朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
※毎週土曜更新を目標にしています。

松竹座「渡海屋・大物浦」

2012年08月05日 09時21分55秒 | 歌舞伎・文楽
前日に「荒川の佐吉」と併せて見ようと思ったが既に売り切れていたため、
次の日、改めて「渡海屋・大物浦」を見に来た。
吉右衛門の知盛が目当て。

明礬の人足の会話の後、
義経を追いかける「頼朝の家来」だという連中が「舟を出せ」と言ってくる。
そこに船問屋の主銀平が帰ってきて追い返す。
実はこれは、義経に銀平らが味方だと信頼させるための計略で、
その後銀平は知盛の正体を現す。

その後海沿いの仮御所で注進を受ける場面があり、
知盛の立ち回り、
最後は安徳帝を義経に託して碇を持って入水する。

吉右衛門は渡海屋の場面が良かった。
この場面、世話物の場面ではあるのだが、時代物のハラがベースに必要だと思う。
吉右衛門の銀平は基本的に糸に乗りつつ、
微妙に世話らしく崩すバランスが快い。
鎌倉方の侍に対し、商人っぽく下手に出る感じ、
逆に上から押さえる決め付け方、
このあたりの緩急の付け方が良かった。

それに比べると、立ち回りや恨みを持っての述懐はあまり良くないな。
安徳帝を委ねるあたりの改心の調子は良かった。
ただそれでも、渡海屋の素晴らしさに比べると不満。
身を隠してまで義経を討とうとした恨みや執念があまり感じられないせいかな。
ここが浅いと、後で安徳帝を委ねる転換も効かないし、
碇を持っての入水にしてもカタルシスが弱くなると思う。

魁春の女房はまあまあ。
この場面よりも、正体を現した後の展侍の局の高貴な雰囲気の方が良かった。
ただ、仮御所の場面ってよく分からないんだよなあ。
知盛の苦戦を紹介する、というだけのような感じ。
また、大物浦で自死するあたりも理由や目的がよく分からなかった。
別に死ななくても、安徳帝を義経に委ねることはできたのでは、と感じてしまう。
これはテキストの問題。

歌昇が襲名披露ということで、
仮御所の場面の戦物語を見せる。
いかにも若々しく、溌剌として悪くなかった。

梅玉の義経は貴種流離譚の主人公らしい品位、
思慮の深さがあって良い。
歌六の弁慶は四天王の一人、という程度の雰囲気で、
役者不足かも知れない、と感じた。
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文楽と橋下

2012年07月27日 09時35分16秒 | 歌舞伎・文楽
橋下・大阪市長「文楽、演出不足だ」 古典鑑賞後に苦言- 毎日jp(毎日新聞)


確かに橋下は市長選で勝利したが、
別に文楽の芸術性やら方向性やらを指示・命令して欲しくて
市長選に勝たせた訳ではない。
そんなこと、公約にもマニフェストにも書いていないだろ?
その点では、別に市長といっても市民の代表者ではない。

そして大阪市の財政立て直しにおいて、
別に文楽の内容が市長様個人に受け容れて頂けるかどうかはどうでも良い。
「古典芸能として守るべき芸」と判断できればそれで充分。
それを客ではなく市長の立場で「演出不足」云々するのは、
伝統芸能であろうがなかろうが、
一生をその芸に賭して何がベストかと考え、生活している人に対して、
予算を持っているのをいいことに札びらで頬を張る行為であり、
無礼千万でしょう。
対する藤蔵のコメントは冷静であり、
(芸は兎も角、この点に関しては)好感が持てる。

「演出不足」と言っているが、それは難しいところ。
「曽根崎心中」は戦後のテキストであり、近代的に作られている方だと思う。
ただ基本的に、近代の理性的で「全てを表現し、伝える」手法に対して、
文楽などの日本の伝統芸能は「客に想像してもらう」ことで
より豊穣な世界にしようとするところに特色があると思う。
だから観客の経験や知識、思いによって受け取れるものは異なる。
増して、人間が表情を付けたり、リアルに人間を表現する芝居と違い、
「人形」が芝居をする文楽では、想像しなければならない範囲が広いのは当然。
まあ、橋下が「曽根崎心中」でさえ気に入らないのであれば、
夏休み第一部の「親子劇場」を見に行けば良い。
そうすれば、如何に文楽協会が子どもに向けて市場を広げようと努力しているか、
垣間見えると思う。

