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広津里香の “金沢時代” @『死が美しいなんてだれが言った』

 


 この本の副題には「思索する女子学生の遺書」とある。そもそも、この広津里香の名を知る人は 金沢人でもそう多くないと思う。


 1938年 東京生まれ
 1951年 父親の金沢大学工学部教授赴任にともない 金沢へ。
父親の萬里(まさと)氏は、金大には1960年まで在籍し、明治大学に移った
 1956年 金大付属高校卒業
 1957年 津田塾大学中退
 1962年 東京大学教育学部卒業
 1965年 早稲田大学大学院修了
 1967年 再生不良性貧血のため死去(享年29歳)


 という経歴の人物です


 この『死が美しいなんてだれが言った』(カッパブックス)は、彼女が金沢時代や東大時代に 日記や詩を書きためたノートからの抜粋で構成されています。構成は以下の通り
  
 1 明日なんか欲しくない
 2 死が美しいなんて誰が言った
 3 私は愛する、全身で 
 4 反抗するのだ
 5 運命がほほえみかけようと
 6 可能性に賭けてきた
 7 私は優雅な反逆者
 8 透明に、より透明に
 9 汚れゆく魂よ
 10 帰りつく場所がない
 11 ノートを閉じよう


 この各章のタイトルを見ただけで、「時代」を感じさせますよね。

 後半はかなり抽象的な思索ノートが続きますが、前半は 金大付属高校時代や東大入学直後の、素直な記述が共感できます。

 P18
  当時の女子高生は『チボー家の人々』をむさぼるように読んだんだね。
 P56
  当時の女子大生は、映画『人間の条件』をむさぼるように見たんだね。
 P60
  「ただ一つ言えること それは『私は自分を信じている』」・・そう言い切れる若さがうらやましいです
 P64  
  東大入学後に金沢の「実家」に帰ってきた記述が続きます。これ片町から犀川大橋に向かい橋の手前を左折し桜橋を渡って川沿いに下菊橋方面に歩いているんだよねえ。12月末の、冷たい灰色の街の風景が目に浮かびます。
 P73
  父親が金沢大学教授を退官し、金沢から離れるとき、金沢駅に工学部の学生たちが見送りに来た風景が記述されています。当時って 駅で校歌をうたい万歳三唱して恩師を見送ったたんだねえ。。時代だねええ
 P211 
  参院選の東京選挙区で自民党が一人も当選しなかったことに大喜びしています。「共産党の野坂さんが第一位という痛快さ。他に社会党1名、創価学会が結成した公明党1名と、市川房江で、保守は一人もなし」といって大喜びしてます。こういう思索にふける学生っていわゆる「既成政党」にはノン!!だとばかり持っていたけど、そういう風になるのは60年代末からなんだろうね。

 そして 僕が一番印象的だったのは 次のノートです。

 P74 金沢を乗り越えることはできるけれど、その時代をなくしてしまうことはできない

 金沢に学び、多くの人は卒業後 新たな場所に移り、少しばかりの人はそのまま金沢に残ったけれど、みんな「金沢時代」をなくしてしまうことはできないね。これは今でも心の拠り所になっている。

 うん うん 確かにそうだ。
 

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