小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

名画座にいく

2018年11月08日 | 芸術(映画・写真等含)

ウン十年ぶりに早稲田松竹にいく。学生時代、毎週というわけにはいかなかったが、2,3週に1度くらいのペースでよく行った映画館だった。当時は名画座の冠はなく、公開されてしばらく経った高評価の映画を2本上映していた。

よく行った名画座といえば、池袋の文芸坐、板橋の人生座、渋谷の全線座だった。次に、飯田橋のギンレイ、自由が丘の?(忘れた)、馬場ではパール座が名画座として有名だった。ほとんどが2本立で、日本映画は文芸坐でたまにやるが、ほとんどの映画館は洋画であり、それぞれ特長があったはずだ。たとえば、全線座では戦後まもなくのアメリカ映画しか上映しなかった。ハンフリー・ボガードやヒッチコックものはほとんど渋谷で観た思い出がある。

早稲田松竹には独身時代にもたまに出かけ、『バンデットQ』を観た強烈な記憶があり、観客はやはり早大生が多かった。現在はすっかり様変わりして、観客席もゆったりとゴージャスになり、老若男女バラエティ豊かな観客層になった。

料金設定もニーズに応えるべく、様々な観客に配慮した工夫がされていた。たとえば夫婦で観る場合、50歳以上は2000円、60歳以上になると二人で1800円の割安。きめ細かく、とても良心的でよろしい。

▲前回の上映作品が『暗殺のオペラ』(ベルトルッチ監督作品)とイエジー・スコリモフスキの幻の名画『早春』だった。『早春』こそ愚生の本命作品で、これを見逃したのだった! 暫くは見ることができない。

さて、この日の映画は、2本立てであることは言うを待たない。

ウディ・アレンの『女と男の観覧車』(原題:WonderWheel)と、トッド・へインズの『ワンダーストラック』(原題:WonderStruck/奇跡の飾り棚)の二本を観た。共に、2017年の公開で映画祭にノミネートされている。撮影の背景も共にニューヨークで、原題に「Wonder(奇跡)」がつくのが2作品の共通点だ。まだありそうだが、早稲田松竹のスタッフはみな若手で映画好きらしく、そのセレクションも秀逸といって良いだろう。

『女と男の観覧車』は、相変わらずのウディ・アレン節というか、男と女の感情のもつれ、コミュニケーションの齟齬から生まれる人間(家族)の相剋ドラマだ。舞台は、ニューヨークにある伝説の遊園地「コニーアイランド」。その華やかな1950年代が時代設定となっている。

はじめて観た『アニーホール』以来、アレンのテーマは一貫している。というより、そのことだけが彼のライフテーマらしく、内心「またか」と思いつつも、俳優陣の卓越した演技、特にモノローグのロングカットシーン、そのカメラワークに見惚れてしまう。

女優志望だったが端役もつかめずに迷走する中年のウェイトレス。半ばあきらめ結婚し子供を産んだが、女優への夢は捨てきれない。それが災いしたか、離婚した元亭主が自殺して、そう仕向けた原因は自分にあると思い込んでいる。

みんな何かしら脛に傷をもち、依存し、なんとかしたいのだが空回り。そこにウディ・アレンの映画は特色をもち、すべての作品で女優が主体的に物語を紡いでゆく。

子持ちのくたびれかけたウェイトレス役を演じたのはケイト・ウィンスレット。小生にとって初めての女優で(※追記)。この人の演技は素晴らしく、かつて女優をめざしたが今や崩れる一方の中年女性、しかしまだ女性としての色香を絶やさない。その難しい課題をすべてクリアしている。さらに、カメラに対峙しながらの長回しのショット、迫真のセリフ語りにはグングン引きこまれた。

映画の話をすれば、トラウマがあるのか小学生の息子は火遊びが止められず、ときに放火の疑いをかけられる札付きの不良児になっている。しかたなく、コニーアイランドの遊園地のメリーゴーランドの管理・修理をするうだつの上がらない男(ジム・ベルーシ!)と再婚し、自分は園内のレストランでウェイトレスをやりながら・・日々の生活に四苦八苦。と同時に、脚本家志望の若者とちゃっかり不倫していて、恋多き女の性はいまだ衰えない。

