パリのガイドブックで東京の街を闊歩する1/友田とん著(代わりに読む人)
自費出版の薄い本。クリックして届けられたこの新書サイズよりちょっと大きめだけど薄い本を見て、ちょっと驚いた。著名が不思議だったので買ったのだと思うが、なんだろうこれは? と素直に思う。そうして仮に読んでみると、題名通りにお話は進まないのである。はて、とまた表紙を見返すと、1の文字の下に「まだ歩きださない」と書いてある。第一章にも「まだ歩きださない」とは書いてあったが、なんとまだ全体的に歩きださないのである。いや、著者は文中歩いてばかりいるのだが、要するに「ガイドブック」を頼りに歩いている風ではない。そのことについては考えている様子は無いではないが、自分の出した自主出版の本を本屋においてもらう仕事のついでに、その置いてくれる本屋に喫茶店のような店があって、そこで「フレンチトーストのアイスのせ」を食べたくて注文するけれど、あいにくアイスが切れていたり、フレンチトーストが売り切れていたりして、何度も何度も食べられない体験をするのである。しかしズルをして、例えば何日に行くからというような予約をするとかしてはならない。あくまで用事があるときなどに立ち寄って、フレンチトーストにありつけなければならない。それがルールなのだ。
というような、紀行文なのかエッセイなのか小説なのか分からない作品だった。何が面白いのかさえ判然としないが、奇妙なものを読まされている感じは、なんだか心地よいとも感じられる。そういう分野の世界には疎いのだが、そういう一見無意味ともとれる遊びのような、意地を張っているような感覚は、ここまでは無いとは思うものの、僕の中にだってあるからである。いやきっと他の誰にでもある。食べられなかった残念さもあるが、食べられないことが続くようなある種の不運を重ねることも、実際には自分にとっては小さな奇跡であって、自分の置かれている境遇の素晴らしさの一つなのかもしれないのだ。でも永遠にそれが続くことも望んではいない。いつかはちゃんとフレンチトーストを食べなければならないのだ。
そして今度はエチオピアカレーを求めて歩いたりしている。そこにあるのは漠然と分かるが、グーグルマップは見たくないのだ。ほとんど馬鹿かもしれない。
薄い本を読み終えて最後に小さく書かれている編集後記を読むと「間違ったものを手にすることの方が、正しいものを手にするよりも、ずっと面白い」ことが起こる。と書いてあった。まあそうかもしれないけど、間違った結果になることが多いような気もする。まあ、そういうこじれ方が面白いテーマになって、こういう事になってしまうのかもしれない。