=氵+斿(𠂉子)=吹流し
斿=あそぶ・浮かぶ・ただよう
旗の先につけた飾り
異体字「旒」
「斿=㫃+汓」
「汓」=子供が水に浮かぶ様
斿=push open
アイ
ひらく
旌旗垂
斿=リュウ・ル・ユウ・ユ
𣽩=氵+斿
氵+亠+勹
'+万+𠂉+去+川
氵+方+𠂉+㐬(亠厶川)
旒旗=縁に房状の飾りがある旗
旒旗の先の房飾り
ひらひらと揺らめくさま=游
㫃蹇=吹流しのさま
「屮に從ひ、曲がりて垂下す
㫃=相ひ出入りするなり」
㫃=旗
人=𠂉+其
旗=方+𠂉+其
・・・㫃+其=旗=方+人+其
㫃+也=施=方+人+也
・・・箕=竹+其
キ
ちりとり
み
穀物の殻やちりを
ふるいわける道具
両足を投げ出して
胡坐(あぐら)をかく
二十八宿の「みぼし」
昔の国名
旗=方+𠂉+卄+二+一+八
亠+勹+𠂉+卄+二+一+八
オン・ヱン
はた・ふきながし
「旗」=方形のもの
㫃=旗・旌・旄・旆
旗がなびくさま
游は吹流し
「㫃(はた)+从(人が従う)」の形
旅
甲骨文・金文=「旗がなびく形」
篆文=「㫃」→「方+人(𠂉)」→「旗」 に変化
㫃=エン=方+人
異体字「偃」
偃=亻+匽
亻+匚+妟
亻+匚+日+女
エン
おごる
ふす
ふせる
やめる
おごりたかぶる
たおれる
やめる・戦をやめる
やすむ・一休みする
せき・せく
水などをせき止める=堰
便所・厠(かわや)
ーーーーー
・・・???・・・「トイレのカミさま」・・・ウン次第・・・
WC=Water Closet の略・水洗式便所
炭化タングステン(タングステン W +炭素 C) の化合物記号
World Cupの略
World Championの略
Water Carrier(戦車)の略
Wild Caught(捕獲野生動物)の略
What color?の略
Wild Card(何でもあり・Joker・ババ)の略
ーーーーー
・・・
朝鮮半島
「百済」
「穴太(あのう)」
と名乗る部族・・・?
土木工事
石工
の集団
↓↑
穴太衆(あの-う-しゅう)
・・・・・ 太-秦(うづ-まさ)
タイ・ダイ・ふとい
織豊時代(安土桃山時代)の
石工の集団
寺院や城郭などの
石垣施工を行った技術者集団
石工衆・(いしくしゅう)
石垣職人(いしがきしょくにん)
歴史的仮名遣
「穴太=あなふ」
↓↑
大きな石と小さな石を点在させ
バランスよく組み立て
奥行きのある石を使い
裏手には
「ぐり石」と呼ばれる
「艫介石」
・・・盧+α
櫨(はぜ・枦・黄櫨・沙魚・土師)
櫨(うつぎ)
櫨(はし)
櫨(はせ)
櫨(はぜ)
濾(こす・濾す・漉す・濾過)
爐(いろり・囲炉裏・鑪)
黸(くろ・黒・黑)
驢(ろば・驢馬)
↓↑ ↓↑
獹(いぬ・ロ・ル・犭+盧=犬・狗・戌)
dog(ドッグ)・・・ドック(dock)
ラテン語 canis(カニ)
hound(ハウンド) =猟犬
dachshund・greyhound
「韓盧=為戰國時代 善馳的 獵犬」
ダメ男・女好きの男・ヒモ
熱中者・~狂・おたく?
ハウンド・ドッグ誘導弾
(空対地ミサイル)
ドック(dock)=船の建造・修理の
乾ドック・湿ドック・浮きドック
乾(いぬい)ドック(dock)
戌 亥 渡通句⇔dog
船渠 (センキョ・ドライドック)
↓↑ ↓↑
渠=洰+木
↓↑氵+巨+木
キョ
おおきい
かしら
かれ
なんぞ
みぞ
掘り割り
地面を掘って作った水路
地下灌漑用水路・小川
大きい。広い。
かしら・親分
かれ・三人称の代名詞
なんぞ・いずくんぞ
疑問や反語の助字
↓↑ ↓↑
暗渠・河渠・開渠
街渠・溝渠・船渠
入渠・明渠・渠帥・渠魁
↓↑ ↓↑
永済渠・開船渠・乾船渠
係船渠・湿船渠・導水渠
↓↑ ↓↑
暗渠排水
水到渠成(蘇軾「答秦太虚書」
郭刑部に寄せた書簡)
↓↑ ↓↑
蘇 軾(ソショク)
景祐三年十二月十九日(1037年1月8日)
~
建中靖国元年七月二十八日(1101年8月24日)
大運1094年6月~1104年6月
丙午 正財
丙子(壬 癸)正財・比肩建禄⇔辛巳 偏印
庚子(壬 癸)印綬・比肩建禄⇔丙申 正財
┏癸亥(戊甲壬) ・劫財帝旺⇔丁亥 偏財
┗戊午(丙 丁)正官・偏財 絶⇔丙午 正財
子丑空亡
↓↑ ↓↑
廬山の偈(ゲ=仏の教えをほめたたえた韻文)
蘇那曷叱知(そなかしち
蘇那曷叱智)
曷=なんぞ?
