奈良大好き☆お勉強日記

奈良大学文学部文化財歴史学科(通信教育部)卒&奈良まほろばソムリエ検定のソムリエを取得したヒトの色々な勉強の日記です♪

近所の古墳を歩こうかい♪

2009年03月21日 | 奈良大学お勉強日記
さて。
昨日の荒行とはうってかわって、本日は近所の散策(笑)
朱雀氏主催の、なぎさんちの近所の古墳をめぐろうかい?です(ウソ)。

前日に
「明日は何時に起きたらいい?」ってなぎさんに聞いたら
「8時でええやろ」
とのことなので、その時間までベッドで休息。
(しかしその実、朝まで殆ど寝られなかったのだな。理由は後日公表を待て!)

起きると元気になぎさんがお弁当を支度をしてくれて、
実にリッチな弁当が出来上がりました。
それを横目で見ながら私は朝食をいただき、昨日はひどかったねえ
なんてことを云って居りました。(ひどい目にあわせたのは私なんだが…)

そして、呑気に9時半近くになって出発し、天理駅についたのは一番最後。
まあ、地元ってのはそういうもんです(謎)

まずは東へとひたすら移動です。
天理駅からアーケードを抜けて一路天理教本部前まで直進。
途中左右の商店街を眺めつつ、おお、天理教の制服?
おやさまのみおしえの本専用の本屋?
などと商店街散策。和装のお店が多かったのも特徴かな。
(『天理教』って背中の法被を売っている店は見かけなかったのだけど、
あれは教会内でしか売らないor配布しないものなんだろうか?)

そして天理教本部到着。
大きさ&雰囲気としては、お東さん、お西さんって感じか?
(縮尺無視だけど)
実はココ、何故か紛れこんで入ってみたことがあるんだな、その昔。
夕方のおつとめをみなさん黙々としていたんだけど、
私は宗教的なその行動がわからず、
げげ、まずいと思ってそっこー退出してきたんだけど。
あそこは「来るものは拒まず」の精神なのかな?よくわからん。

天理教本部から南下して天理大学&天理高校を通り過ぎて、
本日の第一目的地、西山古墳に到着。
禿山の土饅頭のようですが、ちゃんとした古墳です。
なんでも全国の前方後方墳の中で最大規模の古墳だそうで。
築造時期は古墳時代前期(4世紀)と見られており、
同古墳が属する杣之内古墳群の中でも最も古い時期に造られた古墳らしい。
出展はwiki♪)

今更ではあるけど。
私自身は考古学専攻のつもりでいたけど、こうしてみると
「古墳」ってもの自体にはあんまり興味なかったんだな~とシミジミ(をい)。
確かに墳丘に登ってみると、オオって感動するけど、あの古墳に登りたい!
中に入ってみたい!って、あんまり欲求がなかったもんで(笑)

友達は大学を卒業してから、それまで神社・仏閣・古墳なども好きだったけど、
突然(と私には映った)城マニアに変身して、ことあるごとに城を見て回るヒトになったけど。
私の場合は、古墳マニアまではいかず、まあ嫌いじゃないよね~
程度のヒトだってことが今にして判ったことが収穫だったかも。

ここの古墳は、夏には草ぼうぼうになるらしいのだけど、
天理教の関係者によってそれをキレイに刈って貰っているらしい。
まあ今は、季節的にはまだ春浅いので、雑草も生い茂ることはなく、
枯れ草の上をすいすいと登山して
「お山の大将俺一人~♪」をやってみました。

前方部が低くて、後円部が高い、前方後円墳。
まずこの「丸」の方へ上りつきましたので、昨日の恐怖が再来です。
「これ、降りるんだよね。登りはいいけど、降りられるかな?」
心配はありません。
低いほうの前方部へと移れば、若干傾斜も緩やかです。
しかし、これ古代の作ったヒトも上り下りしたわけで。
結構きつかったと思うのだけど。

ここから西方を眺めると、見える見える。
わが故郷生駒山と、手前の矢田丘陵。
左手には二上山と、金剛葛城の山並み。
いいね~奈良にいる実感をこういう景色で感じます。