と書きつつ、1人の文楽好きとしては、
文楽劇場に通う回数が減っているのは否めないところで。
それは、技芸員、特に大夫のレベルが落ちている、と感じるから。
越路大夫や津大夫はいないので、
そのレベルを引き継いでいるのは住大夫だけ、
同世代では嶋大夫、さらに源大夫がいる、という状況。
その下では呂大夫が夭折し、咲大夫や土佐大夫、伊達大夫、といった
ところになるのかと思うが、
住大夫と他の大夫の差が大き過ぎる、と個人的には思う。
何と言っても、義太夫は言葉が聞き取れてナンボ、と思うのだが、
その粒の立ち方にどうやっても超えられない差があると感じる。
それは「客に合わせる」云々ではなく、
声を出す素養、基礎訓練の積み重ね、
床本を読む力、表現する力、といったレベルの話。
学歴社会が進んでいること、
小さい頃から義太夫に触れる環境ではないことを考えると、
このあたりは最早失われていく芸に対する繰言かも知れないのだが。
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松竹座「荒川の佐吉」

2012年07月27日 08時16分33秒 | 歌舞伎・文楽
月曜日は11時過ぎに松竹座へ。

昼の部最後の「荒川の佐吉」と夜の部最初の「義経千本桜」を幕見で見ようと思ったのだが、
「義経千本桜」は既に売り切れ。
「荒川の佐吉」も最後の1枚、になっていた。
辛うじて購入し、いろいろと時間つぶしをしていた。

「荒川の佐吉」を見るのは初めて。
仁左衛門の佐吉、新又五郎がその友人の大工辰五郎、
佐吉の後見になる相模屋政五郎に吉右衛門が付き合う。

真山青果の作品で、
任侠ものに「親と子の別れ」を絡めた、言わば「義理と人情」のせめぎ合い、
そこに近代的な理性的な台詞も絡んだ、なかなか興味深い作品。
最初の浪人者は梅玉なのだが、
佐吉の「勝つ者が強い」在り方を耳にしてそれに魅かれた、
恐らく何か道理を無理で抑えつけられた挙句主に離れた浪人が
斬る、という理由付けからして、
近代的な自我やら自分の在り方やら、といった思想が出ているように思う。
或いは佐吉が眼の見えない子について語る「心の眼が開こうとしている」というあたり。

筋としては、佐吉の親分にあたる仁兵衛に2人娘がいる、というところが
若干分かりづらかった。
1人は「丸惣」という大商家に奉公してそこで主の子を宿し、
もう1人が仁兵衛に付き添っている、ということなんやな。

何と言っても仁左衛門の佐吉が非常に素晴らしい。
ベースには任侠に憧れ、三下奴ではあるが親分に忠義を尽くす。
目の見えない「親分の孫」を引き取って養育することになるが、
甲州からの戻りが遅れた理由など、
根本的に子どもが好きであり、子をあやしたり、子について語る時の子煩悩な様子。
仇討ちの立ち回りの後、親分として見せる風格も良い。
子は可愛い、しかし義理も通さなければならない。
捨てた両親の反省や自分の可愛がり方が正しいのか、と疑問を持ち(ここは近代的)、
結局返すことになるがその際の「心で泣く」あたり、
非常に良かった。

これに絡む吉右衛門の政五郎が、またそれに勝る格を持つ親分。
仇討ちで立ち会う際の駕籠の幌を退ける際の声、様子。
その後、丸惣のお内儀に直った仁兵衛の娘を連れて
佐吉に説く際の話しぶり、声、動きなど。
或いは別れ際。
仁左衛門ののさらに上を行く大きさで、
この役がおさまり、説得力を持たなければ締まらん芝居だと感じた。