奚・何・胡・曷、一聲之轉、義同
曷+α
渇望・渇水・掲載・羯啼
恐愒・恐喝・恐猲・恫喝
靺鞨・蠍蝎=蠆・さそり
磨羯宮⇔羯=去勢された羊
諸葛亮・轇轕・靄靄
齃=鼻筋・鼻柱
鶡=雉(きじ)・山鳥(サンチョウ)
猲=カツ・カチ・リョウ・ケツ
おおかみ(狼)
↓↑ ↓↑
サソリ(蠍蝎)に似ているのは
「ザリガニ(蝲蛄・蜊蛄・躄蟹
クレイフィッシュ)」
「海老=蝦・蛯・鰕」
「海鰻(あなご)」
「硨磲(しゃこ)
シャコガイ(蝦蛄貝)科二枚貝」
鷓鴣・青竜蝦・史蛙古解?
mantis shrimp=カマキリエビ?
アナジャコ(穴蝦蛄)
蝦夷=えぞ・えみし・カイ
蝦蟆(ガマ・説文解字・巻十三)
鯢(さんしょううお=山椒魚
鯢魚
牝鯨の大なる者を
之れ蝦と謂ふ・爾雅・釈魚)
鯨鯢=鯨は雄クジラ
鯢は雌クジラ
ケイゲイ
大魚
大悪人・悪党の首領
↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑
瓐(緑色の玉)
嚧(口+盧=是唤猪声・笑也・阿伽嚧=華言沈香)
矑(ひとみ・瞳・人見)
臚(はだ・膚・肌・波田)
纑(ぼろ・母鸕・藍褸)
罏(かめ・瓶・甖・甕・亀・鹿目)
籚(ひつ・御櫃)
蘆(あし・芦・葦・足・脚・肢)
艫(へさき・みよし・とも
船首 船尾)
轤(ろくろ・轆轤=轆䡎=滑車・・・鹿路)
鑢(おひつ・御櫃・米櫃)
顱(かしら・こうべ・どくろ・髑髏・毒鴉)
髗(かしら・こうべ・どくろ・髑髏・毒鴉)
↓↑ ↓↑
鸕=う・鸕鶿(ろし)鵜(う)
・・鸕野讚良?
鱸=すずき・魲・出世魚
鈴 木・高木(すずき)?
↓↑ ↓↑
盧・瀘・廬・蘆・櫨・瓐・爐・臚・矑
籚・艫・纑・罏・轤・鑪・顱・驢・髗
鸕・鱸・黸・䰕・攎・㱺・嚧・蠦・㠠
曥・㿖・壚・㪭・獹・㔧
↓↑ ↓↑
王楊盧駱(応用呂楽?)
湛盧之剣(譚侶・史・詞・の
巻・縣・研・検・兼・建?)
盧生之夢(賂所為詞瑜海布?)
↓↑ ↓↑
小石を組み上げ
地震の緩衝材の遊びとし
接着剤となる
漆喰・・・・・シックイ=詞通句意?
などを使っていない
↓↑
胴介石
飼石
裏込
栗石を十分に充塡し
積み石
↓↑
石積みの構造(穴太衆積み関係資料)
根石・積み石(自然石)
艫介石・・・艫(石の奥側・石の端尻尾)
には艫介石を配置・・・
胴介石・・・築石の合端範囲と
胴部および石尻(艫飼)部分に
飼石(介石)の据えられた位置・・・
↓↑
琵琶湖湖西
穴太の地
6世紀~7世紀前半
渡来人が居住した
縄文時代の集落跡
穴太遺跡
昭和61年9月
同遺跡から
古墳時代後期の
オンドル遺構が発見
・・・オンドル(温突)・・・音頭留・音採る?
怨取る?
