不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

gooブログはじめました!キリヤ

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
コジキジゲン

コメがイシって・・・ナゼ「石」になっちゃったんだろう・・・

2021-02-15 18:10:02 | 古事記字源

 オンナ次第か、オトコ次第か・・・仕切る組織、領域の管理運営権・・・
 「軍隊蟻の社会分業」・・・「女王蟻」は常時、妊娠と出産で多忙・・・
  身体が大きくて自身の身動きには「御付きのアリ」の援けが必要だ・・・
  兵隊蟻の分業は士官、下士官、工兵、兵卒とハッキリして、
  上下の伝達命令を仕切り、
 そして守る部署の蟻の体格と有する武器になる歯や手足などが
 異なっている管理社会組織である・・・
  病気も伝染病みたいに蔓延するが、罹患の蟻は・・・組織から排除される・・・
  ・・・以前、マングースの生態記録をTVで観たけれど・・・
  ・・・「島」を維持防衛するタメの他組織との生存競争の戦いは
     「人間のヤクザ映画の組織間闘争」に似ていた・・・
     「人間の国家間戦争の映画」にも似ていた・・・
 ↓↑
 新しく渡り、戸数は稲作りする・・・新渡戸 稲造・・・
 ↓↑
 「アダム(亜當)とイブ(夏娃)」の時代から地球はダレのモノか・・・
      亜=亞    夏=𦣻+夂
               𦣻=一+自
               ・・・初(始・肇・元・哉)め
                  の己(おのれ=私・我・僕・儂
                  妾=わちき=和知紀・わらは=和羅派?
                    和地記?
                  余=よ)・・・扶余・扶餘?
               百の古字(古文)=一+白
               シュウ
               異体字「百・首」・・・百済の首領?
      當=当    娃=女+圭

 「亜當(アダム)」と「夏娃(イヴ)」
 「亜當(アダム)→あまねし・あまねく+あてる=当」
  アトウ→あとう→阿東・安東・阿藤・阿刀・与・與・能
 「あまねし=天音詞」で
 「あまねく=遍く・普く」→普遍
  あま(天・海女・海部・海士・海人・亜麻・尼)
   +
   ね(音・禰・祢・値・根・子)
   +
   く(求・九・玖・紅・宮・孔・区・句・矩
     供
     琥・狗・駒・貢・庫・躯・垢・功・工
     苦)」
   を
 「当(當)てる」である

 「夏娃(イヴ)→なつ+うつくしい・よい・よし(好)」で
 「夏(カ)=一+ノ+目+夂(攵=𠂉+乂・攴=ト+又・ボク・軽く叩く)」
  +    一の目の母苦(宮)→独眼(隻眼)の母の苦=伊達政宗の母
  +    の義姫は山形城主最上義守の娘(天文十七年・1548年)
   +    山形城で誕生
 「娃(アイ・ワ・ア・エ・うつくしい)=女+圭
             美しい・美女・少女
             子供・子供の動物
             丸く窪んだ目」・・・?
             月に存在するもの=「α+圭」
 「説文解字・巻十二」には
 「圜深たる目の貌なり」
  ・・・圜=円=圓
     圜(ケイ)=囗+睘(瞏)
     瞏=罒+一+口+𧘇
       罒+土+口+𧘇
     睘=罒+袁
       罒+一+口+𧘇
       袁=土+口+𧘇
         エン
         着物がゆったりと長いさま
         長袖・long sleeve
         古代中国の地名
       驚いて目を丸くする・驚いて見詰める
      「睘睘」=孤独なさま・一人ぼっちのさま
     圜(まる)い
     圜(めぐらす)らす
     圜(めぐる)る
     圜⇔園=薗・・・花園・霊園・墓園・紫微園
     圜⇔圖=圗=图=図
 「一に曰く、吳楚の輭、好を謂ひて娃と曰ふ」
  ・・・「好=娃」
      猿⇔媴=女+袁=エン・オン
              ひめ=媛=姫
              黄帝の姓
        異体字「媛=女+爰」
            爰=爫+一+友
              爫 +一+ナ+ 又
        姫=姬=㚦・姖・烥
          姬=女+匚+丄+II+丅
            女+匚+I+┴+I+┬
           女+匚+I+口+I
        㜯=女+熙
          女+煕
          女+巸+灬
          女+巳+灬
          女+己+灬
          異体字「娭=女+矣(ム𠂉一人)
          熙=巸+灬
            𦣞+巳+灬
            𦣝+巳+灬
          㜯=女+熙
            巸=巸
            𦣞+巳
            𦣝+巳
   異体字「𣢮・戺・𦣤・𢨪・𢩂」
   巸=イ・キ
     𦣝(乳房)+巳(赤子)
     乳房が一つになった形に
     巳(蛇・蝮・它・🐍)がついて
    「巸」になった
     婦人が赤子に授乳している形
     赤子が乳を飲んで
     よろこぶ・おだやかの意
     赤子に乳を飲ませる
     イ・キ
     ひろいあご(顎)・・・?
     口と頬っぺた・・・?
   煕=𦣝+巳+灬
     康熙帝(コウキテイ)
     清の第4代皇帝
     諱は玄燁(ゲンヨウ)
     称号はモンゴル語でアムフラン・ハーン
     廟号は聖祖
     諡号は
     合天・・・天津(天孫)を合併
     弘運・・・弘文天皇=大友・伊賀
     文武・・・文武天皇=軽・珂瑠
     睿哲恭倹
     寛裕孝敬
     誠信功徳
     大成仁皇帝
      (仁皇帝)

   媐=巸+女
     𦣝+巳+女
     異体字「𡟮 ・𡢰」
     說樂也・从女巸聲
          姫=女+臣
          「臣」=貴人の前で目を伏せた様?
              貴人の前で「かしこまる」こと?
              大臣・臣下
              大臣の役目は臣下、人民の管理、監督
              監視、観察、目で見張ること・・・
  ↓↑
 領地の
 私有・公有・国有・・・共有・・・地球はダレのモノなのか・・・
  ↓↑
 「フィンランド(芬蘭・・・・香りのよい蘭の花
         芬蘭土
         分蘭
         行蘭土)」
 と
 「スエーデン(瑞典・・・・・瑞皐=高野長英
        雪際亜・・・・由紀(有紀)際の雨音思?
        蘇亦斉・・・・ヨミがえる亦の斎(齊國⇔西国)
        蘇亦斉亜・・・蘇る足(迹・俣)の斎のアマネシ
        蘇葉斉亜・・・蘇る言葉の斎のアマネシ
        蘇物甸・・・・「蘇我vs物部」=甸=勹+田
        瑞威敦
        瑞丁
        瑞国)」
 の領有権争い
 (バルト海にある小さな島
  オーランド諸島の帰属問題)
 を
 「新渡戸 裁定」
  ↓↑
 「新渡戸 稲造」
 文久2年8月8日
 1862年9月1日
 ~
 1933年(昭和8年)10月15日
     大運1924年12月(62歳)乙卯正官
 壬戌(辛丁戊)偏財・比肩 墓⇔癸酉正財
 戊申(戊壬庚)比肩・食神 病⇔壬戌偏財
 戊午(丙 丁)  ・印綬帝旺⇔甲寅偏官
 戊午(丙 丁)比肩・印綬帝旺⇔庚午食神
  子丑空亡
 教育者・思想家・農業経済学・農学研究者
 国際連盟事務次長
 英文著書『武士道』
 日本銀行券の
 D五千円券肖像
 15歳
 1877年9月
 当時国内で唯一学士号を授与する高等教育機関
 札幌農学校(北海道大学)
 二期生として入学
 ↓↑
 1920年(大正九年)1月10日
 国際連盟設立
 事務次長に選任された
 新渡戸は
 国際連盟の規約に
 人種的差別撤廃提案
 (Racial Equality Proposal)
 の
 過半数の支持を集めたが
 議長のアメリカ
 ウィルソン大統領
 により否決された・・・
 ↓↑
 1920年(大正九年)
 国際連盟設立
 事務次長の
 新渡戸らは国際連盟の規約に
 人種的差別撤廃提案の
 過半数の支持を集めたが
 議長のアメリカ
 ウィルソン大統領
 により否決された・・・
 ↓↑
 人種的差別撤廃提案
 1919年(大正8年)
 1月14日
 パリ到着の日本全権団は
 「人種差別撤廃提案成立」
 のため、各国と交渉を開始
 ↓↑
 2月13日
 国際連盟委員会で
 「牧野伸顕」は
 連盟規約
 第二一条
 の宗教の自由についての規定の後に
 「各国民均等の主義は
  国際連盟の基本的綱領なるに依り
  締約国は
  成るべく速に連盟員たる国家に於ける
  一切の外国人に対し
  如何なる点に付ても
  均等公正の待遇を与え
  人種或は国籍如何に依り
  法律上或は
  事実上
  何等差別を設けざることを約す」
  という条文追加を提案
 ↓↑
 4月11日
 「人種平等条項の運命が決まったのは
  4月11日の会議のことであり
  山東問題が
  米・英・仏・伊
  の四巨頭会議で考慮されたのは
  それよりもずっとあとのことだった。
  委員会が
  平等原則を支持しないことになった
  にもかかわらず
  日本側は山東半島に関して
  最終決定がなされる
  2日前に国際連盟支持を公表していた。
  日本全権団の考えでは
  この2つの問題の論点の正しさは
  きわめて明白だったので
  両者を結びつけるといった
  戦術を考慮する必要はなかった」
 ・・・

 「新渡戸 稲造」
  ↓↑
 東京女子大学初代学長
 東京女子経済専門学校
 (東京文化短期大学
  新渡戸文化短期大学)
 初代校長
  ↓↑
 「新渡戸 裁定」
  ↓↑
 「島の帰属はフィンランドとするが
  公用語は島民の大半がスエーデン人であるため
  スエーデン語とする。
  住民の大幅な自治を認め
  島を非武装地帯とする」
 という方式で解決・・・
 ↓↑  ↓↑
 日本国籍領土の
 「北方四島」には
 旧ソ連、現ロシア実効支配で
 ロシア占領民が住居し
 日本領海では多くの日本国籍の漁船を拿捕抑留してきた・・・
 「竹島」を実効支配する韓国は
 日本領海内での 
 日本漁船を拿捕、抑留してきた
 「尖閣列島」
 には現在、住民はいないが
 かってのccp新聞記事にも地図にも
 日本国国籍領土と記録されていた「島」である・・・
  ↓↑
 「人民日報」の沖縄に関する記事
  冒頭で
  尖閣諸島は
  琉球群島に含まれるとの主旨が記述
  (1953年1月8日紙面)
  ↓↑
  中国・北京市にある地図出版社が出版した中国地図集
  台湾、南沙諸島など
  中国政府が領有を主張する地域に
  国境線が引かれているが
  尖閣諸島の記載がなく
  現在発行の地図のように国境もない
 (1958年出版)
 by 『ウィキペディア(Wikipedia)』
  ↓↑
 「武士道(The Soul of Japan)」・・・「新渡戸 稲造」・・・
 1900 年(明治 23 年)初版
  ↓↑
 「自らを節することに厳しく
  下位の者に慈悲の心をもって接し
  敵には憐れみをかけ
  私欲を忌み
  公正を尊び
  富貴よりも名誉を尊ぶ」・・・精神
 「自分を律する武士道精神」は
 「自虐史観」ではないだろう・・・
 だが
 「階級・身分社会」での
 「支配、被支配」
 「相互納得」前提での
 「階級維持社会」前提での
 「忠義」、「忠心」
 「自己納得」である・・・「忠義」、「忠心」は悪なのか?
 軍隊、官僚、会社、私営、公営施設、学校等
 の諸々の組織の管理運営・・・
 中学生の生徒会、小学生のクラス会での決定で
 「組織運営」はできるのか、どうか?
 「規律」の厳守、遵法がなければ「組織」は崩壊する・・・
 だが、
 「遵法闘争」も「生産組織」の機能性を阻害する・・・
 「規律」には「状況に対する円滑性、柔軟性」が必要とされる
 個々人の「衣食住」の安定供給が前提だが・・・
 ダレがこれらを維持保障するのか・・・
 ダレの為の、ナンの為の「法」なのか・・・
 「法」があっても
 政治家も、経済人も、ヤクザも、一般人も「悪用」する・・・
 American西部劇、Chinese京劇、Japanese時代劇・・・歌舞伎
 Greece悲劇・・・
 「仇敵」がいなければ劇は進行しない・・・が
 「仇敵」は「悪人」でもないらしい・・・
 じゃぁ~ッ、「善人」とはダレなのか?
 outlawも英雄、ヤクザも英雄・・・
  ↓↑
 楽器のボルトは締めすぎては機能しない・・・
 エンジン機関のシリンダーとピストンには
 僅かな「隙間」がなければ機能しない・・・
 「隙間」に埋める「潤滑アブラ」が必要だ・・・
  ↓↑
 個々人の人間関係にとって
 「距離間」の調節(法)と
 その隙間を埋める
 「媒介物(情)」がなければ
 個々人の
 「階級格差」が拡大し
  個々人の生活、健康、生命維持も
  不公平に
 「ギクシャク」するだろう・・・
ーー↓↑---
 「燕の始祖」
 周建国の元勲
 「召公奭(ショウコウセキ)
   奭=大+皕
     百+大+百
     百+一+人+百
     セキ・シャク・カク・キャク
     さかん・いかるさま
     いかる・・・怒る・猪狩
        いかる賀=斑鳩・鵤
             猪狩画⇔銅鐸線画
     異体字「𠁗・𡚐」
         𠁗=夫+皕
           十+皕+大
           百+二+人+百
   𠁗=奭=𡚐
     十一日白百皕大=𠁗
     盛んなさま・盛大なさま
     同「赫」
     赤々と明るく盛んに輝くさま
     同「赫」
     顔を真っ赤にして怒(いか)る
     同「嚇」
     𠁘

 「召公奭」
 姫姓の伯爵
 河南の「南燕国」に対して
    「北燕国」
 当時は「燕」ではなく
    「匽」と記録
     匽=匚+妟
       匸+妟
       匚+日+女
       匸+日+女
       エン
       オン
       かくす・かくれる
       ふす・ふせる
       どぶ・みぞ
       匸=かくしがまえ=一+乚(乙)
         隠 し構 え
         郭 詞が前?
         彠 氏賀真枝?
         各 史画交絵?
         掛句志賀(糸賀・四賀・滋賀)
           万會(得・柄)?
       匚=はこがまえ=一+L(Z)
         箱
        (函・匣・匧・凾・匭・匪・匵)
         構え
         函館の釜江
            釜次郎の江戸幕府海軍?
           (榎本武揚)⇔五稜郭
         葉個(葉子・八子)画巻得?
         匣=匚+甲
           浦島太郎が匣の前⇔龍寓城
       妟=日+女
         頭に玉をつけている女の象形?
         卑弥呼=天照女王
            ⇔武照(曌)=則天武后
 ↓↑
 召公一族
 山東半島の
 「奄(ヱン)」=「魯の近隣」に封じられ
 成王の時(禄父の乱後)
 北京近辺に移った
 エン=奄=匽=燕
 「韓侯国」
 が入れ替わりに
 「陝西省」に移転
 韓の旧住民は多く
 「韓氏」を名乗った
 西周時代
 「燕」の東方
 遼寧省朝陽市カラチン左翼モンゴル族自治県
 に
 「箕侯」という国家は
 「燕」の属国で
 北方遊牧民に滅ぼされ
 「箕侯」の住民は
 「燕」に亡命した
 春秋時代以降
 「燕の士大夫」層に
 「韓」
 「箕」
 を氏とする者が多

 春秋時代
 「燕」は北方の
 「山戎」に攻められ
 君主「荘公」は
 隣国の
 「斉」の「桓公」に援軍を乞い
 「山戎」軍を撃退(紀元前664年~紀元前663年)
 その後
 「桓公」の援軍撤退時に
 「荘公」の送別軍が
 「斉」の領土を越境し
 「管仲」に不法を指摘された
 「桓公」は
 一部自領を切り取って
 「燕」に授けた・・・
 領土問題解決・・・「新渡戸 稲造」?

