「マンガ規制条例可決」で表現を殺さないために - 保坂展人のどこどこ日記
結局「東京都青少年健全育成条例」なる条例が成立した。
そもそも「表現の自由」をはじめとする人権は、
声があろうがなかろうが、
多数が認めているからそれで規制してOK、という種類のものではない。
例えば、「治安維持法」について、
戦前戦中の国民の殆どは反対しなかっただろう。
ではそれが正しかったのか。
歴史は何を語っている?
そして一度制定された法規は、
当初語られていた以上の制約を国民に課してくる。
最近の「日の丸・君が代法案」にしてもそうだし、
元々「社会主義」「共産主義」を抑える名目だった治安維持法は、
反軍主義や親英米的な発想を取り締まるために適用されたなかったか?
今は当時とは違う、と思うかも知れないが、
石原の「問答無用」で
その規制がどの程度「青少年の健全育成に資するか」の議論なく、
感覚に訴えて「まず規制ありき」で進める姿勢を見ていると、
近い将来の拡張解釈・類推解釈の繰り返し、
「いつか来た道」を危惧してしまう。
何といっても国会の「付帯決議」があったのに
日の丸・君が代に反対する教員に懲戒処分を課している実態がある訳だし。
このあたりへの危機感の低さが気になる。
まずは、条文どおり解釈すると、
予想もしていないマンガも取り締まられる可能性がある。
また、このような、「自分が理解できないから、不気味だから」規制する、
という発想そのものが危険だと思う。
今後同様に、
他人がいきなり「お前の価値観・表現・思想は不気味だ、取り締まる」と
言ってくる恐れを想像しないのか?
談笑「片棒」風に言うと、
「次は、お前だ!!」。
頭を離れない歌(音量注意)。
…結局「政府」「権力」に対して
「自由を奪いにくるかも知れない」と警戒する意識があるかどうか、
というところなのかなあ。
歴史を今に引き寄せず、
警戒感を持たない人間に対しては、
何を言っても無駄かも知れない、と諦めつつある。
結局「東京都青少年健全育成条例」なる条例が成立した。
そもそも「表現の自由」をはじめとする人権は、
声があろうがなかろうが、
多数が認めているからそれで規制してOK、という種類のものではない。
例えば、「治安維持法」について、
戦前戦中の国民の殆どは反対しなかっただろう。
ではそれが正しかったのか。
歴史は何を語っている?
そして一度制定された法規は、
当初語られていた以上の制約を国民に課してくる。
最近の「日の丸・君が代法案」にしてもそうだし、
元々「社会主義」「共産主義」を抑える名目だった治安維持法は、
反軍主義や親英米的な発想を取り締まるために適用されたなかったか?
今は当時とは違う、と思うかも知れないが、
石原の「問答無用」で
その規制がどの程度「青少年の健全育成に資するか」の議論なく、
感覚に訴えて「まず規制ありき」で進める姿勢を見ていると、
近い将来の拡張解釈・類推解釈の繰り返し、
「いつか来た道」を危惧してしまう。
何といっても国会の「付帯決議」があったのに
日の丸・君が代に反対する教員に懲戒処分を課している実態がある訳だし。
このあたりへの危機感の低さが気になる。
まずは、条文どおり解釈すると、
予想もしていないマンガも取り締まられる可能性がある。
また、このような、「自分が理解できないから、不気味だから」規制する、
という発想そのものが危険だと思う。
今後同様に、
他人がいきなり「お前の価値観・表現・思想は不気味だ、取り締まる」と
言ってくる恐れを想像しないのか?
談笑「片棒」風に言うと、
「次は、お前だ!!」。
頭を離れない歌(音量注意)。
…結局「政府」「権力」に対して
「自由を奪いにくるかも知れない」と警戒する意識があるかどうか、
というところなのかなあ。
歴史を今に引き寄せず、
警戒感を持たない人間に対しては、
何を言っても無駄かも知れない、と諦めつつある。