朝鮮半島の床下暖房
クドゥル(突火煖寢・堗厝火)とも・・・
↓↑
平安時代
弘仁六年(815年)
「新撰姓氏録」には
穴太の地を包括する
大友郷
その南に隣接する
錦部郷
古市郷
では
穴太-村主(すぐり)氏
大友-村主
錦部-村主
などの
渡来人が
穴太や周辺一帯に居住した記録
平安時代
全国各地の主要道に
馬や船などを備えて
中央からの使者に
馬や食事などを提供した
畿内と北陸を結ぶ始発駅
穴太駅家が設けられた
「日本書記」「古事記」では
景行
成務
仲哀
天皇の三代が営んだ
志賀
高穴穂宮の伝承地・・・
↓↑
延暦四年(785年)
伝教大師・最澄
延暦寺創建
俗名 三津首(おびと)・・・地名を氏とする
↓↑ 県主
稲置など領首的性格をもつもの
職名
部曲名を氏とする
伴造的性格をもつもの
・・・「帯の人=帯方郡からの移民」?
「タラシの人」・・・張政?
後漢 献帝の末裔・・・献=南の犬
↓↑ 隼人(はやと)
阿多・大隅(鹿児島)に居住した人々
海幸彦が隼人の阿多君の始祖
祖神-火照命の末裔
「はやひと(はやびと)」
「はいと」とも呼ばれ
「犬のように吠える人」の意
兵部省-東百官の
「隼人助(はやとのすけ)=早い人・速い人・疾い人
↓↑ 捷い人?
登万貴王の後
志賀の漢人の子孫
渡来氏族
出生地
古市郷(大津市膳所・石山付近)
伝承では東坂本
最澄と穴太氏
「続正法論」
南北朝末期
応安元年(1368年)八月二十五日
延暦寺の衆徒が
万所集会(寺内の諸般議決機関)開催
二十八日
御輿を担いで入洛決定するが
京都側の西坂は大変険阻で
坂道を修築するよう
穴太のの民に命令
穴太氏が
穴太衆積みの起源である
横穴式石室墳の石室作りにたずさわり
後
最澄とともに
比叡山に登り
土木工事を請け負う
の民である技術者集団として結び付き
各種
堂塔伽藍の造成
基礎石垣
登山道の土留石垣
水田整備の
石垣畦
井戸・・・イド=緯度・伊土?
の構築等を通じて
穴太衆と呼ばれる職能集団を形成
穴太衆
史料上
京都吉田社の神官
吉田兼見の日記
「兼見卿記」・・・兼(かねて)
見(みる)
↓↑ キョウ(共・協・拱・教・鏡=鑑)記?
安土=ウ+女+拾+壱
桃山=木+兆+山・・・「記帳・基調」+「纂・簒・撰」
時代
天正五年(1577年)九月二十四日条
「穴太を召し寄せ
石懸け(石垣)普請す・・・石(岩・磐・違和・伊和)
懸け・・・磐余=神武天皇
醍醐清滝の御修理也」と記録
↓↑
天正四年(1576年)
安土城築城
穴太より
石工が呼ばれ石垣築
諸国の築城にも用いられ
次第に
石垣作りが上達し
五輪塔作りを止めて
石築を専業とする
以来諸国では
石垣築者を
穴太
といい
技能者を
穴太手筋の者
石垣を築く役人を
穴太役と呼ぶようになった・・・
↓↑
文録二年頃
筑後、三河という
受領名をもつ
城郭
石垣築成者として認められ
江戸開府後は
穴太頭の制度
↓↑
元亀二年(1571年)
織田信長の山門攻略
門前町坂本は
比叡山とともに
壊滅的な被害
↓↑
天正十二年(1584年)
一山大衆の
施薬院全宗
観音寺
詮舜
が中心になって
山門再興を
豊臣秀吉
に願い出て許可
根本中堂
堂塔伽藍
が再建
延暦寺の再興
坂本も門前町と再出発
↓↑
慶長十年(1605年)
「一山衆徒法度」
坂本に「里坊」制度
↓↑
元和元年(1615年)
天海僧正が
天台座主の常住
並びに
延暦寺本坊となった
滋賀院を建立
坂本に居住する僧侶が増加
山上の僧侶が60歳を向えると
座主より
「里坊を賜う」と称され
坂本に住居を設け
多くの里坊が形成
里坊は
道路に面して
野面石を積んだ
穴太積みの石垣を設け
その上に
土塀や生垣
竹垣を配し
主屋を囲んでいる
城壁のような
滋賀院石垣
生源寺
律院
実蔵坊の桝形をした石垣
大将軍神社
白髭神社等が
