カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

メモを取る毎日

2025-02-19 | つぶやき

 僕はテレビを見ながらメモをする癖がある。というか、メモはいつでもするわけだが。
 しかし考えてみると、この表現はあまり正しくない。メモするときに、その流れとして音声は聞きながら取るときと、一旦画面を止めて取るときがあるのだ。わかりにくいかもしれないが、要するに録画している訳だ。タイムリーでもニュースなど見ているが、それでも気になるとメモくらいはする。しかし画面は止められないので、時々内容を見失う。世の中の流れはスピードが速すぎてついていけない。まったく困ったことだ。
 僕がテレビを見ているといっても、ほぼ9割以上、録画である。だから画面を止められるし、メモも楽ちんだ。メモのためにそうしている訳ではないのだが、わがままな性格には、これくらいの自由度がちょうどいいのかもしれない。しかしながら何事も、立ち止まって僕を待ってくれることなんてことは、むしろ少ない。僕は立ち止まるが、風景は動く。
 それでも僕はメモを取り、いったん立ち止まらずにはいられない。それを書きとめなければ、過ぎ去った言葉が、そのまま流れて消え去るからだ。あとで落ち着いてネットだとか辞書だとか、そういうものをパラパラめくる。それでわかることもあるし、疑問が広がるものもある。なんで書きとめたのか不明のものも多いのだけれど、いちおう書いてあるんだから何かあったのだろう。しかしそれを知った後になんでこれが気になったのか、推理しても思い出せない。意味はつながらないまま宙に浮く。まあそれでも調べてみたんだからいいだろう。そのまま忘れてしまうかもしれないけれど。
 そんな風にしてメモしたものが山になってくる。職場のテーブルの周りには、メモした紙が散乱している。場所によっては積み上がっている。あまりにたまって来ると、エイヤッと思って捨ててしまうが、一定の時間は、なんだか積まれている内容を見返すような時が来るような気がして、積んだままにしている。本も積み上がっていくが、ときどき段ボールに入れて、倉庫に運んで忘れる。メモもそうしていいかもしれないが、やはり棄てる方が無難だろう。何が無難かわからないが、誰かの連絡先だとか、気になって書きとめたことだとか、今となっては、その時どうしていたのかさえあいまいになって、僕自身もその意味がよく分からないものばかりだ。記憶というのは、基本的には自分の脳の中のどこかの引き出しに収まっていて、しかしそれを見つけられないだけで、そこにはあるにはあるらしい。何かのきっかけでニューロンが繋がり、思い出せることがあるのかもしれない。もっともそんな偶然に期待しても、めったにそういう事が起こらないような年頃になってしまったのだろう。若い時と記憶力は年をとっても変わることは無いのだという。人間の脳の機能は、生きている間は、よっぽど年を取らない限り変わらない。しかし記憶の蓄積は当然違って、たくさんメモのように散らばったものが溜まっていて、見つけ出せなくなるようなものなのかもしれない。そうしてまた、せっせとメモをためていく。つまり、終わりなんてものは無いのである。
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テニスの心理駆け引き合戦   チャレンジャーズ

