金沢に暮らし始めて40数年.。この街で「見たものは、見た」。最近は「軒端に冬の山晴れて見ゆ」って心境に。
金沢暮らしの日々 ~努力は時々 報われる~
それぞれの「3.11後」
昨年の3月11日には、「あえて地震ことは書かない」という記事を書いた。( これです )
そしてまた1年たち、紅梅の香り漂う弥生3月。被災者にとっては、この2年間「毎日が3.11」だったのではないでしょうか。
そしてぼくはと言えば、直接的に東北の現地に行って「支援活動」にかかわってはいるわけではありません。日々の生活、行動を通じて「3.11後をとう生きるか」を、自らが実践してゆけばいいと思っています。
そのことは、別に他の人に宣伝することでもないし、また集会やイベントに参加することも大事だけど、そうでない方法で伝えてゆくことも必要と思う。僕は自分なりの「3・11後」を日々生きています。
いかに「収束」と言えども、
そこにあるものは
そこにそうして
あるものだ
いかに「復興」と言えども
そこにあるものは
そこにそうして
あるものだ
いかに「絆」と言えども
そこにあるものは
そこにそうして
あるものだ
見ろ
手がある
足がある
うすらわらいさえしている
見たものは
見たといえ
・・・・・・・・・・・石原吉郎「事実」より抜粋
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