奈良大好き☆お勉強日記

奈良大学文学部文化財歴史学科(通信教育部)卒&奈良まほろばソムリエ検定のソムリエを取得したヒトの色々な勉強の日記です♪

ハイキングのつもりが苦行スク

2009年03月20日 | 奈良大学お勉強日記
昨日の華やかな式典関係が無事終了して、
本日は地味ぃ~に高取自主スクです。

奈良はあれこれ行ったけど、
この時期ならではの催しはないかと思っていたら、
あるあるアレが、高取が。

高取町でお雛様を各家庭が飾って見せてくださる催しが三月一杯
行われているというので、この時期を外すと見られません。
んじゃここで決定!

とりあえず高取といえば壷阪寺なので、そちらも行って、
あとは町中をゆるゆると歩けばいいのではないかと思っていた。

したら、なぎさんから「城行こう!城!」とのプッシュがあり、
メンツ的には「城マニア」はいなかったので除外してもいいかなって
思っていたのにもかかわらず、「んじゃ、折角壷阪寺まで登るんだから、
そこから先ってのもありか?」って思ったのが運の尽き(謎)
その後、再び大爆笑の行程となるのは当日になるまで知らなかったのでR。

さて、当日。
明方まで降っていた雨もあがり、なんとか傘無しでもいけるかと安心。
町中だけならばまだしも、山城に行くので、傘さしての行動は危ない。
とりあえず雨があがっただけでもめっけもん。

電車を乗り継いで壺阪山駅に到着し、面子も揃ってバスに乗車。
バスはゆるーい坂をゆるーく登り(自力で登るのはイヤだけど)、
壷阪寺前に楽々のまま到着です。

まずはバス停から山内に入る前に巨大な石仏さんの姿を発見。
そして山の向こうに見える「下界」の様子にしばし感動。

いざ、入山してあちこち見て回りますが、
ここのお寺はどことな~くエキゾチックな感じがします。

それもそのはず、石仏の大半はインドからの輸入品。
ライ病救済活動に尽力した功績を表して贈られた「天竺渡来大観音石像」や、
「天竺渡来大石堂」や「石像大仏伝図」なども現地で製作されたもの。
日本で作られたお顔とは全然違うものなので、違和感があるのだと思います。

でも日本の仏様とは一味違った雰囲気の仏様がたくさんいるので、
居ながらにして外国気分が味わえます。

てっぺんまで行くと涅槃像と立像が一度に拝める場所があり、
その光景は圧巻です。

しかし山の途中は風が冷たく、寒い寒い。
昨日の暑さとはうってかわっての天候なので調子狂います。
連休初日だってのに、周囲にヒトもなく、完全貸切状態。
それはそれで贅沢な空間でしたが、ちと寂しいね。

山を下ってきて、山門前で予約していたタクシーに乗り込み、
次なる目的地は高取城跡です。
なんでも日本三大山城らしい名城で、城マニアの間では大絶賛の城跡。

そんなに城マニアでもなんでもないのですが、
ここまで来たら、来たも同然じゃないとか思っていた私を、
完全に悔い改めさせたのは、その道の凄さでした。

もともとの登山道は反対側についている道で、
タクシーにてあがっていくこちらは後付けの車道ですが、
車道というか「自家用車は通ってもいいよ」って程度の道。
車道とはいえ、これを歩いて登る気には絶対になりません。

歩道は遊歩道が別に完備されているのですが、
山登りは絶対にイヤ!となぎさんが言い張るので、
そっちは今回は見送り(てか、私も登りはイヤだ)

で。
山道の途中でタクシーがふいに止まったので
「へ?」と思うとそこが、城の登り口でした。
車が止められるスペースがあるとのことだったので、
もっと整備された駐車場があるもんだとばっかり思っていた
私の予想をはるかに裏切る、すばらしい「行き止まり!」
道はここまで!後は自力で!!と見えない看板があるかのよう。

へ?ここから登れと?
ここで帰るという選択もありますが、
すでにタクシーは帰ってしまった後です。
登るしかないのです。これを背水の陣といいます(そうか?)
意を決して一同、その急斜面を登り始めました。

朝までの雨で山道は湿っており、登るのはいいけど、
降りるのはコワイよねなどと云ってガンガン登っていたのですが。
その本当のコワサはその後すぐに体験することになる。
(今は暢気に云ってるだけ~)

