カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

憧れてるけど目指さない存在

2025-02-07 | 音楽

 何しろ現役キャリアがちゃんと長く、ほぼ切れまなく続いているというだけで、ただでさえ化け物的な存在ではあるストーンズである。でもまあ若い頃と大人になってからのストーンズのとの距離感というのは、微妙に違うものがある。以前は自分もギターを弾いていたということもあると思うのだが、今は真似することもしないからかもしれない。ギターを弾きだしてキース・リチャーズのテクニックの高さには驚くことにはなるものの、しかしなんとなくそれらしく弾くというのは、いわゆるべビメタのような超絶的なことをしなくても、出来てしまうという魅力ある上手さなのだ。それは単に瞬間芸であったとしても、いちおうその曲の細部を弾けるという事でもあって、なかなかに楽しいことである。基本的には単純なコード展開が多くて(それでもこれだけ多彩なのが素晴らしいのだが)、自宅で勝手に弾く分にもいいし、一緒にライブで物まねのように弾いたとしても、ストーンズの曲は素晴らしいのである。すぐに高揚する感覚になるのだ。
 そんな風にしてそれなりに真似して弾いては居たのだけど、例えばクラプトンの真似をすると、多くの人はクラプトンだとわかるらしいが、キースだとそうだと言われたことが無い。これはなんとなく不思議で、キースっぽい人は何人も知っているんだけど、確かに僕もキースっぽいですね、とは言わない。サンタナとかデイブ・ギルモアだと、すぐに言いたくなるが、キースにはある種の普遍性のようなものがあって、もちろん個性の強い弾き方であるにもかかわらず、キースっぽいとは言わないのかもしれない。
 エフェクターのかけ方もあんまり凝ってないというか、そのままアンプに直結しているという噂もあった。ファズのかかっている曲もあると思うが、あんまりあえて凝っていないというか、そんなもん知らねえ(って言ってたかは知りません)、って雰囲気はある。しかしながらギター弾きの多くは、この音をどうするか問題に凝っている人の方がむしろ多い訳で、僕の知っているアマチュアのギタリストで、アンプに直結なんて人は見たことが無い(もちろんアコースティックギターは別ですよ)。少なくともディスト―ションくらいは持っているわけで、いろいろ連結させてその都度足で踏んずけて弾くのが何よりかっこよさげだし、練習の時も、そういう音色をどうするかというのは気にして音を確認していることが多くて、うまく弾くことよりも凝っていたりする(だから素人なんだけど)。そういう意味でもやっぱりキースっぽい感じにならない、ということになってしまうのかもしれない。せっかくエレキを弾いてるんだから、音が歪まなきゃしっくりこない。でぎればガシャーンといったくらい歪んでくれないと、自分のテクニックがバレるようで怖いのである。
 ということで、憧れているけれどそれらしくない存在というのは、やっぱり抜きん出た存在ゆえであるのかもしれない。
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