又五郎の大工辰五郎は狂言回しだが、
これも温かく。
佐吉の「人情」にあたる部分の強調・スパイスとして良かった。
歌六はあまり好きではないが、
この仁兵衛は、佐吉が何でこんな奴に仕えるんだ、
と理不尽さを感じさせる小さな親分であり、
この芝居では丁度良い感じ。
梅玉の浪人者も、青白い如何にもきりっとした悪人で、
声や姿から冷徹さが滲み出て良かった。
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通し狂言「絵本合法衢」

2012年04月18日 10時12分46秒 | 歌舞伎・文楽


先々週から先週頭にかけて、
青春18を使って東京・南東北を旅行してきた。

4日水曜に1日かけて東京に移動し、
5日木曜は国立劇場の南北の「絵本合法衢」の通し狂言。
仁左衛門の悪役二役を演じる芝居で、
去年、震災で中止になった公演の再演らしい。

芝居としては「お家騒動」もので仇討ちが軸となり、
そこに世話狂言を絡ませる。
仁左衛門はお家乗っ取りを企む分家の一門(殿様レベル、かな)「左枝大学之助」と、
その配下で市井の小悪党「立場の太平次」の二役。
序幕と大詰が侍、2幕目・3幕目が市井の小悪党で
それぞれも「悪」の魅力を見せる趣向。


序幕。

大学之助が主家の家老を殺害し、家宝を横領する。
この家宝がないことで主家の殿様がお咎めを受けて失脚し、
代わって自らが家を継ごう、という魂胆。

家老と仇討ちを誓うその弟は左團次で、
ここは「早替わり」で見せる。
正直、左團次は薄っぺらで好きではないが、
家老の実直そうな様子はまあまあ。

仁左衛門の「悪」を見せるところで
鷹狩の場面が入る。
孝太郎・愛之助の若い夫婦役。
この孝太郎に大学之助が横恋慕する。

愛之助の和事の役は、以前に比べて柔らかくなっていたと思う。
孝太郎も芯のあるところ、悪くなかった。

大学之助は悪の手強さはある。如何にも国を奪いそうな。
ただ、特にここは「女に横恋慕する」場面であり、
柔らかい、何とも言えない「色気」ももう少し欲しいかな、と個人的には感じた。


二幕目。

仁左衛門が今度は市井の小悪党を見せる。
ここに河原芸人の頭で、太平次に惚れている悪役の時蔵、
善人である女房役の秀太郎、
さらに道具屋の婿養子であり、実は大学之助に討たれた家老の弟にあたる愛之助が絡む。

仁左衛門の太平次は流石。
道具屋の場面での一見真面目そうな、
しかし裏では酷薄な悪役の動きや声からくる雰囲気が素晴らしい。

時蔵は少し堅く、
もう少し南北ものらしい爛れた味があっても良いかな、と感じた。
早替わり後の侍の妻役の方が、慎み深く、合っていたと思う。
ただここは早替わりで両役の違いを魅せるところだから、
前半の悪役はもっとこってりしていた方が良いだろう。

道具屋での強請りの場面がイマイチ盛り上がらなかったのだが、
その原因の一つはこの粘り気、退廃した雰囲気が弱かったためだと思う。
もう一つは、道具屋の養母など、周囲が受け流すようで、
あまり真剣に受け止める感じがしなかったためかな。
バランスの問題ではあるが。


三幕目。

倉狩峠(暗峠が元らしい)の太平次の家での場面がメイン。

ここも太平次の悪の描写がポイント。
二幕目と同様、ここでも当初善人風でありながら、
豹変し己の為に悪を働くあたりが面白い。
助けるふりをして愛之助を切る場面、
売って金に換えようとしていた女が誤って夫に切られ、
仕方なく夫婦にトドメを刺す場面など、
ある種の爽快感はある。


大詰。

仇討ちが叶わない左團次が、
傷の癒えない愛之助を弟と知らずに匿っている所、
大学之助がやってきて(左團次の居ぬ間に)愛之助を切る。
そこへ左團次が戻ってきて、愛之助が弟であることが分かり、
仇である大学之助を討つことを誓う。
その後、閻魔堂の前で腹を切って見せて油断させ、
大学之助を切って兄弟の仇を討つ、という場面。