 戦国時代
 紀元前334年
 『史記』
 「蘇秦列伝」に
 「東に朝鮮・遼東
  北に林胡・楼煩
  西に雲中・九原
  南に呼沱・易水がある」
 と、「燕」は広大な領域を支配していた
 紀元前323年
 王(左飛)を名乗り
 第2代の王
 「噲」
 は宰相の子之を盲信し
 「堯舜」に倣うとし禅譲を行い
 国内は騒乱状態(紀元前315年)
 翌年
 「斉(田斉)」
 が侵略し全土を併合
 紀元前313年
 「公子職」が
 「子之」を倒して
 斉軍撤退し
 「公子職」は即位して
 「昭王」となった
ー↓↑ーーー
 淵蓋蘇文(エンガイソブン)の
 カンジ再参考
  ↓↑
 「淵蓋蘇文=泉蓋蘇文」
  ↓↑
 「伊梨柯須彌
  伊梨柯須弥=いりかすみ」・・・?
  伊=亻+尹
    イ
    かれ
    これ
    ただ
    かの・第三人称
    この
    これ
    語調を整える助詞
    河南省にある川の名
    伊水
    伊太利
   (イタリア・伊太利亜・Italy)
    伊都・伊戸
      ・・・怡土・井戸・意図
    ↓↑
    尹+α
    君=尹+口
    笋=竹+尹
    芛=艹+尹
    吚=口+尹
    㖐=吅+尹
      口+口+尹
    䪳=尹+頁
      尹+一+ノ+目+ハ
    洢=氵+伊
      氵+イ+尹
    蛜=虫+伊
      虫+イ+尹
      中+ム+イ+尹
  ↓↑
  梨=利+木=リキ・・・娌記・李記?
  柯=木+可=キカ・・・帰化・奇禍・貴下?
             記化・幾何・気化?
  須=彡+頁=セン(サン)ケツ(ゲチ)
        選・簒・纂・結・欠・解知?
        足跡・傷痕・掻き痕?
  彌=弓+爾=キュウ(ク)ジ
        旧字・九字・公事=くじ=久慈
        旧事・球児・給餌
        給仕=ページ=page=頁
        ホテル・劇場などの制服給仕
        ボーイ
        議員などの奉仕係
        a congressional page
        結婚式の花嫁に付き添う
        小さな男の子
  ↓↑    ↓↑
        キュウ(ク)二
        急に・球に・旧に・灸に
        給に
  彌生=弥生=三月=サンガツ・サンゲツ
  彌・禰・穪・嬭・瀰・襺・獮・鑈・镾・獼
   宿禰   嬭=女+爾
        異体字「㚷・妳・㛵・㛋
            奶・𡇲・𡛾・𡤘
          ダイ・ネ・デイ・ナイ・ジ
          はは・はぐくむ・あね 
ー↓↑ーー
 淵蓋蘇文(エンガイソブン)
 ?~665年(宝蔵王二十四年)
 高句麗末期の宰相・将軍
 泉蓋蘇文・泉蓋金
 とも記録
 『日本書紀』に
 「伊梨柯須彌
  伊梨柯須弥
  いりかすみ)」
 として記録
 姓の
 「淵(泉)」は
 高句麗語の
 「いり(水源)」の意味・・・水源?
 「蓋蘇文」は
 高句麗語で
 「かすみ」と発音したものを
 漢字で当て字した・・・???
 姓は淵、or 泉
   淵=公孫淵?
   ・・・燕国=山東省近辺
   燕(紀元前1100年頃~紀元前222年)
   周代・春秋時代・戦国時代
   春秋十二列国の一・戦国七雄の一
   河南の南燕国
     「北燕国」
      北京近辺・・・?
   西蓋馬県、蓋馬大山
   遼東半島の
   「蓋平」
   (遼寧省営口市蓋州市)・・・?
   「鉅燕」=「全燕」・・・『史記』
   山東半島の
   「蓋」
   (山東省 淄博市)
   ↓↑
   淵=渊・潭・潯・泓・渕
     縁
     縁側・・・扶持⇔扶余
          斑(まだら)
 ↓↑
 『旧唐書』『三国史記』
 等が「泉」として
 「淵」とは書かないのは
 「淵」は
 唐の高祖の諱(淵)を避諱した・・・
 『日本書紀』に
 「伊梨柯須彌」とも書かれ
 「漢字訳」はもともと便宜的なもの・・・?
     ・・・ではナイと考える・・・
ーー↓↑ーーー
 子息
 「泉男生」
 (センダンセイ
  ヨン-ナムセン)
 634年~679年1月29日
 「淵蓋蘇文」
 の子
 兄弟間の争いのために
 唐に服属
 字 元徳・・・元の徳?
 ↓↑
 648年・・・645年=「大化の改新」
 中裏小兄・・・小兄は序列の職号?
 651年
 中裏大兄・・・大兄は序列の職号?
   ・・・中「大兄」皇子
 656年
 中裏位頭大兄・・・大兄は序列の職号?
 657年
 将軍
 660年・・・百済滅亡
 661年
 莫離支・三軍大将軍
 数万の兵を率いて
 鴨緑江で唐軍と対峙
 契苾何力
 に敗れて、身ひとつで逃亡
 ↓↑
 663年・・・「白村江の海戦」
 ↓↑
 665年
 「大莫離支」
 の位を加えられ
 高句麗の国政を掌握
 弟の
 「泉男建」・・・?・・・男を建?
 「泉男産」・・・?・・・男を産?
 と不仲となり
 泉男建
 が
 泉男生の子の
 泉献忠を殺害
 泉男生は弟たちを恐れて
 国内城に逃亡し
 契丹・靺鞨と結び
 子の
 「泉献誠」
 を唐に送って援助を求めた
 高宗は
 「泉献誠」を右武衛将軍に任じ
 「契苾何力」・・・苾=芳しい
 「龐同善」・・・・龐=广+龍
            ホウ
            ロウ
            おおきい
            みだれる
            交じる・入り乱れる
            乱雑なさま
         「龐龐」=充実して
              肥えたさま
 らに
 「泉男生」を援助
 666年9月
 「龐同善」
 が高句麗軍を破ると
 泉男生は龐同善と合流
 667年
 「薛仁貴」が
 泉男建を破ると
 泉男生は
 薛仁貴と合流して
 南蘇・木底・蒼巌
 の三城を落とした
 高宗は
 西台舎人の
 「李虔繹」・・・虔=虍+文
           ケン
           うばう
           ころす
           つつしむ
           うやうやしい
           固い
         繹=糸+睪・・・演繹
           幺+小+罒+幸
           エキ
           たずねる
           つらなる
           つらねる
           引く・抜く
           明らかにする
           絶えずに
           連続するさま
 を派遣し
 泉男生
 をねぎらわせた
 668年
 泉男生
 は長安に入朝
 特進
 「遼東大都督」
 平壌道行軍大総管
 持節安撫大使
 に任ぜられ
 「玄菟郡公」に封ぜられた
 再び高句麗におもむくと
 「李勣」
 とともに平壌を攻め
 僧侶を使って
 高句麗の内部を離間し
 「宝蔵王」
 を捕らえた
 長安に凱旋したのち
 右衛大将軍に進み
 「卞国公」に封ぜられた
 677年
 詔を受けて
 遼東の地の安撫にあたり
 唐の州県を置き
 流民を定住させ
 賦税を公平にし
 労役をはぶいた
 679年
 46歳で死没
 「并州大都督」
 の位を追贈
 諡 「襄」
 ・・・襄=亠+吅+𠀎+𧘇
      亠+吅+井+一+𧘇
      ショウ
      ジョウ
      たかい
      のぼ(る)
      はら(う)
      高い
      高所にあがる
      払う・払いのける
      のぞく・とりのぞく
      あげる・もちあげる
      変える・変わる・移り変わる
ーー↓↑ーー
 642年(栄留王二十五年)
 北方に
 千里長城を築造し唐の侵入に備えた
 唐との親善を図ろうとしていた
 第二十七代王
 栄留王
 伊梨渠世斯(いりこせし)
 ほか180人を弑害
 宝蔵王を
 第二十八代王に擁立し
 自ら
 「大莫離支(ダイバクリシ)」
 高句麗末期の
 行政と軍事権を司った最高官職
 に就任して政権を掌握
 安市城の城主だった
 楊萬春
 が
 淵蓋蘇文
 への権力集中を認めず
 淵蓋蘇文は直接軍隊を率いて
 安市城を攻撃
 安市城を占領することができず
 妥協し
 淵蓋蘇文は楊萬春の職権を
 楊萬春は淵蓋蘇文を執政者
 として承認
 淵蓋蘇文は対外強硬策を採り
 高句麗に救援を
 要請するために到来した
 新羅の
 金春秋(武烈王)を監禁
 新羅と唐との交通路である
 党項城を占領
 644年(宝蔵王三年)
 新羅との和解を勧告する
 「唐の太宗」・・・・高宗?・・・唐の第3代皇帝
           太宗の第九子・
           母は鮮卑の拓跋を出自に持つ
          「長孫無忌」の妹の「長孫」皇后
 の要求を拒否
 太宗が
 「弑君虐民の罪」を問い
 645年(宝蔵王四年)
 17万の大軍を率いて高句麗に侵入
 楊萬春が
 安市城でこれを阻止
 60余日間の防戦後
 唐軍を撃退
 その後
 4回に亘って
 唐の侵入を受けたが
 楊萬春
 はことごとくこれを阻んだ
 643年(宝蔵王二年)
 唐へ使臣を派遣
 道教の道士八名と
 『道徳経』を高句麗に持ちこむ
 淵蓋蘇文は文化面でも功績
 ↓↑
 善徳(ゼントコ・ソンドク)女王
 647年2月17日(旧暦1月8日)
 新羅の
 第27代の王
 (在位632年~647年)
 新羅初の女王
 姓は金
 諱は徳曼
 真平王の娘
 母は金氏の
 葛文王
 福勝の娘の
 摩耶夫人
 王配は
 水月
 葛文王
 朴欽飯
 3人姉妹(善徳
 ↓↑
 女王自らが任命した
 上大等の毗曇らが
 647年正月に女王の廃位を求めて内乱
 上大等に代表される中央貴族に対抗して
 金庾信
 (『三国史記』
   黄帝の子の少昊金天氏の子孫)
 ら地方勢力の有力者が
 女王を支援して乱の収拾に当たったが
 同月八日
 女王は陣中に死没
 善徳と諡され
 狼山(慶州市)に葬られた
 在位十六年
 金庾信らは
 真徳女王
 を立て、
 正月十七日
 乱を鎮圧
 毗曇
 ら20余名を誅殺
 死後、唐からは
 光禄大夫の号を追贈
 ↓↑ 
 善徳女王
 仏教の保護
 慈蔵法師を唐に派遣して仏法を修めさせた
 帰国した慈蔵法師の発願で
 645年3月
 皇龍寺の九層塔を創建
 女王の時代に
 芬皇寺や霊廟寺が完成
 霊廟寺の建立と同時に
 瞻星台(天文台)を築いた・・・
 640年
 王族の若者を留学生として
 唐の国子監に派遣
 ↓↑ ↓↑
 善徳女王の
 3つの予知
 唐の太宗が
 牡丹の花の絵と種を贈って来たとき
 その花には香りがないであろうと言った
 「花の絵には蝶や蜂が描かれていない。
  どんな美女でもその色香で男たちが群がるので、
  花に群がる虫がいないことから
  香りがないと解った」
 と答えた。
 宮殿の西の玉門池に
 蝦蟇がたくさん群がって鳴いたとき
 西の国境付近に賊の潜んでいることを知り
 角干の閼川(アルチョン)
 らを派遣して賊を滅ぼさせた
 「蝦蟇(蛙)の怒った目は兵士を表し
  西の国境付近には
  女根谷という地名があるので
  玉門池に蛙が集うのは
  女根谷を兵士が侵そう(犯そう)
  としている」
 と解ったと答え
 金庾信や毗曇
 ら家臣は昂奮した・・・
 自分の死の年月を予測
 忉利天の中に埋めるように
 と言った
 群臣は忉利天の場所がわからず尋ねると
 狼山の南であると答えた
 後に
 毗曇の内乱が起り
 女王は予測の月に死亡
 狼山の南に葬られた
 十余年後に
 文武王
 によって
 女王陵の下に四天王寺が建てられた
 ↓↑
 家族
 父は真平王
 母は摩耶夫人
 姉/妹は天明公主(金龍春の妻)
 甥は武烈王(金春秋)第二十九代国王。
 妹は善花公主(第三十代百済王 武王 (百済)の王妃)
 甥は義慈王 第三十一代百済王。
 妹は天花公主
 夫は「朴欽飯」、「金龍春」、「乙祭」
 いずれの夫との間に子は無し
 ・・・
 「善徳・金春秋・文武・真徳」
 の時代の
 「倭国」の名前の重なる人物達は・・・???・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・
 「鉱石ラヂヲ」でなぜ、音声が聴けるのか?
 ↓↑
 トランジスタの原料
 シリコンが
 石英や長石と同じ
 「珪素化合物」
 ↓↑
 石(いし)
 岩(いわ)より小さく
 砂(すな)よりも大きい
 鉱物質のかたまり
 ↓↑
 ・・・「米」の容量単位が
 ナゼ「石」になっちゃったんだろう・・・
 ・・・磐余・岩井の亂・・・「石」・・・「斛(コク)」
    磐井の息子は「朝廷」に米蔵を屯倉として献上した・・・
    筑紫葛子 - 贖罪のため糟屋屯倉を献上・・・
 ↓↑
 石(こく)
 容量の単位
 1石は10斗=100升=約180リットル
 米1石の重さは約140~150kg
 ↓↑
 升の倍量単位
 1石=10斗=100升
 平安時代末ごろまで
 「石」ではなく
 「斛」と記録
 ↓↑
 斛=角+斗
   コク
   さか・ます・ますめ・斗斛
   容量の単位
   十斗
   一石
   斗斛(トコク)・万斛(バンコク)
   異体字「𧤰・㪶・𩵬」
   「石斛(いわぐすり)」
   「斛器(コッキ)」
   「石斛(セッコク)」
   「万斛(バンコク)」
   「木斛(モッコク)」
 ↓↑
 1石=10斗 1斗=10升 1升=10合
 ↓↑
 「石=斛(こく)」
 1石=10斗=100升=0.180390立方メートル
 ↓↑
 「一升当たりの重量
   約四百匁(一・五キロ)」
 「一升あたりの重量
   四百匁は江戸時代からの数字」
 1石=14kg
 ↓↑
 1合の1/10 1勺(しゃく)約15g
               0.018 リットル
 ↓↑
 1勺の10倍 1合(ごう) 約150g
              0.1804 リットル
              (約180cc)
              1合徳利
 ↓↑
 1合の10倍 1升(しょう)約1.5Kg
               1.8039 リットル
               1升瓶
               1升枡
 ↓↑
 1升の10倍 1斗(と) 約15kg
             18.039 リットル
             1斗缶
 ↓↑
 1斗の4倍 1俵(ひょう) 60kg
               10俵の収穫
 ↓↑
 1斗の10倍 1石(こく) 約150kg
              180.39 リットル
ーーーーー
 ・・・???・・・
 コジキ姫「壱与」・・・「壹與」
 カンジて赤い絨毯にのり
 空をカケメグル
  「古事記・字源」物語
http://web.archive.org/web/20090409083704/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/hime/hime77.htm

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出生、出産、おめでとう!お母さんも、赤ちゃんも万歳・・・

2021-02-12 13:24:37 | 古事記字源

 女尊男卑⇔男尊女卑・・・煽ってダレが嗤(わら)う?
 ・・・クッソ、ッ!・・・「苦痛の便秘」のアトは「切れ痔」・・・
 「罵詈雑言」が無意識にでる・・・己自身の仕業に罵るトイレかな・・・
 ダイアン・・・「共謀罪で終身刑」・・・アレって・・・大葉交芸当?
 ボクはトイレの執心(Obsession)経・・・I have set my heart on the ウン・・・?
 トイレでの「ウン」との斗(闘)い・・・
 ・・・「たたかう=鬭=闘=鬪=鬦=閗」・・・「破瓜」・・・?
 2月の7日(日曜日)・・・
 「グッド・ファイト」で「ルッカ」の出産場面でも「罵詈雑言」の大合唱・・・
 「お母さん」も、「赤ちゃん」も・・・やったネッ
 出生、出産、おめでとう!!・・・くっそ、ッ・・・
  It is embarrassing to show
   my affection
   and hatred for you.
 ↓↑
 「切れ字(や・かな・けり・なり・ぞ・がも)=終止の助詞、助動詞字」・・・
  切れ字事十八(一八)
 「かな・けり・もがな・らん
  し・ぞ・か
  よ・せ・や
  つ・れ
  ぬ・ず・に
  へ・け・じ」・・・ウタのキレジ・・・?