2025-02-18 | 映画

チャレンジャーズ/ルカ・グァダニーノ監督

 プレーしているのは役者だが、プロテニスらしい試合をしていて、そうして時間軸が度々過去に飛ぶ。この試合をしている二人と因縁のある女性との関係が明かされていく。二人はジュニアの時からのテニスプレーヤーで、女性はジュニア時代からのスター選手だった。皆将来は当然のようにプロテニスプレイヤーを目指しているわけだが、同時に一人の女の子を取り合うライバル関係にもなる。ところがこのスタープレイヤーは、試合途中で膝に致命的な怪我を負い、プロは断念せざるを得なくなる。そうしてこの二人のうちの一人と結婚し、スターダムに押し上げる立役者となるコーチを務めることになったのだった。
 恋のゲームに勝つために、テニスの試合をかけたりする。試合の厳しさとは、そういうものなのだ。しかし試合中以外にも、男女の関係は成り立つ。二人は親友でもあり、女と関係を持ったかどうか、試合中にそのしぐさの符号で分かり合えるのである。要するに、テニスの心理戦において、試合の駆け引きに恋愛や情愛が絡むという訳だ。
 こういうのを好きな西洋の風潮というのがあるらしい。映画や演劇で、繰り返しそういう駆け引きを、言葉のやり取りから推察するものがある。それは僕にはたいして感心しないのだが、そういう戯曲的な技巧に走る作品というのは数多いのだ。そういうものにテニスを絡め時系列を複雑にし、情愛の行方を描いたのが、この作品そのものなのである。
 恋愛は、確かにゲームはなり得るものではある。駆け引きは当然あるからである。そういう思惑通りいくものなのかはさておき、時代背景や境遇やタイミングや運が当然絡んでいく。まずは想いというのがあるはずではあるが、それらの中で、感情が揺さぶられ、その後の運命を決するものがあるはずである。そういう意味でのゲームの中に、恋愛は含まれるということは言えることかもしれない。たとえ見合い結婚のカップルであったとしても、そういった背景を含めた恋愛劇は含まれていたはずなのである。
 ということなのだが、果たしてこれはどうなのか。とも思う訳だ。女性はいるが、まるでそれが商品なのではあるまいか。僕なんかは、こういう駆け引きの上の取り合いの対象として、相手の感情が自由に動くのであれば、それは厳密には恋愛ではない気がする。もちろん彼女には事情があって、生活もあることだろう。テニスを使ってはいるが、まあ、それは基本的にどうだっていい。二人の男たちの恋愛ゲームが成り立てばいい。そういう映画を見せられてしまった、というしかないのかもしれない。
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降りてくる命題?   パリのガイドブックで東京の街を闊歩する1

2025-02-17 | 読書

パリのガイドブックで東京の街を闊歩する1/友田とん著(代わりに読む人)

 自費出版の薄い本。クリックして届けられたこの新書サイズよりちょっと大きめだけど薄い本を見て、ちょっと驚いた。著名が不思議だったので買ったのだと思うが、なんだろうこれは? と素直に思う。そうして仮に読んでみると、題名通りにお話は進まないのである。はて、とまた表紙を見返すと、1の文字の下に「まだ歩きださない」と書いてある。第一章にも「まだ歩きださない」とは書いてあったが、なんとまだ全体的に歩きださないのである。いや、著者は文中歩いてばかりいるのだが、要するに「ガイドブック」を頼りに歩いている風ではない。そのことについては考えている様子は無いではないが、自分の出した自主出版の本を本屋においてもらう仕事のついでに、その置いてくれる本屋に喫茶店のような店があって、そこで「フレンチトーストのアイスのせ」を食べたくて注文するけれど、あいにくアイスが切れていたり、フレンチトーストが売り切れていたりして、何度も何度も食べられない体験をするのである。しかしズルをして、例えば何日に行くからというような予約をするとかしてはならない。あくまで用事があるときなどに立ち寄って、フレンチトーストにありつけなければならない。それがルールなのだ。
 というような、紀行文なのかエッセイなのか小説なのか分からない作品だった。何が面白いのかさえ判然としないが、奇妙なものを読まされている感じは、なんだか心地よいとも感じられる。そういう分野の世界には疎いのだが、そういう一見無意味ともとれる遊びのような、意地を張っているような感覚は、ここまでは無いとは思うものの、僕の中にだってあるからである。いやきっと他の誰にでもある。食べられなかった残念さもあるが、食べられないことが続くようなある種の不運を重ねることも、実際には自分にとっては小さな奇跡であって、自分の置かれている境遇の素晴らしさの一つなのかもしれないのだ。でも永遠にそれが続くことも望んではいない。いつかはちゃんとフレンチトーストを食べなければならないのだ。
 そして今度はエチオピアカレーを求めて歩いたりしている。そこにあるのは漠然と分かるが、グーグルマップは見たくないのだ。ほとんど馬鹿かもしれない。
 薄い本を読み終えて最後に小さく書かれている編集後記を読むと「間違ったものを手にすることの方が、正しいものを手にするよりも、ずっと面白い」ことが起こる。と書いてあった。まあそうかもしれないけど、間違った結果になることが多いような気もする。まあ、そういうこじれ方が面白いテーマになって、こういう事になってしまうのかもしれない。
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脱力の磨きがかかっている   ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー

2025-02-16 | 映画

ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー/坂元裕吾監督

 映画としてシリーズ二作目(すでに三作目も制作済みのようだ)。女性二人のキレのあるアクションと、そのギャップの激しい脱力系の日常が綴られる。しかしながらやっぱり事件は多くて、銀行強盗の場面に居合わせるし、逆に殺し屋から命を狙われるなど、それなりに大変だ。組織の裏で働く人々の、行政チックだが若者らしい考え方も披露される。いわゆるオタクのような人々が楽しむための要素が満載で、はっきり言って退屈な会話が多いのだが、それが、楽しい、という事なんだろう。
 自分たちのだらしなさもあって、ジムの会費(実際一回しか使ってない)がかさんだり、保険の切り替えもうまく行ってなかったり、日頃の殺しで稼いだ費用を浪費して困窮している二人だったが、依頼以外の仕事の関連で殺しを働くと謹慎処分もある。一応そういう制限があって、しかし普通のバイト(着ぐるみをかぶって商店街の宣伝するとか)をやってもちゃんと勤まるような性格ではない。殺しをやって生きていくより、他に彼女らの道はないのと一緒である。
 一方、組織的にはアルバイト的な殺しの仕事しか回ってこない兄弟コンビの殺し屋が居て、上位で仕事を請け負っている彼女らを殺してしまえば、安定した正社員的に仕事ができ、その上に正規の金額で殺しの依頼が回って来ると考えた。ということで、なんとかして彼女らを殺すことを画策することになる。今回は、これが大きな話の軸である。
 そうしてこの殺し屋の両コンビの日頃のダラダラした会話劇が、はっきり言ってこの映画の中心を占める。アクションとの対比としてのギャップを楽しむというのは分かるが、脚本的には、この会話劇に力が入っていることも見て取れる。僕にはまったくその価値が分からないのだが、おそらくこれが、好きな人にはたまらない面白さがあるらしいことも、その感じとしては伝わってくる。なんというか、実にくだらない感じを如実に示していて、ちょっと気持ちが悪い領域にあるのだが、それは実際には彼ら彼女らには自信に満ちた実力が隠されている訳で、本当にはくだらない最下層の人間ではないのである。仕事の為なら狂暴なヤクザ軍団を前にしても怯まないし、銃を持った銀行強盗に何の恐怖も感じない。生活能力には問題はあるが、日頃から体は鍛えているし、その自信みなぎる超人的な殺傷能力が、彼女らの基本的な資質なのである。
 とまあ、そういう事で、大ヒットする現代的な要素があるのだろう。でもまあこれを観て、僕は次の作品をリストから外すことにした。もうお腹いっぱいかもしれない。
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正義は極悪逃走犯の方   正体

