月曜、文楽劇場に行ってきた。
竹本住大夫の引退公演。
夜の部は二等は満席。
一等も土日は満席、ということで、平日に行くことにした。
そんなに良い席も残っていなかったが、
長い間見てきた住大夫の引退公演ということもあり。
三段目は「車曳の段」「茶筅酒の段」「喧嘩の段」「訴訟の段」と続き、
切が引退狂言の「桜丸切腹の段」。
切に至るまででは「喧嘩」の咲甫大夫、「訴訟」の文字久大夫が意外に良かった。
咲甫大夫は何となく、声などが咲大夫に似ている印象。
また、文字久大夫は以前のNHKの番組での住大夫にさんざん叱られているイメージや
その後聞いた際もあまり良くない印象があったのだが、
この日は言葉の粒立ちも声も良かった。
師匠の引退、ということで色々責任感などがあるのか、
というのは考え過ぎなのかも知れないが。
人形はやはり勘十郎が良い印象。
支える左・足も良いのだろう。
そして切の「桜丸切腹の段」。
床が回って住大夫が出てくる。
語り始める前に場所をずらすのだが、
それを手伝ってもらうあたり、何とも言えない感慨、淋しさを感じた。
衰えているとは言え詞章の粒立ち、
台詞に籠められた情愛、それが語尾の一文字一文字まで籠もっている。
このあたりは今でも他の大夫とレベルが全く違う、と
個人的には感じる。
ただ、聞いていて辛いのも事実。
特に台詞ではなく地で歌わなければならない部分は
音の高さが安定しない、或いは声が出ないのがしんどい。
それは聞く側よりも、恐らく住大夫本人が辛いだろう。
芸は成熟するが、それを支える肉体は衰えていく。
脳溢血から倒れて復帰し、
いつしか一つ一つの演目に別れを告げるように語りつつあったように感じていたのだが、
それも遂に終わりか、という感慨がある。
人形は蓑助の桜丸、文雀の八重。
住大夫の床と合わせて、少し前の切場の顔ぶれではあるが、
うーん、やはり蓑助も文雀も衰えている、という印象。
ただそれは二人の人間国宝の問題ではなく、
左や足の問題なのかも知れないし、
床の義太夫や三味線が充分に支えられていないからなのかも知れない。
腹に刀を突き立てるタイミングが、
体の動き、手の動きが見えづらく、よく分からなかった。
四段目は「天拝山の段」から「寺入りの段」「寺子屋の段」と続く。
「天拝山の段」は別に大した段ではない。
詞章からして民謡を入れたり、
「東風吹かば」や「梅は飛び」の歌を組み込むあたりが趣向だろう。
落語好きとしては「天角地眼」の牛ほめ文句があるのが興味深い。
「一石六斗二升八合」の洒落にもなっているのかねえ。
「寺入りの段」が付く方が、後の「寺子屋の段」は格段に分かりやすい。
若干「寺入りの段」での親子の思い入れが深過ぎる印象はあった。
「寺子屋の段」は嶋大夫。
うーん。昔から唸る人ではあるが、
それが良くない方向に行っているように思う。
だいたい、見台にしがみついて身をよじらせて語れば、
その分声は前に通らない訳で。
あまり心地よく聞くことはできなかった。
ここでも勘十郎、
あと源蔵の和生が良かった。
住大夫の引退公演ということで、
「ではその後は?」が気になる訳だが、
現時点で誰がその後を埋められるか、というと、埋められる訳はない。
そして床にしても人形にしても、
将来埋めてくれる可能性のある人が存在すると思う。
ただ、最終的に文楽が今後継続・発展していくか、というと疑問。
文楽は一人で出来るものではない。
左遣いや足遣いのレベルが向上していくのか、というあたりには
かなり大きな不安を感じた。
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