本丸はことのほか簡単に見えてきました。
すごい石積みが見えてきたら、登る気にもなるってもんです。
本丸、櫓は本当にすばらしく、在りし日の高取城を彷彿とさせました。
高いところに来たら、高みの見物。

本日吉野に向かったヒトたちのいる方向は雲ががっつりかかっていて、
「ありゃ雨かなあ。霞はかかっているよねえ」
などと暢気にヒトの心配。
(ヒトの心配してる暇はなかったんだよ、ホントは、ワレワレ)

その後、ぐるっと本丸周りを見て回り、次なる目的地に行こうと…。
行こうと…。
しかし、次は何処風の→看板みたいなものが存在しない。

仕方ないのでこういう時のために(?)
「高取城図」ってのもみつけたので印刷しておいた。
それを取り出すも、城の図なんて私が見てもチンプンカンプン。
「とりあえずこっち、いっとく~?」
のなぎさんの声に導かれて歩き出したその先は、
「城内散策」なんて優雅なものではなく、
山伏並みの苦行の始まりなのでありました。

嗚呼!なんということでしょう。(Before~After風)
その先は、山道だったのです。

何を今更って云われるかもしれませんが、
私の頭の中では、こんな図が広がっていたんですよ。→これね。
だもんだから、白亜の壁の間をゆるゆると下っていく優雅な気分でいたんだけど、
「ここはどこ?」「まだなの?」「まだ下界には着かないの?!」
状態のパニックに陥ってしまいました。

私だって、飛鳥のだだっぴろい空き地を見て、そこに古代邸宅やら、
古代寺院やらを想像してみることだって可能な能力を持ち合わせてますわよ。
しかし、城址郭図を見て、城復元図を想像することはできず、
しかもちょっと見ただけの「CG再現図」を頭に刷り込んでしまったのが敗因で、
雑木林と急斜面の現実に茫然自失。
嗚呼、今頃、後で・悔やんで・後悔・しても始まらんのだ。

それからは山道を黙々と下り、時にはつるっとすべってターザン状態。
「あ~ああ~」
ウルサイうるさい
>私です、山の雄叫び。

「このまま下山できなかったら、危ない中高年の山歩きって云われるんだよね」
「軽装のまま入山。食べ物を分け合って励ましあったとかさ」
「新聞の見出しになるよねえ」
「ほら、あの法被着た、消防団のヒトに山狩りされるんだよ」
「お騒がせしましたっていいながら下山してくるんだよね~」
楽しそうじゃねーか(笑)

いや、こんなことでも云ってないとやってらんないだけでして。
くだらんこと云っていたら、先頭を歩いていたなぎさんが
つるっといってしまいアセアセ。
し、静かに歩こか…と思っていたら。
山道で一番遭遇して欲しくないものにも遭遇…。

山中を駆け巡るかのような私の悲鳴に、凍りつく一同。
熊が出たか、ジャが出たか。

いえ、蛙なんですけどね、カエル。
しかし手のひらからあふれるくらいの大きさの蛙。
吉野の陀羅尼助丸の蛙風な風貌でした。
それが私の行く手にどっかりと座っていたからさあ大変。

実は私、蛇よりも蛙が嫌いです。
きっと前世では蛙に食われた蝿だったに違いありません(断定)。

どうやら昨日の「暑さ」でノコノコ出てきた割には、大雨&寒の戻りで
動けなくなってしまったようで。単に山道で立ち往生しているだけなのに、
人間に遭遇して叫ばれて、助けてもらえるわけでもない蛙の方こそいい迷惑。
しかし、びっくりしたのだよ、本当に。
久しぶりに、このサイズの蛙を、実物で見てしまったので。

この件ですっかり動揺してしまった私はその後も、
「ぎゃー」「ぎょー」と叫びつづけ、
あげくツルっと滑って、空中遊泳を始めた両手を、がしっと猫さんが
捕まえてくれた途端、緊張の糸がぷっつり切れてしまいました。

「ちょっと休憩しよう、休憩。冷却期間!」
となぎさんが、小休止を提案。
しばし、水分やら糖分をとって、心と体を落ち着かせることに。

がー、すんませんすんません。
こんな私が練った(練ってない)計画だもんだから、
こんな「目」にあうんだなと反省。(今頃反省しても遅いっちゅねん)

