昨日は少し復習した後、
扇町まで歩いて堺筋線で日本橋の文楽劇場へ。
チケットを早めに受け取り、本を読んだりして16時まで時間をつぶす。
初春公演は例年、別に見たいとも思わない演目がかかることが多く、
けっこう久し振り。
入りは3~4割程度。
平日だから仕方がないかな。
「伽羅先代萩」
文楽で見るのは初めて。
「竹の間の段」は掛け合い。
善悪の関係など分かりやすいので、
まあのんびり聞けた。
「御殿の段」。
前半(飯炊きの場)は住大夫。
声の響き、ハラやそれを伝える技術など、
レベルは他の太夫と全く違う。
だがそもそもこの場面、長いしタラタラし過ぎだと思う。
要は、若殿と千松が、腹が減っても我慢するよ、でも腹が減った、と言うのを
乳母政岡が気の毒がって泣く場面を、
雀や犬も絡めていろいろ繰り返す訳なのだが、
さほど変化もなく退屈。
今日日の話ではないように思う。
「伽羅先代萩」の上演頻度が少ないのも、これが原因かも。
子役の声が甲高く、ゆっくり喋る歌舞伎よりも聞きやすいのは確かだが。
切は津駒大夫。
栄御前の入りから。
筋として面白い(決して明るい話ではないが)し、
声が大きいので聞けるが、
浄瑠璃のレベルとしては住大夫とはかなりの差を感じる。
特に、子を失くした政岡の愁嘆場が薄い感じ。
最初はハラに悲哀を持たずに千松を褒め、
その後悲しがる、という流れに感じたのだが、
最初からハラでは子を亡くした(自分が殺したようなもの)悲しみを
持っているものでは?と思う。
抑えていた悲哀が次第に溢れてくるのが、この場面のポイントだと思うのだが。
「寿連理の松」(湊町の段)
これは(粗筋も)全く知らない演目。
何となく「お夏清十郎」という名前を聞いたことがあるくらい。
(蝶々雄二の漫才で言及されていたのかな)
嶋大夫の浄瑠璃。
この人の低音部は、あまり好みではないなあ。
筋は、この場面だけ聞いてもあまり納得できない。
どうも、男女を匿っているようなのだが、
そのために長年養っている養女を、息子に嫁入りさせた上で売り飛ばし、
その金で女を身請?しようとする父親の感覚が理解できない。
それなのに、何となく金を都合してもらって
結局八方丸く収まるのは、あまりにご都合主義だと思う。
本当は心中してしまうような話を、
ハッピーエンドにまとめたのかも知れないが。
詞章もあまり良い出来とは思えない。
地の文など、時折クサく感じた。
(誰も死なないのでめでたい、とか、自己言及くさくて嫌い。)
まあ、初物を聞けたので良かったか。
「日高川」は去年京都で見たのでパスして、
また扇町に戻って復習の残りをちょっとやり、帰った。
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