昨日、東京都美術館で開催されている「ゴッホとゴーギャン展」に行った。
ゴッホが画家としてパリに出てきたのは32歳のとき。ゴーギャンが高収入の株仲買人を辞め、妻と5人の子供を棄てて画家として生きていこうと決意したのは35歳。ゴーギャンはゴッホより5歳年上であるが、知識階級の恵まれた生い立ち、船乗りだった青年期、作家ユイスマンに注目されるほどの素人画家時代など、画家になるまでの途は波乱に富む。また晩年をタヒチで過ごした特異な画家人生を想い、私は今回、特にゴーギャンの絵画に強い刺激をうけた。
画家としてのスタートが晩生(おくて)であり、それまでの実生活からジャンプするような型破りなところは二人の共通点。日本の浮世絵、当時の印象画家からも、同じように強い影響をうけた。そんな似通った境遇で出会ったゴッホとゴーギャン。互いに親近感を抱き、画家として認め合い、パリでの交流がはじまったのは当然の成り行きだったといえる。
今回の展覧会は、そんな二人の出会いの頃から、アルルでの共同生活、そして破局してからの変遷、深化させた独自の作風などを、ゴッホとゴーギャンのそれぞれの作品から見つめ直し、回顧するという企画展示でもある。
また、彼らだけの作品だけでなく、ミレーやモネ、ピサロやロートレックなど点数は少ないものの、二人に影響をあたえ、また深く関わりのあった画家の作品も展示されていた。ゴッホとゴーギャンの超有名な作品は少ないが、いやいやどれもが瞠目すべき作品の数々。二人を交互に比較しながら、経年順に鑑賞できるのは稀有で素晴らしい美術展だといえるだろう。
▲ゴッホの自画像はどれも印象的。このリーフレットの自画像の実物には吸い込まれた。鬼気迫るほどの求心力、色彩感覚には目がくらむ。印刷物だから仕方がないともいえるが、もう少し発色の再現性にこだわって欲しい。絵葉書の作品はいずれも1886年作。
絵の展示の合間、所々にゴッホとゴーギャンの言葉が書いてある。絵に関連したものというよりアフォリズム的な名言集である。最近は美術展に行ってもガイドブックの類は買わなくなった。なのでどんな表現であったか、いささか正確さには欠けるのだが・・・。ゴーギャンの以下の短い言葉がたいへん印象に残った。頭にこびり付けたのだが・・。
芸術とは一つの抽象である。現実を前にして、夢を見るように眺め、一つの抽象を導きだす。 (※追記) ゴーギャン
この言葉はゴーギャンの表現方法、美意識を端的に表している。ゴッホと絵について論争になったことも、すべて芸術観というか、表現へのアプローチの相違だと感じた。下に載せた絵葉書の作品は、現実の風物を描写しながら、ゴーギャンがめざした美の抽象、その極限を表していると思う。
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▲上は「アリスカンの並木道、アルル」、下は「ブドウの収穫、人間の悲惨」。いずれも例の1888年の作。ゴーギャンの、この色彩に震えた。この年の12月、ゴッホが耳を切り入院。1890年、ゴッホ死去。ゴーギャンがタヒチに渡ったのは1891年で、それ以降の作品については別の機会に譲りたい。(※)追記2
二人は絵についての考え方で衝突した。ゴッホなら上記のゴーギャンの言葉を踏まえて、こんな言葉をひねりだしたかもしれない、と私なりの勝手な解釈と想像で申し訳ないのだが・・。
芸術とは圧倒的な具象である。現実の色と光、形、パッションを感じるままに描く具象そのものだ。
つまらない遊びは止めよとお叱りを受けそうだ。
「ゴッホの手紙」のエミール・ベルナール宛の書簡を家に帰ってから斜め読みしていたらこんなことが書いてあった。