2025-02-15 | ドラマ

正体/中田秀夫監督

 4話からなる連作ドラマ。殺人の容疑で死刑判決を受けている男がいる。移送中サービスエリアのトイレから逃走して行方をくらましてしまう。身元の分からないものが集まって働いている工事現場に身を置いて、労務環境が悪い。そこで事故でケガをした年配者がいて、会社に掛け合うことで、いくらかの資金を巻き上げる。法律の勉強をしていて、工事現場の他の仲間とは、ちょっと異質な存在なのである。しかしながらひょんなことで身元がバレてしまって、また逃走する。
 次の逃走先では、ネットのライターの仕事をしている。ネットカフェなどを転々として生活しているらしいのだが、その仕事先の編集者の女性の家が一軒家で、そこに居候させてもらうことになる。男は手調理をつくって、毎日女を待っている生活になる。そんな時、たまたま電車に身投げしようとしている弁護士を助ける。弁護士は痴漢と間違われ、パニックになって逃げた映像がネットで拡散され、仕事を失い家族(娘もいる)も窮地に陥り、死のうとしていた。この冤罪を晴らすため、ネットで記事を紹介してその窮地を救う。一方、女性編集者は、過去に付き合っていた不倫相手がいて、ある日その男が訪ねてきて、家にいる男が逃走犯ではないかと気づく。それで追手の警察が来て、また逃走となる。
 次はパン工場で働きながら、新興宗教のボランティアをする青年になっている。目を一重にして変装している。実は事件とかかわりのある女性の妹がパン工場で働いており、新興宗教に勧誘されていた。この宗教は、会員の情報を闇バイトに売っているという悪徳なものだったが、その情報を集めて、会員の詐欺を防ごうとしていたのだった。だが、やはり逃走犯と似ているとの情報で、逃げてしまう。
 そうして最後には、事件の殺人現場にいた女性が入所している介護施設で働くようになる。彼女は若年性の認知症があり、事件のことは憶えているものの、犯人の目撃証言には検察の指示通り発言した経緯があり、唯一真相を知る人間ともいえた。逃走する男は、自分の無実を証言する切り札として、真実の証言を録音し、自分の再審の材料にしようと考えていたのだったが……。
 いわゆるジャン・バルジャン物語ともいえるストーリー展開だ。逃走犯は冤罪で死刑判決を受け、その不条理と戦いながら、なんとか法律を学び直して無罪を勝ち取ろうと策を練っている。ところが執拗に執念を燃やして追ってくる警察の人々がいる。殺人犯を野放しにしている、自分たちのメンツが許せないのだ。極悪非道なのは警察などの組織であり、善良なのは弱い個人の逃走犯だ。そんな戦いの中、見ているものは真実を知っているので、なんとか救いの道が無いか、気をもんでみることになる。よく出来ている展開ともいえるし、ある程度はご都合主義でもある。冤罪の恐怖が縦横に語られているのである。
 ドラマとしての尺もあるが、それでもいわゆるコンパクトに収まっている連作ものである。いろんな顔を見せる逃走犯の状況を、手に汗握って応援するドラマなのである。
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コテコテに楽しい恋愛の世界   恋するプリテンダー

2025-02-14 | 映画

恋するプリテンダー/ウィル・グラック監督

 ちょっとした出会いでいい恋仲に陥りそうになった二人だったが、勘違いがもとで逆に険悪な記憶を残して別れてしまう。数年後、友人の結婚式でオーストラリアに行くことになって二人は再会する。気分は険悪なままだが、女は元カレの復縁から逃げることと、男は元カノの気を惹くという二人の思惑が一致して、いい雰囲気のカップルを演じることにするのだったが……。
 いわゆるコテコテのラブコメなのだが、いくら何でもそれは無いだろっていう突っ込みどころが満載ながら、ものすごく楽しい出来栄えになっている。どうせやるならここまで吹っ切れてないと、という潔さも感じられる。出会いのきっかけもトイレ問題だし、時折服も脱いでしまうし、面白いけど、下品さもある。救助のヘリコプターも自分の都合で使うし、公的な支援を何だと思っているのか、というけしからんところもある。愛ゆえに許していいものかは、なかなかに悩ましいのである。
 アメリカ的なのかはよく分からないが、分かりやすい美男美女のカップルで、男はムキムキで、女は健康的なセクシーさである。こういう漫画的なキャラクターが、ちゃんと実写的に存在する世界があって、結婚式は同性婚だし、黒人などの人種的なキャラクターが、ちゃんと物語に絡む配置にそろっている。恋のライバルも機知に富んで魅力的だし、馬鹿なマッチョなども、ギャクをかましてくれる。いわゆる八方美人的に、あらゆる方向に配慮がなされているうえに、ハチャメチャな爽快感があるのだ。いきなりのダンスだって、いくら何でも練習してるだろ、って感じである。
 しかしながら娯楽作品を見るんだからとはいえ、そういう要求にちゃんと応えてくれる作品を作るてらいの無さこそが、今はかえって敬遠されている時代かもしれない。意識高い系に気取って気難しくなっている方がエライ、という風潮だってあるかもしれない。この映画はまじめに見ると、不届き千万のくだらなさなのだが、しかし楽しいんだからそれを突き抜けるくらいの力を持っているのである。ちょっと勘弁してくれよな、と思うようなところがあっても、恋の行方にヒヤヒヤしたり、でもそうなってくれて嬉しかったりするのである。よくもまあ、そんなことをするもんだと思うけれど。
 日頃馬鹿映画は批判している身だが、こんな作りものめいた恋愛娯楽も、その楽しさに脱帽してしまうこともある。実際、いい映画なのではなかろうか。
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ロシア文学の魅力の詰まった小説   ロシア文学の教室

