小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

古井戸さまへ

2006年10月10日 | エッセイ・コラム

古井戸さま
コメントいただきありがとうございました。
私は自分のブログを書くときしか見ませんし、
トラックバックとかコメントを他のブログにしたことはありません。実はどのようにするかもわかりませんので、このブログで返信いたします。
私がブログを書いていることを知っているのはほんとにごく少数ですし、その方たちはたぶん読んではいないと思います。では、なんのためにブログやっているか、とうぜん疑問をおもちになるかと思います。
それは古井戸さまと同じです。いいたいことがあるからです。
ただ、その内容が、当初から思想とか政治などのテーマが多くなるだろうと私自身が思っていて、浅学非才であるのにも関わらず、そのようなこと書くことに、なにかしらの恥ずかしさと後ろめたさを感じるからです。というわけで、本来のブログの目的からはずれて、書くことの鍛錬とその自己確認作業として始めました。下卑たことを言えば、精神的なオナニーなのかもしれません。
とはいえ、そんな私のブログを見ていただき、コメントまでしていただきありがとうございました。
さて、佐藤優著「日米開戦の真実」はいつか読み、その感想をいつか書いてみたいと思います。しかし、期待しないでください。

ユダヤ、西欧(キリスト教)、イスラムは、宗教・思想のタームで考えれば三すくみと言えないことはないですが、人類学乃至地政学的にいうとユダヤはまったく少数であり、世界史的に影響力をもちません。西欧文明をある意味で支えてきたのは、実は大昔から「アジア」の自然がもたらすリソースであり、自然科学的な「知」でした。それは15世紀までイスラム社会を経由してもたらされました。特長的なことをいうと、西洋にとって胡椒は万病に効く高価なクスリであり、家畜の肉を保存できる魔法のクスリでした。また、数字は西洋ではアラビア数字といいますが、これはいうまでもなくインド産です。なにが言いたいかといえば、西欧にとってイスラム社会は中間搾取者だった。西欧はイスラムに頭が上がらなかったと言っては言いすぎですか。
しかし、彼ら(イスラム)が我々(西欧)にもたらしたものは実は彼らの手の内にあるのではなく、世界の果ての東方にあるのだと気付き、大航海時代が始まりました。私はそういうふうに解釈しています。ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスと制海権を次々と握るなか、その間イスラムは基本的に停滞してたわけです。西欧の列強はその後、帝国主義により世界中を植民地化します。イスラムも植民地化されます。こんなことは古井戸さまは百も承知でしょうけど。しかし、その後歴史を考えますと、西欧はたった一つ大きな過誤を犯しました。イスラエルの建国です。それはイギリス主導で行われましたが、わたしは西欧全体で考える問題だったのではないか。ホロコーストでユダヤの民に同情があったと思いますが・・。欧米各地に住んでいたユダヤ人をイスラームのど真ん中に追いやった。ユダヤ、西欧(キリスト教)、イスラームは共通の始祖としてアブラハムをそれぞれの聖典で認めていますが、その聖地パレスチナ地方にイスラエルを建国させた。何故だろうか。ユダヤ人がそれを渇望していたことは事実ですが、それが現実になるものと思っていた人は少数でしょう。イスラエルは、西欧の政治的・世俗的な理由で建国されたとしか思えません。このイスラエル建国こそが、西欧(キリスト教)、イスラーム、ユダヤの三すくみ状態を生んだわけです。でも今や、これは是々非々の範疇で論じることはできません。

内田樹氏は、西欧(反ユダヤ主義者)はユダヤ的知性というものに欲望しつつも、それを理解することは自らの思考原理そのもの否定することになると言っています。つまり共存共栄はできない。だからできることなら視界から消えて欲しい。で、パレスチナに貴方達の土地を提供しましょう、という発想が生れます。
しかし、すべてのユダヤ人がそこを目指すことはなかった。ユダヤ的知性は欧米の各地で経済的生活的基盤をつくりあげていたからです。純粋にユダヤ教を信じる人々、或いはそれらの基盤をもたない人々が移住しました。いや、多くのユダヤ人が欧米にとどまった。レヴィナスもその一人です。
内田氏も言うようにユダヤ的知性は、我々日本人だけでなく非ユダヤ人には理解を超えるものがあります。
「有責性」もそのひとつ。たとえば、1円も満たない原価のコーヒー豆から150円程度の価格でコーヒーを私たちは飲んでいます。しかしそれはアフリカの貧しい人々がいるから可能です。それが理解できたとき私たちはいくらかの「有責性」を感じることが出来ます。しかし、レヴィナスのいう「有責性」はアプリオリなもので、存在そのものが有責性があると言っています。生れたときから有責性を持っているなんて、どういう理路でいえるのでしょうか。それがユダヤ的知性なんです。キリスト教にも「原罪」があります。リンゴを食べたことで人類は楽園から追放された。それ以降すべての人類は罪を背負って生れる。これはたぶん暗喩でしょう。この解釈を基点にして「有責」をめぐり、ユダヤ、キリスト、イスラームと分派してきたかもしれません。プロテスタントは「利子」は認めるが、イスラムは認めない。キリスト教は多重婚を認めないがイスラームはオーケー。

普遍的倫理性はもはや宗教では語りえない。

内田氏は自称レヴィナスの弟子ですが、私はレヴィナスを日本的知性で読みかえてくれる人は内田氏でも合田正人でもなく小泉義之だと思っています。最近「負け組の哲学」という本をこの夏に上梓しましたが、これは私たちの世界を変えるほどの革命書だと思います。コメントのコメントが思わず長文の駄文になってしまいました。

古井戸さまのブログを拝見し、その内容に感嘆し、軽い気持ちでコメントを書くのは失礼になるかと思いここまでになってしまいました。今度からは気軽に古井戸様のブログにもコメントさせていただきます。


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