ここは左團次が酷い、と感じてしまった。
「仇討ちが叶わない」煩悶も薄いし、
愛之助と兄弟と分かり、仇討ちを誓う心持も伝わってこない。
また、仇討ちでの立ち回りも気が抜けているように見える。
行き違った後、次に剣を交わすまでの間、休憩しているのでは?
目の前に仇がおり、何としても討たなければ、という切迫感が
感じられない。

愛之助は体が不自由で仇討ちができない悶々とした様子、
切られた挙句、最後は自ら腹を切る際の恨みなどが出ていて良かった。

仁左衛門は憎憎しさ、「国崩」の大きさがあり、流石。
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国立文楽劇場「加賀見山旧錦絵」

2012年04月17日 08時38分04秒 | 歌舞伎・文楽


今月は文楽劇場に行くかどうか迷っていたのだが、
先週の木曜、日経の夕刊で取り上げられていたのを見た。
それで行くことを決め、ネットで予約して
金曜の昼の部「加賀見山旧錦絵」を見ることにした。


「又助住家の段」

岩藤や尾上を巡る話はよく出るが、
「又助住家の段」が出るのは珍しいかな。
個人的に見るのは初めて。

前の段で又助は唆されて、浪人している主人の敵を討ったのだが、
実はそれが主君だった、ということを知らされる。
主人の手討ちに遭い、結果主人の帰参が適う、という話。
そこに主人のために身を売って金を作ろうとする嫁が絡む。

まあ、よくあるストーリーではある。
どこが「加賀見山」全体で岩藤や尾上に絡むのか、よく分からんな。
咲大夫の声は聞き易いが、穏やかで眠くなってしまった。


「草履打の段」

ここからは岩藤と尾上、お初を巡る話になる。

金の話をする商人が出てきて、最初「特に要らないのでは?」と感じたのだが、
その会話から尾上に対して「商人の娘」「下賎」といったところで
当てこすっていくんだな。
良く出来た流れ。

岩藤の松香大夫が憎憎しくて良い。
もう少し「今までから苛めている」慣れた感じも出ると尚良いか。
尾上の呂勢大夫も耐える作りが良かった。

人形はよく分からないのだが、
主遣いは兎も角、左や足に微妙な違和感があった。
動きのタイミングや高さが主と合っていない感じ。


「廊下の段」

お初の他の腰元衆との絡み、岩藤に苛められるところ。
その後岩藤がお家乗っ取りを企む侍と話をする場面になる。

英大夫は別に良いとも思えないなあ。
お初は勘十郎で、これも左と時にずれる。


「長局の段」

お初が尾上を迎えに行く。
長局で「忠臣蔵」を他所事にした諌め、
その後片や死を決意して用意し、片や案じつつ薬を煎じる。
お初が書を持って出たが、通行人の会話に不安堪らなく戻り、
尾上の死骸を抱えて泣き叫ぶ。

尾上の死を覚悟した動きと
不安を抱えつつ尾上の気を上げようとするお初の甲斐甲斐しい働き、
浄瑠璃、人形とも良かった。
源大夫はあまり好きではないのだが、
死を覚悟した澱みや沈鬱さが声質とも相俟ってよく出ていたと思う。

この段では、三味線の藤蔵が五月蝿く、耳障りだった。
掛け声、微妙に唸る声など、
ただでさえ聞きとり辛い源大夫の声が聞こえないではないか。
挙句何度も糸を切るようでは、何をか言わんや。
後の千歳との掛け合いは、まだしも、だが、
「女房役」であるべき三味線弾きが目立とうとしてどうする。
心根の入れ替えを期待。

