小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

「光りの墓」を見る

2016年04月06日 | 芸術(映画・写真等含)

 

 

タイの東北部らしい町。池や森もある。人々は長閑な田舎暮らしをしているかと思いきや、町の中心は雑踏にあふれ、大きなデパートもある。ジャングルのなかに都会があるような不思議な町だ。

森林を伐採し、ブルドーザーで土地を掘り起こす音。開発されている、その土地のすぐ脇にかつて学校だった病院がある。

20ほどのベッドがある大部屋の病室。兵士だった男たちが寝ている。怪我でも病気でもない。いや、目を覚ますことのない「眠り病」という病だ。森に隣接している病室だから、とても涼し気に見えて、蒸し暑いタイとは思えない。天井の扇風機と、外からの柔らかい風が吹いて、眠っている男たちはみんな気持ちよく眠っている。

そんな感じではじまる映画「光りの墓」は、タイのアピチャッポン・ウィーラーセタクン監督の作品。「プンミおじさんの森」という作品では、カンヌ映画祭最高賞パルムドールに輝いたという。

片足に障碍がある年配の女性が、眠り病の青年を訪ねる。(この女性が見舞いに来たのではなく、病人の世話をしに来たらしいのだが。本当のところは最後まで分からない。)

病室には、眠る男たちの魂と交信できる若い女性ケンがいた。ケンは、この病院の下には、かつて王宮があったことを知っている。さらに後で、姉妹の女神が現れ、死せる王たちの魂同士の熾烈な闘いが、今でも続いていると伝える。男たちはなぜ眠ったままなのか。地下で戦う王たちの魂たちが、眠る兵士たちの生気を吸っているからだ。

「光りの墓」は、二人の女性と一人の眠り病の青年を軸に、魂のコミュニケーションが時空をこえて繰り広げられる不思議な映画だった。夢の先に、夢があり、またその先に・・、入れ子形式の映画といっていいか。と言っても、デヴィッド・リンチのような難解さはなく、自然な流れは最後まで保たれる。

凝った映像技術もなければ、ドラマチックなストーリー展開もない。しかし、少しも飽きさせない、独特な引力がある。愛がじわじわと沁み出てくるようなエピソードが綴れ織られ、ときに凝視できない映像や理解に苦しむ場面もある。それが後で腑に落ちる。見終ってみると、静かな感動が幾層にも重なってくる感じだ。「ああ良かったな、非凡な監督だな」と、感想を誰かに語りたくなった。

小さな映画館、観客も少なかった。なにかとても贅沢な時間を過ごした気がした。私もいつか永遠の「眠る男」になると思うと、祈りの作法を体得しておくべきだろう。


 ▼予告編があった。(妙に記憶に残った、空に浮かぶミドリムシのような生命体。そのワンシーンが挿入されている)
『光りの墓』予告編

 

映画を見た後、友人と久しぶりに会う。原宿のタイ・レストランで大いに盛り上がった。


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