ブルーピリオド/萩原健太郎監督
原作は漫画。漫画大賞を受賞するなどしているようだ。アニメ化もされているが、今度は実写化、という訳だ。
ろくに勉強をしなくても成績優秀で、ふつうに国立の大学に行くものと漠然と考えていた高校生が、ちょっとしたきっかけで絵をかいてみることにして、親の財力の関係もあるので東京芸大に進もうと考える。しかし芸大というのは、実際の倍率から考えると東大に入るよりも狭き門であることから、猛烈に絵に打ち込んでいく物語。
絵を含めた芸術の世界は、それを目指す才能も数多く、その競争は熾烈を極めるようだ。そういう一握りだけしか通れない門があり、しかしそれを目指すというのは、天才だけに許されたものでは無い、ということなのだろう。上には上がいることを実感しながらも、必死でもがきながら、絵自体にのめり込んでいく青春を描いている。芸大に行こうと考えている周辺の人間模様も交えて、その努力のありようを、その考え方をドラマとして描き出している。
高校生なのに茶髪だし、ピアスは空けているし、言葉遣いなども、いわゆる今風である。自由というのはあるが、普通の高校生が実際どうなのか、というのは知らないのだけれど、いわゆる田舎の人間でもないし、東京という地方の、実に限られた環境の個体、という気がした。いってみれば、スーパーマンとは言わないまでも、かなり特殊な人間なのではなかろうか。しかしながらそれでも彼は不良ではないし、親のことも考えているし、平気で嘘をついて事を荒げることもしないし、時にはまともにやろうとしているのに、周りが平気でそれを妨害しようとしても、それなりに意地を出して乗り切ろうとする。そういう一途なところが、この主人公の魅力なのだろう。
しかしながら、絵というものを描くというヒントは、それなりに非凡である。実際に絵をかいている漫画家が考えたものだろうが、絵というものに本気で向かい合ったことのある人間だからこそ導き出せただろうことが、ふんだんに描かれている。絵をかく前の自分が大事だし、向き合った対象についても、瞬時に深く考えなければならない。そうしてそれを絵として描き出せるスキルが必要なのだ。なるほど、絵をかくというのはそういう事だったのか、と改めて感じることが多かった。まったく考えたことが無かったわけではないが、うまい絵、とかすごい絵というのは、おそらくそういう思考を通したうえでの作業の結果なのだろう。売れた絵描きが、売ろうと思えば、なんでも売れる身分になっても、容易にその過去の絵を手放さない、という理由もなんとなくわかる気がする。自分の考える絵として、それがちゃんと絵になっていないものを、売ることなんてできないのだろう。
ストレートな情熱ものだが、それなりに変でもある。そういうところが、いわゆるウケる作品なのだ、ということだろう。確かに不思議な魅力と力のあるものだったのではなかろうか。