お初の人形、女役だけど足があるんやね。
立役も女役もやる勘十郎であり、
豪快さと女らしさを上手く調和させていたと思う。


「奥庭の段」

お初と岩藤の立ち回り、
お初が岩藤を討った後で侍が入ってきて
「御家乗っ取り」の証拠の密書を受けてお初に「2代目尾上」を名乗らせる、というところ。

「長局の段」でお初が元々侍の娘である、という話もあるので、
そのお家再興、の意味もあるのか。
「再岩藤」を知っている身としては、
この「2代目尾上」に対して岩藤の亡霊が祟ろうとするのだな、と思ったり。

特に何も考えず、楽しく聞いていられた。


行くか行くまいか、と迷っていたが、
結果的には行って良かったと思う。
日経の「若手人形遣い」(和生、玉女など)を取り上げた記事に感謝。

ただ人形は主遣いだけでは深い表現はできない訳で、
昔「蓑助が綺麗だった」と言っても、そこには表に出ない左や足の奮闘がある。
この日は、左遣いや足遣いのレベルが落ちている、
あるいは主遣いと合わせての稽古不足では、と感じる部分が散見された。

現在のトップであろう顔ぶれの「帯屋」も見に行くかな。
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秀山祭@南座

2012年03月29日 07時22分31秒 | 歌舞伎・文楽


先週金曜は朝から京都南座へ行ってきた。

今月の南座は「秀山祭」として、
吉右衛門一座での「三代目又五郎・四代目歌昇襲名披露」公演。

あまり「襲名」には興味がなく、
単に芝居を見に行く、という目的。
ということで、「船弁慶」はいいや、と昼の部のみ見ることにした。

生憎の雨。
平日でもあり、2等・3等席はけっこう空いていた。
1等席はそこそこ埋まっていたのかな。


「元禄忠臣蔵・御浜御殿綱豊卿」

この芝居、何故か最近見る機会が多く、この2年間で3回目。
綱豊卿は仁左衛門と吉右衛門で見ている。

今回は愛之助の綱豊卿。
天下を思いつつ、放蕩するあたりの空気が
声色やテンポ、強弱の付け方もあって良い。
高い声を出す際、時にやや裏返ることがある点、
最後の場面で助右衛門を押さえ付けて調子よく畳み掛ける場面で
出の台詞が早く、若干聞こえづらかった点
(出の台詞は少しペースを下げ、徐々に上げていくのが良いと感じた)はあるが、
助右衛門との問答の調子など、全体には満足。

助右衛門は錦之助。
一昨年萬屋から播磨屋に戻したのは歌六・歌昇(今回又五郎襲名)あたりだけで、
時蔵や錦之助は萬屋のままなんやね。
特に悪くはなく、安心して聞いていられた。

歌六の新井勘解由(白石)が、今まで見たこの役の中では一番良かったかな。
綱豊卿の先生にあたる思慮深さと、
役柄としては綱豊卿を立てる必要があると思うのだが、
綱豊卿が若い愛之助ということもあってか、
落ち着いた雰囲気が出ており、上手くバランスがとれていたと思う。
個人的には、歌六はあまり良い役者と思っていなかったのだが、
最近いいな、と思える舞台が続いている気がする。

壱太郎のお喜世は、どうにか女形としての声、動きを出そうとしており、
その点はまあ良いのだが、
裾を合わせたり歩いたりといった、ごくちょっとした動きが女性に見えない。
それを見ると、芝雀の江島は特に良くも悪くもないが、
ごく自然に動いているので安心して見られた。


「猩々」

軽い舞踊。
猩々が飲んで酔っていく動き、何となく陽気な雰囲気で楽しめた。

「御浜御殿」ラストの綱豊卿の扮装と
猩々が被っているような気がしたが、
あまり気にしなくて良いのかな。


「一谷嫩軍記・熊谷陣屋」

今回の目当て。
吉右衛門の熊谷次郎直実。

村の連中の「一枝切れば一指」の会話で幕開け。
藤の方や景高の件はなく、直実の入りから。
このあたりの件を入れなければ分かりづらい部分もあるが、
全体の時間を考えるとやむを得ないか。
歩く際の表情や桜を見る際の憂い・迷いを籠めた様子など、
若干クサい部分はあるが分かりやすい。

