小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

試詩10:寄りそってくれるもの

2020年09月18日 | 

寄りそってとか
寄りそいながらとか
今どきの言葉なんだろうか
よく聞くフレーズですね
新しい天皇さまも
国民に寄りそいながら
と決意をのべていらしゃった

寄りそっていくのは
たいへんなことだと思う
だって片時も離れないってこと
ちょっとの間もそばから離れない
ちゃんと見守っていますってこと
トイレのときはまあしょうがないけど

僕には寄りそってくれる人がいない
それはしょうがないことだし
はなからあきらめている
犬だったら寄りそってくれるだろうか
いっぱいご馳走をあげて
散歩にも連れていき
うんちやおしっこの始末もしてあげる
名前はなににしようか
その犬がいつも寄りそってくれる

僕はもう人生の黄昏どきで
ひっそり息をひきとるときがちかい
そんなときにもペロペロなめてくれるだろうか
ペロペロなめてくれたらいい

でも死んでもぼくをなめていたら
犬だって疲れて死んでしまう
それはいけない、共倒れだ
そんなことになったら
心が痛いし悲しいことだ
それに僕はうかばれない、たぶん
だから犬は飼わない

猫はどうだろうかとかんがえた
きっと寄りそってくれない
まあ、ときどきそんなそぶりをするんじゃないかな

そんなことを考えたりすると
一日はあっという間に過ぎてゆく
秋の風は気持ちがいい
一時でも寄りそってくれる

 

考えてみたら、犬も猫も寿命がすくない。こっちがしぶとく長生きしたら、犬か猫が先に亡くなることもあるだろう。そのときは、こちらが寄りそってあげられる。だが、そのときは悲しいし、とてもつらくなるだろう。いま、イクラという亀に寄りそっているが、どうもそっけなくてね、困ってはいないが・・。


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