 「アマゾーン(Ἀμαζών、Amazōn、複数形 Ἀμαζόνες、Amazones)」
 ギリシア神話に登場する女性だけの部族・・・?
 「ピンダロス」などに
 「アマゾニス(Ἀμαζονίς、Amazonis)」の別形
 日本語漢字で
 「アマゾン(亜馬森)」と記録され
  Amazon・・・海女尊(僔・孫・蹲・鐏)
 この語は地名に使われ
 「アマゾネス」が部族名として使用
 フランス 語 アマゾーヌ(Amazones)
 ポルトガル語 アマゾナス(Amazonas)
 スペイン 語 アマソナス(Amazonas)
 ↓↑
 軍神
 アレース・・・稗田阿礼の素?
 と
 ニュンペー・・・瞤(ニュン)=目+閏
           異体字「𥆧 ・瞬・𥋃・𥌎・𥆧」
           シュン・ジュン・ニュン・ゼン・ネン
           まじろぐ・まばたく
         箆(ぺ)=竹+内+比・・・竹内宿禰を比較する?
              ヘラ
              薄く扁平になった道具の総称
              スパチュラ・スパチュール
              スパーテル
         篦=竹+囟+比
           竹+丿+龱+比
           竹+丿+囗+㐅+比
           ヘイ・ぺ
           へら・の・すきぐし・かんざし
           異体字「箆」
           へら・竹片を薄くけずったもの
           の・矢がら・矢竹
           くし・すきぐし(梳き櫛)
           かんざし(簪・笄・兂・鈿)・・・金指
         屁=尸+比(上牝・上匕首)・・・?
           へ
           おなら・・・於奈良?
           ガス・失気・転失気(テンシキ)
               槇・顛・転・典 史記          
 の
 「ハルモニアー」・・・葉留(張る・貼る・波留・春)?
            摸似(爾・尼)嗚呼?
 を祖とする部族
 ↓↑
 ギリシア北方の
 カウカソス・・・カ・ウカ・ソス(祖素)?
         蚊・羽化(うか)=幼虫から成虫になる
           孵化(ふか)=卵から幼虫になる
 トラーキア=トラキア
       図羅起亜?
       寅 起亜?
       虎 記蛙(丫・倦・鴉・婀)・・・
       虎に羽根=大海人皇子=天武天皇
       書紀(720)
       天武即位前
      「壬午に、吉野宮に入りたまふ
       ・・・或の曰はく
       虎に翼を著(つ)けて放てりといふ
      (韓非子‐難勢)」・・・韓は非子(子に非ず)?
 黒海沿岸に居住
 「黒海=アマゾン海」
 と呼ばれていた時期がある
 「アマゾーン」は黒海沿岸の他
 アナトリア(小アジア)
 北アフリカ

 ↓↑ ↓↑
   エジプト
   カイロ
   ギーザ
   アレクサンドリア
   リビア
   トリポリ
   ベンガジ
   チュニジア
   チュニス
   アルジェリア
   アルジェ
   モロッコ
   ラバト
   カサブランカ
   スーダン
   ハルツーム
   オムドゥルマン
 ↓↑
 に住んでいた
 母系部族
 イラン系
 遊牧民族スキタイでは
 女性の地位が高く
 女性も戦う訓練を積んでいた
 「スキタイ」を滅ぼした
 遊牧民族
 「サルマタイ」にも
 女性の戦士がおり
 処女のうちは戦士として
 馬に乗って弓や投げ槍で戦い
 敵を3人討ち取ると結婚して
 家庭に入った・・・
 「ヒポクラテス」が記録
 ↓↑
 サルマタイ
 (ギリシア語:Sarmatai
  ラテン 語:Sarmatae
  英   語:Sarmatians)
 紀元前4世紀~紀元後4世紀
 ウラル南部~黒海北岸
 イラン系遊牧民集団
 紀元前7世紀末
 ウラル南部にいた
 サウロマタイに
 紀元前4世紀頃東方から
 移動してきた遊牧民が加わって形成された
 サルマタイはギリシア語
 サルマタエはラテン語
 彼らのいた黒海北岸地域を
 その名にちなんで
 サルマティアと呼び
 サルマティア人
 とも呼ばれる
 ↓↑
 シラキ(シラケス)・・・ドン川の東方地域
 ↓↑
 軍神
 アレース
 と
 ニュンペーの
 「ハルモニアー」
 を祖とする部族
 ギリシア北方の
 カウカソス
 スキュティア
 トラーキア
 黒海沿岸に居住
 「黒海=アマゾン海」
 と呼ばれていた時期がある
 「アマゾーン」は黒海沿岸の他
 アナトリア(小アジア)
 北アフリカに住んでいた
 母系部族
 イラン系
 遊牧民族スキタイでは
 女性の地位が高く
 女性も戦う訓練を積んでいた
 「スキタイ」を滅ぼした
 遊牧民族
 「サルマタイ」にも
 女性の戦士がおり
 処女のうちは戦士として
 馬に乗って弓や投げ槍で戦い
 敵を3人討ち取ると結婚して
 家庭に入った・・・
 「ヒポクラテス」が記録
 ↓↑
 扶余(Fūyu・扶餘)
 満州南部から発し
 紀元前4世紀~494年
 中国東北部
 朝鮮半島東北部にあった民族
 夫余=百済の王族名
 ↓↑
 夫余(ふよ・扶餘)
       扶=扌+夫(二人)・・・扶養家族?
        餘=餘=食+余・・・
          ヨ
          あます・・・アマす・・・阿毎州
          あまる・・・アマる・・・海部留
          ほか
          残す・残る
          残り・残ったもの
          ほか・そのほか・それ以外
          中国東北部(満州)に
          かつて存在した民族
          扶余(扶餘)
          箕子朝鮮・・・箕子=きし=岸・吉士・貴志
          東胡
          濊貊
          沃沮
          粛慎
          燕
          遼西郡
          遼東郡
          秦
          遼西郡
          ↓↑
          扶余市
          吉林省松原市
 ↓↑        ↓↑
          扶余県
          古代に存在した扶余の故地
          扶余県
          松花江の東岸に位置
          松花江水系の要衝
          金代
          元代に
 「肇州」・・・肇=はじめ
        崇神天皇
        第十代天皇
        御間城入彦五十瓊殖天皇
        諱 御間城尊
        御「肇國」天皇
        御眞木入日子印恵命
        所知初國御眞木天皇
        美萬貴天皇
       「御肇国」天皇
       (はつくにしらすすめらみこと)
       「所知初國御眞木天皇
       (はつくにしらししみまきの
                すめらみこと)
 に属した
 明代に
 三岔河衛に属し
 後に
 モンゴル人に占領された
 ↓↑
 清初
 伯都納站が設置
 康熙年間
 南に新城が築かれ
 新城と称され
 清末の
 光緒年間
 新城府が設置されその管轄とされた
 中華民国
 1913年(民国二年)
 新城県が設置
 翌年
 扶余県と改称
 1987年
 県級市の
 扶余市
 1992年6月
 地級市の
 松原市が新設され
 扶余区と改編
 1995年
 再び扶余県に改編
 2013年1月24日
 再び県級市の
 扶余市に昇格

 ↓↑
 女真(女眞)・・・女優・女酋・女将・・・扶余?
 ・・・序審・・・「コジキ序文の審査」?
    广(マダレ)+予(マ了・アマ)+宀+釆(采)+田
    广(マダレ)+予(マ了・アマ)+亠+乂
 ↓↑  ↓↑
 ・・・靺鞨(マッカツ)
     靺=革+末・・・革=廿+中+十
               貳(貮)拾・中・足
                    中臣鎌足
       革+一+木
       革+一+十+八
       バツ
       マツ
       かわたび(革足袋)
       かわたび・革製の靴下(くつした)
       ・・・なんで、「革命」なのか・・・?
       revolution(レボリューション)
      「回転する=ラテン語・revolutio」
       天体の回転運動
       1543年
       ニコラウス・コペルニクス
       地動説の論文
      「天球の回転について」出版
      「回転(Revolution)」
      「産業革命=蒸気機関で車輪・歯車を回す」
       the Industrial Revolution
       革=生皮を鞣(なめ)したモノ
       易姓革命=易姓革命・・・姓=女+生
                   女から生まれたモノを
                   鞣(なめ)した命のように
                   易(やさ)しくする?
                   黽(かえる)=蛙
       易 姓=ある姓の天子の王朝を廃止し
          別の姓の者が交替して
          天子の位につくこと・・・
          「血統」ではなく
          「姓名」の交替・・・です?
          「革命(天命で不徳=フトク=婦徳を革める)」?
          「女王」も「男王」も
          「女の秩序」で動く・・・?
     鞨=革+曷
       革+日(曰)+匂
       革+日(曰)+匃
       革+日(曰)+勹+匕
       革+日(曰)+勹+亾
       革+日(曰)+勹+乚+人
             匕=亾
       ↓↑
       カツ
       かわぐつ
       くつ(靴・沓・履)
       革製のくつ
       ↓↑
       曷
       カツ
       なに・なんぞ・いずくんぞ・いつ
       どうして・いつ
       疑問・反語
      「曷若(いかん)」
      「曷為(なんすれぞ)」
       曷の
       異体字「愒・𢢚」

 ↓↑
 男尊・・・尊=みこと・・・尊王攘夷
        ソン
        たっとい・とうとい
        たっとぶ⇔辰跳ぶ
        とうとぶ⇔等人部
尊=酋+寸
        八+酉+寸
        丷+酉+寸
        尊=たる=樽⇔たり=足=十
        八=捌=丷
 女卑・・・卑=いやしい・・卑女・卑下
     高卑 (コウヒ)
      卑官(ヒカン)
      卑怯(ヒキョウ)
      卑劣(ヒレツ)
      卑俗(ヒゾク)
      卑近(ヒキン)
      卑屈(ヒクツ)
      卑諛(ヒユ)=へつらって調子をあわせる
             ご機嫌取り
      卑賤(ヒセン)
      卑見(ヒケン)
      卑下(ヒゲ)
      卑猥(ヒワイ)
      卑鄙(ヒヒ)
       ・・・鄙=啚+邑(阝)
            ヒ
            ひな・ひなびる
            都市部から離れた地
            いなか
           「都鄙・辺鄙」
            いなかっぽい・ひなびている
            つまらなく卑しい
           「鄙語・鄙俗・鄙劣
            鄙陋(ヒロウ)・鄙猥(ヒワイ)
            野鄙」
           「鄙=啚+邑(阝)」
            「啚」は米倉の象形文字・・・?
          「米倉の在る 邑(ユウ・むら)」
           「いなか=田舎」

ーー↓↑ーー
  啚=口+㐭
    口+亠+回
    異体字「𠴿・圖・鄙・図」
  ↓↑ ↓↑
  圖=図
  啚=斗・・・斗=北斗七星の柄杓・御玉杓子
        啚=水筒の容器の形象?
          口・蓋(亠・ふた)・回(囬=囗の井戸)
  圖=囗+口+亠+回
    絵画・描く・書物
    はかりごと・はかる
    求める
    領土・地図
    計画・考え・企てる
    度と通じ「規則」
 ↓↑
 圖=図⇔地図=輿・図画
 ↓↑
 𡇴=囗+止+𧘇・・・(玉篇)古文
 𡈖=囗+止+イイ+彡(集韻)古文
 𠚎=口+凵+井(篇海)異体字
 𡈇=囗+ム+冂+井(竜龕手鑑)異体字
 圗=囗+ム+十+
   囗+ム+ナ+囬(正字通)俗字
   囬=異体字「囜・囬・佪・𢌞」=回
   回=旧字「囘」
     カイ(クヮイ)
    (漢・呉)エ(ヱ)
     まわる・まわす・めぐる・かえる
 𡇫=囗+夂(夊)+灬(漢語大辞典・異体字表)
           (篇韻)に従と同音
 图=囗+夂+冫
ーーーーー
 輿=⺽+車+一+八=轝=與+車
   ヨ
   おおい
   くるま
   こし
   のせる
   多くの・大勢・もろもろ
   人やものを乗せてかつぐ乗り物
   人やものをのせる
   のせて運ぶ・かつぐ
   万物をのせる台
   大地=坤輿(コンヨ)
   物事のはじまり
   めしつかい
   地位の低い人・下僕

   輿(おお)い
   輿(くるま)
   輿(こし)
   輿(のせ)る

   輿入れ=嫁入り・嫁ぐ
       婚姻の日に
       嫁を乗せた輿を
       婿の家に入れたことから
   輿地=地球・全世界
      万物を輿(こし)のように
      のせる大地の意
      「万國輿地山海圖説」
      「萬國地球輿地全圖」
      「地球萬國山海輿地全圖 」
      「万國輿地全図」
      「新鐫総界全図
       日本辺界略図
       新製輿地全図」
   輿望=世間からの信頼・期待・衆望
   輿論=世論・世間一般の考えや意見
   御神輿(おみこし)
   権輿(ケンヨ)
ーーーーーー↓↑ーー
      卑陋(ヒロウ)=品性・言動などがいやしい
              見識などが浅はか
      卑猥(ヒワイ)
     野卑 (ヤヒ)
     自卑 (ジヒ)
     謙卑 (ケンピ)
     高卑 (コウヒ)
   不亢不卑 (フコウフヒ・bu kang bu bēi)
         横柄にも謙虚でもなく
         昂ぶらず卑屈にならず
         昂ぶらず遜(へりくだ)らず
         傲慢でもなく卑屈でもない態度
      卑語(ヒゴ)
     尊卑 (ソンピ)
     鮮卑 (センピ)
      卑湿(ヒシツ)
        高原の陸地には蓮華を生せず
        卑湿の淤泥に乃ち此の華を生ずる
        (維摩経)
 ↓↑
 卑=鄙(の代用字)
   象形
   柄杓又は柄杓状の酒器を手で持つ様
  「椑」の原字
   ・・・北斗七星=大熊座のお尻~尻尾
      大熊=大隈=大隅
       熊=球磨=熊本=肥後・・・?
  「柄杓」や「酒器」
   で雑事を処理することから
   身分が
  「ひくい・いやしい」事と概念された
   大型同型の酒器を
  「卓」と言い
   対比で小型を
  「卑」
 意義
 (汎用的に)ひくい
 卑位、卑近、卑湿、卑小、卑賤、卑微、高卑
 態度がひくい
 遜ったり、媚び諂ったりする
 謙卑、卑屈
 「粗にして野だが卑ではない」
 いやしい・身分がひくい
 卑官
 いやしい・道徳や品格がひくい
 卑怯、卑語、卑俗、卑劣、卑猥、野卑
 ひくめる・いやしめる
 ↓↑
 卑金属(base metal)
 空気中に放置すると酸化しやすい
 水分や二酸化炭素などによって
 容易に侵食される金属
 ↓↑
 卑属親=親等上
     自分より後の世代に属する親族
     直系卑属
     子・孫など自分より後の世代で
     直通する系統の親族
 ↓↑
 卑罵語=さげすんだり
     罵(ののし)ったりしていう
     罵詈語(バリゴ)・軽蔑語
     罵詈雑言
 ↓↑
 卑弥呼=卑彌呼(ひみこ)・・・ひびこ
     「邪馬臺」国の女王
 卑弥弓呼=卑彌弓呼(ひみここ)・・・ひみきゅうこ
      卑=甶(囟)+⸍+十
        ⸍+田+⸍+十
     「狗奴」国の男王
      卑彌弓呼素
     (ひめくこそ
      ひみキュウかソ
      ヒビキュウカソ)
      彌(ビ・ミ・や・いよいよ)=弓+爾(ジ・ニ・なんじ・その)
      弓=キュウ・ゆみ
      呼(コ・ク・よぶ)=口+乎(コ・オ・か・や)
      卑弥呼と不仲
      247年(魏暦の正始八年)
      戦争
      ↓↑
      爾=ジ・ ニ
        なんじ・その
        おまえ・二人称の代名詞
       「爾汝(ジジョ)」
       [類]汝(ジョ)
        その・それ・この・これ
       「爾後」「爾余」「爾来」
        しかり・そのとおりである・そのように・
        修飾語に添える助字
       「確爾」「莞爾(カンジ)」
        のみ・だけ・限定・断定の助字
        [類]耳(ジ・のみ・みみ)
        状態を示す助字
       「莞爾 (カンジ) ・卒爾・徒爾」
 ↓↑
 下卑助(げびすけ)
     意地汚い下品な者を
     嘲(あざけ)っていう語
     嘲笑
 官尊民卑
 女尊男卑
 尊卑分脈(尊卑分脉)
    ・・・脈=脉
         脉=衇
         衇=血+𠂢
         脉=䘑=𧖴=脈
     ⺁+𧘇=𠂢=永
   「日本の初期」の系図集・・・?
 「新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集」
  著者「藤原公定 撰」
  永和三年(1377年)
  ~
  応永二年(1395年)
  公定死後も
  養子 満季
  孫  実煕ら洞院家の人によって
  編集・改変・訂正・追加
  室町時代以降
  広く増補改訂され
  異本多
  30巻本・20巻本・14巻本
  が流布
  実在が疑わしい人物の記載
  人物の年代がおかしい記録部分
   「日本書紀」=本文三十巻+系図一巻
 ↓↑
 直系卑属
 傍系卑属
 ↓↑
 卑
 異体字「𤰞・𡮁・𡭼・䠋」
ーーーーー
 北斗七星(Big・Dipper,・Plough)
 おおぐま座の腰から尻尾を構成する
 7つの明るい恒星で象られる星列
 北斗、北斗星、七つ星、七曜星
 柄杓形で「斗」
 ↓↑
 北斗七星
 おおぐま座の一部で
 熊の腰からしっぽに当たる部分
 ↓↑
 北斗七星=Big・Dipper
     =「掬(すく)うもの・匙」
      「柄杓=お玉・斗」
 斗
 ト
 トウ
 ひしゃく
 ます
 水や酒などをすくうための道具
 液体や穀物の量をはかる桝(ます)
 容量の単位=一斗=十升
 周代では約一・九四リットル
 日本では約十八リットル
 星座の名=南斗・北斗
 ちいさい・すくない・わずか
 たちまち・にわかに・急に
 ↓↑
 擬闘・擬斗(ギトウ)劇
 などの格闘演技
 その演技指導者
 ↓↑
 漏斗(ロウト・じょうご)・・・冗語・畳語・上合・上戸?
 小さい口の容器に
 液体を入れるための道具
 頂点部分が筒状の円錐形で
 筒状の部分を容器の口に入れ
 底部分に液体を注ぐ
 泰斗(タイト)・・・・対譯?
 人々から尊敬される
 その道の大家や権威者
 「泰山北斗」の略
 ↓↑
 斗酒(トシュ)
 一斗(約十八リットル)の多量の酒・大酒
 斗ます・斗枡(とます)
 一斗(約十八リットル)をはかる枡
 ↓↑
 一斗百篇(いっとひゃっぺん)
 酒をたくさん飲んで
   たくさんの詩を書くこと
 李白は、一斗の酒を飲んでいる間に
 詩を百篇作った
 ↓↑
 鴻門玉斗(コウモンギョクト)
 劉邦が、鴻門の会で
 楚の項羽の家臣の
 范増に贈った
 翡翠でできた柄杓
 項羽の家臣、范増は
 項羽に劉邦を殺すように進言したが
 項羽は劉邦を討ちもらし
 范増は、激怒して悔しがり
 劉邦から贈られた
 翡翠柄杓を剣で打ち砕いたという故事
 ↓↑
 子建八斗(シケンハット)
 優れた才能を激賞した言葉
 「子建」=魏の「曹植」の字(あざな)
 「八斗」=量の単位・十斗で一石
  宗の謝霊運が
 「天下が一石の才とするならば
  曹植の詩の才は八斗を得る」と激賞した故事
 ↓↑
 尺布斗粟(シャクフトゾク)
 兄弟の仲が悪いこと
 「尺布」=一尺の布・少しの衣服のたとえ
 「斗粟」=一斗の粟・少しの食べ物のたとえ
 淮南王と文帝は腹違いの兄弟
 文帝はおごり昂って
 淮南王に王位を奪われ流罪
 流罪の道中で文帝は悶え苦しみ
 食を断って死んだ
 一尺の布でも一斗の粟でも分け合えば
 互いに寒さと飢えをしのげるのに
 何故仲良くできなかったのかと
 歌った
 ↓↑
 車載斗量(シャサイトリョウ)
 量や数が多すぎて
 全てを量ることができないこと
 車に載せて、ますで量るほど多い
 ↓↑
 泰山北斗
 学問や芸術などの
 一つの分野で最もすぐれている人
 「泰山」=名高い山
 「北斗」=北斗七星
 どちらも人が仰ぎ、見上げるもの
 「泰斗」
 ↓↑
 五斗米のために腰を折る
 わずかな俸禄を得るために
 人の機嫌をとってぺこぺこ頭を下げること
 陶淵明が
 上役が視察に来るので
 礼服を着るよう求められ
 嫌だと言って断った
 ↓↑
 胆斗の如し
 肝が据わっていること
 胆の大きさが一斗の枡ほどあるとの意
 ↓↑
 斗酒なお辞せず
 一斗の量の酒を勧められ
 平気で飲み干す
 ↓↑
 熨斗を付ける
 人に物を喜んで進呈する
 ↓↑
 α+斗
 𠒚・𠒡・𡗴・㖍・𡯏・𡰷・㘰・𢗸・㞳・𣁭
 𣁮・𣁯・𣁰・𣁱・𣁲・𣁳・𣁴・𣁵・𣁶・𣁷
 𣁸・𣁹・𣁺・𣁻・𣁼・𣁽・𣁾・𣁿・𣂀・𣂁
 𣂂・𣂃・𣂄・𣂅・𣂆・𣂇・𣂈・𣂉・𣂊・𣂌
 𣂍・𣂎・𣂏・𣂐・𣃜・𣬯・𣷊・𤓺・㪲・㪳
 𥁇・𥐿・㳆・𦆫・𦙒・𦮜・㸯・㺶・𧏆・𧘞
 𧠕・𧴼・𧺯・𧿫・䀞・𨋼・䇆・𩑯・𩫄・𩰮
 𩵬・𩿚・𪌉・𪖘・𪚛・𪞒・䚵・䢏・乧・呌
 𪯬・𪯫・𪰍・𫁵・𫔯・𫖗・戽・抖・𪯭・𪯮

