瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

桜橋~神田川を下る旅~その9

2021年05月30日 18時07分24秒 | 旅の覚書
すっかり週一更新スピードになって参りましたが(汗)、前回「桜橋~神田川を下る旅~その8」の続きです。
今回は神田川上流のハイライト、30番目の鎌倉橋から38番目の神田橋まで――桜の共演を観賞出来るコースです。
尚、撮影日は2020年3月14日頃で、第1回緊急事態宣言前な事を強調しておきたい。(←言い訳)


源流から数えて30番目の橋…「鎌倉橋」
橋の名の由来は、鎌倉時代に幕府と各地を結んだ「鎌倉街道」で、傍には「鎌倉街道の碑」が建てられています。(記事見出し写真参照↑)
地図で確認すると、鎌倉橋が架かる通りは現在も「鎌倉街道」の名で呼ばれており、実際にずーーっと歩いて行くと鎌倉に着く様です。
ルート検索したところ、鎌倉橋から鎌倉市には徒歩で9時間52分かかると出ました……時間を具体的に出されると試したくなる。(笑)
但し、「鎌倉街道」の呼び名が有名になったのは江戸時代の頃で、鎌倉時代に記録された諸文献にその名前は出て来ないらしい。
江戸の武士は家康の影響で鎌倉幕府を崇拝してたから、鎌倉幕府に纏わる美談が事実として記録された節が有るのです。
「鎌倉街道の碑」の後ろには↓の様な説明を記した掲示板が立ってました。

「神田川に架かるこの鎌倉橋について、『武蔵名勝図会』には、『上高井戸の界にあり。古えの鎌倉街道にて……今は農夫、樵者の往来道となりて、野径の如し』とあります。
 鎌倉街道は、東国御家人と鎌倉を結ぶ道で、鎌倉~室町時代に繁栄しましたが、江戸時代以降、次第に衰え、後半期には前述の『野径の如し』と言われる様に、一部分を残すだけとなりました。
 また、この付近には、鎌倉時代に陣屋櫓が作られ、後に太田道灌の支配地になってからは、家臣某が任に当たっていた、という伝承が残されています。
 橋名の由来については、同書多摩郡之部高井戸宿の条に『鎌倉街道ゆえ、鎌倉橋と言う』と記されている事から、鎌倉橋と名付けられたという説があり、また一説には、長禄元年(1457)、太田道灌が江戸城を築く際、工事の安全を願い、家臣に命じて下高井戸八幡神社を建立させ、武士の信仰の厚い鎌倉八幡宮の神霊を勧請した折に、鎮座地に近いこの橋を鎌倉橋と名付けたと言われています。
 また、延宝二年(1674)四月の『武州多摩郡下高井戸村御縄打帳』には、『鎌倉橋北側』『鎌倉橋南側』という小字名が見えています。
 この事から見ても、江戸時代初期には、既に『鎌倉橋』という字名が付いていたと言えるでしょう。
 尚、『豊多摩郡誌』は、大正初期の鎌倉橋について、『木造、延長三間、幅員一間』と当時の様子を伝えています。
      平成十二年三月               杉並区教育委員会」

…つまり鎌倉幕府が敷いた古道かは確かでないけど、江戸時代初期にはその名で呼ばれてたらしい。
太田道灌も関東の各所に名前が出て来て、逆に何処までが真実か解明するのが難しい。
偉人は色んな所で名前使われて大変だね。
 
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、鎌倉橋上より上流側を向いた風景…上流側は橋の手前まで桜並木が続いています。
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、鎌倉橋上より下流側を向いた風景…途中から川の流れが左にカーブしています。

 
↑源流から数えて31番目の橋…「梢橋」
まるでペンシルの様な親柱に、あみだ籤柄の欄干、中央部は丸く膨れてテラスになってる等、独特なデザインの橋です。
この付近に架かる橋は各々異なるデザインで写真を撮るのも楽しい。
 
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、梢橋上より上流側を向いた風景。
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、梢橋上より下流側を向いた風景。
梢橋~藤和橋~八幡橋間は川沿いに緑地が造られており、花を観賞するのに非常に適したスポットです。
 
↑川に面して建てられた東屋、遊歩道の裏手には涼し気な竹林の小路も在る。
何と言っても見事なのが枝垂れ桜で、神田川ではこの緑地に数本植えられてるのみです。

 
↑源流から数えて32番目の橋…「藤和橋」
こちらの橋もアール・ヌーヴォー調で素敵なデザイン、モチーフは橋名に入れられてる「藤」の蔓でしょうか?
しかし橋の付近に咲いてるのは藤ではなく、主に枝垂れ桜です。
 
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、藤和橋上より上流側を向いた風景、
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、藤和橋上より下流側を向いた風景…藤は欄干の細工に取り入れられていました。
特に八重桜が集合している藤和橋~八幡橋間の緑地は「藤和緑地」と呼ばれています。

☆藤和橋~八幡橋間の立ち寄りスポット…「藤和緑地」
 

 


↑枝垂桜に紅白のハナモモ、ソメイヨシノ等々、様々な花が咲き乱れる春の絶景スポット。
以前は緑地の側に「とうわCafe」なる小さな喫茶店が営業してたのですが、残念ながら2019年6月末に閉店してしまいました。(その後、新型コロナが流行した事を考えると、閉店するタイミングとしては絶好だったかもしれない…)
「とうわCafe」については2019年に上げた記事を御覧ください。


