小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

父とチャコとボコの、詩集『三人』を読む

2019年05月31日 | 

 

もう11年も前のことになる。金子光晴と妻の森美千代、そして長男乾(けん)の3人の手になる私家版詩集についてブログに書いた。「父とチャコとボコ~戦中未発表詩」という題名の、Eテレのドキュメンタリーを観てからの感想で、その記事の一部とはいえブログに引用するのは気恥ずかしい。ともあれ、以下のように書きはじめている。

金子光晴の私家版詩集が古書店で売りに出された。それは光晴自身が戦時中に作成した、たった一冊の詩集だった。そこには金子本人の詩だけではなく、妻と子供の詩もおさめられていた。彼らはいわば戦争忌避者たちであり、とくに長男は招集令状が来たにもかかわらず病気であると偽って両親とともに戦争を逃れた。彼らは富士の裾野の山中湖畔の粗末な家でひっそりと自給自足の生活をしていた。詩集はそのときの生活や心情を反映したものだ。戦争を忌避することが国賊だといわれた時代。彼らは息をひそめて、生きることの自由と悦びを詩作に託していた。そのことの事実は重い。(若干字句を訂正した。6.1)

 

詩集「三人」がこのほど講談社の文芸文庫から出版されたので、迷わず買った。2006年に古書市で発見された手づくりの詩集で、そのときは確か何百万円の値が付いたと記憶しているが、2年後の2008年に早くも、講談社から出版されていたとは迂闊だった。(その話題を知らなかったのは小生だけなのか・・まさか)で、11年経って初めて読む、文庫本の詩集『三人』である。

戦争を忌避した三人家族は、あの困難な時代のさなかに、自由に生きることの魂を朽ちさせることなく、ひっそりとだが逞しく暮らし、お互いを支えあっていた。この詩集は光晴はもちろん主筆だが、妻で作家・詩人の森美千代、当時18,9歳のひとり息子の森乾も、それぞれに入魂の優れた詩を寄せている。(反戦詩のみに括ることはできない詩集でもある)

美千代の詩は、母として一人息子への溺愛と憂慮に傾くきらいがあるが、その愛情の深さを詩篇にする表現力は素晴らしい。「湖水」というやや長い詩篇のほんの一部だが引用する。

死神の鎌で刈り取られるやうに
いやおうもなくもつてゆかれるわたしのこども
しなやかな肉体を祭の庭に曝すために
連れてゆかれるわたしの子供。

たちまち私の目は
私の胸は からだぢうはをののく
白樺の冷たい肌に吹雪く血しぶき。
雨に燃え立つもみぢの深紅なのだ。

長男、乾の詩は若書きといえるだろうが、後年早大教授かつ仏文学者なる片鱗をみせる。父光晴の影響をたっぷりと受けていたに違いない。「夢魔」という詩篇の最後、その二連の詩行を引用する。

私はやつと、私をとりもどした。
そして私もその一人の仲間となつて
未来の花の奇怪な蕾を
わが幻想と智慧で培ふとおもひ立つた。

その有頂天のさなか、私は、そのときまで
忘れてゐたつれが私の腕をひつぱるのをおぼえた。
さうだ。私はつながれてゐたのだ。
私ののぞみとは逆な、くらい谷間につれられる途中だったのだ。

そして父、金子光晴の詩は、解説の原満三寿氏が引用されていた「三点」という詩篇の、同じ最終節を載せたい。

戦争よ。
破砕(くだ)くな。
年月よ。
もってゆくな。

父とチャコとボコは
三つの点だ。
この三点を通る
三人は一緒にあそぶ。

チャコよ。私たちはもう
も一つの点、ボコを見失ふまい。
星は軌道を失ひ
我々はばらばらになるから。

三本の蝋燭の
一つも消やすまい。
からだをもつて互に
風をまもらふ

 

富士山の近く山中湖畔にある安普請のバンガローでひっそりと生活していた三人。現実から逃げていたのではない、戦争と国家に対峙しつつ、詩作に励んでいた・・。

彼らは、一人ひとりの自由と尊厳を大切にまもり、家族の絆を強固にした。そして、悲惨極まる戦争に組込まれることに、必死で抵抗していたたった三人の、真のマイノリティだといえないか。

当時、日本人の多くが権力に懐柔され、魂を捨てて人身御供ともいうべき戦列に加わった。女や子どもたちも、戦闘員になるべく軍事訓練を欠かさず、兵器工場で働いた。戦争責任論を論いたいのではない。

金子たちの家族のように、反戦に向けて必死の抵抗を続けた家族がいること。私はそれを「どす暗い綿の固まりのなかに浮遊する芥子粒ほどの光だ。見える人しか見えない極小の輝きだ」と書いた。その感慨は今でも同じように湧きあがる。

▲「チャコ」は妻のあだ名、森美千代は金子と恋仲になったとき、お茶の水女子大の前身女子高等師範学校に在籍。その「お茶の水」が命名の元。長男の「ボコ」は、乾が幼い時に「ボク」といえないで「ボコ」と言っていたという。

 

 

 

 

追記:当時、参謀本部にいた中井英夫、中国の戦地にいた吉岡実、純粋な国家主義者だった吉本隆明について語りたいことあれど、同様に十把一方に語ることはできない。ここは自重して、考えを整理して書ける時がくるまで、それしかない。6.1記


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