 斗・斘・料・斚・斛・斜・斝・斞・斟・斠
 斡・斢・斣・枓・炓・科・紏・蚪・酙・鈄
 㪴・㪵・㪶・㪷・㪸・㪹・㪺・㪻・𤯘・𤾍
 閗・阧・鬦・魁・﨣
ーーーーー
 ・・・???・・・未詳・不詳のカンジ・・・多・・・
  闘=異体字「鬪(旧字体・俗字)・鬭(旧字体・正字)
       鬥(繁体字)
       斗(簡体字)」
      「鬪」の略字体
      「鬭=鬥+斲
         丨+王+王+亅+卯+亞+斤
      闘=鬪=鬦=閗
      鬪=鬥+豆+寸
         鬪⇔鬥+尌(十豆寸)
          ・・・鼓(つづみ・太鼓・太皷)
         尌=壴+寸
           十+一+口+䒑(丷一)+寸
           豆=高坏(たかつき)・燭台
           寸=手
           異体字「樹・駐」・・・異体字が樹木・駐屯?
           シュ・ジュ・チュ・ジウ・ジュウ
           たてる(立)・たつ
           わらは・しもべ(僕)
           わらわ(妾)
      鬭=鬥+卯+亞+斤
         卯=真っ二つに叩き割る
         斤=斧 
 「斗」は「α(有る葉)」を「はかる」か、
     「たたかう=鬭=闘=鬪=鬦=閗」か・・・?
      はかる=図る・測る・計る・量る・諮る・謀る・恕・・・
      破瓜留・墓留・・・葉化留・・・莫迦留・・・?

 コジキ姫「壱与」・・・「壹與」
 カンジて赤い絨毯にのり
 空をカケメグル
  「古事記・字源」物語
http://web.archive.org/web/20090409083704/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/hime/hime77.htm

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アシ」が「生物で脆く、最弱」なんナンだか、ドウなんだか?

2021-02-09 23:36:49 | 古事記字源

 「彜=彑+米+分+廾」のカンジ・・・メリケンの粉?
 キク=規矩・・・・・・・・・キジュン=基準・・・とは何か?
 聴く・菊⇔掬(すく)う・・・帰順・規準・基順・・・文字化・文章化
    菊(キク)=皇室紋章=慣例のうちに菊花紋
               32弁の八重菊紋の
               十六葉八重表菊が定着

 ・・・自然界・・・存在対象⇔認識⇔思惟・思考⇔科学言語・科学論理
                  存在物の構造、形態の在り方の説明
                  自然科学⇔数字での存在と変化の説明
 ↓↑
 「柄杓」・・・液体、粉体、粒体の「容量」を
        柄のついた容量を決めた「マス(桝)」で
        汲み取り
       「多少」を測るモノ
        夜空の
        天球の「柄杓=北斗七星」の位置で
        時間の経過を測るモノ
 と
 「天秤」・・・液体、粉体、粒体の「重量」を
        竿の中心の片方の吊るした「サラ(皿)」に
        決まった「オモリ(錘)」を載せ
        他方の「皿」に載せた物体との
        傾きを平衡させて
       「軽重」を測るモノ
 と
 「紐尺」・・・物体のアル点~他点までを
        決まった長さの「糸・紐・縄・棒」で
       「長短」を測るモノ
 と
 「時計」・・・あるモノの変化を基準にして
        物質存在の構造、形態の変化の過程の
       「遅速」を測るモノ
 と
 「温度計」・・・ある物質の個体⇔液体⇔気体の
        変化の分岐点の「冷熱」を基準に
        物体温度の
       「高低」を測るモノ

 ・・・人間界・・・「un roseau pensant」・・・?
          「Man is a thinking reed.」・・・?
          「傷ついた葦」?・・・「イザヤ書」「マタイ伝」
 ・・・「傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯芯を消すことなく」?
 ・・・「灯芯」はわかるけれど、「傷ついた葦」は何の比喩なんだか・・・?
 「折れかけの葦の杖を頼みにしているが
  それは寄りかかる者の手を刺し貫くだけ」・・・?
 (列王記下18章21節)
 「折れかけの葦の杖」ですか・・・
 アテにも頼りにもならないモノですか・・・
 ↓↑
 リーン(lean)
 人の姿勢や物がある方向に傾く
 に傾斜する・もたれる・寄りかかる
 体を曲げる・~を傾ける・~の方にもたれカカる
 ↓↑
 ラーン(learn )
 結果として勉強・練習などによって習い覚えたモノ
 ラン(ran)=走る
 ラム(rum)=ラム酒・奇妙な・難しい・危険な
 ラム(lamb)=子羊の肉
 子羊=イエス・キリストの十字架上の死の象徴・・・?
    「子羊たちの沈黙(The Silence of the Lambs)」
    子羊たちに迷える、恐怖する時間はない・・・
    もちろん、天国も地獄もない・・・?
 ・・・「クラリスvsレクター」・・・?
    「クラリス=レクター」・・・?
 ・・・子羊を援けることが出来なかったクラリス・・・
 「子羊」が逃げもせず、恐れもせず、鳴(泣・啼)かないのは
  知らないから・・・
  仲間も自分も殺される「苦痛の恐怖」を知らない存在・・・
  で曳かれていく「牛の眸」には涙が溢れている・・・
 ・・・『HURT, AGONY, PAIN, LOVE IT』・・・?・・・ムリ
 ・・・子供たちを誘拐する人間がいる・・・
 ↓↑
 RAM(ラム)=ランダムアクセスメモリ
 ROM(ロム)=Read Only Memory(リードオンリーメモリ)
 ↓↑
 「折れカケる」のは
 「葦を材料とした杖」だけではないだろうが
 「葦の茎」自体が柔らかく
 元々「杖の材料」には適していないというコトだろう・・・
 「竹の茎」ならば竹細工の何にでも
 「竹簡」はもとより
 弓矢にも箸にも竹網の籠、笊、蒸籠、簗にも、竹槍、竹刀、杖にも
 製品化される・・・
 古代には竹の砕いたモノは「カミの原材料」でもあったらしい・・・
 ↓↑
 reed=リードゥ・リード
    アシ(葦)・ヨシ(蘆・芦)
    イネ科アシ属(Phragmites)
    多年草の総称
    屋根用の「ふきわら」
    アシの茎で作ったもの
    あし笛・あし矢など
    管楽器のリード・舌・簧した
    リード楽器
    繊維織機の筬(おさ)・おさの目[歯]
    lean on a reed
    あてにならない人[もの]に頼る
    …をアシで飾る
    屋根をアシで葺く
    管楽器に舌をつける
    硬貨などの縁に縦溝をつける
 ↓↑
 リード (Lead・Leed
     Lido
     Read・Reade
     Reid・Reed)
 Lead
 「先導している」
 試合などで優位な位置・状態
 リレーで次ランナーが
 バトンを受け取る前から走りだすこと
 トランプ、カードゲームで最初の手札・先手
 リード・ボーカル
 歌手グループの歌唱担当
 リード・シンガー
 役職名・肩書
 リーダー
 マーケティングの潜在顧客、見込み客
 リード
 プロジェクト管理で
 先行する活動に対して
 後続する活動を進めることができる時間
 リード線 - 電気機器を接続するための線
 リード(ペット用)・引き綱。
 リード(新聞記事のタイトル下の数行の要約文
     小文字や太字
 フリークライミングで
 クライミングロープを用いて
 およそ5m以上の高さを登るジャンル
 ロープを使わず低い岩を登る
 ボルダリングと対置される
 ↓↑
 イタリア語「リード」
 砂州・・・鳥取砂丘?
 岸・・・・吉士=新羅の官位?
 などの意味
 「リド」とも
 ↓↑
 read
 読む、読み取る
 メアリ・リード=カリブ海の女海賊
 ↓↑
 Reed
 アシ(葦)
 リード (楽器)
 管楽器の発音体として使われる薄い板
 ↓↑
 Man is but a reed,
 the most feeble thing in nature,
  but he is a thinking reed.・・・?
 なんで、
 「アシ」が「生物で脆く、最弱」なんナンだか、ドウなんだか?・・・
 「葦(あし)の利用、用途」は大だが・・・生物としてモロイって?
 「葦」は繁殖生物としてはシブトイだろう・・・
 足腰が弱くなるのは、稚児、幼児、齢をとれば当然だが・・・
 「papyrus(パピルス)」は「葦=蘆・芦=あし」とは異なる・・・?
       葉比留素          足・脚・肢・悪し
 「パピルス(希: πάπυρος、羅/英: papyrus)」
 「カミガヤツリ(紙蚊帳吊、Cyperus papyrus)
         紙の蚊帳の吊・・・髪の香弥の通娌?
         神の賀屋の釣り・・加美の萱の都里?
         紙製の蚊帳=mosquito(マスキトウ) net
  多年生の草本
  パピルス(papyrus)・・・
  パピルス草
  カミイ(紙藺)」・・・?
  papyrus(パピルス)=葦=蘆・芦(あし)=Papyrus sedge
 ↓↑
 記録のための媒体(パピルス紙)
 儀式祭礼用品
 履き物
 のような生活雑貨
 綱
 舟の帆
 舟(葦船)そのものの材料・・・「葦の杖」は頑丈ではなかったのか?
 若い葉や茎や根は食料利用    葦の管は脆かった
 エジプトでは
 中国からの・・・蔡倫=サイリン=再臨・降臨?
 製紙法の渡来により
 需要が少なくなり
 ナイル下流部からは消滅・・・
 ↓↑
 「カミガヤツリ(パピルス草)」
 (紙 蚊帳吊・Cyperus papyrus)
 の地上茎の
 内部組織(髄)から作られる
 古代エジプトで使用された
 文字の
 筆記媒体のこと
 パピルス紙
 ↓↑
 和紙の原材料
 古来より紙作りに
 麻・竹・桑類などの
 植物繊維が利用されたが
 ↓↑
 楮(こうぞ)
 三椏(みつまた)
 雁皮(がんぴ)
 麻(あさ)
 の靭皮(植物の外皮の下にある柔らかな内皮)繊維
 に淘汰されてきた
 ↓↑
 鵜葺草葺不合命
 紀十段本書
 草に包んで
 紀十段一書四
 真床覆衾
 と
 草で包んで海辺に捨てられた
 紀十段一書三
 神の名は
 豊玉毘売によって名づけられた
 「天津日高」=中国天津?
 「日子」=肥後・熊本
 「波限」は波打ち際=海岸・海辺・・・湖畔の浜辺
 「建」=建築・建国・・・
     犍=去勢された雄牛
        異体字「犍・㹇・㸫・㓺」
     犍為県
     四川省楽山市に位置する県
     建陽県 (山東省)
     山東省棗荘市にあった
     建陽県 (福建省)
     福建省南平市建陽区建陽県 (山東省)
     現在の山東省棗荘市にあった
     建陽県 (福建省)
     現在の福建省南平市建陽区
     目犍連(もくけんれん)=仏弟子
 「鵜葺草」=鸕葺草⇔蘆葺草⇔葦葺草
 「草」=かや=榧・蚊帳?
 「葺」=屋根葺(ふ)く
 「不合」=付記合えず
 紀十段本書・一書四
 「不合」=不合理
 紀十段一書一
    一書三
 鵜=鸕の羽で産屋を作った
   豊玉毘売の出産
   鵜葺草葺不合命は
   産屋が未完成の状態で生まれた
 ↓↑
  葺草(ふきぐさ)=「しょうぶ(菖蒲)」の異名
          (譬喩尽(1786))
   屋根を葺く茅(かや)などの草
  葺=艹+口+耳・・・草で口や耳をふさぐ
        ・・・茸・斊・・・檝=かじ=楫=艥
     板・茅(かや)・瓦(かわら)で屋根をおおう・・・?
 ↓↑
 葺草(ふきぐさ)=「しょうぶ(菖蒲)」の異名
          (譬喩尽(1786))
           屋根を葺く茅(かや)などの草
 ↓↑
 楫=木+咠
   木+口+耳