里坊群の景観を形成
↓↑
穴太衆
近江
比叡山山麓
穴太(穴太ノ里=あのうのさと)
滋賀県
大津市
坂本
穴太
延暦寺
と
日吉大社
の門前町・坂本の近郊
出身
古墳築造などを行っていた
石工の末裔
安土城の石垣を施工
織田信長
豊臣秀吉
らによって
城郭の石垣構築にも携わった
以降は江戸時代初頭に到るまで
多くの城の石垣が
穴太衆の指揮のもとで造られた・・・
坂本の町の
「里坊(さとぼう)」
と呼ばれる延暦寺の末端の寺院群は
彼らの組んだ石垣で囲まれている
↓↑
穴太積(あのうづみ、穴太積み)
野面積(のづらづみ、野面積み)を指し
昭和初期以降の俗称
穴太衆が手がけた野面積の石垣
穴太衆は
石垣職人で
玉石積
や
切石積も行った
↓↑
諸家
後藤家
石垣職人
後藤基次(又兵衛)が
加藤清正から
伝授を受け
『城石垣始秘伝抄』
「城取りの石垣の事」
又兵衛は大坂夏の陣で討死する
前に
腹違いの弟
彦八(後の初代後藤杢兵衛)
に
これまで学んだ成果を
『石垣根元抄』として
元和元年(1615年)四月に伝授
「元和八年(1622年)以来
一子相伝の他これを許さずのもの也」
とした
後藤家が関わった石垣
加賀藩
金沢城
↓↑
穴太衆の石垣
安土城
彦根城
竹田城(但馬)
篠山城
角牟礼城
など
↓↑
粟田家
江戸時代初期
阿波屋喜兵衛が祖・・・阿波
会社組織として存続
1964年(昭和39年)
十三代目が
粟田建設を商号
1972年(昭和47年)
有限会社化
十四代目継承
2005年(平成17年)
株式会社化
2017年(平成29年)
粟田純徳(すみのり)社長が
「第十五代目
穴太衆頭」として活動
↓↑
粟田家
坂本を門前町とする
比叡山延暦寺の石積み
第二次世界大戦後
兵庫県の
竹田城や篠山城
滋賀県の
安土城や彦根城
高知城、洲本城
などの石垣修復
2010年
野面積の頑丈さと芸術性が評価され
アメリカでも施工
↓↑
日本一の高さの石垣
丸亀城
山崎氏が
石垣職人の
羽坂重三郎(はさかじゅうざぶろう)に対し
誰も登れまいと語ったところ
羽坂がこれを登った
軍事機密上
洩れるのを恐れた
山崎氏が
二の丸井戸に呼び出し
これは登れまいと
羽坂を挑発し
井戸に降りさせ
投石で暗殺した・・・
『石垣築様目録』(奈良県所蔵)中に
「丸亀(城の石垣)から学んだ」という記述
丸亀城石垣に
特徴的な
扇形の配置・配列を
数字で暗号化した記述が目録にあり
羽坂の技法が広まった・・・
『石垣築様目録』の記述は
四国
東部系統の
石垣職人の技法を手本とした・・・
↓↑
日本の石垣職人は
朝鮮出兵時にも活動
倭城石垣が確認
朝鮮半島の倭城
アメリカなど海外でも
石垣の施工
↓↑
石介・・・石の介護・介入・一介・介意・介音???
一介(イッカイ)
介意(カイイ)
介護(カイゴ)
介在(カイザイ)
介錯(カイシャク)
介助(カイジョ)
介入(カイニュウ)
介抱(カイホウ)
狷介(ケンカイ)
紹介(ショウカイ)
仲介(チュウカイ)
媒介(バイカイ)
厄介(ヤッカイ)
鱗介(リンカイ)
魚介類(ギョカイルイ)
真名&貝類・・・?
↓↑
見田・石介(みた・せきすけ)?
↓↑ ↓↑
1906年4月23日~1975年8月9日
大運1970年9月(64歳)己亥~1980年9月
丙 午(丙 丁)劫財・食神建禄⇔乙卯
┏壬┏辰(乙癸戊)正官・傷官 衰⇔甲申
┗丁┗酉(庚 辛) ・偏財長生⇔丁亥
丙・・午(丙 丁)劫財・食神建禄⇔丙午
辰巳空亡 天地徳合
旧姓
甘粕・・・?
1933年
結婚より妻の姓
見田を名乗る
↓↑
筆名
佐竹・恒有
瀬木・健
島根県
津和野出身
憲兵大尉
甘粕正彦
は従兄弟
ーーーーー
・・・???・・・
参差錯落=シンㇱサクラク)=「新史・神史・審史」錯覼句・・・
桜苦・・・佐倉 惣五郎(木内 惣五郎)の苦・・・?