上がっての相模との絡み。
相模は芝雀で、
一歩引いて熊谷を立てつつ、
母親として心配するハラが明確で良かった。

敦盛が討たれたと聞いて藤の方が出、
世話になった熊谷がそれを抑えつつ、「物語」。
ここが見所になると思うし、声音や強弱の付け方、
藤の方に聞かせつつ相模にも聞かせなければならないあたり、流石と思う。
ただ、まだ私がこの「物語」の意義をよく分かっていないな。
もう少し聞いていきたいと思う。

義経が出、首実検。
首を見ての相模の愁嘆、抑える熊谷の動きなど、分かりやすい。
「偽首」を見るあたりの義経の感情はよく分からないな。

首を受け取っての愁嘆など、
相模がけっこうメインになる芝居なんだな。
このあたりの芝雀の表現、
侍の女房らしいベースは崩さず抑制が利いており、
その中での心底から湧き出る悲しみが感じられて良かった。

梶原平次が飛び出し、それを弥陀六が討つ。
梶原平次が来る場面が仕込まれていないので、
流れを知らないと分かりづらいかなあ。
弥陀六の歌六、石屋の親爺である内から何となく裏を感じさせて良い。
見顕されて侍に戻り、糸に乗っての動きも悪くなかった。
ただ、ここは前段の御影での場面があった方が良いのだろうな。
何故、弥陀六が鎧櫃に敦盛を隠して持って帰るのか、など、
前段があった方が分かりやすいだろう。

又五郎の義経は特に目立たず、
きっちりと筋を運んでいた。
まあ、この役で目立つべきではないだろうな。

「16年は一昔」、
幕外で遠鐘を聞いて一瞬侍に戻り、また僧形に戻るあたり、
ハラがしっかりしているから
台詞・動きも明確になっているのだろう。
最後の引っ込みのあたり、
自分の子のみならず、戦場で自分が殺した者の声を聞いているのかな、と
ふと思った。

最近台詞を言い淀むことが多く気がかりだった吉右衛門だが、
今回は特になく。
全体に重厚で、非常に満足。
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さようなら、京屋

2012年02月24日 08時47分53秒 | 歌舞伎・文楽
中村雀右衛門さん死去:「女形の美」大成 苦難乗り越え - 毎日jp(毎日新聞)

雀右衛門が亡くなった。
91歳、というから、歳に不足はないし、
最後は殆ど舞台に上がっていなかったから、
ある程度諦めてもいたのだが、
せめて口上だけででも
新しい歌舞伎座の舞台に上がって欲しかった。

私が歌舞伎を見始めた頃、歌右衛門・梅幸は既に亡くなっていた。
芝翫はそのような役柄でもなかったので、
三姫や若い役は雀右衛門で見ることが多かった。
声にしても姿形にしても、年齢を全く感じさせない美しさで、
良い意味で「化け物」と感じていた。
さすがに最後に見た「けいせい浜真砂」は、
声に衰えを感じたものであったが。

応召・復員したこと、
女形として再出発したこと、
途中で映画の世界に走ったこと、
などが「雀右衛門」という(血縁的には何の関係もない)芸名を
襲名することにつながったり、
「アプレゲール」と言われたり、
ジムに通って晩年まで美貌を失わせず、舞台に立たせたことにつながったり、
と様々な意味で奇異な役者人生につながったのだろう、とは思う。

雀右衛門がらみの本、また読んでいこうと思う。
※画像をクリックすると楽天のページに飛びます

【「私事~死んだつもりで生きている~」】


【渡辺保「名女形・雀右衛門」】
(楽天では売り切れているようですが、敢えて。)


合掌。
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松竹座夜の部「すし屋」

2012年02月21日 10時44分24秒 | 歌舞伎・文楽
26日まで、と考えると、意外に空いている日が少ないことに気付き、
昨日は松竹座に行ってきた。

12時頃に幕見席のチケットを入手。
歌舞伎座でよく幕見で見ていた身としては、
「2500円」という幕見料金はちと高い。
席は確かに悪くないのだけど、
若干、人気を良いことに暴利を貪っている感、なきにしもあらず。