 咠=口+耳
   シュウ
   ユウ
   ささやく・耳もとで囁(ささや)く
 ↓↑
 揖=扌+咠
   扌+口+耳
   やわらげる=和らげる
   あつめる=集
   おさめる=収める
   礼の作法・会釈
   両手を胸の前で重ね合わせる
   ゆずる・辞退する
 䔱=艹+揖=䔱・草密貌
 䉗=竹+揖=容器・鍋・匙=スプーン
 輯=車+咠=材料を集めて書を編む
       全集にまとめる
       和睦する・やわらげる
       補修する・収める
       車の輿
       あつめる
       縫い合わせる
 楫=木+咠=かじ(舵・梶)
 檝=木+戢=かじ・かい・船をすすめる道具
       こぐ・船をこぐ
 緝=糸+咠=あつめる・まとめる
       よせあつめる
       糸をつむぐ
       縫い合わせる
       とらえる
 諿=言+咠=企み・謀り・はかりごと
       和らげる・調和する
 戢=咠+戈=おさめる・しまいこむ
       兵器をまとめてしまい込む
 偮=イ+咠=
 湒=氵+咠=雨が降る・水が沸く
 箿=竹+咠=織竹器緣・蔽う
 鍓=金+咠=鏶・鋌・鐶・鍱也
       金属薄片
 㣬=彳+咠=異体字「𢕃」
 䁒=目+咠=⺮+咠=箿
 䐕=月+咠=
 䩰=革+咠=鞘、手綱をなぞる
 ↓↑
 人間界の基準は「全体主義的階級社会の法・掟・慣習・約束」・・・?
        「プチブル意識社会の法・掟・慣習・約束」・・・?
 「階級・身分上下・男尊女卑」の格差を言うなら・・・
 「善悪相対社会の善」のニッポンへ一度はオイデ、アッ、ドッコイショ・・・
 実質「男女公平社会」で、「LOVE IS OVER」はジャポンの女性の伝統!
 ジポン以外の
 「公平社会」ではない、
 「平等社会」での
 「大小人、老若男女社会」とは
 「ジョッブ(Job)、ビジネス(Business)ウーメン」
 が増えることではない・・・
 「公平」は「平等」と概念規定が違う・・・
 合衆国アメリカ、西欧、ロシア、中国、朝鮮が
 現実、「男女平等社会」だと思うなョ、ナッ・・・
 亜米利加、欧州の「レデイファスト (LadyFirst)」は
 暴力と金を持っている男らの
 標的前、婚前前の女性に対しての・・・単なる儀礼・・・
 ↓↑
 人間界の基準生活は
 「Rule」・・・留得炉(爐)・・・「火を発火、利用、保存」するコト
 「law」・・・row・・・low・・・蠟・・・蝋燭・希臘・・・蜜蠟=あまい・・・?
ー↓↑ーーーー
 彜=彑+粉+廾
   異体字「彝=彑+米+絲+廾」(正字)
   廾=にじゅうあし・こまぬき
   彜(つね)・彜(のり)
   イ
   つね
 彝=彑+米+糸+廾
   彑+米+幺+小+一+丿+丨
   互角に亜米利加のイトを拱く?
   互角に亜米利加と手を併せる?
 ↓↑   ↓↑
 彜=彑+粉+廾
   彑+米+分+一+丿+丨
   彑+米+八+刀+一+丿+丨
   相互に亜米利加を分断し拱く?
 ↓↑   ↓↑
 楫取素彦=錦鶏間祗候正二位勲一等男爵
 ↓↑   ↓↑
      西紀を採るアイダの
      祗=示+氐
        礻+氐
        示+氏+一
        示+氏+丶
        礻+氏+一
        礻+氏+丶
        シ
        ただ
        つつしむ・うやまう
       「ただ・まさに」と読み
        限定の意を表す
      氐=氏+一
        氏+丶
        テイ
        もと・根本・ふもと
        至る・到る
        低い=底
        二十八宿の一
        ともぼし=供星・伴星
      蚳=虫+䟡
        虫+氏+一
        虫+氏+丶
        チ
        蟻(あり)の卵
        蠍(さそり)
        サソリ科の総称
       (蠍蝎・scorpion)
      䟡=足+䟡
        跰䟡(ヘンチ)=足にできる
                タコ・疣・瘤
        wart=wɔ́rt・ウォートゥ
        verruca=vəruːkə・ヴァルーカ
        たこ=オクトパス(octopus)
           蛸・鮹・章魚・鱆
           多古・多胡
        凧=たこ=カイト(kite)
        田子・田児・多語・他語
 ↓↑     ↓↑
        田子の浦ゆ=田兒之浦従
        うち出でて=打出而
        見れば  =見者
        真白にぞ =真白衣
        不盡の  =不盡能
        高嶺に  =高嶺尓
        雪は   =雪波
        ふりける =零家留
 ↓↑     ↓↑
        万葉仮名漢字の日本語訳、
        これでイイのか・・・?
        他語の詞の有等(補)に従え
        得知意出し試行(思考)して
        見るモノ(は)
        つくすことが出来ない能力
        多寡音似
        喩(由)記の名見(葉)
        アメの令の謂えにトドメル
        ・・・?
        萬葉集(巻三)
        長歌317
         (参陌壹、壱拾漆)番目
       「不尽山(ふじのやま)を
        望(まつ)る歌一首」
        対する
        反歌318
         (参佰壱、位置拾捌)番目
          8=eight
          3月(March・行進・発進)
          から数えて
          八番目の月は
          10月October・オクトーバー
          章魚octopus・オクトパス
 ↓↑   ↓↑
 ローマ帝国カレンダー
 1月~8月までは
 古代に神格化された人名
 8月の英語名
 August は
 Augustus に由来
 紀元前8年
 誤って運用されていた
 ユリウス暦
 (紀元前45年1月1日~1582年
  干支 丙子
  崇神天皇五十三年
  皇紀616年
  前漢 初元四年)
 の運用を修正し
 8月の名称を自分の名に変更
 30日であった8月の日数を
 31日に変更
  ↓↑      ↓↑
  1月 睦月  January  ジャニュアリー
    親睦  出入口の神・門番・門衛
  ↓↑      ↓↑
  2月 如月  February  フェブラリー
    衣更着 慰霊祭(Februalia)
   (きさらぎ)
  ↓↑      ↓↑
  3月 弥生  March   マーチ
    禰(弥) 軍神マルス(Mars)の進軍
    栄
   (いやさか)
  ↓↑      ↓↑
  4月 卯月  April   エイプリル
    卯の花(空木の花) 女神アプロディテー                 (Aphrodite) 
  5月 皐月  May    メイ
    早月(さつき)  豊穣の女神
    早苗(さなえ   マイア(Maia)
       早稲植)の月
  ↓↑      ↓↑
  6月 水無月 June    ジューン
    水苗・水菜    結婚・出産の
             女神ユノ(Juno)
  ↓↑      ↓↑
  7月 文月  July    ジュラィ
    穂含月      ユリウス・カエサル
   (ほふみづき)   (Julius Caesar)
    鷲等意      百合有珠・渦・碓・臼
             字由来 替え去る
  ↓↑      ↓↑
  8月 葉月  August   オーガスト
    葉落ち月     Octavianus
   (はおちづき    アウグストゥス皇帝
    落葉)      (Augustus)
             アウグストゥス
            (尊厳者)
           「オクタウィウスだった者」
     ガイウス・オクタウィウス・トゥリヌス
     (Gaius  Octavius     Thurinus)
  ↓↑      ↓↑
  9月 長月  September セプテンバー
    夜長月 Septem=  7番目=9月
   (よながづき)   (September)
  ↓↑      ↓↑
  10月 神無月 October  オクトーバー
    神流・咬む名    八番目(Octo)
             (Octo)
  ↓↑      ↓↑
  11月 霜月  November  ノーベンバー
              九番目(Novem)
  ↓↑      ↓↑
  12月 師走  December  ディッセンバー
    趨走        十番目(Decem)
   (走り回る)月
ーーーーー
  ↓↑      ↓↑
        山部宿禰赤人・・・?
        簒部素句音閼伽比譯?
 ・・・「萬葉集」を
     イジ(弄・意字)ったのはダレか?
     異字通多(通隋)のは・・・?      
 ↓↑
 楫取素彦
 通称 久米次郎or内蔵次郎
 小田村家の養嗣となって
 ↓↑
  小田村  伊之助
 (おだむら+いのすけ)
 ↓↑
 文助→素太郎と改名
 慶応三年(1867年)九月
 藩命により・・・ナゼ?
 「楫取素彦」と改名
 諱 希哲(ひさよし)
 字 士毅
 号 耕堂彜堂・・・彜=彑+米+分+廾
          彝=彑+米+糸+廾
          彝=彑+米+糸+糸+廾
   晩稼・棋山
   不如帰耕堂
 配偶者=杉+文=吉田松陰の妹
     と再婚し・・・楫取素彦の前妻は
           「文」の姉「寿」    ↓↑
   「文」は「美和子」と改名
   ↓↑
   異体字「彜・彝」
   イ
   のり・つね
   宗廟(先祖のみたまや)
   に供える重厚な器の総称
   「彝器」
   つね・いつもかわらない
   一定の格式・のり
   永久に変わることのない
   人の守り行うべき道
   物事の規準
   彝器(イキ)
 彜=彑+粉+廾=彝=彛
   彜(新字は彝)
   四川・雲南・貴州省に住む
   チベット(西蔵)系の少数民族
        爾志藏
         くら=嵓・久良・懞
            黭=黑+弇
            異体字「𪒈・黤・黯」
              エン・アン・オン
              あおぐろい
 藏彜走廊
 六江流域
 西番
  ↓↑
  鍋 島+ 直 彜
 (なべしま+なおのり・なおつね)
  肥前
  鹿島藩の第九代藩主
  「彜=彑+米+分+廾」
  寛政五年(1793年4月1日)
    二月二十一日
       肥前佐賀藩主
       鍋島治茂の六男として生誕
  文政九年(1826年12月17日)
    十一月十九日
  改名 総吉(幼名)・直彜
  戒名 威徳院仁勇英忠
  墓所 佐賀県鹿島市の普明寺
  官位 従五位下、丹波守
  幕府 江戸幕府
  藩  肥前 鹿島藩主
 ↓↑
 早川五郎兵衛(早川兼彜)・・・???
  ↓↑
 【書名】 薩摩藩士
      早川兼彜
      米利幹火輪船
      達書
 【著者】 松平薩摩守内
      早川五郎兵衛(早川兼彜)
 【成立】 丑七月
  ↓↑
 「私領
  琉球國之内
  那覇沖
  四月十九日
  異國船」
  早川兼彜
  島津斉彬の下で
  江戸御留守居役を務める
  早川兼知
  早川辰彦の父
 ・・・「彜」・・・?
ーーーーー
 干支 庚申
 日本
 垂仁天皇二十九年
 皇紀660年
 中国
 前漢 元寿二年
 朝鮮
 高句麗 : 瑠璃明王十九年
 新羅 : 赫居世五十七年
 百済 : 温祚王十八年
 檀紀2333年
 仏滅紀元 : 543年
 ユダヤ暦 : 3760年 - 3761年
 ↓↑
 前漢
 元寿二年正月
 匈奴
 烏孫の使者来朝
 四月壬辰晦
 日食
 六月
 哀帝逝去
 罷免されていた
 「王莽」、復権
 「董賢」に代わり
 大司馬に返り咲く
 九月
 「平帝」九歳で即位
 「王莽」政務を総覧
 百済の初代王
 「温祚王」
 渤海・女真系の部族
 「靺鞨」の侵入を撃退
 酋長の
 「素牟」
 を捕縛
ーーーーー
 1582年
 干支 壬午
 日本
 天正十年
 皇紀2242年
 中国
 明 万暦十年・・・萬暦拾(足)年
 朝鮮
 李氏朝鮮 : 宣祖十五年
 ↓↑
 2月24日
 教皇グレゴリウス13世
 勅書
 「インテル・グラウィッシマス
 (最も重大なる懸念の内に)」
 「インテル・グラウィッシマス」は
 グレゴリオ暦の
 導入を依頼、勧告、推奨するもの
 10月15日
 初めてグレゴリオ暦が導入
 ↓↑
 前日は
 「ユリウス暦の1582年10月4日」
 ↓↑
 ユリウス暦1582年10月4日
 壬午
 己酉
 癸酉→5~6~7~8~9~10~11~12~13~14日
    15(甲戌)~16(乙亥)~17(丙子)~
 壬子(0:01)~戊午(12:00)~甲子(23:01)
 ↓↑
 グレゴリオ暦1582年10月15日
 壬午
 己酉
 甲戌
 甲子(0:01)~庚午(12:00)~丙子(23:01)
 ↓↑
 の時点で
 実際の季節に対して
 10日ほど遅れていた
 そのため
 グレゴリオ暦への改暦は
 10月5日~10月14日の
 10日間を省くことで行われた
ーーーーー
 1582年10月4日(天正10年9月18日)
 までは
 ユリウス暦による日付
 ↓↑
 1月24日(天正10年1月1日)
 安土城に諸将ら多数が参賀
 人の重みで石垣が崩れ死者
 織田信長自ら見物料を取り
 本丸・御幸(みゆき)の間
 などを一般公開
 2月13日(天正10年1月21日)
 宇喜多秀家が家督相続
 2月20日(天正10年1月28日)
 天正遣欧少年使節が長崎出航
 2月25日(天正10年2月3日)
 織田信長、武田攻めの陣触れ
 3月24日(天正10年3月1日)
 佐久間盛政らが
 加賀一向一揆
 の拠点
 能美郡の山内庄を制圧
 4月3日(天正10年3月11日)
 武田勝頼が自害
 武田家が滅亡
 (天目山の戦い)
 6月21日(天正10年6月2日)
 本能寺の変
 7月2日(天正10年6月13日)
 山崎の戦い
 7月4日(天正10年6月15日)
 安土城炎上
 7月5日~8日(天正10年6月16日~19日)
 神流川の戦い
 7月16日(天正10年6月27日)
 清洲会議
 7月27日(天正10年7月8日)
 羽柴秀吉が山城国で
 「指出検地」に着手
 9月14日(天正10年8月28日)
 長宗我部元親が
 十河存保を破る(中富川の戦い)
 9月27日(天正10年9月11日)
 柴田勝家が
 お市の方に
 織田信長の百日忌を
 京都の妙心寺で執行させる
 11月10日(天正10年10月15日)
 秀吉が
 大徳寺で
 織田信長の葬儀執行
ーーーーー
 奃=大+氐
   大+氏+一
   テイ・タイ
   おおきい
 α+氐
 氐・低・泜・祗・𧐏・軧・鴟・呧
 抵・眡・胝・詆・阺・厎・岻・牴
 𥿄・袛・䢑・坻・柢・砥・蚳・趆
 𨾦・𠯑・底・𤯁・羝・觝・邸
ーーーーー
 ・・・???・・・なめる・・・?
 䑛・舓=なめる・・・「臥薪嘗胆」・・・
 舐める=嘗める・甞める・呫・啐・啛・嗒
 ↓↑
 舐糠及米(シコウキュウマイ)
 少しのことから被害が増えていくこと
 「糠を舐(ねぶ)りて米に及ぶ」
 「千丈の堤も蟻の一穴から」
 ↓↑
 舐痔得車(シジトクシャ)
 痔を舐めるまでして車を得ること
 宋の曹商に対して
 荘子が揶揄した故事
 ↓↑
 舐犢之愛(シトクのアイ)
 親が子に対する溺愛
 ↓↑
 詆=言+氐
   テイ
   そしる・しいる・しかる・はずかしめる
   あばく・し(誣)いる
   人を悪く言う・誹謗中傷
  「詆毀(テイキ)」
   しかる・とがめる
   あざむく
  「詆欺」
   はずかしめる
   暴く・あばきたてる
   あ(当)てる
ーーーーー
 ・・・???・・・

 コジキ姫「壱与」・・・「壹與」
 カンジて赤い絨毯にのり
 空をカケメグル
  「古事記・字源」物語
http://web.archive.org/web/20090409083704/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/hime/hime77.htm

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

継体持統⇔形体字統?・形態字答(自答・次藤)?・・・猫

2021-02-08 01:42:49 | 古事記字源

  624年~705年の81年間の極東情勢・・・
 「武照の時代」
 「則 天武后」・・・「足 典部 項(考・交・高・乞う)」・・・?
  ↓↑  ↓↑      足=たり・あし=蘆・葦・芦
              ジュウ=十・拾・重・獣・中・・・字結う
  則・・・スナワチ「迺・廼・乃ち・即ち・曾・曽・輒・輙」
      砂の和地・・・日本三大砂丘
             静岡県の「南遠大砂丘」
             鳥取県の「鳥取砂丘 」
             鹿児島県の「吹上浜」
             日本最大の
             青森県の「猿ヶ森砂丘」

  ↓↑  ↓↑
  則「天武」天皇?・・・則「天武后」・・・?
  ↓↑  ↓↑     側「天武皇后
             持統天皇=鸕野讃良」?
             継体持統⇔形体字統?
             形態字答(自答・次藤)?
            「大倭根子天之廣野日女尊」
            「高天原廣野姫天皇」
  ↓↑  ↓↑
 (?~686年10月1日)
    朱鳥元年九月九日
 第四十代天皇
  在位673年3月20日
  天武天皇2年2月27日
  ~
  686年10月1日
  朱鳥元年九月九日
  諱  大海人
  ↓↑  ↓↑
     天武天皇の
     殯(もがり)に
    「凡 海   麁 鎌」・・・麁鹿火?
    (おおあま の あらかま)
             鎌足(藤原鎌足・中臣鎌子)
             釜次郎(榎本武揚)
             鎌=金+兼
               草薙の刃物・三日月型
    (「大海蒭蒲」とも
     「凡海・大海」は
     「おほあま・おほしあま・おほさま」
     「阿曇(あづみ)」氏・・・安曇・東海
                  阿毎=阿部=阿武
      と同族
      姓は連、後に宿禰
      天武天皇を養育
      大宝元年(701年)
      陸奥国の冶金に遣わされた
      大宝元年当時
     「追大肆」
      天皇崩御で
     「壬生(養育)」
      ・・・壬生(みぶ)=水辺・水生(みぶ)
                泉や低湿地
               「壬生」の字を当てた地名
                そこの一族や集団
                皇子の世話や養育を行う
                子代である
               「乳部(壬生部=みぶべ)
                からの転化を含む・・・
      のことを誄した
      天武天皇十三年(684年)十二月
     「連」姓の50氏が
     「宿禰」の姓を授けられ
     「凡海」氏・・・ボンカイ=本解・品下位?
     「凡海麁鎌」も
     「宿禰」になった)
  ↓↑
  天武天皇
  諡号 天渟中原瀛 真人 天皇
      渟  瀛 真人⇔眞比等⇔不比等?
          女真=女直⇔粛慎・肅・燕・渤海
                高句麗・金・満州・清
 「壬申の乱」
 (天武天皇元年六月二十四日~七月二十三日
 (ユリウス暦672年7月24日~672年8月21日
   壬申・丁未・甲申・庚午~壬申・戊申・壬子・丙午)
  で勝利即位

 ↓↑
 皇后 鸕野 讃良皇女(持統天皇)
 夫人 藤原 氷上娘・・・日上・日高・高句麗・高麗?
    藤原 五百重娘・・百済?
    蘇我 大蕤娘・・・蕤=艹+甤(ズイ)・・・隋?
               艹+豕+生
             草木の花が垂れ下がるさま
             冠や旗などの垂れ飾り
             下がる・垂れる
 子  草壁 皇子
    高市 皇子・・・天武天皇の皇子(長男)

