▲鶴丸透鍔、移動できず仕方なく冒頭に載っている。
過日、水墨画の展覧会に行った帰り、小林秀雄の「鉄斎」を読もうと思った。読んだのであるが、当てが外れた。私が読みたいと、確認したいと思ったことが書かれてない。つまり、記憶違いなのだが、自分が情けなく感じ、本を放って置いた。
暫くして再び本をとり、読み返したら「鉄斎」ではなく、目当ては「雪舟」の方だと判明。齢のせいで、記憶の引き出しにガタがきていたらしい。
とりあえず、小林の筆致の凄さが感じられる文を引用する。
私は、絵を見ながら、岩というものに対する雪舟の異常な執着と言った様なものを、しきりに思った。一見磊落(らいらく)で奔放と思われる描線も、よくよく見ると癇の強い緊張し切ったものなのであり、それは、あたかも形を透し、質量に到ろうと動いている様だ。筆を捨て、鑿(のみ)を採らんとしている様だ。これ以上やったら、絵の限界を突破して了う、画家の意志が踏みこたえる、そんな感じを受ける。 (新潮文庫「モオツァルト・無常という事」の「雪舟」より)
もっと紹介したいところだが長くなるので控える。「形を透し、質量に到る」という、まるで原子物理学を彷彿とさせる科学的な筆致の後に、神がかった画家が彫刻家になるような、「筆を捨て、鑿(のみ)を採らんとしている様だ」に落とし込む。ここで一つの頂点が来る。こういう震える叙述が何度も、波状攻撃のように、淡々と書かれてある。まさに、「たまらんぜよ」の感慨を抱く。
「雪舟」に向けられた小林秀雄の眼差しは、鬼気迫るほどの鋭利さ、と同時に感動を統合してゆく冷静さがある。このエッセイが発表されたのは、昭和25年で私が生まれた年だ。65年経っても色褪せることなく、屹立した文章といえよう。真似どころか、死んでも書けまい。
▲鶴の鍔。透かし鍔とはいえないだろう。
▲透かし鍔。銘は失念した。
国立博物館には名刀も多く展示してあった。撮影禁止のものもあり、なぜ駄目なのかその理由を知りたかった。
▲「正宗」?
ところで新潮社の「小林秀雄全作品」をみたら(数冊しか所蔵せず)、13巻の「歴史と文学」編の装丁に小林秀雄がかつて所蔵していたという透鍔が使われていた。大透鍔というだけあって、隙のない見事なつくりだ。梅の樹をあしらった透鍔も、もはや武器・防具の域を超えてしまっている。小林秀雄はこんな美術品を、骨董として弄り愉しんでいたのだな。
▲上 金山丸形大透鍔 下 赤坂梅樹透鍔 下のものは美に偏り過ぎて堅牢性はどうか・・。いや、名工だろうし余計な詮索か。
「鉄斎」や「雪舟」は新潮文庫「モオツァルト・無常ということ」に収められているのだが、今日、本屋をのぞいていたら、売られている本がかなり厚い。目次をみたら、「鉄斎」に続いて「鉄斎2」「鉄斎3」が追加してあった。さらに持っている本にはない「注解」が巻末に67頁もあった。項目がなんと242項目もある。試験問題にあれほどの(注)が付されていたこと、文庫本が改訂され分厚くなったわけも分かった。戦後65年ほど経過し、小林秀雄が書いた事柄の多くが、いまや念入りな解説が必要とされる時代になったのだ。
時代は進むというより、あの時代の多くのものが遺物になったということか。
私という存在そのものも、多くの注解が必要とされる「昔の人間」になったのだと思い至り、たまらなく断絶感を感じたしだいである。