ハロルド・フライのまさかの旅立ち/へティ・マクドナルド監督
ハロルドのもとに元同僚の女性から手紙が届く。内容は末期がんに侵されホスピスにいるというもの。返事を書いて近所のポストに出しに行くのだが、せっかくだから郵便局で、などといろいろ考えていると、コンビニの店員との会話に心が動かされ、歩いて彼女のもとへ励ましに行こうと決心する。ただ問題は、800キロの道のりがあるということだった。
何も持たずに家を出たにもかかわらず、その後余分なものを持たないという方針はさらに自分なりに厳しくなったりして、クレジットカードなども自宅に送り返してしまう。あまりに無謀な徒歩の旅になり、途中で倒れてしまったり、波乱万丈の冒険に変貌していく。もちろん助けてくれる人もいたり、あるきっかけで有名になって、一緒に歩いてくれる人や、犬も一緒になったりする。ハロルドには、この同僚に対する特殊な感謝の念と、自分の息子に対する後悔の念があって、この旅が、それらの特別な想いへの自分なりの答えになるような予感をも持っていたのかもしれない。
突然夫が出て行ったまま帰らなくなってしまい、残された妻は大いに困惑し、怒りを隠せない。そもそも過去にある息子とのかかわりにおいて、夫婦の間にも、深い溝ができていたようだ。また、それをぶり返すように、ハロルドは無謀な旅を続けている。それも全国的なニュースにいつの間にかなっていて、そういう事にも、さらに混乱させられるのである。
実際にはそんなに複雑な映画では無いのだが、単に徒歩で800キロの道のりを歩く、というだけの映画では当然違う。待っている元同僚は、ハロルドが来ることを心待ちにしているらしい。しかしながら距離が距離なので、実際には何週間も時間を要し、トラブル続きで、なかなか進めない時もあるのである。話題になることで、支援の手も伸びてくるが、同時にこれは、何かが違うとしっくりしなくなってしまう。
何か奇跡が起こせるのではないかと、だんだんと自分の行動に対して、自分でも期待を寄せるところがある。そうして実際の話としては、無謀であるばかりか、そう簡単なものでは無い。そういうあたりも、ある意味で映画的にはシビアに捉えた演出にはなっている。人が付いたり離れたりするところは、なんとなく安直だったり、ハロルド自身は人に頼るところもありながら、必ずしも社交的でなかったりする。奇妙な人、ということもできるかもしれない。しかしながらそれは、ひとの無力さもあらわしての事だろう。後悔もあるが、あるがままの現実の受け入れもまた、それなりにむつかしいことなのだ。
いい映画なのか変な映画なのか判然としないが、それはそれでいいのである。そんなに答えは明確では無いからである。そういうところは、英国的なのかもしれない。しかしながら行動したことで、何かが変わったはずである。それは確認してみてください。