            母は宗形徳善の娘、尼子娘
    大津 皇子
    舎人 親王・・・日本書紀編者
 孫  長屋  王・・・高市皇子と

            御名部皇女(天智天皇の皇女)との間の子

            吉備内親王
           (草壁皇子父・元明天皇母
            元正天皇姉・文武天皇兄)
            は妃
 ↓↑
 称号 天皇 初使用
 国号 日本 使用決定
 「白鳳文化」時代
 「白鳳(はくほう)」
  寺社の縁起
  地方の地誌や歴史書等に
  散見される
  私年号(逸年号)・・・?
  645年(大化元年)「大化の改新」から
  710年(和銅三年)「平城京遷都」まで
 ↓↑
 継体天皇は
 「筑紫国造・・・新羅と結託
  磐井(いわい)」・・・磐余=神武天皇
 の反乱(527年)
 で
 「大連
  物部
  麤鹿火(あらかい)=麁鹿火」・・・麤=鹿+鹿+鹿
   ・・・あらかま =麁 鎌(凡海)?
 と
 「大伴 金村」・・・金の村・・・?
 を派遣し平定
 ↓↑
 「大伴金村」は
 大伴 室屋
 の孫
 大伴 談 (かたり) ・・・?
 の子
 ↓↑
 大伴 磐(いわ)・・・?
 大伴 咋(くい)・・・?
 大伴 狭手彦(さでひこ)
 の父
 ↓↑
 仁賢天皇死後
 太子 (武烈)
 と対立した
 平群氏を打倒・・・平群=平の群れ
 武烈天皇擁立し
 大連 (おおむらじ) となる
 武烈天皇に継嗣がなく
 越前の
 「大迹王 (おおとのおう) 」
   ↓↑
   迹=辶+亦
     辶+亠+丿+亅
     セキ
     シャク
     あと
     あとかた
     あしあと=蹟
     あとをつける・あとをたどる=蹟
     迹(あとかた)
     心跡=心迹(シンセキ)
        心と行い・心の持ち方
     垂迹(スイジャク)
     ↓↑
     影迹無端(エイセキムタン)
     痕跡や手がかりになるものが何もないこと
     迹=痕跡
     端=端緒・手がかり
     影迹端無し
     ↓↑
     晦迹韜光(カイセキトウコウ)
     すぐれた才能などを
     人に気付かれないように包み隠すこと
     晦=隠す
     迹=痕跡
     韜=包み隠す・武器道具を入れる袋
     光=才能
     悟りを開いたものが
     俗世を離れてひっそりと生活すること
     韜=包み隠す・六韜三略
     光を韜み、迹を晦ます
     韜光晦跡(トウコウカイセキ)
     ↓↑
     本地垂迹(ホンチスイジャク)
     仏や菩薩は
     人々を救うために
     様々な姿になって現われる
     ↓↑
     名所旧迹(メイショキュウセキ)
     素晴らしい風景で知られている場所
     歴史的な出来事や建物がある場所
     名所旧蹟
     ↓↑
     影を畏れ迹を悪む
     自分で勝手に悩みを作り
     心を平静に保つことができないこと
     自分の影と足跡におびえ
     それから逃れようと走り続け
     力尽きて死んでしまったという故事
  ↓↑
 「大迹王 (おおとのおう) 」
 諱  男大迹(ヲホド)
 別称 袁本杼命
    男大迹王
    彦太尊
    雄大迹天皇
    乎富等大公王
 ↓↑
 を擁立し
 「継体天皇」として即位させた
 新羅遠征に失敗
 「筑紫国
  造磐井の乱(527年)」
 を平定
 ↓↑
 百済に
 任那四県を割譲
 百済と結んで
 高句麗、新羅
 に対抗
 「任那」への
 「新羅」の侵略を招き
 安閑、宣化、欽明天皇の時代に
 大連として
 屯倉設置
 欽明一年(540年)
 朝鮮政策失敗で
  物  部 尾輿
  (もののべのおこし)
 らによって失脚
 ↓↑
 武烈(ぶれつ)
 継体(けいたい)
 安閑(あんかん)
 宣化(せんか)
 各天皇の
 大連(おおむらじ)
 「大伴 談(かたり)」の子
 ↓↑
 仁賢(にんけん)天皇の死後
 平群(へぐり)氏を滅ぼし
 武烈天皇を即位させ
 武烈の死後
 金村は
 「応神天皇五世孫」の
 越前在住の
 「継体天皇」
 を迎えた
 ↓↑
 512年(継体天皇六年)
 百済(くだら)へ
 任那(みまな)
 4県を
 割譲
 ↓↑
 527年
 「筑紫国造(つくしのくにのみやつこ)
  磐井(いわい)」
 の反乱で
 大連
 「物部
  麤鹿火(あらかい)」
 とともに戦って平定
 後
 安閑期には
 屯倉(みやけ)の増設に尽力
 540年(欽明天皇一年)
 欽明天皇
 難波(なにわ)行幸に従ったとき
 「物部尾輿(おこし)」
 らに
 任那四県割譲
 の責任を糾弾され失脚
 住吉(すみのえ)の宅に引退
 ↓↑      ↓↑  ↓↑
 則天武后・・・甲申~乙巳
        705-624=81=9✕9
             捌壹=玖✕玖
 生年 武徳七年一月二十三日
   (624年2月17日)
 ↓↑      ↓↑
   干支   甲申
   推古天皇 三十二年
   十月、蘇我馬子
      葛城県を要求
 ↓↑      ↓↑
   唐    武徳七年
        均田制と租庸調制
        が実施
        武徳律令公布
       『芸文類聚』成立
       「高開道」死去
        民衆叛乱の指導者
   新羅   建福四十一年
 ↓↑       ↓↑
 則天武后
 没年 神龍元年十一月二十六日
   (705年12月16日)
         ↓↑
   干支    乙巳
   慶雲二年
   遣新羅使帰還
   (大使 幡文通)
   新羅貢調使来朝
   (大使 金儒吉
    副使 金今古)
   令外官として
   中納言を新設
 ↓↑
   唐    神龍元年
        2月
       「張柬之」
        らのクーデターで
       「中宗」復位し
        唐王朝復活
 ↓↑   ↓↑
 705年=乙巳=神龍元年
 ↓↑   ↓↑
 645年=乙巳=大化の改新
 653年=癸丑=白雉四年
        永徽四年「房遺愛」の謀叛
       6月12日
       (白雉四年五月十二日)
        吉士長丹、高田根麻呂
        道昭、定恵
       らを遣唐使に派遣
       中大兄皇子
       が
        孝徳天皇と不和対立し
        飛鳥河辺行宮に移る
 654年=甲寅=永徽五年
   唐
        三十二歳で「李賢」を出産
 655年=乙卯=永徽六年十一月初旬
   唐
        武照皇后
        王皇后廃后・蕭淑妃廃妃
        処刑
        李弘が立太子
 656年=丙辰=永徽七年・顕慶一年
   唐
        三十四歳で「李顕」を出産
 ↓↑      ↓↑
        斉明天皇二年
        後飛鳥岡本宮造営
       「狂心の渠
       (たぶれごころのみぞ)」
        と揶揄
       『隋書』成立
 659年=己未=顕慶四年
   唐
        長孫無忌(字は輔機)
        黔州(貴州省)で自殺
 ↓↑      ↓↑
        斉明天皇五年
        7月27日(七月三日)
        坂合部石布
        津守連吉祥
        らを遣唐使とし派遣
        坂合部石布は
        遭難・漂着、原住民に襲撃殺害
        津守連吉祥は唐に到着
        10月21日(九月三十日)
        遣唐使が唐の皇帝に謁見
        12月19日(十一月一日)
        唐の冬至の儀式で
        遣唐使の風采挙措が
        最も優れていたと評価

 660年=庚申=顕慶五年
   唐
        7月新羅の救援要請を受け
        唐・新羅連合軍に
        百済が滅ぼされる
        高宗に代わり
        則天武后が権力を握る
 ↓↑      ↓↑
        斉明天皇六年
        5月中大兄皇子
        飛鳥に漏刻台を造る
 661年=辛酉=顕慶六年・龍朔一年
   唐
 ↓↑      ↓↑
        斉明天皇七年
        5月
        白村江へ第一派出発
        1万余人・船舶170余隻
        指揮官
        安曇比羅夫
        狭井檳榔
        朴市秦造田来津
        百済
       「豊璋」王を護送する先遣隊
        6月(新羅国 武烈王七年)
        武烈王(金春秋)が
        高句麗遠征途中に陣中死去
 ↓↑      ↓↑
        ムアーウィヤが
        カリフとなり
        ウマイヤ朝・・・旨いや?
 ↓↑      ↓↑
        百済遺臣
        鬼室福信
        黒歯常之ら
        百済復興の兵をあげ
        倭国に滞在の
        百済王の太子
        「豊璋」王を擁立しようと
        倭国に救援要請
        2月10日(一月六日)
        斉明天皇
        百済救済のため
        自ら船団に乗り筑紫へ出港
        2月12日(一月八日)
        備前の大伯海に停泊
        大田皇女が
        大来皇女を出産
        2月18日(一月十四日)
        伊予の熟田津に寄港
        額田王が歌を詠む
        4月29日(三月二十五日)
        筑紫の那の大津に到着
        6月11日(五月九日)
        朝倉宮に布陣
        周辺の神社を壊し
        その材木で宮殿を建てる
        8月24日(七月二十四日)
        斉明天皇崩御
        第三十八代天皇
        天智天皇が即位(称制)
        11月4日(斉明天皇七年十月七日)
        天智天皇
        斉明天皇の遺体を難波へ葬送
        挽歌を詠む
        11月20日
       (斉明天皇七年十月二十三日)
        斉明天皇の遺体が難波へ到着
        12月3日
       (斉明天皇七年十月二十三日)
        斉明天皇の殯の儀が
        飛鳥川原宮で始まる
 662年=壬戌=龍朔二年
   唐
        四十歳で「李旦」を出産
 ↓↑      ↓↑
        天智天皇一年
        2月20日(一月二十七日)
        天皇
        百済の「鬼室福信」に品を下賜
        3月28日(三月四日)
        天皇
        百済の「余豊璋」に布を下賜
        3月
        白村江へ第二派出発
        軍主力の2万7千人
        指揮官は
        上毛野君稚子
        巨勢神前臣譯語
        阿倍比羅夫(阿倍引田比羅夫)
        4月
        馬の尾に
        鼠が子を産むのを発見
       (高句麗が敗れ
        日本に属する暗示とされる)
        ・・・高句麗帰化人の
        大和王朝への帰属・・・?
        午の尾は子→丑=うし=主・?
        5月
        阿倍比羅夫を百済救援に派遣
        余豊璋を
        百済に送り王位を継がせる
 663年=癸亥=龍朔三年
   唐
        唐が単于都護府を雲中に設置
 ↓↑      ↓↑
        天智天皇二年
        3月
        阿倍比羅夫
        新羅征討に出発
        6月
        余豊璋
        鬼室福信
        を斬り首級を「塩漬け」にする
        10月5日(八月二十八日)
        白村江の戦い
        唐・新羅連合軍に
        百済・日本連合軍が敗北
        10月13日(九月七日)
        百済の人民が
        日本へ逃亡渡来
 664年=甲子=麟徳一年
   唐
        上官儀死亡・安定公主葬儀
 ↓↑      ↓↑
        天智天皇三年
        3月11日(二月九日)
        冠位二十六階制定
        氏上・民部・家部を制定
        6月16日(五月十七日)
        唐の
       「郭務悰」らが来日
        10月25日(十月一日)
        「中臣鎌足」が
        「郭務悰」に天皇の贈物を渡す
        10月28日(十月四日)
        「郭務悰」を迎え晩餐の宴
        中大兄皇子は
        唐・新羅が
        博多湾~大宰府に侵攻を想定し
        対馬・壱岐・筑紫に
        防人と烽を設置し
        筑紫に水城を築く 
 665年=乙丑=麟徳二年
   唐
        四十三歳で「令月」出産
 ↓↑      ↓↑
        天智天皇(称制)四年
        1月3日
       (天智天皇三年十二月十二日)
        唐の
       「郭務悰」が日本を離れ帰国
        3月16日
       (天智天皇四年二月二十五日)
       「間人皇女」薨去
        3月22日(三月一日)
       「間人皇女」のため
        僧330人を出家させる・・・?
        長門国
        筑紫に
        大野城・基肄城を築く
        守大石
        坂合部石積らを
        遣唐使として派遣
        唐で
        儀鳳暦が使われ始める
        唐の
        朝散大夫
        沂州
        司馬上柱国
       「劉徳高」
        が
       「白村江海戦」
        の戦後処理の使節として来日
        3ヶ月後に帰国
        この唐使を送るため
        倭国側は
        守大石らの
        送唐客使(遣唐使)を派遣
        大使らは
        唐の
       「高宗の泰山封禅儀式」
        の際に
        唐に対しての
        臣従を誓った・・・?
 666年=丙寅=乾封一年
   唐
        高宗が
        泰山で封禅の儀を執行
        高句麗
       「淵蓋蘇文」死没
        内紛勃発
        乾封願念?
        乾=戌亥(北西)に
        封じ込める?
        日(肥)之江の虎・・・?
        陽(煬帝)の兄の虎?
        歴史家の
       「令狐徳棻(レイコトクフン
        583年~666年)」死亡
        諡は「憲」
        唐の歴史家
        二十四史の
       『周書』の主編者
        父の「令狐熙」は
        隋王朝の「鴻臚」少卿
       「創修撰之源
        徳棻より始まるなり」
       (趙翼『二十二史箚記』)
        と評され
        二十四史中で
        徳棻が貢献したものは
       『梁書』『陳書』『北斉書』
       『周書』『隋書』『晋書』
       『南史』『北史』の8部
        ↓↑
        天智天皇五年
        2月2日
       (天智天皇四年
        十二月二十三日)
        定恵(藤原不比等の兄)
        死亡
 668年=戊辰=乾封三年
   唐
        総章元年
        10月
        高宗が高句麗を滅ぼす
       (唐の高句麗出兵)
        平壌に
        「安東都護府」を設置
 ↓↑      ↓↑
        天智天皇七年
        1月 「近江令」制定
        2月20日(一月三日)
        天智天皇即位式 
        4月10日(二月二十三日)
        「大海人皇子」が立太子
        6月19日(五月五日)
        近江蒲生野にて薬猟
        「大海人皇子」と
        「額田王」の相聞歌
        9月
        新羅使、調を貢進
        新羅の僧が
       「草薙剣(天叢雲剣)」
        を国外に持ち出そうとする
 670年=庚午=総章三年
   唐
        咸亨一年
       安北都護府を
       鬱督軍山から
       受降城に移転
        英国夫人死亡
 ↓↑      ↓↑
        天智天皇九年
        年初(天智天皇八年十二月)
        近江宮内の
        大蔵
        斑鳩寺
        で火災発生
        庚午年籍作成
        5月24日(四月三十日)
        法隆寺全焼
        背に
       「申」の字が書かれた
        亀を発見(壬申の乱の暗示)
 ↓↑      ↓↑
 686年=丙戌=朱鳥元年九月九日に天武天皇が崩御し
        同月十一日
        から殯(もがり)・・・「摸借り」?
        8月9日(天武天皇十五年七月十五日)
        政を皇后・皇太子に託す
        8月14日(天武天皇十五年七月十五日)
       「白雉」以来32年間・・・白=新羅⇔源氏・白旗?
        断絶していた
        日本の元号再開
       「朱鳥」と制定・・・・・朱=赤=百済⇔平家・紅旗?
        8月16日(朱鳥元年七月二十二日)
        元号を朱鳥に改元
        10月1日(朱鳥元年九月九日)
       「天武」天皇崩御
        第四十一代天皇
       「持統(鸕野讃良・皇后)」天皇称制
 ↓↑      ↓↑
 710年=庚戌=景龍四年・唐隆元年・景雲元年
   唐
        中宗、天后と改める
        睿宗、大聖天后と改める
        安西節度使設置
       「劉知幾」
       『史通』を撰述
        死去
        安楽公主、中宗の娘
        韋皇后、中宗の皇后
        実叉難陀、訳経僧
        僧伽、僧
        中宗、第4代皇帝
        李重福、中宗の庶長子
        ↓↑
        和銅三年
        4月13日(和銅三年三月十日)
        元明天皇
        藤原京から
        平城京へ遷都
 712年=壬子=景雲三年・太極元年
   唐
        延和元年・先天元年
        睿宗、天后聖帝と改める
        ↓↑
        和銅五年
        3月9日(和銅五年一月二十八日)
       「古事記」完成
       「元明天皇」に献上
        出羽国を設置
 716年=丙辰=開元四年
   唐
        睿宗、死亡・第五代皇帝
        玄宗、則天皇后と改める
        ↓↑
        霊亀二年
        高句麗の
        遺民1,799名
        武蔵国に移し
        高麗郡を設置
 720年=庚申=開元八年
   唐
        渤海・仁安二年
        ↓↑
        養老四年
        9月13日(養老四年八月三日)
        藤原不比等死亡
 724年=甲子=開元十二年
   唐
        ↓↑
        養老八年・神亀元年
        3月3日(神亀元年二月四日)
        元正天皇が譲位
        第四十五代
        聖武天皇即位
        吉備内親王が二品に叙
        陸奥国に
        多賀城を築く
 749年=己丑=天宝八年
   唐
        玄宗、則天順聖皇后の諡を追加
        ↓↑
        天平二十一年
        天平感宝元年
        天平勝宝元年
        2月
        陸奥国、黄金献上
        5月
        大安寺など12寺に
        地・稲などを寄進
        5月4日(天平二十一年四月十四日)
        天平感宝に改元
        8月19日(天平感宝元年七月二日)
        聖武天皇が譲位
       「阿倍内親王」即位
        第四十六代天皇
        孝謙天皇
        天平勝宝に改元
ーーーーー
 ・・・???・・・
 コジキ姫「壱与」・・・「壹與」
 カンジて赤い絨毯にのり
 空をカケメグル
  「古事記・字源」物語
http://web.archive.org/web/20090409083704/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/hime/hime77.htm

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウカンムリ・有菅無理・烏韓武利・得漢無理(武利・夢理)?

