ソ連時代「コミュナルカ」と呼ばれる共同住宅があり、
狭いアパートの部屋を何世帯かで共用していた、というのはよく聞く話。
しかし、知らなかった。S先生もかつてコミュナルカに暮らしていたとは!
新婚時代、というからおそらく1970年代のことであろう、
S先生夫妻は、思い出すのもおぞましい
コミュナルカ暮らしを強いられていたそうだ。
キッチンやトイレは3世帯共同。
「それどころか自分たちの部屋に行くのに、
いちいち隣の人の部屋を通って行かないとならないのよ!」
幸いコミュナルカ暮らしは短期間で済んだようだが、
先生いわく今でもサンクトペテルブルクにはコミュナルカがあるという。
「ペテルブルクには帝政時代の貴族の家があるでしょ。
それをソ連政府が没収して、アパートにしたのよ」
え~、素敵そう~!
「そう思うでしょ。でも、だだっ広くて寒いのよっ!
そんなところを仕切って何世帯も一緒に住むのよ。
トイレなんか順番待ちよ。最低だわ!」
確かに。期間限定の学生寮ならまだしも、
恒常的な住まいとしてコミュナルカに住むのはキツそうだ。
でも、貴族の邸宅とまではいかなくとも
帝政時代のアパートに住めたら素敵そう!
それを実践していらしたのがT夫妻。
トップの写真はそのアパート外観。
下は螺旋階段と天井の高いアパート室内。
もちろんエレベーターなどなく、石の階段を踏みしめてのぼる。
ドストエフスキーの亡霊が立ち現れそうなえもいえぬ雰囲気。
T夫妻がソ連崩壊後に手に入れたこのアパートは、
その後の不動産バブルで10倍の値がつき、既に売却されたのだそう。
きっと今買ったら目の玉が飛び出るほど高いに違いない。
それにしても、もともとはタダ同然の国有財産だったのに
一気に投機物件になってしまうなんて、市場経済悲喜こもごも。
明けまして、お目出度う御座います。昨年の記事に今頃の亀レス、恐縮であります。
嘗て帝政時代には栄華を誇った貴族の、世にも豪勢・豪華な旧邸を、ミミッチクも細切れに分割して、庶民向けに割り当てた「コミュナルカ」、あの映画にも登場しておりました。
そうです、プロブレーマちゃんに標題の原語名称まで教示して頂いた「モスクワは涙を信じない」です。
その末尾近く、ライバルの出現に気分を害し失踪した住所不詳のボーイ・フレンドの居所を尋ね、主人公の友人達が、モスクワ市内に散在すると推定される
「中年の、熟練労働者が居住するに相応しい集合住宅を探訪する情景」
が挿入されておりました。
必死の探索作業の甲斐あって、安っぽい集合住居の一隅にて、失意の余り独り安酒で飲んだ暮れていた主人公は無事に友人により発見されましたが、
しかしプロブレーマちゃん、
何処と云う説明すら映画の字幕では無い儘に、それまでの抒情的な展開とはがらっと変わり、あの安っぽい集合住宅の連続描写が唐突に始まり、しかも、それが延々と続く下りが、実に無機的な描写で、ソビエト社会の現実そのものを遠慮会釈も無く描き出している処に、大いなる違和感を覚えたものでした。
が、しかし、プロブレーマちゃんの労作「現地探訪・踏査記事」により、その謎が判明致しました。
成程、それだったんですね、あの安っぽい集合住宅の正体は。
その昔、満洲国で栄華を誇った満鉄幹部の社宅や満州国政府幹部の公邸は、その後、一部が現地・中国共産党の幹部クラスの専用住宅となったと聞いております。
また、上海市の旧フランス租界にあった旧・植民地政府幹部の公邸や、植民地豪商の邸宅も、中国共産党幹部の専用邸宅となったと聞いております。
そして、そうして独立した一軒家の邸宅をまるまる供与されなかった下級幹部や、その下のクラスは、そうした満鉄技師の専用社宅一軒を何世帯にも細切れ分割されて、公共住宅として供与されたそうです。
戦後、嘗て自分たちが居住していた住宅を現地に訪ねた日本人達が、旅順や大連、奉天などで、複数の家族により分割居住されている実例に遭遇しております。
マルクス・レーニン主義者のやることは、何処でも一緒ですね。
今年も渾身のレポート、期待しております。御活躍下さい。
なるほど、中国にも似たような共同住宅政策があったのですね。空間の有効利用は結構なのですが、赤の他人との共同生活を強いられるのはキツイですね。
「モスクワは涙を信じない」のひとコマ、確かにほかの場面とは異質なものがありますね。女たちの物語だったのが、「男たち」「ウォッカ」「古ぼけたアパート」と、突如ソ連・ロシアくささが炸裂し、忘れがたいシーンのひとつです。