↑源流から数えて33番目の橋…「八幡橋」
橋名の由来は、藤和緑地の方へ橋を渡った先に在る「下高井戸八幡神社」です。
神社の写真は何時か訪れた時にアップします。(汗)
 
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、八幡橋上より上流側を向いた風景…枝垂桜が続く幻想的な風景が川面に映ってます。
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、八幡橋上より下流側を向いた風景…欄干にデザインされた稲穂は、五穀豊穣を祈願する八幡神社を象徴したものかと。
 
↑八幡橋~次の睦橋へと続く遊歩道、枝垂桜が無くなり、ソメイヨシノの並木が復活します。
橋の袂には杉並区民ボランティア「花咲かせ隊」が植えた花々が可憐に咲いてました。
神田川沿いに立ってた掲示板によると、八幡橋~睦橋間の川床で太古の地層が発見されたらしい。
「平成12(2000)年の秋、区内在住の地質研究者の方が、八幡橋~睦橋の間の河床に、延長約200mに渡り、自然の地層が現れている事に注目し、そこに生痕化石(生物が活動した痕跡)がある事を発見しました。
 その後、調査分析をした結果、凡そ10万年~1万年前の地層(杉並累層)である事が解りました。」(←掲示板より抜粋)
…説明文を読んでる内に「チバニアン」を思い出した。(あちらほど世界的大発見ではないけど)
日本の地下には火山帯が幾つも在る事考えると、掘れば何かしら世紀の地質学的大発見が飛び出すんだろうな~。


↑源流から数えて34番目の橋…「睦橋」
真新しい橋で、比較的近年に架け直された事が解ります。
以前は漢字名ではなく、「むつみ橋」と平仮名表記されてたようです。
 
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、睦橋上より上流側を向いた風景、
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、睦橋上より下流側を向いた風景…下流に向かいグッと右へ折れ曲がってるのですが、この写真だと桜の枝で隠れて見えませんね。(汗)


源流から数えて35番目の橋…「弥生橋」
打って変わって古びた橋名プレート…架け直す日は近いかもしれない。
橋の両端が拡がっていますが、歩行者専用橋です。
この橋までは橋詰めに公園となっている為、川沿いの道は車立ち入り禁止ですが、この先下流は一時的に車道と重なります。
 
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、弥生橋上より上流側を向いた風景、
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、弥生橋上より下流側を向いた風景…桜並木と公園が途切れて、途中から車道が重なってるの確認出来るでしょうか?


源流から数えて36番目の橋…「向陽橋」
かなり傾斜してる橋、横からだと滑り台の様に見えます。
坂を下りた車が橋に入って来る瞬間は結構スリリング、車の運転手も川に落ちないよう、慎重にブレーキ踏んでると思われます。
 
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、向陽橋上より上流側を向いた風景、
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、向陽橋上より下流側を向いた風景…周囲の橋を見る限り、この橋が架かる地点だけ、対岸と高低差が有るもよう。
この橋の両端こそ拡げる必要が有るのでは?
桜並木が一旦途切れ、視界が開けます。

 
源流から数えて37番目の橋…「幸福橋」
橋名プレートが薄れてて、幸が薄そうな橋。
橋の真ん中でカメラを構える人が居て、何を撮ってるのかなと思ったらでした。
4羽の鳩がモデル姿勢で間を空けて並んでる。
ちょっと前に「ソーシャルディスタンスを守る猫達」の画像が評判を呼んだけど、その後この彼が「ソーシャルディスタンスを守る鳩達」の画像でバズったかは知らぬ。
幸福橋に留まってた幸せの象徴「鳩」…運が良ければ貴方も出会えるでしょう。
 
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、幸福橋上より上流側を向いた風景…前方に架かる向陽橋の傾斜度に注目。
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、幸福橋上より下流側を向いた風景…遊歩道と共に、途切れてた桜並木が復活します。
 
↑幸福橋~神田橋間の遊歩道、桜の枝がトンネルを形作ってます。


源流から数えて38番目の橋…「神田橋」
上からも下からも数えて2つ目の神田橋、橋を通るのは荒玉水道道路。
嘗て世田谷区の砧~杉並区梅里迄埋設された地下水道管「荒玉水道」に沿って敷かれた道路です。
水色の柵で歩道と車道を分けた真新しい橋でした。
 
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、神田橋上より上流側を向いた風景…復活した桜並木ですが、またここで途切れます。
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、神田橋上より下流側を向いた風景…写真右側に広い公園が見えます。

☆神田橋側の立ち寄りスポット…杉並区立「下高井戸おおぞら公園
平成29年4月に開園した新しい公園。
約3haと広い敷地は避難地も兼ねてるのだとか。
公園を囲む様に若い桜の樹が植えられ、ピンク色の花を咲かせていました…河津桜だろうか?
 

 
↑公園の原っぱに張られた多数のテントが――コロナ禍で頻繁に目にする風景だ。(笑)
↓そんなキャンプ族をお得意様に、珈琲や揚げパン等を売る移動販売車も数台…良い商売になってる様子で。(笑)
 


↑公園は次の「かんな橋」に到るまで川沿いに続きます…といった所でまた次回!

コメント
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