日曜は動楽亭へ。
開場15分前に着いたら、既に外まで並んでいた。
これは久し振り。
結局80人程度の入り。上手側の障子も開けていた。
「口合小町」(小鯛):△+
出丸の会で聞いた時と同様の「バイク尽くし」のマクラ。
ネタは、特に悪くなかったと思うのだが、
ウケはあまりなかった。
「リズムが良い」と言うより、
「流れている」と感じられてしまったためかも知れない。
「猫の茶碗」(ちょうば):△
値札の話など、骨董のマクラを振ってネタへ。
「掘り出し物がある」と聞かされて四国までやって来たのだが、
お寺で結局大したものもなかった、という箇所から入る。
バス停に辿り着いた時の徒労感が仕込んであるので、
逸品を見つけた時の喜びが大きくなる、というあたりが分かりやすいテキスト。
猫を可愛がるところがやや弱い。
もう少しクサくやっても良いかも。
その方が主が茶碗の由来を知っている際の落差が大きくなると思う。
陽気でないので、あまり好きになれないネタだが、
この演者の引いた味には合っていたと思う。
「身辺雑記」(わかば):△+
上がった時から顔が赤い。
本当に酔っ払いだった。
小声で「酔っている」話をグダグダしているのだが、
後ろには恐らく聞こえていないだろう。
前の客に話し掛けたり、
「いらち俥」や「片棒」に入り掛けたりするのだが、
如何せん酔っていて出てこない。
ムチャクチャ。個人的には非常に面白かったが。
演芸場で「酔って上がる」というのはこういうことなんだろうな、と思った。
結局10分くらいで降りた。
この人の落語は好きでないので、
まあ、こんな高座で逆に良かった。
今まで見た彼の高座の中では一番良かったかも。
「天狗裁き」(米團治):△+
わかばに軽く触れ、尼崎の話をして夢のマクラからネタへ。
わかばはもう少しいじれたと思う。
尼崎の話は面白かった。夢のマクラは普通のもの。
ネタは、うーん、コントっぽいというか何と言うか。
登場人物が不自然。リアリティがない。
それは宥めるところから「夢の話を聞こうとする」ところへの転換が激しいこと、
私の感覚では「雑」と感じる。
最初はどうでも良い、と思っているのが、次第に「聞きたい」思いが募ってきて
ついには思いの発露として「夢の話を聞きたい」と言い、
言わない男に対して怒りを持ったり罰を与えたりする、という感情の変化が
必要だと思っているのだが、
そのような微妙な変化は全く見せない。恐らく、やろうともしていない。
この感情の変化の現われが繰り返しになる訳で、
「聞きたい」と言うまでの、思いが微妙に出た照れ隠しの行動で
クサくせずにウケを取るべきだ、と思うのだがなあ。
おかみさんの泣くところや隣の男や家主の怒る場面は誇張されており、
激しくて面白かった。
天狗の喋りだしは「この世のものでない」雰囲気で悪くなかった。
止める時の上下、止める人間を常に下に置いていた。
「止める」行為が「間に入る」ことからすると変だが、
後の入れ替わりなどを考えると分かりやすいので、
これはこれで良いかな。
「馬の尾」(ざこば):△+
先代南天についての思い出話からネタへ。
自分の家の前に偶々止まった馬の尾を抜くのではなく、
近所の一杯飯屋の前に馬がいるのが分かっているから
出ていってそこで抜く。
友人に見つかり、そこで友人に飲ませる、という設定。
友人も「焦らす」と言うより、
「自分も心配している」様子を見せる。
抜いた男も友人も泣きかけており、
ここにざこばの感情が強く出ていた。
お土産に「うなぎ」を持ち帰る、という設定から
「うなぎの尾」と言い間違えてしまうのは
この人らしい、と言えばらしい。
そのためにサゲでウケなかったが、
まあ、仕方ないか。
「動物園」(南天):○
師匠の話、ラジオショッピングの話から
最初「阿弥陀池」に入るが、
新聞の辺りで「合わない」と言って改めて「動物園」へ。
好きなネタなのだろう、非常に楽しげにやっていた。
最初の仕事に行くまでの紹介の場面はあっさりと。
「条件があります」と言っていくところはなし。
ここで紹介状を受け取っていたのだが、
後で渡していなかったように思う。
別に紹介状を渡す必要もないだろう。
毛皮を着る動作と虎が歩く稽古は、非常に詳細に拘ってやっていた。
チャックがなかなか上がらない、挟む、や
歩き方で一度足を引く、など、
いろいろオリジナルを入れていた。
パンの場面もこってりと、いろいろ喋らせていた。
このネタで「子どもに喋っている声が親に聞こえるのでは」とか考えても
仕方ないだろうな。
開場15分前に着いたら、既に外まで並んでいた。
これは久し振り。
結局80人程度の入り。上手側の障子も開けていた。
「口合小町」(小鯛):△+
出丸の会で聞いた時と同様の「バイク尽くし」のマクラ。
ネタは、特に悪くなかったと思うのだが、
ウケはあまりなかった。
「リズムが良い」と言うより、
「流れている」と感じられてしまったためかも知れない。
「猫の茶碗」(ちょうば):△
値札の話など、骨董のマクラを振ってネタへ。
「掘り出し物がある」と聞かされて四国までやって来たのだが、
お寺で結局大したものもなかった、という箇所から入る。
バス停に辿り着いた時の徒労感が仕込んであるので、
逸品を見つけた時の喜びが大きくなる、というあたりが分かりやすいテキスト。
猫を可愛がるところがやや弱い。
もう少しクサくやっても良いかも。
その方が主が茶碗の由来を知っている際の落差が大きくなると思う。
陽気でないので、あまり好きになれないネタだが、
この演者の引いた味には合っていたと思う。
「身辺雑記」(わかば):△+
上がった時から顔が赤い。
本当に酔っ払いだった。
小声で「酔っている」話をグダグダしているのだが、
後ろには恐らく聞こえていないだろう。
前の客に話し掛けたり、
「いらち俥」や「片棒」に入り掛けたりするのだが、
如何せん酔っていて出てこない。
ムチャクチャ。個人的には非常に面白かったが。
演芸場で「酔って上がる」というのはこういうことなんだろうな、と思った。
結局10分くらいで降りた。
この人の落語は好きでないので、
まあ、こんな高座で逆に良かった。
今まで見た彼の高座の中では一番良かったかも。
「天狗裁き」(米團治):△+
わかばに軽く触れ、尼崎の話をして夢のマクラからネタへ。
わかばはもう少しいじれたと思う。
尼崎の話は面白かった。夢のマクラは普通のもの。
ネタは、うーん、コントっぽいというか何と言うか。
登場人物が不自然。リアリティがない。
それは宥めるところから「夢の話を聞こうとする」ところへの転換が激しいこと、
私の感覚では「雑」と感じる。
最初はどうでも良い、と思っているのが、次第に「聞きたい」思いが募ってきて
ついには思いの発露として「夢の話を聞きたい」と言い、
言わない男に対して怒りを持ったり罰を与えたりする、という感情の変化が
必要だと思っているのだが、
そのような微妙な変化は全く見せない。恐らく、やろうともしていない。
この感情の変化の現われが繰り返しになる訳で、
「聞きたい」と言うまでの、思いが微妙に出た照れ隠しの行動で
クサくせずにウケを取るべきだ、と思うのだがなあ。
おかみさんの泣くところや隣の男や家主の怒る場面は誇張されており、
激しくて面白かった。
天狗の喋りだしは「この世のものでない」雰囲気で悪くなかった。
止める時の上下、止める人間を常に下に置いていた。
「止める」行為が「間に入る」ことからすると変だが、
後の入れ替わりなどを考えると分かりやすいので、
これはこれで良いかな。
「馬の尾」(ざこば):△+
先代南天についての思い出話からネタへ。
自分の家の前に偶々止まった馬の尾を抜くのではなく、
近所の一杯飯屋の前に馬がいるのが分かっているから
出ていってそこで抜く。
友人に見つかり、そこで友人に飲ませる、という設定。
友人も「焦らす」と言うより、
「自分も心配している」様子を見せる。
抜いた男も友人も泣きかけており、
ここにざこばの感情が強く出ていた。
お土産に「うなぎ」を持ち帰る、という設定から
「うなぎの尾」と言い間違えてしまうのは
この人らしい、と言えばらしい。
そのためにサゲでウケなかったが、
まあ、仕方ないか。
「動物園」(南天):○
師匠の話、ラジオショッピングの話から
最初「阿弥陀池」に入るが、
新聞の辺りで「合わない」と言って改めて「動物園」へ。
好きなネタなのだろう、非常に楽しげにやっていた。
最初の仕事に行くまでの紹介の場面はあっさりと。
「条件があります」と言っていくところはなし。
ここで紹介状を受け取っていたのだが、
後で渡していなかったように思う。
別に紹介状を渡す必要もないだろう。
毛皮を着る動作と虎が歩く稽古は、非常に詳細に拘ってやっていた。
チャックがなかなか上がらない、挟む、や
歩き方で一度足を引く、など、
いろいろオリジナルを入れていた。
パンの場面もこってりと、いろいろ喋らせていた。
このネタで「子どもに喋っている声が親に聞こえるのでは」とか考えても
仕方ないだろうな。