豊洲の移転に反対している築地仲卸の親方がこんな洒落た言い方で批判したらしい。筆者が勝手に想像して書いてみるとこうなる。
食べるもんはね、人を良くするって書くだろ。食べるから生きていける。築地はその「食」を担うんだ。その築地から毒があるような得体のしれない場所に移転させるんだよ。そんな「企て」なんざ断固反対だね。「企て」はね、人を止めるって書くだろう。「企て」はね、何か魂胆があるんだ。乗ったら危ないんだ。良いことをする人も止まっちゃうんだ。この機会に膿を出し切ってさ、生まれ変わってほしいね・・。
二次創作で恐縮だが、主旨は変えていない。74歳になるマグロ仲買人の親方は、たぶんこんな感じで記者に語ったのだろう。築地で働く人たちは一流の自負をもっている。世界から一級の食材を集める。それを選び抜く眼、磨かれた技と伝統がある。
また、築地は単なる市場ではなく、そのエリアが一つの町を形成し、食文化を生みだしてきた。隣接している銀座というブランドに一流店が犇めく。銀座だけでなく新橋、東京のビジネス街にも、いち早く新鮮な素材を供給する、後背地としての築地の「地勢」も考えてほしい。
私は、築地をさらに世界遺産級にもなり得る、世界に誇るべき「食の町」だと考える。豊洲に移転するという「企て」は、今後一切が破棄されるべきだ。高いものにつくが、築地の恩恵をうけるものは何も東京都民ばかりではない。いまや世界中から注目されている「築地」を、利権・再開発の走狗たちの思い通りにさせてはならない。
「築地ワンダーランド」というドキュメンタリー映画が近々に公開される。前評判が高く、10月15日から全国ロードショウだという。予告編はこちら。
映画『TSUKIJI WONDERLAND(築地ワンダーランド)』予告編
最後に築地には個人的な思い入れがある。幼少の頃、家が貧しかったので母親が魚の行商のようなことをはじめた。朝早く築地に行き、仲買人から鮮魚や干物を買う。学校に行く前だから一緒によく付いていった。威勢のいい大人たちの立ち居振る舞い、張り上げる声はいまだに忘れられない。半年ぐらいで母親は行かなくなったが、その事情を知ることはなかった。
母親の一歳下の妹、叔母も築地市場の「電話交換手」として働いていた。戦後の混乱期に資格を得たのは、電話交換手が当時の女性にとって先端職業だったからだ。近所では「××小町」といわれたらしいが、生涯独身の叔母は、母と違って性格が優しくおっとりしていた。私を不憫に思っていたのだろう、とても可愛がってくれた。中学の入学祝にプレスリーのLPレコードを買ってくれたのも叔母だった。(※)
私が中学生の頃か、待遇が良いというので築地に行くようになった。夜勤などもあり、身体が弱い叔母は、築地で働くのはきつかったかもしれない。しかし、正月や何かの節目になると、市場から蟹や海老、高級魚などを買ってきてくれた。いや、サンマやアジ、干物などの大衆魚も、普段食べているものとはまったく違った味わい。子供ながらにも、その新鮮な旨さがしっかりと分かったのである。築地の魚は「別物」という子どものときの印象は、安くて新鮮であるという厳然たる事実に支えられていたのだ。
叔母とはあしかけ十年ほど一緒に生活したが、いやな思い出はひとつもない。懐かしく、叔母のことが偲ばれる。ちょっと、書きすぎた。豊洲問題は改めて書いてみたい。
追記:建築エコノミストとして脚光を浴びている森山高至。国立競技場の建設問題、いやそれ以前からビデオニュースで問題点を指摘してきた。その確度や情報量には一目おいている。彼は以前から豊洲の建設問題をブログで分析してきた。今回の登場はいいタイミング、無料公開なのでぜひ。
http://www.videonews.com/commentary/160924-01/
▲ハーバード大教授の人類学、日本研究のテオドール・ベスター作。この著作によって「TSUKIJI」の知名度、文化人類学的な価値が確固たるものになり、世界から注目されはじめた。やはり英語で論文を書かないとステータスは得られないのか・・。先の映画「築地ワンダーランド」は、たぶんこの著作をベースに作られた筈である。福岡伸一が翻訳に名を連ねているのは、「木楽舎」だからなのか。彼の方から出版を切り出したのか分からない。東京電力の息がかかっているので、私にとっては好ましくない出版社である。