列の途中で叫ぶと隊列が乱れるので、小休止の後は一番後を歩くことに。
まあ、最後にいるのだから、いなくなったらそれまでってことで。
捨ててってくれてヨロシ。
※フツーしんがりは行列の要だろうに。あたしじゃアカンやん。

しかし、こんなヒト一人しか通れないような道を、天守閣まで登った
いにしえの人々のことを考えると、同じ体験をしている身としては、
「心中お察しいたします」な感じ。
下ってくるだけでこのザマなんだから、登りなんていかに大変かと。

「こんな所、いったん登ったら降りたくないよね」
「ちょっと下屋敷までお使いなんて行きたくないな」
「殿は駕籠に乗っているだけだからいいよねえ。家臣大変」
「駕籠かなあ?馬かなあ?」
「どっちにしろ殿は自力では上がらないからいいんだよ」
「城作るのに、こんな石どうやって持ってきたんだろ」
「人力?」
「以外に方法はないでしょ」
「(一同)こんな所に城を作るなんて、殿ご乱心だ!!」(力説)

斉明天皇だって土木工事大好き姫で、人々に「たぶれごころの溝作りやがって」
と散々非難されたけど。しかし、あっちはまだ標高が低いところの出来事。
こんな山に登るだけだって大変なのに、ここに城を作ろう!だなんて。
あの時代の殿になることはあっても、家臣にだけはなりたくないということで
みんなの意見が一致しました。

そして一時間以上下り続けて、下界の入り口「宗泉寺」の標識が見えてきた。
「こっち行くとお寺あります。ご朱印あります、だって」
「ううう、もう少しでも本線を外れたくないよ」
その標識からすぐに人家の明かりが見えてきたときの感動といったら…。
(注)まだそんな時間ではありません。
あれが山姥の家だったとしても、駆け込まずには入られないほどの感動でした。

あ~舗装の道路ってこんなに歩きやすいのね。
急斜面でも、足元を見なくても歩けるって素晴らしいことなのね。
いちいち、ナンにでも感動できる体質になったことが、
この苦行の一番の収穫だったかもしれません。

ようやく開けた人間の痕跡のある場所が砂防公園でした。
川が整備され、その両脇と奥の山手にかけて花壇が整備されていて、
キレイな花が咲いています。おお、人工的な場所だ~感動。

その山の麓の砂防公園にて遅い昼食をようやくとることに。
そういえば、下山の途中でお昼の12時のチャイムがなってから、
すでに一時間以上たってますから。
すきっ腹に流し込んだご飯と、甘いものがコタエタ。

その後道なりに下っていったら、
広い道(整備された車道)と狭い道(旧道らしい)に出て。
今までの反動から、広い道に出ることにした(これは間違いだったんだが)。
広い二車線の道路をテクテク歩いていったら、菜の花摘み放題の場所に出て、
係りのヒトから「摘んでって~」と声をかけられました。
「あれ?車はどこにおいてきたの?」
「へ?車?」
「どこ止めたの?」
「あ、私たちタクシーで山まで上がって、城行って、歩いて降りてきました」
ニコニコと答えたら、急に先方が「山?あそこから下ってきたん?」
と指差し確認。あの山と、さして、われわれの格好を見比べるおじさん。
「はい」
「その格好で?」
「はい」
「ほぉ~」
どうやら現地人も驚く”荒行”だったようです>我々。
確かに「消防団一歩手前」だったもんなあ。
自力で下山できてよかったよかった。

その後、道を左へ折れて、町中へ突入。
ようやくたくさんのヒトに遭遇できました。
朝の電車で乗り合わせたたくさんのヒトは、ほとんどが雛を見に来たヒトで、
壺阪寺へ行ったヒトはゴク少数。その後、城へ行ったのは我々くらい。
ヒトがこんなにいるぅ~なんてことまで感動する羽目に。

その後、武家屋敷門跡や、児童館公園に移築になった松の門を見て、
雛の展示をプラプラと見ることに。

今回の本来の目的はこれなのでした(笑)。
各家庭で所有されているお雛様を、玄関先や、通りに面した座敷に飾り、
みなさんに見てもらおうという高取町の趣向です。
今回で三回目。年々有名になって、訪れる人も増えているようです。

中には、娘がお嫁に行ってしまい、ひな人形を出すこともなかったけれど、
こういう催しがあることを知ったので、じぶんのところのお雛様も
見てもらおうかってことにしたご家庭もありました。