古墳の横には天理大の馬場があって、八の字をかけるような砂場がありました。
そうか、これはそういう砂場か。

その砂場をはさんで、もう一つ古墳。
塚穴山古墳だそうな。

横穴式石室で、上部がなくなっていて、その構造がバレバレの古墳。
石舞台古墳の天井石が無いバージョンって感じです。
しかし、この古墳の石が、かな~りデカイ。
最初は墳丘の裾から、えいやー!と上りついて、ぐんぐん登り、
上から、石室の中身を眺めていたのですが、降りてみろというので、
さすがに、天井部分からヤーって飛び降りるほどの勇気もなく、
ぐるっと回って低くなっている羨道部から石室部分へと入ってみることに。

四方八方かなりデカイ石が詰まれてるけど、天井の石がないので
閉鎖的な感じがせず、それがかえって高さを感じさせない。
でも入ってみると、かなり高いよ~この中。
周囲の石も小さい石の積み重ねではなく、ごろんごろんな一つ石を
組み合わせているものばかりだし。
はて、こんな石何処から持ってきたの?と思ったら、
再び「お~う~!(王さま!←批難の的)」です。
この二日間ですっかり、トップに居座るひとの苦悩よりも、
下々のヒトの苦労の方が身にしみて判った実地研修なのでした。

つぎなる目的地へ徒歩でテクテクしていると、若干登り気味なのだけど。
昨日の今日なので、へっちゃらかんがありあり。
まだ耕作準備がしてない田んぼ脇の道を歩きながら
「こんもり」「こだかい」土くれを見ると全部古墳に見えてくる(笑)
前方に3mほどの土饅頭が見えてきたから、
「これも古墳だよね~古墳・古墳★」
といえば朱雀氏が
「これも古墳です」
ほらね(笑)当た~りぃ♪←そういうレベルか。
保昌塚古墳って名前まであって、
天理大学歴史研究会でちゃんと調査されているとのこと。

奈良はちょっと掘ったら何が出てくるか判らないし、
ちょっと盛り上がったら墓かも~ってレベルだから、
ここに新築でもの立てるのって大変だろうなあ。
(個人が建築物を建てる場合は何か出てきても市町村レベルで調査してくれるけど、
商売で建築物を建てる場合に何か出てきちゃったら、調査を自費でしなくちゃいけないし、
出てきたもののレベルによっては「売り物」にならないこともあるしね)

次なる古墳は峯塚古墳。
雑木林というか竹林の中にあって、おお、開口部がって感じの古墳。
あまり奥に入ったところでもないし、そんなに薄暗くもないので、
一人で来ても腐乱死体になることはない場所とは思われる(謎)
ここは石室に入れるとのことで、ゾクゾクと中へ。
外の光もなんとか中に届く手度の暗さ(明るさ)

ここも巨石に囲まれた石室だけど、今度は天井があるせいか圧迫感がある。
けど、広々なので閉所恐怖症の私でも、ここなら閉じ込められても平気かも。
(いやそういう問題じゃない)

その次が農道の中から見えてきた小山。
西乗鞍古墳。
前方部と後円部が近接していて、フタコブラクダや、馬の鞍のように
見えることから「乗鞍」と呼ばれてる。

その西乗鞍に登る前に、麓(笑)の部分でお昼のご飯とあいなりました。
本日は昨日とはうって変っての快晴なので、
ワレワレ女性陣は日陰を求めて木の下のベンチを占領(笑)
なぎさんの手作り弁当はリッチかつ盛がよくて、
こんなにいっぱい食えるのか?と思いましたがモチロン完食★
ええ、腹は一杯になり、荷物は軽くなり、いい感じです。
後は足取りも軽ければいうことないのですが。

とりあえず、腹ごなしに乗鞍へ乗り込みです。
西乗鞍古墳は外側だけ見学の古墳。
中は掘られてないのでわからんらしい。
(別に入るのマニアじゃないからいいんだけど)