本を読んだり、道頓堀をうろうろしたりして時間をつぶす。

夜の部1幕目「すし屋」。
愛之助のいがみの権太、染五郎の維盛、壱太郎のお里、
歌六吉弥の弥左衛門夫婦、といった顔ぶれ。
獅童が景時で付き合う。

愛之助の権太は流石。
上方風の演出かな。
母親に泣きつくところ、モドリの述懐など、
若干クサいかな、と感じるところはあったが、
まあ、分かりやすく作っていた。
若葉の内侍と六代の君(実は妻子)を引き連れてくるところ、
顔を上げさせるところ、引き立てられて見送るところ、
感情が籠っていて良かったと思う。
これまたクサいと言えば、クサいとも言えるが。

染五郎の弥助実は維盛は、まあ、普通。
弥左衛門に上に据えられて平家の御曹司に戻る際の
空気が変わり方が良い。
全体に行儀良く、特に突っ込まずに演っていて良かった。

歌六って今まであまり良い印象がなかったのだが、
弥左衛門は良かった。
帰ってきて首を鮨桶に詰めるまでの糸への乗り方など、
決して上手いとは思わないが、
武骨な年寄りの雰囲気はよく出ていた。
ただ、どのように重盛に恩があるのか、とふと疑問を持った。
きっちりしたところが強く、
ただの村人ではなく、以前は侍だったのかな、と感じてしまった。
若干「源平の争いとは何の関係もない市井の民が巻き込まれる悲劇」の要素が
弱まってしまった感じがする。

壱太郎は意識して見たのは初めてだが、
女形としての基本はまだ叩き込まれていないのかなあ。
クドキを初めとして、派手な動きや声音はそれっぽく作れているが、
ちょっとした手拭の扱い方や足捌きなどが女性的でない。

獅童の景時はどうってことはない。
顔を見せる程度の役。

ストーリーとして、「すし屋」はよく出来ていると感じる。
個人的には、「椎の木」から出すとさらによく分かると思うが。
弥左衛門が持ってきた偽首は
若葉の内侍を護って討たれた小金吾の首だったりする訳で。
もしかすると、権太が吹く一文笛も
「椎の木」で何か出てくる道具だったかも知れない。

また、景時が「頼朝の陣羽織」を渡すところから、
晋の豫譲の故事に因んでそれを切ろうとすると、
中から出家の用意が出てくるあたり、
よく出来た話だな、と思う。


値段は兎も角、まあ満足した。
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文楽初春公演

2012年01月24日 14時26分02秒 | 歌舞伎・文楽





第1部と第2部が入れ替わる直前の日、
文楽劇場に行ってきた。

あまり好天でもない平日だったが、その割には悪くない入り。
1等席は前の方はほぼ埋まり、全体で7割程度の入りか。
2等席は8割程度の入り。


「七福神宝の入舩」

特に何と言うこともない景事。
七福神それぞれが芸事を見せていく、というもの。

三味線の曲弾きや琴・胡弓など、色々あったが、
浄瑠璃としては別に大したものでない。
曲弾きは面白かったけど。

主遣いが顔を出しているのだが、
昔はメインの場以外は、主遣いでも黒衣を被っていなかったっけ?
七福神の顔とそれぞれの主遣いの顔が船の上に並び、
正直、ちと鬱陶しい。


「菅原伝授手習鑑」

「茶筅酒の段」は白太夫が喜寿の祝いで「名を許された」と言ったり、
三兄弟の嫁さんが祝いに向けていろいろ働いて見せる場面。
松香大夫は初めて意識して聞いたが、
聞き取りやすくて悪くない。

「喧嘩の段」は梅王丸と松王丸の喧嘩場。
「訴訟の段」で白太夫が戻ってきて、
「勘当してくれ」と言う松王丸を受け容れ、
「大宰府の菅丞相に付き添う」と言う梅王丸を叱る。