今年も楽しくて、美味しくて健康に役立つ情報、楽しみにしています。
ソビエト時代の名バイオリニスト ダビッド・オイストラフの生涯を追ったドキュメンタリー作品”Artist of the People?”(フランス人プロデューサーが製作した大変良い作品です)で、コミュナルカの様子が映し出されていました。
あのオイストラフも、世界の桧舞台で脚光を浴びる以前の新婚時代はコミュナルカ生活を送っていました。映像を一見してプライバシーなんかあったものでは無い事、S先生が「おぞましい」と言われた気持ちが痛切にわかりました。
ところで、ロシア革命、中華人民共和国成立直後いずれにせよ、革命直後の極度の住宅不足という切実な状況下で、亡命貴族や外国人の空家にこのような形態で住形態が生まれたのは、なんら不思議なことではありません。
単純にイデオロギーで片付けるのは、見当違いも良いところだと思います。
ルーマニアのチャウシェスクは政権崩壊前、首都ブカレシュチに「人民の家」というとてつもない自分用の宮殿を建設しはじめ、その周辺の旧市街を徹底的に破壊して高級官僚用マンションを建設してました。
同政権が倒され、情け容赦ない市場経済がいきなり導入されると、(建設途中の)これらのマンションに低所得層がなだれ込み不法占拠しました(1991年当時、私もその様子を現地で見ています)。
日本も太平洋戦争終戦後、戦災を逃れた都内の国宝級の邸宅や庭園がどんどん破壊され、数十年持つかどうかも怪しい分譲住宅が建ち並んだり、それこそソビエトブロックと大して変わらない、無機質なビルが立ち並びました。
「貧すりゃ、貪する」
イデオロギーより、私にはこちらの言葉の方がよっぽどしっくり来ます。
話が脱線して申し訳ありません。
プラハやブダペストのように、歴史ある重厚な建物に安価で泊まれるプライベート・ルームのようなものが、サンクトペテルブルグやモスクワでも普及してくれると良いですね!
コミュナルカは新婚さんにはさぞや苦痛かと思いますが、良い同居人たちに恵まれて、助け合いながら楽しく暮らした方もなかにはおられるようです。選択の余地のない状況で、いかに前向きに生きるか? 人の器を試されてしまいそうですね。
ところで「歴史ある」とまではいきませんが、ロシアでもそこそこ雰囲気のある建物の一室に、宿泊できなくもありません。アパートメント・ハウスやゲストハウスのたぐいはモスクワにもペテルブルクにもたくさんあり、ネットで予約できるのですが、安価とはいいがたいですね。それに日本人の場合、依然としてヴィザ問題がネックです!
kotさんはヘルシーな食生活をされているので、私より格段に健康だと思いますが、インフルエンザ、ノロ等々、お気をつけて下さい。
>コミュナルカ生活…、人の器を試されてしまいそうですね。
全く同感です。
一昨年の震災の話を蒸し返してばかりで申し訳ありませんが、仮設住宅に住まわれる多くの被災者の方々がこれに近い状況にあると思います。
様々な問題が報じられていますが、皆で助け合うコミュニティーの確立を必死に模索されている方々の報道も目にします。
地震大国の日本、関東にも近い将来、確実に大規模な地震に見舞われることは歴史が証明しています(ほぼ百年周期に発生しています。今起こっても不思議ではありません)。
特に人口が密集している関東に住む我々、3.11の被災地以上に複雑な問題に直面することは間違いありません。
このような非常事態での人のしての在り方、苦難を楽しく乗り越えるメンタリティの確立、個々人が(キレイ事ではなく)真剣に考え、腹を据える時期に来ているのかもしれません。
話は変わってアパートメント・ハウスですが、以前kotさんが紹介されていたモスクワの部屋、食卓周りのインテリア、食卓の窓から見える落ち着いた町並み、なかなか良かったですね。
私もあのような場所で一週間程度滞在し、プチ・モスクビッチ気分を味わってみたいものです。
本当に、仮設住宅もある種のコミュナルカですね。2年がたとうというのに、まだまだ不自由な暮らしを強いられている方々が多数おられることを忘れてはなりませんね。
モスクワのアパートメント・ハウスは、なかなかよかったですよ!何人かで泊まればお安くなりますし、自炊すればさらにお得です。ホテルにはホテルのよさがありますが、いかんせんモスクワのホテルは高すぎます!!