まずは高いほうから周囲を眺め、低くなっている鞍部分へ降り、
前方部に若かりし昭和天皇がここに来たという記念碑を見学。
残念ながら今では藪状態で、石碑があるわ~程度のものなんだけど。
ここに昭和天皇がこられたってことは、お供の方もいたわけで…。
今みたいに近鉄だの、新幹線だのが整備されている時代じゃないし。
ああ、またしても「御付のヒト大変」病が発症(笑)

西乗鞍を降りて、次は東乗鞍古墳へ。
ここは盗掘にあって、石室への開口部があるそうな。
みかん畑の中をつっきり、不思議な建物の脇をすり抜け、お地蔵さんに挨拶をしながら
竹やぶの中を入っていくとありましたありました。古墳って感じのもの。
確かに開口部はあるけど、ここ入るってか?!

入り口は狭く、ソンキョで入っても膝をつかないと入れなさそう。
その姿勢で進んで、数歩でそこから滑り台を降りる形で入るらしいのだけど、
昨日の雨で、入り口付近もドロ状態みたい。

先発の朱雀氏に誰も続くヒトがおらず。
そりゃそうだ。これは勇気がいるぞ。
「こういう時は若いヒトから!」ってことでショータさんが入り、
それが口火となって、ゾクゾクと入るミナサマ。
入った人から口々に「こりゃ入るべきだよ」との台詞が…。
ミイラ取りが木乃伊になる瞬間に立ち会いました。

しかし、私の今日の格好は「古墳もぐり」をするような格好ではなく、
しかもこのままの状態で、キレイな新幹線に乗って、大都市東京まで帰るという
重要な任務もあるのだよ。これが野良着で来てて、このまま帰宅するってんなら、
ドロドロになろうが、グチャグチャになろうが構わんのだが。
むむむ。
今回は残念ながら見送りジャ~。

したら中では「あのかるほさんがこないってんだから、よっぽどなことだ」
とか、云ってる声が。
どの、かるほか知らんケド★(オードリーかっちゅうの)

中には家形石棺があったようですよ。
まあ、こんな所まで掘ってしまう泥棒さんのパワーには脱帽だし、
暗闇の中懐中電灯つけて、ドロドロになりながら中まで探索してしまう皆様にもブラボーだわ。
『外観のみ見学可』
って書いてあるのに、中まで入ってしまう人々に乾杯♪(笑)

で。
しばし、古墳を忘れて山辺の道をテクテクと。
天理おやさと球場の前の道を通り、
皇紀2600年を記念して作られた新しい道って道しるべを左に折れて、
峠の茶屋「ひがし」が見えてきたら
そこから山道です。結構いい勾配。
とりあえず、暗峠の上り始めくらいの坂かな。

何もこんなとこを歩かなくてもいいのになあ>古代人。
もっと平坦な道でええやんって思ったのですが、
途中梅が咲いていたり、景色もなかなか良い。
この景色、万葉人も見たのかななんて、妄想を拡げると大いに結構。

山が開けたあたりが内山永久寺「跡」。
この内山永久寺。明治の廃仏毀釈でなくなっちゃったお寺だそうな。
明治なんていえば、飛鳥・奈良の時代から比べたら全然最近な感覚だけど、
ここにあったお寺がどんどん壊されて、今や畑の下になっている現状を見ると、
なんともはや、オソロシヤ。

興福寺も廃仏毀釈の時に、坊さんでは生きていかれへんからって
神官になって春日大社に転職したヒトがいたって聞いたけど。
ここの坊さんもそれにもれず、石上神宮の神官になって生き延びたらしい。
しかし、たて看板になっている寺の絵図が残っていたから、
当時の隆盛を極めた頃の姿を想像できるものの、これがなかったら、
伝説となった寺なんて判らんちゅうもんです。
(まだ、伝え聞きで記憶しているヒトはいるかもしれないけど)

その跡地ではおなじみの発掘風景が見られました。
連休の中日だってのに、お仕事とはお疲れ様です。
(まあ土曜日ではあったけどね。でも半ドンですらないのか)

