少し前の『世界の村で発見!こんなところに日本人2時間スペシャル』にて、
ロシア・カルムイク(カルムイキア)共和国が登場。
シベリア抑留後、ロシア女性との間に子供を授かったがために
日本帰国を断念し、仕事を求めてソ連各地を転々とした末に
日本と同じ仏教国カルムイクに根をおろした元少年兵の流転の人生。
縁あってロシアでできた家族と、望郷の念との間を揺れ動く辛い思いを
宮崎美子さんが寄り添うようにして聞き出していた。
カルムイクを単身訪ねたのは、もう20年近く前なので
首都エリスタの町がずいぶんきれいになっていて驚いたけれど、
何もない空港周辺や、見渡す限りのステップ一本道、
途中で横切る茶色い牛の群れ、ぬかるんだ村の道…などなど
当時と変わらない光景も多く、懐かしく放映を見た。
エリスタ空港は一時、実は空港の免許をとっていなかった(!)
という理由で閉鎖されていたのだが、ちゃんと再開されていて安堵。
番組ではモスクワからの飛行機が「週3便しかない」と言っていたが、
週3便もあれば立派である。
しかもかつては、地元民も知らないブイコヴォ空港発だったのに
今は欧州便が飛ぶドモジェドヴォ空港発!らしい。
この番組は「最果ての日本人モノ」の元祖番組で、
レポーターがたどりつくまでの「大変な旅」もひとつの売りなのだとか。
シェレメーチェヴォ空港からモスクワ市内に出るのに、
エクスプレスを使わずにわざわざ乗り合いバスに乗っていたのも
そのための演出と思われるが、レチノイ・ヴァグザルで
バスから地下鉄に乗り換えて市内入りするルート、
これはこれで貧乏旅行者にはおススメです!
ときに番組では触れられていなかったが、
スターリンの少数民族弾圧により、カルムイク人もまた、
日本兵と同時期にシベリアで強制労働に従事させられていた歴史がある。
抑留された日本兵とシベリア送りになったカルムイク人が
共に働き、交流を深める場面もあったようだ。
「世界の果て」カルムイクには、日本とそんな接点があるのである。
ご興味のある方は、
『旅行人傑作選2 世界が私を呼んでいた!』(旅行人)
93~101頁「カルムイク共和国交友録」をご覧ください。
ロシア・カルムイク(カルムイキア)共和国が登場。
シベリア抑留後、ロシア女性との間に子供を授かったがために
日本帰国を断念し、仕事を求めてソ連各地を転々とした末に
日本と同じ仏教国カルムイクに根をおろした元少年兵の流転の人生。
縁あってロシアでできた家族と、望郷の念との間を揺れ動く辛い思いを
宮崎美子さんが寄り添うようにして聞き出していた。
カルムイクを単身訪ねたのは、もう20年近く前なので
首都エリスタの町がずいぶんきれいになっていて驚いたけれど、
何もない空港周辺や、見渡す限りのステップ一本道、
途中で横切る茶色い牛の群れ、ぬかるんだ村の道…などなど
当時と変わらない光景も多く、懐かしく放映を見た。
エリスタ空港は一時、実は空港の免許をとっていなかった(!)
という理由で閉鎖されていたのだが、ちゃんと再開されていて安堵。
番組ではモスクワからの飛行機が「週3便しかない」と言っていたが、
週3便もあれば立派である。
しかもかつては、地元民も知らないブイコヴォ空港発だったのに
今は欧州便が飛ぶドモジェドヴォ空港発!らしい。
この番組は「最果ての日本人モノ」の元祖番組で、
レポーターがたどりつくまでの「大変な旅」もひとつの売りなのだとか。
シェレメーチェヴォ空港からモスクワ市内に出るのに、
エクスプレスを使わずにわざわざ乗り合いバスに乗っていたのも
そのための演出と思われるが、レチノイ・ヴァグザルで
バスから地下鉄に乗り換えて市内入りするルート、
これはこれで貧乏旅行者にはおススメです!
ときに番組では触れられていなかったが、
スターリンの少数民族弾圧により、カルムイク人もまた、
日本兵と同時期にシベリアで強制労働に従事させられていた歴史がある。
抑留された日本兵とシベリア送りになったカルムイク人が
共に働き、交流を深める場面もあったようだ。
「世界の果て」カルムイクには、日本とそんな接点があるのである。
ご興味のある方は、
『旅行人傑作選2 世界が私を呼んでいた!』(旅行人)
93~101頁「カルムイク共和国交友録」をご覧ください。
kotさんは旅行人にも出没されていたのですね!
「カルムイク共和国交友録」、楽しく読ませていただきました。
同国はヨーロッパ唯一の仏教国と言われていますが、意外と知られてませんよね。
そういう私も、高校の地理の授業でオイラート系の人々がこのあたりに住み着いていることを習った記憶が有るのみで、「カルムイク」という名称を含め、詳しく知ったのはここ十年のことです。
初代大統領イリュムジーノフがアル・ジャジーラ英語版で紹介されていたことをきっかけに、彼らの苦難の歴史を知りました。
お隣のダゲスタンや他のコーカサス地方で続く惨状を考えながら、その真北で貧しいながらもやっと手に入れた彼らの平和が続くことを念じずにはいられませんでした。
それにしても、エリスタ市内までGoogleのストリート・ビューが見れるとは、とんでもない時代になりましたね…
メインストリート(?)のレーニン通り沿いとか、緑が多くて散歩が気持ち良さそうですね。
>「大変な旅」もひとつの売りなのだとか。
うーん。シェレメチェボ空港からの路線バスですか…
今となってはかなりムリがありますね。
どうせならボルゴグラードやアストラハンあたりから、バスやマルシュルートカ(ミニバス)で延々と続くステップ地帯をひた走る方が、番組的にも面白いような気がします。
ボルゴグラードからステップ地帯をひた走るプラン、いいですね! 実際、空港が閉鎖されていた期間は、それくらいしかアクセスがなかったようです。あとはモスクワから寝台列車。それもそそられますね。
ところで私事ながら近々、遠路引っ越すことになりました。そのためなかなかブログも更新できずにおりますが、時々のぞいてやってくださいませ。
末筆ながら猛暑お見舞い申し上げます。