カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

古狸、少年と会う   オールドフォックス 11歳の選択

2025-02-02 | 映画

オールドフォックス 11歳の選択/シャオ・ヤーチェエン監督

 古狐、というのは、いわゆる陰口でいう人物評だ。狡猾でずるいというか、いわゆる悪賢さを表してもいる。しかしそれは、一般的には尊敬ではないかもしれない。この映画では、ある重要な人物を指して、そう呼んでいる。子供なのでうっかり本人に向かってそう言ってしまうのだが、そのいう態度が逆に気に入られて、このオヤジはこの子供にいろいろ変なことを教えてくれるのであった。
 母親はすでに亡くなっているようで、父と息子とで暮らしている。貯金をためて理髪店を開くことが夢だ。父親は今はレストランでウェイターをしていて、その客の関係で顔も広くなっている。一階が小さな店舗の連なる通りに面した二階に住んでいて、貯金をためるために倹約生活をしている。台湾では当時は少しばかり株に勢いのある時代のようで、料理屋のオヤジは、証券会社の人間に懇意にして財テクで小銭が増えていくのが楽しくてしょうがない、といった趣きだ。小学生くらいの息子は、そういう時代にあって、なんとなく父親がどんくさいような気がして仕方がない。まじめで優しく、非常にいい父親なのだが、時代とうまく立ち回れていないのだ。
 少年は、ある種の賢さは持っているが、大きな同級生などからはいじめられる対象のようだ。腕力ではとても太刀打ちできない。雨降りのある日、高級車の窓から呼ぶ、この辺りの地主のオヤジと知り合うようになり、このオヤジはこの少年が自分のようだと言って、特別に可愛がってくれる。そういう中で、自分中心に生きることで、人生の成功者になるヒントを、いろいろと授かるようになっていくのだった。
 いわゆる成長物語なのかもしれないが、不思議なダーク感と、さまざまな伏線のまぶしてある構成の物語になっている。実にうまい作りで、映画とはこういうものだ、という見本のような映画だ。人物もそれぞれにきめ細やかに造形してあるし、しかしその行動は、意外性もある。様々な事件が起こるが、その事件の中で上手く立ち回るキーマンとして、少年が頭角を現すようにもなるのだ。それは必ずしも気持ちのいいものでは無いのだが、そういうところが、実にうまく表現されている。父親は確かに負け組かもしれないが、だからこそ愛する肉親なのだ。父親には無い非情さを身に着けていくにつけ、少年は自分で人生を切り開くことと、人間的なやさしさの本質的なところとを、同時に理解していくのだ。まさにそれは古狸の教訓そのものかもしれない。
 基本的にはノスタルジックな物語なので、そういう時代に生きた後に現代の生き方のようなものがある。しかし確実に、今の時代の人間にも、過去の人間の血が流れているのであろう。
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