休憩施設の建築で掘ってみたら、こんな状況ですから~ってことで調査中らしい。
調査後は当初の目的どおり、トイレ施設なんかになるらしい。

バイパス道を渡って、最後の目的地石上神宮へ。
ここからの道もまだまだ厳しいぞ。

池のわきの道を抜けて(池っていうか、あのこんもりは古墳かな?の外周なのかも)
横道から石上神宮へ侵入に成功。

すぐに見えてきたのが、摂社・出雲建雄神社の拝殿。
しかしここは先日放火の被害にあっており(怒)、
階段の前に「立ち入り禁止」看板がぶら下がっていた。
まあ、ぐるっと回って本殿の前に出ればそっちからは登れるのでいいのだけど。

みれば何箇所か黒くこげたところがあって痛々しい。
国宝になんてことしてくれんねん!
そんなヤツは○刑じゃ!!

楼門の向こうは拝殿。
今日も無事に歩けましたと御礼のお参りをいたしました。

しかし、石上神宮っていえば、国宝・七支刀だったり、
古代の武器庫だったり、物部氏だったりするわけだけど。
予想に反して「こじんまり」って感じが否めない。
初めて来た時は「え?ここだけで終わり?」
という気持ちを禁じえなかったわいさ。

もっと、デーんと、バーンと、巨大なものを思い浮かべていたのに。
このギャップ。ちょっと期待はずれでしたっけ。
まあ、橿原神宮とか、明治神宮とかの、あと作りのものを
念頭においちゃだめってことですねそうですね。

以上で本日の予定は無事終了しました。
そこからはオプショナルツアーへ突入。

明日は纏向遺跡で現地説明会があるってことなんだけど、
どうやら天気が怪しいらしい。どうせならば今から行っちゃえ!
ってことでそちらへ出かけるグループも。

私は前々から行きたかった天理参考館へなぎさんとともにGO。
天理参考館は、天理教が世界各国に布教をしていくうえで、
現地の風俗・習慣も知らねばならんっていう必要性から、
それぞれの地域の人々の生活や歴史を知りるために、
入手した文物を一般に見せてくれてるってもの。

一・二階は世界の生活文化。三階は世界の考古美術。
韓国・中国・台湾あたりの文化はなんとなく馴染み深いものだけど、
その他の地域はあまり馴染みもなく、まさにエキゾチック。

ここは閉館が早い(四時半)ので、最後の方は
ちょっと駆け足になってしまったけど、
お宝をたくさん見られて良かったです。

本日のピクニック予定も無事終了。
帰りは天理商店街を通って、天理キティをゲットするため、
おうちへ徒歩にて帰る(笑)なぎさんとは途中でお別れ。
お世話になりました。また寄せてね♪

無事商店街の中で天理キティをゲットし、
(鹿せんべいキティはゲットできなかったので近鉄奈良駅前でゲットした)
奈良でのミッションもすべて完了です。

今回は優雅に新幹線で帰って来いとのお達しがあったので、
学割を駆使して「新神戸」から帰ることに。

へ?と思ったみなさん、使えるものは何でも使え、でしょう。
奈良大の卒業式に出席だけど、帰りは新神戸からの乗車でも
大丈夫だったよ>JR西日本。

それというのも、近鉄と阪神を一直線に結ぶ線、
「阪神なんば線」が前日に開通したから~。
それに乗ってみようと思って~(笑)

私が奈良に住んでいるときにこんなものがあったら、
もっと頻繁に甲子園に通えたのになあ。
(って甲子園には二回しか行ったことないけど)
なので、天理からJRにて奈良へ移動し、
市中を眺めながら、近鉄奈良へ向かい、
そこから奈良-神戸を電車に乗って体感しようってワケだ。

もう今となっては、奈良から神戸へ移動することはないわけで、
このチャンスを逃すといつ乗れるか判らん…ていうか、
乗る必要ないやろ、になるわけで。

で。
最後の最後までドタバタしながら、東京へ帰り着きました。
(そのドキュメントは、→こちらで。結構無茶しました★)

この三日間、奈良を堪能しました。
現地でお世話になったみなさん、ありがとうございました。
また、一緒に「おべんきょ」しましょう。
※え?もうイヤだって?今度は平地を歩くからさ~★

楽しい『卒業旅行』でした♪
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