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それぞれの「3.11後」 


 昨年の3月11日には、「あえて地震ことは書かない」という記事を書いた。( これです )

 そしてまた1年たち、紅梅の香り漂う弥生3月。被災者にとっては、この2年間「毎日が3.11」だったのではないでしょうか。

 そしてぼくはと言えば、直接的に東北の現地に行って「支援活動」にかかわってはいるわけではありません。日々の生活、行動を通じて「3.11後をとう生きるか」を、自らが実践してゆけばいいと思っています。

 そのことは、別に他の人に宣伝することでもないし、また集会やイベントに参加することも大事だけど、そうでない方法で伝えてゆくことも必要と思う。僕は自分なりの「3・11後」を日々生きています。

 
いかに「収束」と言えども、 
 
  そこにあるものは
  そこにそうして
  あるものだ


いかに「復興」と言えども

  そこにあるものは
  そこにそうして
  あるものだ

  
いかに「絆」と言えども

  そこにあるものは
  そこにそうして
  あるものだ




  見ろ
  手がある
  足がある
  うすらわらいさえしている
  見たものは
  見たといえ



          ・・・・・・・・・・・石原吉郎「事実」より抜粋 

 
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