そんななか、亭主の、会ったこともない25歳ぐらいの娘が出戻りというかギャングの追手から逃げてくる(夫は親分らしい)。それからすべての歯車が狂ってくる・・・。

ウディ・アレンの映画は前述したように、好いた惚れたの男女の愛憎劇が多く、観てる間はそのドタバタ加減に声を出して笑ってしまう。しかし、その裏腹には、裏切りと改心、老いの諦観と若さへの憧憬、自立と依存そのなかの家族間の軋轢など、現代社会のさまざまなテーマが伏流している。

観終るとなぜか古典的な悲喜劇、あるいはシェイクスピアの演劇にあるような、深みのある人間ドラマを鑑賞した思いに浸ってしまう。単なるハッピーエンドでも悲嘆にくれる破滅のドラマでもない。ほのぼのとしたユーモアもあれば、人生を生き抜くヒントもかくされている。好き好きはあろうが、名監督ではあるといっていいだろう。

『女と男の観覧車』本国オリジナル予告編(日本語字幕)

 

トッド・へインズの『ワンダーストラック』は、聾唖の二人の子供が主人公だが、ひとりは1920年代、もうひとりは1970年代という時代設定のなかでパラレルなシーンを交互に展開するファンタジックなストーリー。子供の視点で語られるので、やや深みにはかけるのだが、ニューヨークを舞台にした撮影に瞠目した。カンヌでパルムドールを競った作品らしく、20年代と70年代のニューヨークをかくも完璧に再現して魅せる力量も凄いし、お金のかけ方も半端ないものが感じられた。
 
20年代は時代がかったモノトーンの映像。旧き良き「紐育」を感じさせる白黒フィルムの質感もさることながら、背景の建物はもちろん自動車やエキストラもすべてが20年代のアメリカだ。
70年代の方は、アメリカンニューシネマの匂いを感じさせるカラー映像となり、特にニューヨークの街々を行き交う人々がまさに当時のファッションを見事に演出した。
大勢の黒人たちがストリートを闊歩し、アフロヘアやパンタロンそして色彩ゆたかなソウルファッションがこれでもかと出てくる。街を走る車はすべて70年代のもので、タクシーもふくめて往年のアメリカ車がふんだんに登場する。
 
映画の宣伝コピーは、「この時代が異なる二つのストーリーが一つになったときに、NYに奇跡が起きる」という触れこみであるが、「デヴィッド・ボウイの名曲にのせて奏でる感動の物語」はちょっと期待外れだった。ボウイの曲は2,3曲で、一緒に観た妻は、ロバート・フリップのうねるギターの音色が印象的だったとのこと。愚生は70年代のソウルミュージックの方で、話がずれるのでこの辺で・・。
 
それよりもニューヨークの「自然史博物館」が共通の舞台装置。ここに出てくる撮影用につくられたミニチュア、様々な小物たちのクオリティは相当に高く、心の底に響いてくる。『ワンダーストラック』とは、「奇跡の飾り棚」のことだが、映画をみて納得できるはずである。
 
また、20年代に出てくる女の子は生まれながらの聾唖、70年代の少年は突発的な事故による失聴者で、「手話」がこの映画の重要なコミュニケーション・ツールとして扱われる。映画史に残るエピソード・メーキングといえる。(手話のことを「sign language」と英語圏では表記するのがふつう。映画では「signology」と表現していて、新鮮かつ的確な感じがした)
今年の「耳の日」(3月3日)の聾唖者のイベントに、この映画のPRチラシがあったような気がしたのだが、定かではない。
 
トッド・へインズ監督の作品をはじめて観たのであるが、1961年生まれということは監督としてベテランの域に達しておかしくない。ではあるが、作品制作はそれほど多くない。
『エデンより彼方に』という作品は、1950年代のアメリカを忠実に再現した映像で高く評価されたという。
(実は、ボブ・ディランの半生を描いた『アイム・ノット・ゼア』はへインズ監督の作品だった。愚生はそれを見ており、そのときには監督の力量を感じることなく、ディランの魅力だけをひたすら楽しんだ。)
 
ゲイを表明していることと関係はないのだが、トッド・へインズ監督の非凡な才能、そして映像表現のワンダーなこだわりで、さらなる映画づくりにまい進されることをのぞむのみである。
 
 『ワンダーストラック』予告編
 



※追記:ケイト・ウィンスレットは『タイタニック』の主演女優だったことが後で判明した。したがって初見ではない。


※追記2:中途半端に記事をアップしたので、その後たびたび修正を加えている。よくやることであるが、生来の性急さがなせる恥かしきことの一つ。笑ってください。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。