小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

駒込の「ときの忘れもの」にて

2019年06月05日 | 芸術(映画・写真等含)

なぜ、そこに行ったのか。それを書くと長くなるので省く。一端を書くとなれば、柄澤齊の師匠にあたる日和崎尊夫の作品(※追記)を観ることができるかもしれないと思ったこと。

もうひとつ、そのギャラリーで舟越桂の弟、直木の展示会カタログが入手できるはずだと推測した。結論をいえば、これは叶ったが、日和崎のものは無理だった。

ただし驚くべき邂逅があった。「葉栗剛展」を偶然にも鑑賞できたこと。木彫作品の最新作、大小11点が展示されてい、案内してくれた女性の説明では、桂の木を使った彫像がメインとのこと(桂の木が一本なのか寄木なのか訊きそびれた)。

エントランスにあった全身に刺青がほどこされた裸の男、その存在感、迫力たるや超弩級だった。天狗の面をかぶり、ボディビルダー風のムキムキの肉体美の男は、あっち系の危ない方に見えてしまうのは私だけであろうか。

まず、一般人なら「入れ墨」に嫌悪感を覚え、異様な肉体美を強調した木彫作品に、一瞬で引いてしまうかもしれない(家人に写真をみせたら「どんな意味があるの?)という冷たい反応だった)。となれば、3mを超えるほどの巨木を彫り上げる造形力に感嘆する、あるいはその審美性を評価するなんて後回しになる、だろうな。

私見だが、葉栗剛はあのジャコメッティの逆説性を志向し、過剰な美の肉体性を意図的に表現しているのではないか・・。現代人はITを活用するようになって、精神性は脆弱になり、身体的な共感力を失いつつある。その意味では、葉栗剛のそれはハイデガー風にいうと「現存在」の明確な意識化だ(身体化ではない、彼はハイデガーをイシキしていないから)。

(卑近な例だが、仲間や知り合いとハイキングに行ったりすることは、身体的な共感力をすこぶる高める。違う角度でいえば、こうだ。子どもたちがスマホを持ち、時間を忘れゲームに興じる。友達同士のコミュニケーションはラインに偏り、身体的接触としての喧嘩はなくなり、陰湿な言語的暴力がIT上に横行する。また、なによりも世代を超えてパーソナル化が進んでいること、強いていえば「引きこもり」化だ。これらは、身体的な共感覚の喪失と相関する、際立った兆候といえる)

そうした現状に危うさを感じていて、何かしらの「喝」を入れるような、美的インパクトを創造、表現した。葉栗という彫刻家の、創作の淵源はそこにあるのではないか・・。筆者はそのように勝手に考えている。彼は昭和32年生まれだから、なんとなく世代感覚が近く、創作感覚が読み取れるような気がする(牽強付会と言われても仕方ない)。

彫刻家Haguri Takesiはやはり海外のほうが著名とのことだが、実際にはアカデミックな仕事もしていて、作品は公的機関、学校などにも展示されている。それらはたぶん、歌舞伎や浮世絵、仏像などをモチーフにした木彫であろう(但し、屋外展示には、二次作品でアクリルやアルミなど金属を使用していると思われる)。

▲50㎝ほどの台座の上にあるが、視線が太腿のところに位置するほどの威容な木彫だ。スマホでは全体像が撮れない。

▲和彫りの絵柄も、作者が施したものかどうか訊くべきだった・・。

 

 

      

▲上の2点は同ギャラリーのホームページから転用させていただいた。写真も遠慮なくどうぞと・・、たいへん寛容な待遇をうけた。ブログ上ではあるが多謝。

3年前に南青山から移転してきたギャラリー「ときの忘れもの」は、大物から新進気鋭の作家まで幅広く扱っていて、その関連の書籍なども販売している。編集・出版までも携わり、図録までもオリジナルを制作する。駒井哲郎、菅井汲、草間弥生、北川民治、瀧口修造、難波田龍起など多数のアーティスト作品を扱っていて驚く。珍しいというか、こんな人までというのが光嶋裕介。内田樹の住まい兼道場を設計した若手建築家で、「ときの忘れもの」では特別に推しているのか、たぶん設計のドローイングなどで、3冊もの作品集が上梓されている。

 「ときの忘れもの」のHP http://www.tokinowasuremono.com/index_j.html (「葉栗剛展」は、今週6月8日まで)

 

最後に、日和崎尊夫のことはともかく、舟越直木の図録だが、2003年に当ギャラリーで展示会を開催したときのもので8pのシンプルな体裁。作品はドローイングがメインだが、油彩画、版画もあるのだがその扱いが小さくて、ここに紹介しても鑑賞に堪えないと思われるので自粛した。

小生は、直木の三歳上にあたる舟越桂の作品にすこぶる影響を受けている。ブログにも書いたが30年以上にわたるファンで、作品集はもちろんEテレの「日曜美術館」に出演したときの映像など、ビデオ録画を7,8本も所有する(TBSの人気番組「情熱大陸」も!)。

弟の存在は知っていたが、どういう芸術活動をしているか関心がなかった。最近、舟越直木氏が2年前に鬼籍に入られたことを知り、生前にどんな作品を作っていたのかにわかに興味がわいた。

そして、ネットの「ときの忘れもの」に偶然にもアクセス。瀧口修造、駒井哲郎・・舟越直木らの著作・版画集に混じって、日和崎尊夫を発見した。これは奇縁だ、なんとしても駒込にあるギャラリー経営・出版社「ときの忘れもの」に行かねばならないと意を強くした、ハイキングによる脹脛の筋肉痛にもかかわらず、というわけである。

 

 (※追記)生前に刊行された日和崎尊夫(Hiwasaki Takao)詩画集から、サイン入りの木口木版画を単品で扱っているようだ。緑の導火線』(1982)からは10点、そのほか単体の木版画が多数在庫にあった。作品の扱いが小さくて分かりにくいが、柄澤齊の師匠ともいうべき驚くべき精緻さであることは伝わってくる。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。