それぞれに、実家から贈られたり、親戚縁者から贈られたりと、
いろんな思いがこめられたお雛さまたちが並んでいました。
その中で『御殿飾り』のお雛さんが高取では多いな~と思いました。
先日、中野の民俗博物館でもみかけましたが、
一般家庭にこんなに普通にあるものではないと思っていたので、
ちょっとびっくり。明治よりも古いもの、おばあちゃんの嫁入り道具、
実家から初節句に送られたもの、などなど。
どれもこれも、エピソードが添えられていて、ステキでした。

たらちゃんとは帰京の予定から駅前でお別れ。
その後はまだ時間があるってことから小嶋寺へ。

この小嶋寺、小嶋曼荼羅が有名ですが、本物は奈良博に寄託中なので、
レプリカが見られます。まあレプリカでもいいかってことで行ってみたのですが、
ここにきて、今回の旅の仕上げにふさわしい場所であることが発覚。

ここの山門は高取城の二の門を移築した門で、
しかも特殊な建て方をしてあり、内側の瓦を一枚外すとバランスが崩れて、
倒れてしまうので、内側を外したら、外側を一枚外し、また内側を外したら、
外側を外す…ってのを繰り返して、瓦をおろしていかないと
門が倒れてしまうのだとか。

四時過ぎての拝観だったので我々のほかには参拝者もなく、寺宝独り占めです。
小嶋曼荼羅のレプリカの素晴らしさは当然として、
堂の一番奥には高取の殿様しか拝めない拝観のお堂があるのでした。
「お殿様は毎日ここへ来て仏様を拝んだそうです」
「毎日?!」
一同驚愕の事実。あの山を降りてきて?
「しかも、夜中の三つ時に拝観されていたようです」
「丑三つ時?!」
「とぉ~のぉ~!」
殿の非難ごうごう大会の再開です。
自分は輿に乗るか、馬に乗るか知らんけど、お供のものはどうしろっちゅねん。

「これが昔の高取城の姿なんですけど」(と明治初年の冊子を見せてくださる)
「あ~。さっき登ってきました」
「え”?」
「壷阪寺に行って、城に行って、あの山下りてきました~」
「そ、そうですか」
あはは。そうなんですう。
なので、あそこの山から毎日拝みに来た熱心さは買うけど、
それを支えた家臣一同の苦労を思うと、「とぉ~のぉ~!」な心境なのです。

これが、あの山を登らずして聞いた話ならば「ふーん。熱心な殿様だな」
くらいなもんですが。あの山を自力で下山した結果、「殿ぉ~!!」ですから。
現地じゃないと学べないものがあるってことですね。
まさに、奈良で学ぶ贅沢。
自主スクの成果、しみじみ感じえました。

小嶋寺を辞して南の山を眺めれば、はるかかなたに壷阪の立ち仏さま。
ああ、あんなところへも行ったのね。
しかも、その先にもドンドコ行ってみたのね。
その後駅前までテクテク戻って、本日の予定はすべて終了。
みんな各自電車にて無事帰り着きました。



今回の自主スクは「ハイキング」のつもりでしたが、
いつの間にやら修行僧の山篭りみたいになってました。
知らないってことは罪なのね。
ご参加いただいた皆様にはご迷惑をおかけしました。

んでもって、ここで更にお詫び。
「太い道」と「細い道」を間違えた結果、
花畑のおっちゃんに「笑って」もらえましたが。
あの花畑から曲がって入った旧道の十字路の武家屋敷の先に、
もう一つ、旧家老屋敷長屋門っていう絶世の観光ポイントがあるのでした。
児童公園と、武家屋敷門ばかり見て、なまこ壁のすばらしい
家老屋敷を眺めてくるのを忘れてしまいました。ぎゃー(叫)

距離にして、ほんのちょっと(武家屋敷の隣くらい)なのに、
下界に下りてきた安心感からすっかりぽっかり失念しておりました。

あのぉ~万葉ウォークの後に、あそこならば再来訪も可能かと思いますので、
ごめんしてくださいませ(拝)

これに懲りずにまたご参加を…無理ですか・ですね。
私ももう二度と行きたくないぞ>城には(笑)
武家屋敷には行っても。

今度は平場をあるきましょうぞ、皆様。
あははははは(笑って誤魔化すな)
コメント (10)
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