2025-02-13 | 読書

ロシア文学の教室/奈倉友里著(文春新書)

 少しぶ厚めの新書で、いちおう登場人物とかは最初に書いてはあったのだが、題名の通りロシア文学の入門書のようなものかと思って読んでいたら、小説だった。いや、実際ロシア文学を学べることにはなるので、そのあたりはなんとなく不思議な感じなんだが。
 大学のロシア文学教室の講義を受けている学生が、作品にのめり込むことで、文学体験をより深く理解するさまが描かれる。教えている先生のお話も魅力的だし、学んでいる学生たちの感性もみずみずしいものがある。そんな風にして文学を味わい学んでいくのか、という一種の理想形がここにある。若い学生なので、友人関係や恋愛もそこには含まれている。いつの間にか登場人物の中に好きな人が混ざりこんでいたりして、本人の感情もいやがうえにも揺さぶられる。ロシアの当時の時代背景や風俗に至るまで勘案しながら、文学を通して実体験してしまう訳だ。必ずしも幸福な話ばかりではないものがあったとしても、それは読む者に対して、実は救いになるような仕掛けや考え方があったりすることも分かるようになる。本当にそんな話だったかな、というのも無いではないが、文学作品を味わうという醍醐味が、十二分に語られる物語になっているのだ。
 正直に言ってほとんどの作品はよく知らないのだが、それにこれも正直に言って挫折して放り出したものもあるのだが、ロシア文学を深く読む人々がそこにいて、そうして物語を読む方法の多くが、そこに語られている。こういう学生が集まっている学校そのものが幸福なものだし、そういう学びの場そのものが、教養という学問なのだということが分かるはずである。そういう体験をしたことが無いのでわからないのだが、もう戻ることのない学生時代に、こんな教室があったなら、ずいぶんと楽しい事にはなったのかもしれない。おそらくほかにも勉強しなければならないことはあるだろうけれど、本を読み込みそれだけを考えられる毎日があるとしたら、その人の生き方そのものが、それからもずっと豊かなものになっていくのではないだろうか。そんなことも予感させられて、なんだか切ないような気分にもさせられた。もう忘れてしまった記憶ばかりだけど、未来があるというのは、実際にそういう事だったかもしれないな、と考えさせられた。また、時代を超えてロシア文学が読み継がれるとしたら、そういう人間的な根源が書かれていたロシア文学の奇跡がそこにあったからかもしれない。そんなことは、知らなかっただけのことだったのだ。
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寝るのが怖くなる   スリープ