2021-02-05 02:35:19 | 古事記字源

 fake・ぶっく・・・丁稚上げ・偽造・捏造・・・涅槃・・・~のフリをする・・・漢字につける小文字の「ルビ=フリガナ」か・・・?
 蓏=草+㼌=ウリ科の実の総称・・・売り掛の創傷?
 ウカンムリ・・・有菅無理・・・烏韓武利・・・得漢無理(武利・夢理)・・・
 「宀(うかんむり)」の「コウサツ」・・・「ワ冠・キン冠」って・・・?
 「ムチ」では「ワカン」は「ムリ」だろう・・・「キンカン」はドウ?
 「冖」=上から物を「おおう=覆」様子の様態字・・・
     覆い被(かぶ)せる象形字
     布などで物を覆う象形字・・・
    ・・・「冃」は頭巾だが・・・字形は覆面・・・
     防空頭巾=水に濡らして米空軍の
         「空襲の焼夷弾」の火の粉から身を守った?
     怪傑黒頭巾⇔鞍馬天狗の頭巾・・・?
     覆う・被う・蔽う・蓋う・掩う⇔大生
     (おおう⇔おほう⇔おうう=奥羽?)
     あるものが一面に広がりかぶさって
     その下のものを隠す
     ・・・裏日本・東北・・・
     ここ北海道では連日大雪大吹雪で玄関が塞がれ
     朝から夕方まで雪掻き、除雪で腰痛・・・
     樺太・満州・アラスカ・ニューヨークも豪雪情報
     ミヤンマーでクデター・・・
     シベリア・・・抑留日本人(1945年~)・・・
     日露戦争(1904~05年)でのロシア兵
     約7万2千人は
     日本の捕虜になることを喜んでいた・・・
     証拠写真はワンサカある・・・
    「スターリン主義者」も
    「毛沢東主義者」も
    「現実・人間社会主義者」ではない・・・
    「人間公平社会協同体」を追求するヤツラでもない・・・
    「プチブル自己保身官僚意識」の
    「策略戦術、トラップ至上主義者」・・・
     ナワバリ社会を
     義理、人情、任侠、掟で維持している
    「ヤクザ」以下の輩・・・?
     当然、事実隠蔽、虚偽宣伝、
        人権無視、政治的代謝の抹殺粛清
        生産物搾取、
        私有、公共財産の強奪・・・
     ↓↑
     高山山脈を
     覆う「氷雪」
        氷高=元正天皇=新家(にいのみ)?
        日本根子高瑞浄足姫天皇
             瑞=みず=瑞祥⇔瑞光・随行
             瑞雲・瑞象・瑞相・瑞兆・奇瑞
             瑞西=スイス
             瑞典=スウェーデン
             瑞獣・瑞鳥・瑞穂
             瑞皐(ズイコウ)=高野長英
          久坂玄瑞=諱は通武(みちたけ)の
          配偶者=杉 文=吉田松陰の妹は
          楫取素彦→錦鶏間祗候正二位勲一等男爵
               通称 久米次郎or内蔵次郎
               小田村家の養嗣となって
               小田村伊之助(おだむら いのすけ)
               文助→素太郎と改名
               慶応三年(1867年)九月
               藩命により・・・ナゼ?
              「楫取素彦」と改名
               諱 希哲(ひさよし)
               字 士毅
               号 耕堂彜堂・晩稼・棋山
                 不如帰耕堂
          と再婚し・・・楫取素彦の前妻は
                「文」の姉「寿」   
         「文~美和子」と改名
          天保十四年(1843年)
          杉百合之助(常道)の四女
         「文」と名付けられた
          叔父の松下村塾の創立者
         「玉木文之進」の
         一字「文」を与えられた名・・・?

         宝冠・押木珠縵(おしきのたまかつら)を
        「根使主(坂本の祖)」・・・坂本竜馬?
         が詐取し
        「大草香皇子」は
         安康天皇に
        「草香幡梭姫皇女=若日下姫」
         と
        「大泊瀬稚武皇子(雄略天皇)」の結婚を
         拒否したと虚偽の報告(誣告)した
         大日下王=大草香皇子は殺され
         彼の妃
        「長田大郎女(ながたのおおいらつめ)
         中磯皇女(なかしのひめみこ)
         中蒂姫命(なかしひめのみこと)
         長田大娘皇女(ながたのおおいらつめのひめみこ)」
         は
         安康天皇の「皇后」となった・・・ナゼ「皇后」?
        ↓↑   
        日下=草加・草香・孔舎衙
        日下部=草壁・草加部・久坂部
            苅部⇔草薙=草彅
            天叢雲剣
         (あめのむらくものつるぎ
          アマのむらくものつるぎ
          あめのむらグものつるぎ
          アマのむらグものつるぎ)
            草薙剣( くさなぎのつるぎ)
            草那藝之大刀(くさなぎのたち)
        ↓↑
        元正天皇
        未婚・十八歳
        680年(天武天皇九年)
        ~
        748年5月22日(天平二十年四月二十一日)
        第四十四代天皇
        在位
        715年10月3日(霊亀元年9月2日)
        ~
        724年3月3日(養老八年二月四日)
        父 草壁皇子
        母 元明天皇=阿閉
        文武天皇=軽(珂瑠)の姉
     山陸を覆う「雲・霧・靄・霞」
     海底、湖底、沼底を覆う「塩水・淡水」
     ・・・事実を隠蔽する損得利害、利権関係者・・・
     顔をベール(veil)、マスク(mask)
     で蔽う強盗・・・cowboy・・・
     outlawはアメリカ映画でも現実でも「英雄」である・・・
     公開機密文書の黒塗り・・・
     black‐lacquered・・・black‐painted
            ・・・paint⇔Paineの徒ってダレ?
     シート(sheet)で被うベット(Bet・寝台・寝床)
     sheetをカケるtable・・・
         seat・seaと・seeと・し~と・・・
     冪=冖+幕・・・幕(府)を覆う「ワ」
            curtainを
            蓋(tcover, hide, conceal)う
            輪(ring)
        
            The Man Who Shot Liberty Valance
            リバティ(リバティー)
                 liberty    valance
                 liverty    balance
            valance=寝台・天蓋などの
            垂れ布、飾りカーテン
            窓の上部の上飾り、金具おおい
            balance=天秤・平行棒・担ぎ竿
                 量り・均衡・調和
                 吊り合い
                 心の安定、落ち着き
                 残高
                 バランスシート
                (balance seat)
                 バッタンコ=添水(獅子おとし)
                 シーソー(Seesaw)
                 縫うのを見よ・鋸を見よ
                 上下、押し挽きの繰り返しの動作を観よ
                 see saw seen=見る見た見てしまった
            離馬蹄場亂走・・・?

       おおう・おおい
       「冪冪」・べき・同じ数の相乗積・冪数
            冪乗・累乗
      『周髀算経=句股冪 合以 成 弦冪』
            ピタゴラス(Pythagoras)の定理
            直角三角形の2辺が A とB で斜辺がC のとき
            A²+B²=C²が成り立つ
     幎=とばり・死人の顔をおおう布
     などの原字
 ↓↑
 字=宀+子
   宀+了+一
   ジ
   シ
   あざ・・・・痣=疒+士(十一)+心
   あざな・・・痣名=斑点=王+文+王+ト+口+灬(烈火)
                     心=㣺=忄=志
   文字・ことばを書き記す記号 
   あざな・成人した後に実名のほかにつける名
   やしなう・そだてる・はぐくむ
   日本で
   あざ・町村内の小さな区画
   宀=ベン・・・冖=ベキ・・・冪・絲・汨・・・覛
            覛=ベキ・バク・ビキ・ミャク
              よく見る・じっと見詰める
              もとめる・凝視
              厂+𧘇+見
              𠂢+見・・・𠂢⇔爪・瓜
                 派遣・派閥・山脈
                 鎃=金+派
                   金+氵+⺁+𧘇
                   異体字「䤨」
                   装飾、装身具
                 蒎=艹+派
                   艹+氵+⺁+𧘇
                   蒎烯(α-Pinene)
                 合成香料の原料(松脂)
              ↓↑
              異体字「𫌪・𧵬・𧡒」
     宀=屋根・屋根に覆(おおわ)れた家
ーーーーー
 宀=宀+
   ベン・メン
   ウ=宀
     屋根などのように上が突き出て
     下を覆っている形・覆う
     うかんむり
 㝉=宀+一
   チョ・ジョ
   宁=ウ宀一=㝉
     同じ場所に立ち続ける
     同「佇・竚」
     貯(たくわ)える
     集めてしまっておく
 𡦹=宀+∂+6
   丶几𠘨=𡦹
   ∂(デル・デイ)=筆記体の「d」を様式化した
           「偏微分」記号・・・編備文(美文・尾分)?
   ・・・邪眼、吊り目・・・?・・・goggles・兜?
 宁=宀+丁
   チョ・ジョ
   㝉=ウ宀一亅丁=宁
   同じ場所に立ち続ける
   同「佇・竚」
   貯(たくわ)える
   集めてしまっておく
   繁「寧」
 宂=宀+几
   ジョウ・ニュウ
   冗=ウ宀ノ丿L乚儿几=宂
   田畑の仕事もなく人が家にいるさま
   暇な・無駄な・余分な
   緩(ゆる)んでいて纏(まと)まりがない
   本字は本来「宀儿」・「宀几」
   ・・・恋人の「冗漫・冗談」?・・・上段?帖段?
   ・・・Joe Biden・・・熊本県山都町の梅田穰町長・・・?
 它=宀+ヒ
   タ
   ウ宀ヒ七𠤎匕=它
   ヘビ(蛇)・古「蛇」・・・巳・・・邪のミチはヘビ・・・
   それとは違って他の・別の・それ以外の
   other
   同「他」
   それ・あれ・this・that
 宄=宀+九
   キ
   𡧫𡧌𠬚=ウ宀ノ丿⺄九=宄
   正義や道義に反すること
   乱れること
  「姦宄・奸宄(カンキ)」
   内部の乱れを「宄」・・・宄=よこしま=横嶋の乱
   外部の乱れを「姦・奸」
    ・・・姦=三人の女の亂
         武媚→武照(曌・奸=女+旱・干上がる)
         蕭「淑妃」(ショウ・シュクヒ)=
             南朝の斉と梁の王朝は
             同じ簫氏が皇帝
             蕭淑妃はその末裔・・・
             隋の煬帝の正室は簫皇后
             姓は梟(フクロウ)に変えられた
             ・・・粛慎(みしはせ、あしはせ)・・・
             なぜ「みしはせ、あしはせ」なのか?
                箕師土師・蘆ハセ
             はせ・はぜ⇔馳 or 櫨 or 鯊
                    or 土師 or 簗 (やな) の一種

             はせ=初瀬・波瀬・羽瀬・羽生・長谷
             鯊(はぜ)硬骨魚
             櫨(はぜ)漆科の落葉樹
             馳=鈎(はぜ)板金分野の
             板の折り曲げ部分
             稲架(はぜ)イネなどの穀物を干す設備
             はせ・はで・はざ・はざ木・はさ
             馳・駛・騁・騖・驟
             をは(わ)せ=尾和瀬・尾鷲
             即刻、馳せ参じる・・・はせ=速く施・・・
             はぜる=何かが勢いよく飛んだり
                 飛び出したりする
             ムツゴロウ(鯥五郎)
             スズキ目・ハゼ科に属する魚の一種
             とびはぜ
             潮が引いた干潟の上で生活する魚

             漢代、扶余に従属した
             粛慎(シュクシン)の末裔→勿吉→靺鞨
             →挹婁→女真→満州族→金→清⇔粛慎系・・・?
         王氏皇后=晋王、李治(高宗)の妃→皇后
         廃后
         姓は蟒(ウワバミ・蛇の類)に変えられた
         本貫は「并州祁」県
 㝍=宀+与
   シャ・
   うつす・うつる
   写寫冩=ウ宀ト⺊Lフ𠃌与=㝍
   別の場所に移(うつ)す・他に移す
   書く・描く
  「墨や絵の具を紙などに移す」
   元になるものに倣(なら)って
   別のものに書く・描く
 㝎=宀+之
   テイ・ジョウ
   さだまる・さだめる・さだめて・さだか
   定𡧡=ウ宀え之=㝎
   動きや乱れが鎮(しず)まって
   変化・変動しない状態になる
   平静になる・落ち着く
  「鎮定(チンテイ)」
   動いたり揺らいだりしない状態にする
   はっきりと決める
  「制定(セイテイ)・決定(ケッテイ)」
   決まり・決めたこと・決まっているもの
  「定型(テイケイ)」
  「定式(テイシキ・ジョウシキ)」
   さだ・めて・必ず・きっと
   さだ・か・はっきりしているさま・確かなさま
 字=子部
 宅=宀+乇
   タク・ジャク
   𡧪𡧜㡯𡊾=ウ宀ノ匕七モ乇=宅
   身を託(タク)すところ
   住まい・住むための建物
   住居(ジュウキョ)
   住まう
   落ち着く
   墓地
  「宅兆(タクチョウ)」
 宆=宀+
   キュウ・ク
   穹𠫙=ウ宀弓=宆
   半球状に広がった大きな空間・天空
   窮(きわ)まる
 宇=宀+于
   ウ
   𡧈𡧃=ウ宀二亅丁于=宇
   屋根で覆(おお)われた家・大きな建物
   陽射しや雨を防ぐための建物から
   外に張り出した屋根
   庇(ひさし)
   同「㡰・𢉠」
   天地(上下)
   四方に広がる空間・世界
   時間的な広がりは「宙」
       ・・・宇=空間
          物⇔物=間隙・密度
          宙=時間
          物の形態(体)変化
   大きな広がり・広く覆う
 守=宀+寸
   シュ・ス
   まもる・もり・かみ
   𡬮𡬴垨=ウ宀十丶寸=守
   まもる
   危険や損失などを
   被らないように番をする・保護する
   法律や規則に従う
   そのままの状態を保つ
   もり・かみ・古代の官名
 安=宀+女
   アン
   やすらぐ・やすい・やすんずる
   いずくんぞ・いずくに
   ウ宀女=安
   心を乱すものも
   体を縛るものもなく
   穏(おだ)やかなさま
   気に掛かるようなことがなく
   ゆったりとしたさま
   揺(ゆ)らぎや乱れがないさま
   落ち着くさま
   いずくんぞ・どうして・どうして~なのか
   いずくに
   何処(どこ)に
  「安在(アンザイ
      何処?・何処にある?・何処に居る?)
   やすい
   値段に比べてものの価値が安い
 ・・・随分とあるなぁ~「宀」の漢字・・・流石に・・・宇宙のカンジ・・・
 𡬙=宀+艹+罒+冖+則
   ソウ
   宀L丿爿サ十2艹艹艹四罒冖目ハ貝刂則=𡬙
  「𡬙𡬌(ソウボウ)」
   目覚める
   𡬌=𡬙𡬌眠寤
 𡬚=宀+各+𡫥
   セイ・サイ
   擠㨈挤=宀丿又夊夂口各客𡫥=𡬚
   押し出す・ぎゅっと押して外に出す
   ぎっしりと詰まる・ひしめき合う
 𡬒=宀+爿+艹+罒+冖+臬
   ゲイ・ゲ
   寱䆿𥧵𥨘=宀サ十艹艹艹四罒冖目自ホ木臬=𡬒
   寝言(ねごと)・寝言を言う
 𡬛=宀+心+立+虫+立+虫
   ネイ・ニョウ
   むしろ
   寧寜𡩬寍𡩬𡪕寕𡨴𡧾=宀心立中虫=𡬛
   穏やかで心安(やす)らかなさま
   不安も心配もなく心が安らぐさま
   むしろ・どちらかと言うならば
   どうして~できるだろうか、できない
 𡬜=寒+寒+寒
   リン
   宀三十土井𠀎八𡨄丶⺀寒=𡬜
   元詩選:題複古秋山對月圖
   = 天𡚌𡚌
    兮月朤朤山
    兮水㵘㵘
     木森森
    兮竹𥴒𥴒
     勢𡬜𡬜
    兮墨鱻鱻
   「中華字海=宀部=𡬜=疑同「凛」」
 ・・・凛々しい「兵卒」・・・
ーーーーー
 「武者塚」古墳・・・
  ↓↑
 2号 人骨の角髪(みづら)
      口髭(くちひげ)
      顎髭(あごひげ)一括
 3号 人骨の頸飾玉類

