サムイズダート・ロシア

めざせロシア式菜園生活!ダーチャごっことロシア&北海道のお話あれこれ

ニコライ難民

2007-02-03 | ロシアコラム
「来日ロシア人研究会」の定例会に2度目の出席。
今回はニコライ難民同期のUさん、HさんをT先生に引き合わせることが
第一の目的だったが、3本の研究発表は存外どれも興味深く、
またその後の懇親会ではいろいろな方とお話できて
楽しくも中身の濃いひとときをすごす。

「ニコライ難民」とは、御茶ノ水のニコライ堂に
併設されていたロシア語学習のメッカ、ニコライ学院が
120年余の歴史にとどめをさして突如閉校された折、
行き場を失った最後の在校生のことを、誰からともなく
自嘲的に言い表すようになった名称である。
その一員であった我々が、10余年の時を経て、
当時の師であったT先生と再会を果たしたというわけ。

ニコライ学院はじつに自由な気風の語学学校で、
試験がないのをいいことに復習を怠りまくり、
それがゆえに未だに辞書が手放せないありさまなのだが、
20代から80代まで、年齢も職種もさまざまな生徒が集まり、
大学ではできない貴重な経験をさせていただいた。
なにせロシア語を学ぼうなどというやからは、
程度の差こそあれだいたいが変わり者であって、
それが世代を越えて一堂に会する場なのだから思い出は強烈である。
頑として会話を拒んで先生を困らせるおじさんあり、
授業中に突然回顧し始める元シベリア抑留兵あり、
音大を辞してロシア語に転じた指揮者志望の孤高の青年あり、
一人ひとりを語り出したらキリがないほどの個性派ぞろいだった。

往々にして、未来に燃えて野望を語っていた若僧ほど
とるに足らない挫折を味わうや早々に脱落していくのに対し、
年配者は人前で恥をかいたところで痛くもかゆくもなく、
細く長く学習を継続していたのが強く印象に残る。
これは、単にトシをとって図太くなっているからだけではなく、
仕事や人生において実績を積んでいればこその余裕と、
生涯学び続けたいという純粋な学習意欲が
そうさせるのだと確信させられた日々であった。

語学は独学で身につけることもできなくはないが、
学校に入ると、さまざまな人と知り合い刺激し合い、
学習以外の面で学ぶことが多く、またその人脈は
いつかどこかで何かを生み出すこともある。
その人脈を切らさないためにはお節介な世話人が必要なわけで、
社交家のUさんと事務方の私とがなんとなくその役を買ってでている。
そろそろ同窓会を開こうかな。
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