このあたり、「喧嘩の段」の文字久大夫、
「訴訟の段」の千歳大夫とも、
ちと聞き取りづらい。

あと、「茶筅酒の段」から共通で気になったこと。
白太夫は、既に桜丸に「切腹」を申し入れられているはずであり、
そのハラがあるべきだと思うのだが、
どうもそのベースが薄いように感じた。
1つの幕の内で太夫が替わる場合、
その後何があるか踏まえて語るべきだ、と私は思うタチなのだが、
そうでもないのかねえ。

切は「桜丸切腹の段」。
住大夫は少し声量が落ちており、三味線に負けているところもあったが、
情といい言葉の聞き取りやすさといい、
やはり別格と感じてしまう。
特に桜丸がいよいよ切腹するあたり。
白太夫は一度は止め、その後諦めて切腹を認めてはいる。
しかしいざ切腹の段となると、
やはり息子であるから諦めきれない、といった感情が湧出してくる。
このあたりのハラが流石。

桜丸は蓑助だが、個人的には蓑助が春に回って女形のクドキを見せ、
桜丸は勘十郎がやってくれれば、と思った。


「卅三間堂棟由来」

文雀のお柳。
考えたら、前見たときも文雀は「葛の葉」をやっていた気がする。
柳が切られる音を聞いて崩れるお柳、
少し動きが乱れていたような気がする。

睦大夫、津駒大夫とも、
やはり聞き取りづらいところはあちこちに。
「字幕を見なくても(意味は兎も角)何と言っているか分かる」が
私の「聞き取りやすさ」の基準なのだが、
この基準って無茶なのかなあ。

「木遣り音頭」は「浄瑠璃息子」の最後で出てくるので、
その耳で聞いていた。


15時頃終演。
「文楽嫌い」と公言している市長が何を聞いたのかは知らないが、
演題・演奏ともあまり良くないものを聞いたのではなかろうか。
個人的には、この「桜丸切腹の段」レベルのものを聞いてから
判断して欲しい、と思った。
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修禅寺物語@松竹座初春大歌舞伎

2012年01月22日 20時26分53秒 | 歌舞伎・文楽
先週木曜、松竹座に行ってきた。

昼の部、「修禅寺物語」のみの幕見。
天気も悪く、幕見席の客は私を含めて2人だけだった。

我當の面作り夜叉王、扇雀の姉娘、吉弥の妹娘、
海老蔵が頼家。

最初の姉妹の会話、
この姉娘の「職人」への忌避や高貴なものへの憧れが出る場面。
まあまあ出ていたようにも思うが、
如何せん扇雀が歌舞伎らしくない。
喋り方と言い、歩き方と言い。
吉弥とえらい違い。

ここに職人の弟子である進之介が出てくる。
これも歌舞伎らしくない言動だが、
まあ、一本気なところを出せば済む役だからどうにか見られた。

夜叉王の出。
扇雀や進之介に比べれば余程聞けた。
ただ、冷静に見ればその腹の薄さは否めないわな。
足の具合があまり良くないらしく、そこは気の毒ではある。

頼家が出てくる。
一遍に舞台の空気が変わるところは流石。
声や間など、癇症なこの役によく合っていると思う。
我當が面を渡さなかった説明をするが、
「死相が出ている」ことは言わないんだな。

面を受け取った頼家と姉娘が歩き、
北条方の侍とのやり取り。
このあたりの海老蔵の雰囲気は良かった。

面を着けた姉娘が戻ってきての話、
死に瀕した姉娘の表情を描こうとする夜叉王、
このあたり、テキストの緊迫感が全く伝わってこない。
扇雀の話し方・動きは、死にかけているように感じられない。
技術がなさ過ぎるのかも知れない。

我當の夜叉王も、自分の娘が死にかけている、
しかし「職人」「芸術に生きる者」として
それを受け止めつつ自分の技芸に生かそうとする
業に塗れた者だと思うのだが、
そのような腹・内面が伝わってこない。

台本面からはこの芝居が良い芝居だと確認でき、
海老蔵については、まあ満足できた。
ただ夜叉王などは、他の顔ぶれで見たいと思う。
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