 茨城県土浦市上高津
    土浦市上坂田・・・円墳
  ↓↑
 武者塚古墳は 
 旧新治村の村史編纂事業として行われた
 1983年
 古墳時代終末期の古墳で発掘され
 筑波大学の調査によって
 「みづら」髪型・・・
 の頭髪が出た
 角髪(みずら)
 上古における子どもの髪型
 そのような髪に結った子ども
  ↓↑
 美豆良(みづら・みずら)
  ・・・未頭蓏?
     巳面?
     実蔓?
      鬘(かづら)=镸+彡+曼⇔蔓・鬘・葛
 総角(あげまき)・・・総べての角(都奴・つの)
  ・・揚げ巻き?   都怒我阿羅斯等
           (つぬがあらしと)
            古代朝鮮人
           「都怒賀阿羅斯止
             斑鳩(奈良)
               阿羅=新良=新羅
               荒らしと
               荒らしを
               止める

    斯=其+斤・・・其れはキン〈斤)・・・金
      これ・この・ここ
     斯界・斯業・類 此(シ)
      ここに・すなわち
      かく・かように・このように
     外国語の音訳に用いられる字
    「瓦斯(ガス)」
      ↓↑     ↓↑
            都の怒るを臥(臥薪嘗胆)せ
               斯を止める
           「都怒何阿羅志止」
            都の怒りは何(如何)
               新羅の志しを止める
           「都奴加阿羅志等」
            都の奴は加えた
               新羅のココロザシと等しい
            別名
           「于斯岐阿利叱智干岐
           (うしきありしちかんき)
            意富加羅国=おほからのくに
           (大加耶=大加羅⇔韓国南部)の王子」
ー↓↑ーーーー
 『日本書紀』
 垂仁天皇二年条分注
 崇神天皇の時
 額に角の生えた
 「都怒我阿羅斯等」
 が船で
 穴門~出雲国~笥飯浦に来着
 「角鹿(つぬが)」の語源で
 「角鹿=つぬが→敦賀=つるが」に転訛
 垂仁天皇の時
 帰国の際
 「阿羅斯等」
 に崇神天皇の
 諱(御間城=みまき)を国名にするよう詔し
 「任那=みまな=弥摩那」となった
 「阿羅斯等」に下賜した
 「赤絹」を新羅が奪って
  新羅と任那の争いが始まった・・・
  ↓↑
 「阿羅斯等」が
 「黄牛」の代償として得た
 「白石」が美しい童女と化し
 「阿羅斯等」は
 「合(まぐわい)=交具合・目具合」
 をしようとしたが
 童女は「阿羅斯等」を去って日本に行
 難波
 と
 豊国
 の国前郡の
 「比売語曽社」の神になった・・・
 『古事記』
 「天之日矛(天日槍)」の
 「阿加流比売」
 『摂津国風土記』逸文
 (『萬葉集註釈』)
 にある
 ↓↑
 後裔氏族
 『新撰姓氏録』
 左京諸蕃 大市首  出自は任那国人の都怒賀阿羅斯止
 左京諸蕃 清水首  出自は任那国人の都怒何阿羅志止
 大和国諸蕃 辟田首 出自は任那国主の都奴加阿羅志等
 ↓↑
 新羅の最高官位
 「舒弗邯(ソブルハン、角干の別名)」の訓読みで
 「つぬが」に転訛し
 「敦賀」が生まれた・・・
 「あらしと」とは
 朝鮮語の「閼智(アルチ)」
 新羅・加耶における貴人への敬称
 敦賀には式内社として
 白城神社・信露貴彦神社
 新羅(白城・信露貴)系の神社も分布
 朝鮮半島南部から
 敦賀周辺へ渡来した人々が定着・・・
 「蘇那曷叱知(任那からの朝貢使)」
 と同一視・・・の説も・・・
 ↓↑
 比売許曽神社(大阪府大阪市東成区・式内名神大社)
 比売語曽 社(大分県東国東郡姫島村)
 「天日槍」伝説と同一の神・・・
 「天日槍」    =「新羅王子」
 「都怒我阿羅斯等」=「大加羅王子」
 ↓↑
 「氣比神宮(福井県敦賀市)」
 「都怒我阿羅斯等」
 は敦賀の統治を任じられた・・・
 「氣比神宮」境内摂社の
 「角鹿神社(式内社)」
 はその政所跡で
 「都怒我阿羅斯等」が祭神
ー↓↑ーーーー
 江戸時代
 元服前の少年の髪型で
 角前髪(すみまえがみ)
↓↑
 出土品
 2号 人骨の角髪(みづら)
      口髭(くちひげ)
      顎髭(あごひげ)一括
 3号 人骨の頸飾玉類
      銀製帯状金具
 5号 人骨の頸飾玉類
      鉄柄付青銅製杓
      (てつえつきせいどうせいしゃく)
  銅製の本体
  鉄製の柄
  本体の縁は外に折り曲げられ
  口を有す
  片口の存在や底部の形態から
  「杓」・・・柄杓(ひしゃく)
      三累環頭大刀
     (さんるいかんとうのたち)
      銀装圭頭大刀
     (ぎんそうけいとうのたち)
 ↓↑
 地面に生る果実、ウリの実
 (説文解字・巻一)
 「木に在るを果と曰ひ
  地に在るを蓏と曰ふ
  艸に從ひ
  㼌に從ふ」
  木に生る実=果
  地面に生る実=蓏
 ↓↑
 段玉裁(説文解字注)
 〔斉民要術〕引用
 「艸に在るを蓏と曰ふ」とし
 「草の実のこと」
 蓏=草+㼌=ウリ科の実の総称
 ↓↑
 果蓏=木の実と草の実
 異体字「𠆁・𦽝」
ーーーーー
 佐魯那奇他(読み)さるなかた
 ・・・さるなきた=猿拿喜多
 「日本書紀」にみえる武人。
 顕宗(けんぞう)天皇3年
 任那(みまな)を拠点に
 三韓の王になろうとした
 紀大磐(きの-おいわ)に協力
 百済(くだら)
 の
 「適莫爾解(ちやくまくにげ)」
 を殺し
 帯山城をきずく
 百済王の軍に反撃され
 殺された
 ↓↑
 ?~顕宗三年(487)
 5世紀末
 安羅(伽耶の一国
    韓国慶尚南道咸安)
 で活躍した倭人
 顕宗軍三(487)年
 「紀生磐」
 が
 「任那(安羅)」を拠点に
 三韓の王になろうとし
 「紀生磐」と共謀
 百済の
 「適莫爾解」を殺し
 帯山城(全羅北道泰仁)を築いた
 百済王が派遣した軍に攻められ
 「生磐」は城を放棄し
 「那奇他」は殺害された
 『日本書紀』引用
 『百済本記』が
 「加不至費直(河内直)」
 「韓腹」の
 「佐魯麻都」
 「阿賢移那斯」
 らの祖先と伝える
 「那干陀甲背=那奇他甲背」
 はこの
 「佐魯那奇他」と同一人で
 年代的に3人の祖父・・・
 ↓↑
 「阿賢 移那斯(あけ えなし)
 6世紀の官吏
 「安羅(あら)」におかれた
 「任那(みまな)日本府」
 の執事
 欽明天皇二年(541)
 新羅と通じ
 百済の招集に応じず
 佐魯麻都(さろ-まつ)
 らと百済主導の任那再興を妨害
 名は
 「延那斯」
 ともかく
 6世紀中ごろの
 倭系の
 安羅(伽耶の一国,韓国慶尚南道咸安)の人
 加不至費直(河内直)
 韓人との二世である
 「佐魯麻都」らと共に
 「佐魯那奇他(那奇他 甲背)」
 を共通の祖先とする
 新羅に内通し
 百済王(聖明王)の招集に応じなかった
 任那復興の妨げだという理由で
 百済王は
 排斥を欽明天皇に求めた
 安羅に置かれた
 「任那日本府」
 の執事として実務を担当し
 「佐魯麻都」と共に
 親新羅、反百済の立場に立って
 「安羅」と「新羅」との連携
 ↓↑
 414年
 高句麗が建立した
 広開土王碑文にある
 「任那加羅」が史料初見
 ↓↑
 中国
 梁国
 537年
 「蕭子顯」が編纂の
 「南齊書」によると
 加羅國
 三韓種也
 「建元元年」
 國王
 「荷知使」來獻。
 詔曰
 「量廣始登,遠夷洽化。
  加羅王
  荷知款關海外,奉贄東遐。
  可授輔國將軍、本國王。」
 と記録
 『日本書紀』では
 加羅と任那
 が併記される
 ↓↑
 中国の史書
 『宋書』で「任那、加羅」と併記
 『南斉書』、『梁書』
 660年
 『翰苑』
 801年
 『通典』
 『太平御覧』
 983年成立
 『冊府元亀』
 1013年成立
 同様の併記
 清代に編纂された
 『全唐文』にのみ
 「伽耶」の表記
 「加羅」
 「三国史記」
 新羅本紀の
 「奈解尼師今」
 六年(202年)条
 「伽耶」
 表記
 「三国史記」
 同14年(210年)条
 「加羅」と表記
 ↓↑
 『三国史記』
 『三国遺事』
 3世紀までは
 加羅諸国の神話・伝承を伝え
 農耕生産の普及
 支石墓を持った社会形態
 紀元前1世紀頃に
 部族集団が形成・・・
 1世紀中葉
 中国正史の
 『三国志』
 『後漢書』で
 「其(倭国?)の北岸」
 「倭の西北端の国」
 の
 『狗邪韓国』(慶尚南道金海市)
 弁韓諸国と呼ばれる
 小国家群が出現
 後に
 狗邪韓国(金官国)となる地域は
 弥生時代中期(前4、3世紀)以後
 従来の土器とは
 様式の全く異なる弥生式土器が急増
 後の
 狗邪韓国(金官国)に繋がる
 倭人が進出した結果
 首露王により建国されたとされる
 「金官国」が統合の中心
 4世紀初めに
 高句麗が勢力を拡張
 馬韓は
 百済に統合され
 弁韓の諸国は
 一体化することなく存続
 ↓↑
 加羅と関係の
 任那諸国
 6世紀
 百済や新羅の侵略
 西側諸国は
 百済へ倭から割譲
 或いは武力併合
 東側の諸国は
 新羅により滅ぼされていった
 512年に4県を
 倭が百済へ割譲
 532年に
 南部の金官国が新羅に滅ぼされ
 562年
 洛東江流域の
 任那諸国を新羅が滅ぼした。
 ↓↑
 高句麗の広開土王碑
 391年
 新羅や百済や加羅を
 倭の臣民とした
 高句麗は
 新羅の要請を受け
 400年
 5万の大軍を派遣
 新羅王都にいた倭軍を退却させ
 任那・加羅に迫った
 任那加羅の
 安羅軍などが逆をつき
 任那加羅の
 従抜城を守らせた
 ↓↑
 「前方後円墳」が
 朝鮮半島でも発見
 5世紀後半から6世紀中葉に成立
 百済が南遷する前は任那
 金官国を中心とする
 任那の最西部に存在
 円筒埴輪や南島産貝製品
 内部をベンガラで塗った石室
 倭系遺物
 遺構をともなう
 新羅・百済・任那で
 日本産の
 ヒスイ製勾玉が
 大量に出土(高句麗の旧領では稀)
 朝鮮半島には
 ヒスイ(硬玉)の原産地がなく
 東アジア地域においても
 日本とミャンマーに限られ
 化学組成の検査により
 朝鮮半島出土の勾玉が
 糸魚川周辺遺跡のものと同じ
 ↓↑
 辰韓諸国と弁韓諸国
 朝鮮半島南部
 洛東江下流地域
 紀元前5世紀~紀元前4世紀
 無紋土器を用いる住民が定着
 農耕生活をしながら
 支石墓を築造
 青銅器を用いた文化を形成
 紀元前1世紀頃
 青銅器と鉄器文化を背景に
 社会統合
 慶尚北道の
 大邱・慶州地域に
 辰韓諸国が出現
 朝鮮半島南西部の
 弁韓地域に
 紀元前10世紀から
 黄海沿岸に位置する
 山東半島・遼西・遼東半島の物と
 類似した様式の土器や石器
 1世紀中頃
 社会統合
 弁韓諸国が登場
 鉄産地と海運
 ↓↑
 2世紀~3世紀
 半島東南部の諸国は
 共通の文化基盤をもっていたが
 政治的には
 辰韓と弁韓に
 分けられ
 弁韓地域の多くの小国の中で
 一番優勢な勢力は
 金海市付近の
 金官国(狗邪韓国、駕洛国)
 任那の文化中心は
 金海・咸安を取り囲んだ
 慶尚南道海岸地帯
 ↓↑
 6世紀前半
 百済は南下
 半島南部まで影響力
 5世紀初頭
 高句麗は
 楽浪郡・帯方郡を征服
 新羅にまで勢力を及ぼす
 新羅も辰韓の盟主として
 独自の勢力
 ↓↑
 倭国と高句麗の戦争
 「好太王碑」
 「三韓征伐」
 4世紀末~5世紀前半
 広開土王碑文
 391年
 倭が百済と新羅を破り臣民とする
 393年
 倭が新羅の王都を包囲
 三国史記で
 397年
 百済が倭国に
 「阿莘王」の王子
 「腆支」を人質に送り国交を結んだ
 高句麗に従属した百済が
 399年
 高句麗を裏切り
 倭と通じ
 400年
 倭が新羅の王都を攻撃
 高句麗
 広開土王
 新羅の要請に応じ軍を派遣
 倭軍を任那・加羅の従抜城に退かせ
 高句麗軍はこれを追撃
 三国史記では
 402年
 新羅も倭国に
 「奈勿尼師今」
 の子
 「未斯欣」
 を人質に送り国交を結ぶ
 404年
 高句麗領
 帯方界(帯方郡との境)
 にまで倭が攻め込んだ
 ↓↑
 405年
 倭国の人質
 百済王子の
 「腆支」が
 倭国の護衛により
 海中の島で待機し
 百済王として即位
 ↓↑
 日本書紀
 249年
 369年
 神功皇后49年3月条
 神功皇后が新羅へ親征服属
 三韓征伐
 将軍荒田別(あらたわけ)
 鹿我別(かがわけ)
 を派遣し
 比自㶱(ひじほ)
 南加羅
 㖨国(とくのくに)
 安羅(あら)
 多羅(たら)
 卓淳(たくじゅん)
 加羅(から)
 の七カ国を平定
 西方に軍を進め
 比利(ひり)
 辟中(へちゅう)
 布弥支(ほむき)
 半古(はんこ)
 の四つの邑を降伏させた
 ↓↑
 新羅は5世紀中頃
 高句麗の駐留軍を全滅させ
 高句麗の
 長寿王は南下政策を推進
 475年
 百済の首都
 漢城(ソウル特別市)を陷落
 百済は南下して
 統一された国の存在しない
 朝鮮半島南西部への進出を活発化
 新羅は
 秋風嶺を越えて
 西方に進出
 5世紀末
 百済の南下
 新羅の統合
 任那加羅のうち
 北部に位置する小国群は
 479年
 南斉に朝貢し
 〈輔国将軍・加羅王〉
 に冊封された
 ↓↑
 大加羅を中心に
 後期伽耶連盟は
 481年
 高句麗とそれに附属する
 濊貊
 の新羅侵入に対し
 百済と共に援兵を送った
 百済が倭に対し
 加羅西部の四県を割譲させ
 加羅諸国は
 百済と
 小白山脈を境界として
 険悪
 百済が
 卓淳国・多羅国
 などへ侵攻
 大加羅の
 異脳王は
 522年
 新羅の
 法興王に対して婚姻を申し入れ
 新羅との同盟を願ったが
 新羅は
 任那加羅諸国への侵攻を繰り返し
 532年
 任那の金官国が新羅に降伏
 任那加羅諸国は
 百済に救援を求め
 百済は
 安羅に駐屯
 新羅に備え
 聖王が主宰して
 任那加羅諸国の首長と
 倭の使臣との間による
 復興会議(任那復興会議)
 を開いたが
 百済自身が
 任那加羅諸国への勢力拡大を狙っていた
 任那加羅地域は
 新羅・百済の争奪戦に巻き込まれ
 百済が
 554年
 管山城の戦いで新羅に敗れ
 聖王が戦死
 562年
 大加羅(高霊)が新羅に滅ぼされ
 残る加羅諸国は
 新羅に併合

 金官国(駕洛国)
 金官国、
 駕洛国・金官加羅・任那加羅
 韓国慶尚南道金海市に有った
 『三国志』の
 狗邪韓国
 532年
 新羅の圧力で
 仇衡王(金仇亥)が
 降伏
 一族は新羅の首都
 金城(慶州市)に移り住んで
 食邑を与えられ
 新羅の貴族階級に組み入れられた
 金仇亥の曾孫
 金庾信
 が新羅の半島統一に大功
 金官国の王族
 金氏は
 新羅王家の
 慶州金氏と区別するために
 金官金氏(金海金氏)と呼ばれた
 ↓↑
 金庾信は
 首露王を祖先とする12世孫で
 金庾信碑には
 祖先は
 黄帝の子の
 少昊金天氏の後裔で
 金氏を名乗った
 ↓↑
 『南斉書』
 加羅国王
 荷知は
 高霊の加羅王
 嘉悉王に当たる・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・
 ↓↑
 コジキ姫「壱与」・・・「壹與」
 カンジて赤い絨毯にのり
 空をカケメグル
  「古事記・字源」物語
http://web.archive.org/web/20090409083704/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/hime/hime77.htm

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする