ほとんどの憲法学者が違憲であると認め、私をふくめ、多くの国民がNOと意義申し立てをした。そんななかでも、安保関連法案が可決・成立した。
昨年4月には武器輸出を原則認める防衛装備移転三原則が閣議決定。昨日の新聞では、民間企業が武器輸出を円滑に行えるよう、つまり赤字になってもほぼ100%税金で損失補てんする独立行政法人「日本貿易保険(NEXI)」の存在も明らかになった。独力で自分たちの安全保障を考えない。平和をつくるための方法と知性を放棄した。他国と協調する外交戦略もなく、ただただアメリカだけに依存し、積極的平和主義という名のもとに「戦争ができる」国になった。
「最高法規」であると規定されている日本国憲法。その98条に「・・その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」とある。
ちかい将来にあって、件の安全保障関連法の、その効力がどのように失われていくのか、私の目が黒いうちにしかと確めたいと思っている。
もう安倍ちゃんなんて書かないぞ。わたしは汚穢にまみれた野心、支配欲を彼の言動に見た。権力を持ったものの不遜かつグロテスクな下心を目の当りにしたとさえいえよう。
今日、東京新聞に竹田茂夫がこんなことを書いていた。
「かつて岸信介は米国の力を利用して、日本の権益と自分の政治生命を維持するという屈折したナショナリストの心性をもっていた」と。
安倍ちゃん、もとい。安倍もまた屈折したナショナリストの心性の持ち主であり、そのグロテスクな祖父と同様の横暴さを我々に見せつけたのだ。
ただし岸信介や孫の愛国心は純粋でもなんでもない、と私は思っている。特に岸は、自分の命と政治生命を引き換えに、国の最高機密をアメリカに売渡している。それが戦後日本のどんな権益をうみだし、どういう道筋で平和国家への基礎づくりになったのか。どなたか具体的に公にしていただきたいものだ。
ナショナリストという呼称すら使いたくない岸、佐藤兄弟が為した詳細はここではふれない。ただ巣鴨プリズンに収監されたという父親の屈辱を、私怨(家怨か)として引き継ぐ娘に育てられた安倍は、まさしく正統の唾棄すべき権力者として甦ったのである。
安倍は祖父たちの忌まわしい過去を自覚的に忌避してきたに違いない。なぜなら、彼の言動には、自民党の有力政治家の特色である、清濁あわせ持つというような鷹揚さがない。一方で私利私欲がにじみ出てくるような汚さはなく、見かけは清廉にみえ、品位はないが育ちの良さを感じるのだ。だが、先代を乗りこえ止揚する、後継としての強い意志はない。祖父たちが為したであろう業績を、一人の人間として客観的に評価し、その是非を峻厳に受けとめた形跡はまるで感じられない。
ポジティブなところだけを取り、ネガティブは排除するという、これもグロテスクな知性といえるかもしれない。
まあこれが3人も首相を生み出した山口県の本家佐藤家の凄いところなのであろう。安倍のアイデンティティはその血筋だけだが、もう少し祖父たちの高級官僚的な知性をも引き継いでいたら、彼はモンスターになっていたかもしれない。それはそれで怖い。
政治家の端くれであるのなら、M.ウェーバーの「職業としての政治」は読んだであろうが、どうか。
政治は徹頭徹尾、権力の論理構造でつらぬかれている。だからそこに倫理性はない。
がしかしだ、ウェーバーは単に倫理ではなく、心情倫理と責任倫理をあわせもち政治を実践せよと説いた。
心情と責任はときに相反し、戦争に導くかもしれない大きな過誤を犯すからだ。
自民党、公明党から幾人かの反対意見は表出するかと思ったが、すべてが「安倍にならえ」になった。
非戦・平和が党是の公明党だけでなく、一人ひとりの議員は今後、政治家としての存立の危機に立たされるべく禍根を残したであろう。
職業としての政治家、その責任は問われなくとも、信託した有権者からは倫理性を問われるだろう。
アメリカとの軍事連携を全世界で展開し、時にアメリカをさしおいても武器、人、カネを注ぐことになる安保関連法。その成立に与した者たちへの、国民の厳しい眼に耐えられるのは今のうちだろう。
70年をかけて築きあげた、かけがえのない平和。その信頼のイメージだけでなく、それこそが日本の安全保障の実体だということを、彼らは骨身に染みて理解し、自らの過誤を悔いることになるだろう。
この場に志ん生をもちだしたくないが、「オジャンになっちゃう」。世界に冠たる日本の平和がこれで終わるんだ、そんな「オジャン」にひとしい脱力・無力感に囚われているのは私だけか。
最後にしよう。一縷の希望はある。
「個人ベースでものを考え、行動せよ」というSEALDsの呼びかけは、政治家やマスコミの人間たちにとって根源的な問い直しをせまった。
心情倫理と責任倫理をなにごともなく通底させた若者たちがこの日本にもいたのだ。
救いはあった、大丈夫だ。そう信じている今日この頃である。
▲恥ずかしながら、国会前が盛り上がらないころ、7,8月に何度か老人性シュプレヒコールを叫んだのであるが・・。