小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

我が内なるオクシデンタリズム

2006年09月27日 | エッセイ・コラム

オクシデンタリズムとは、西洋趣味あるいは西洋崇拝ほどの意味がある。
その言葉を「反西洋思想」と題して、イアン・ブルマとアヴィシャイ・マルガリートが共同執筆した本が新潮新書から出版された。もちろん正反対の意味なので、原著では「the West in the of  its enemies」という副題がついている。
似たような言葉にオリエンタリズム(東洋趣味)があるが、サイードの同名の本を読んだ後では、オリエンタリズムは本来とは全く違う概念を想起させるし、著者達もそれと同じような意図で題名としているようだ。オクシデンタリズムとは「敵によって描かれる非人間的な西洋像のこと」と最初に断っていて、「特定の政策や国家にではなく、ある種の生き方や社会、および政治の在り方に向けられる殺人的な憎悪」と定義している。
この稿では「オクシデンタリズム」はまだ、日本では定着していないので、「アンチ・オクシデンタリズム」とよぶことにする。

日本はかつて明治維新以降、憲法、軍隊などの政治体制から、教育・生活一般にいたるまで西洋そのものを移植した。それは明治創成期の俊英たちが欧米を視察し、その知見を驚くほどのスピードで実現したといえる。また、欧米のそれらの思想に根幹にあるのはキリスト教であることも彼らは見極め、日本ではキリスト教の代替として「国家神道」を拵えあげた。
明治初期、「天皇」そのものは関西地区をのぞいて、その存在さえ知る人は少なかったという。そのため、政府は天皇を各地に「行幸」させたり、天皇の肖像画を当時の最新メディアである「写真」を通して、全国に隈なく「天皇の肖像」を普及させた。
これはいわば靖国神社と同じく、「国家神道」および「天皇制」の構築のための、インフラといっていいだろう。この辺の経緯は多木浩二の著作でも詳らかにされている。
この思想こそがアンチ・オクシデンタリズムなのだ。

さらに、特にドイツ・フランス・イギリス・アメリカの諸制度、習慣などをパッチワーク的に統合し、アジアで最初の近代国家となり短期間に欧米と遜色ない軍事国家となったことで、欧米と同等の国家利害を主張するようになった。それ以降、「鬼胎の時代」となり、欧米列強と利害を衝突させる。著者達のいう「オクシデンタリズム」を蔓延させ、太平洋戦争の末期では「カミカゼ特攻」という作戦をひねり出すまでにいたる。「反西洋思想」では、以上の基本的なことは踏まえられている。
「カミカゼ特攻」で命を散らせた多くの若者が文科系であり、ヘーゲル、フィフテ、マルクスやニーチェを読み、戦前のドイツ思想をたっぷり吸収していたと分析する。つまり、当時のドイツのナショナリズムは、米英仏のリベラルな国家は自国の利益のみを追求するものとして敵対していた。そのアンチ・オクシデンタリズムがファシズムを産んだわけで、それは前述の思想家やドイツロマン主義に起源を求められる。
したがって、日本の若者たちの本質的な敵は「西洋による日本の腐敗、資本主義の利己的な貪欲さ、自由主義の倫理的空虚、アメリカの軽薄さ」だったと分析している。彼らが軍国主義の奴隷ではなく「自分たちの犠牲が、日本を勝利に導く土壇場での飛躍になるとは滅多に信じていなかった。それを信じるには、彼らはあまりにも知的だったのである。しかし多くのものが、自分らの死の純粋さや無私が、より良く、より本物で、より平等な日本への道を示すことを願っていた」とも述べる。

この本では、日本をはじめカンボジアのクメールルージュ、ロシアのスラブ主義、毛沢東の民族的共産主義運動、、ドイツのナチズムなどにも触れているが、論点の対象はイスラム世界を重点にしている。特に9.11以降のテロリズムの思想背景を、アンチ・オクシデンタリズムという位相で歴史的に深層分析している。
「近代化」そのものが「西洋化」と同義だとすれば、かつての西洋の被植民地だった国家群は、アンチ・オクシデンタリズムを抱えながら近代化を果し、いまやアメリカ主導のグローバリズム経済に組み込まれ、勝ち組と負け組の色分けが鮮明にされつつある。そうしたなかイスラム原理主義はアンチ・オクシデンタリズムの急先鋒であり、カミカゼ特攻よりもより確度を増した自爆テロを無限に敢行している。

最後に、著者たちはたぶんユダヤ人である。一人はアメリカに住み、一人はイスラエルに住んでいる。私は反ユダヤ主義者ではないが、彼らは自分たちの足元を見てはいないと思う。見てるはいるだろうが、アンチ・オクシデンタリズムを醸成した国々を分析するのと同等の力量と配慮を自国に対してしていない。
ユダヤ資本に基ずくアメリカの商業主義、軍事力を嵩にした政策が、正統なオクシデンタリズムをいかに捻じ曲げたか。そのことで、アメリカ文化で育ってしまったこの私がいかにシニカルな人間になってしまったか。本家本元のイスラム系の英米人でさえアンチ・オクシデンタリズムを覚醒させ、自爆テロにはしる。イスラムには「自爆」という教義はない。自分が死んでまで世界をイスラム的に「浄化」しようという教えはない。著者らにとってみれば、アンチ・オクシデンタリズムは「汚染」かもしれない。君たちはその汚染源をつきとめたと思っている。ただそれを取り除きたいとは言っていない。まさか、この本を書き上げたことで満足はしていないだろう。国連など国際政治の場で解決できるとも思っていないだろう。
原点に戻れ。とりあえずレヴィナスを読め。「他者」の「顔」を哲学せよ。いまの私にはそれしか言えない。


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