日曜は「ひがしむき寄席」へ。
行くのは初めて。
近鉄奈良駅から商店街を通っていく。駅からも割と近い。
石段を上がったところにある、天井の高い、和風の教会。
「鰻屋」(生寿):△
マクラで学生時代の話や地域の話。
やっぱり元々奈良の人なんやね。
ネタは、まあ、きっちりやっていると言えば言えるが、
特に面白いものではない。
もう少しウケても良い、とは思った。
師匠の強弱、間の付け方をきちんと写しているが、
この人自身には生喬の濃さ・(ある種の)クサさがないので、
そこはどのような芸風にしていくか、
難しいところがあると思う。
「鬼の面」(出丸):○-
今回30回目、ということで雀三郎に「三十石」を依頼したらしい。
年2回ということは15年続いているのか。
「出丸の会」もだが、会を続けるこの人の力はけっこう凄いのかも知れない。
子どもの頃の遊び、といったところから
「昔の子どもは仕事をしていた」からネタへ。
無茶な入り方で少し笑ってしまった。
上手い下手で言えば上手くなく、噛むことも多いが、
登場人物が(バクチ打ちも含めて)皆良い人で、
それが出丸に合っていて快い。
細かいギャグなどは、聞き取りづらくて流れる箇所がけっこうあった。
「池田にかかってくる頃に日が暮れる」と言って銅鑼を入れているのだが、
箱を開けて鬼の面を見つけた時点で、
子守の仕事が終わった夜なのでは、と違和感を持った。
見張りが博打場に飛び込むあたりの科白回しはちと粗いかな。
「出た」と言われて、中の連中が特に確認せずに「警察」と思い込む方が
勢いが出て良いと思う。
サゲ前で携帯が鳴ったのが勿体ない。
これで客としても演者としても、集中力が途切れてしまっていた。
「三十石夢之通路」(雀三郎):◎-
高座がゆらゆら揺れるので一度降り、確認してまた上がる。
マクラは子どもの頃の話。
先日の「牛の丸薬」とは違う話で、軽く自然にウケをとる。
ネタは「京名所」「伏見人形」の件りはなく、
伏見の浜から。
軽く「寝牛」の説明、
ちょっとした癖の話(陶器から焼き芋、牛乳、鼻をかむ)は
若干クサく作っている。
船宿の2階で帳面を付けるところからして素晴らしい。
ウケを取るために特にクサくする訳でもなく、
それぞれの人物がそれぞれ自然にイチビって喋っている。
そこから船待ちの連中の退屈した空気が漂ってくる感じ。
番頭も言われ慣れている感じで、軽くあしらっていた。
妄想はかなり濃い目。
がぶる場面、「お女中」の家の場面とも
いろいろ設定を増やしていた。
「お女中」の家の場面で押し倒したり「お代官様」は少し行き過ぎかも知れないが、
まあ、この男ならばそこまで妄想しそう、と思えたので、
それはそれで良いか。
「お女中」が入ってくる前に男が「任せといて」と言うのは
分かりやすいな。
船歌はまあまあ。もう少し泥臭い方が好み。
船頭同士の会話、地上との会話の雰囲気が良い。
自然に船頭の日常が描かれており、
特にウケを取るために押す訳でもないが、きっちりウケる。
その後の枚方の藁打ち唄なども、のどかな農村の朝靄のかかった絵が浮かんでくる。
このような情景を浮かべさせられるのは何なのだろうな。
「こう演じれば、こう客が反応する、ウケる」という論理だけではなく、
ベースに演者自身が持つ微妙な感覚・情緒があるのは必要条件だろうが。