2025-02-12 | 映画

スリープ/ユ・ジェソン監督

 ある夜、隣で寝ていた夫が突然起き上がり「誰か入ってきた」とつぶやき、また寝てしまう。寝ぼけているのかと思うが、奥の部屋から物音がする。見に行くとドアが開いていて風が吹いていたり、飼っている犬が居たりする。不審な感じはするが、はっきりしない。しかしその夜から、夫は寝た後に奇行を繰り返す夢遊病患者となっていく。病院で治療を受けるが、なかなかうまく行っていないように感じられる。ある日母親が祈祷師を連れて家にやって来て、夫は何かにとりつかれているという。にわかには信じがたいが、下の階の人からは、夜中にうるさいと苦情を言われていたこともあり、気になっていたのだが、何かそういう事との関係も、不安定ながら確かにそうなのか納得することになっていくのだった。
 日本にも似たようなホラーがあったように思うが、住んでいる部屋と、夫婦の愛と、得体のしれない何かとの戦いとなっていく展開は、なかなかに韓国らしく暴力的で、恐ろしい。逃げそうになりながら、逃げずに対峙し、暴力で何かを成し遂げようとする。もちろん、それには激しい心理戦もある。相手の心を動かすのは、相手を傷つける暴力なのだ。
 やっぱりそんな凄まじい話になるんだな、と半ばあきれる気持ちにもなるが、彼らの基本思想は、やられたらちゃんとやり返すことを忘れないことだ。やられっぱなしでは、物事は済ませられないのだ。その犠牲になるものや動物には気の毒な気がするのだが、問題は人間なので、人間の心理がどのように傷つくのか、ということの方に重点が置かれている。きわめてキリスト教的な感じもする、人間中心主義なのだ。同じアジアと言えど、そこらあたりが一番理解しがたい溝だということも、この映画を観ていても感じられる。そこがエンターティナーとして、ハリウッドものにも通じる世界基準がある訳で、韓国映画が日本よりも娯楽性が強く楽しめるゆえんでもある。ガツンと来る凄まじさが、映画を観たという満腹感につながるのかもしれない。
 さらに韓国映画というのは、俳優の演技も一枚上手である。日頃の穏やかさと、人間の内なる狂気が、見事に混在している。これが他のあの映画のあの人と同じなのか、と驚かされる。と当時に、例えば夫役のイ・ソンギュンは自殺したので今はもういないことに、寂しさを覚える。こんな映画にも出ていたんだな。彼らの激しい役者人生を思う訳である。
 物語としてはシンプルな展開なのだが、こんなことがあってこんなことをするのか、という驚きはそれなりにインパクトがある。そんなことは信じない、という人がいても、こうなってしまうのだから怖いのである。

 教訓:隣人とは、仲良く致しましょう。
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寒い季節を楽しむ

2025-02-11 | 散歩

 寒いのが好きだと思っている自分と、寒いとつらいと思っている自分は同一だ。それは散歩をしている時、暑いときは論外だけど、肌寒いときに歩いているのはあんがいに気持ちがいい。もう少しぶらぶらしてみようかなっていう気分にもなる。ああ、僕は寒いのが好きなんだな、と思っているのだ。ところが実際に寒すぎる日があって、そうして風が冷たくて、手袋しても手がかじかんでくるようなときに歩いていると、いったい俺は何をやってるんだろう? と疑問に感じる。こんな日に頑張って歩いているなんて、まるでバカみたいじゃないか。確かに馬鹿だとは自認するところはあるにせよ、やめたらいいのにやめない自分が嫌になるほど寒いのだ。やっぱり僕は南の人間で、本当の寒さなんて知らない。そんな甘ちゃんだから寒いのが好きだと言えるのだ。そんなことを思い知る。でも、そういう甘い考えの耐えられる寒い日になると、うきうきするくらい気持ちがいい。だから寒いのが好きだというのは本当なのだ。そうしてつらいというのも当たり前なのだ。
 そういう訳で、冬の散歩は基本的にはありがたい。断然夏より歩数が伸びるし、いつ外に出てもいいという開放感がある。雨降りは困るけれど(それは夏だって同じだ)、雨が降ってなくてついでにあんまり風が強く無いようだと、もっといい。いや三十分以上歩いて、なんだか体が暑く感じる時に、上着を脱いで冷たい風が吹くのも気持ちがいい。だから少しくらいは風があってもいいくらいだ。十度前後で、それより少し低くてもいい。本当に寒すぎて困るのは、おそらく4度以下くらいからで、急ぎ足でもなかなか体は暖かくならない。それは本格的に寒いからで、走ればそれは別だけど、やわに散歩くらいではどうにもならない。本格的に坂道などを取り交ぜて、気合を入れないと凍えそうになる。実際に凍えたことは無いんだけど、ともかくいつまでもやっているわけにはいかない。
 そうやって寒さを楽しんでいられるのも、実際にはそんなに長い間ではない。この地域の冬は短すぎる。すぐに春の気配が漂いだし、暖かい日の方が多くなる。春は嫌いではないし、確かに華やいだ気分にはなるのだけれど、なにか本当に辛抱して、やっとやってくる感動のものでは無いかもしれない。もう来てしまったかもしれない春に、そうして去って行ってしまう冬の季節に、切なさを覚えるのかもしれない。上着を脱いで身軽にはなれるが、軽くなった分、汗をかいてしまう。けっきょくのところ、汗をかきたくないだけの話なのだろうか。
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特殊能力は運命的だ   すずめの戸締り