僕は人物をかきたい、人物を、もっともっと描きたい。人間という二足獣の連作を、赤ん坊からソクラテスまで、白い肌の黒髪の女から日焼けした煉瓦色の顔の黄色い髪の女まで描きたい衝動にかられている。 1888年8月
さらに、こんな表現もあって、ゴッホがゴーギャンとの違いを書いている。二人の違いは認め、対象へのスタンス、画風も異なることを認識しているにも関わらず二人は決裂した。
・・・真実のところ、僕は非常に現実と能力の限界に好奇心を抱いているので、想像を求める勇気もほとんど感じない。僕よりもっと抽象的な作品を描くのに適した才能をもった、君やゴーガンのような人間がいる・・・、で、僕自身にしても、もっと年とれば変わるかもしれない。だがいまは自然を貪っている、誇張したり、ときには対象を故意に替える、だが絵全体を創ろうとは思わない、反対に自然にはすべてがあるような気がするし、それを識別すればいいのだと思う。 1888年10月
以上「ゴッホの手紙」からの引用である。
いま、ゴーギャンの「ノア、ノア」を改めて読み始めた。薄い文庫本だが中身は濃い。彼の野生、神秘なるものの感化力は凄い。事実上、彼の奥さんになった少女との交流を織り交ぜて、タヒチ神話を再構成している。文学作品としても一級である。最初のタヒチ滞在からフランスに帰国したときに書いたというが、単なる旅行記ではないと思う。友人のシャルル・モーリスとの共同での創作であるが、最初の自費出版ではモーリスの詩が交互に章を交えていた。翻訳者の判断で全部削除したとあるが、併せて読みたい心境である。「ノア、ノア」についても、また機会を改めて書きたい。宿題がどんどん増えていく。
私は深い眠りに落ちながら、上にある広々とした空間、青空、群星などを思い描くことができた。私は牢獄のようなヨーロッパの家から、はるかに遠くきているのだ。このマオリー(タヒチ)の小屋は、生命、空間、無限などの個性を少しもさえぎらず、消さない。 しかし、私はここにただひとり孤独を感じていた。 ゴーギャン「ノア・ノア」岩波文庫より
▲都立美術館のファサードにあった球体のオブジェを写す。
(※)追記:福永武彦の「ゴーギャンの世界」という本を読んでいて、このフレーズの原典ともいうべき箇所があったので、簡潔に記しておく。株仲買人を辞め、不退転の覚悟で画業に取り組んでいた頃。カリブ海のマルチニーク島では目的が果たせず、フランスのプロヴァンスに移住した。その時の友人シェフネッケルに宛てた書簡のなかの文章を、福永が引用していたのだ。展覧会のフレーズとも明らかに違っている。
「・・・あまり自然の真似をして描いてはいけない。芸術とは一つの抽象作用(アブストラクション)である。自然の前にあって夢想しながら自然から芸術を抽き出すこと、次いで、その結果として、生まれてくる創作について考えること、それが我々の聖なる主の如くに創造し、神の方に登って行くための、唯一の方法なのだ・・」 福永武彦訳
以上 池澤夏樹の実父である福永武彦がゴーギャンの伝記を書いていたことは知らなかった。ゴーギャンについて調べていたら「ゴーギャンの世界」を見つけ、図書館で借りた。フランス文学者だから原書をいろいろ読んで、詳細に調べ書きあげた福永の力作である。参考図書が記されていないのは残念だが、初版の単行本にはあるかもしれない。私が読んだのは、講談社文芸文庫である。 2016/11/02記
(※)追記2:この「ブドウの収穫、人間の悲惨」は、プロヴァンスに滞在していたときのことを題材にしている。前景で頬杖をして座り込む移民女性をさして、悲惨さを表現している。なぜ悲惨であるか、解釈はわかれるところだが、この印象を元にアルルで仕上げた。ゴッホはもちろんのこと描き続けるゴーギャンの姿勢、この絵の美しさに感動したことをベルナール宛の手紙に書いた。