2025-02-10 | 映画

すずめの戸締り/新海誠監督

 女子高生が自転車で登校中、このまちの廃墟が何処にあるか尋ねられ教える。イケメンだったので気になって学校に行かずに廃墟に向かうと、どこでもドアみたいなドアがあって、あけると何か星の輝く不思議な世界が見えるが、入ると通り抜けてしまう。そこにキツネの置物みたいなものが地面に刺さっていて、それを抜くと何かの動物(後で分かるがネコだった)になって逃げてしまう。何が何だか分からないが怖くなって学校に遅刻していくと、みんなには見えないようだが、山の斜面の先ほど行った廃墟からむくむくと黒煙が上がっていくのが見える。大変なことが起こっている予感がするので、また廃墟に向かっていくと、道を聞いたイケメンくんがドアを閉めようと奮闘していたのであった。
 なんとかドアを閉め、地震の起こるのを食い止めたらしいのだが、イケメン青年は怪我をしてしまったので、自宅に呼んで治療をすると、みすぼらしい猫が窓際に居ておりエサを与えると、元気になって青年を木の椅子に変えて逃げてしまう。逃げた猫は何かの神様の化身で、災いを封じ込める要石の役割をしていたのだという。逃げた先々でSNSに撮影されるのでどこにいるのか分かるが、追いかけたついでもあって、四国、関西、東京、東北と、いわゆるロードムービーが展開されていくことになる。
 最初のあらすじを読めばなんとなく混乱することと思うが、まじめに説明しても、かえって何のことなのか分かりにくい事とは思う。それがこのアニメの変なところかもしれないが、同時にこれはそれが魅力になっている。変なんだけど、そういう展開に身を任せることは可能で、奇妙だけど家出した女子高生なので、皆が助けて旅を続けられる。そうして地震という災いを防ぐ扉を閉じる能力に長けている。
 椅子にされた青年の運命も悲しげだが、それを救う女子高生の恋心のために、いわゆる命を懸けて救出する賭けに出る。そうして女子高生すずめの過去も、明らかにされていく。この映画は震災に対するレクイエムなのである。
 いちおうギャグが随所にちりばめてあって、笑うべきなのは分かるが、深刻なものとの絡みが微妙で、今一つピンとこない感じもしないではない。リアルだとおそらく笑えてないからだ。いろんな人々と出合うけれど、基本的には大変に世話になりながら、軽い。皆仕事を休んで経済的な負担も大きくなっているはずだが、そういうところの大変さが、子供視点なのか、あまり重要ではない。もちろんそういうアニメなんだから、ということに尽きるのかもしれない。しかしながら大きな話でもあるので、なるほど新海アニメなんだなあ、という感慨にはふけることができる。正直言って、映像が綺麗だし、なんだかおもしろいのである。僕はやっぱりファンになっているのかもしれない。
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