今日は、シカゴ・ホワイトソックスがタイガースに勝ち、ツインズと同率首位となり、首の皮一枚つながった。(息子の表現)あの超ほそっちいラミレスが、なんと今季4度目の満塁ホームランをかっとばした。黒いガイコツのような形相と細身の体で、がっちりとしたスラッガー、クウエンティン並みのホームランを放つ。どちらが、新人賞をとるのか。クウエンティンは、怪我でずっとお休み。今日のような地区優勝がかかっている試合に、打たなくてはいけないときに打ったラミレスの方が、やはりインパクトはある。明日は、いよいよUSセルラーにて、ツインズとの決戦。6時半からだっけ。明日は何があってもテレビにかじりついて、ホワイトソックスを応援すべし!
このところずっと引越し準備で、1日中片付けと荷物詰めに追われている。誰とも話さず、1分1秒を惜しんで、黙々と作業する。唯一ストレスの解消が、このブログ。今日1日の作業が終わって、やっとパソコンに向かえるわ。
ああ、ブログ、されどブログ!
今日、何気に朝日新聞のサイトをチェックしていたら、「どらく」というコーナーのどらく編集委員の松任谷正隆氏のコラムのタイトル「軽さが心地良いブログ」という9月29日付けの投稿が載っていた。http://doraku.asahi.com/info/doraku/entertainment.html?ref=comtop
以下、その中の部分を引用する。
ブログの軽さは、コンピューターの向こう側にいるであろう人たちの、コンピューターに向かう軽さでもある。コンピューターはコミュニケーションを根本から変えた、とつくづく思う。だから、ブログの感想とかを読むときも、実に気軽に返してくれるているのが気分いい。ときどき、なんだか重いリアクションがあると、なんとも変な気持ちになる。これは軽いメディアなんだぞ、と言いたくなる。
そんなこんなしていくうちに、ブログは僕の生活のリズムの中に組み入れられてしまった。まるで、喫煙者がタバコを吸うみたいに、ふらふらっとコンピューターの前に座ってはなにやら書き始める。一瞬の涼を得ると、また仕事に戻っていく。多くの人たちもこのようにブログに接しているのだろうか。このコラムを書き終えたら仕事に戻って、そしてちょっと疲れたらブログを書こうと思う。
私が現在やっている作業やブログに対する感覚とまったく同じではないか!そうだ、ブログって、私の生活のリズムに組み入れられているんだ。根っからのジャーナリストである私は、いつも書きたいことが頭の中でぐるぐる回っている。見るもの聞くものすべてが興味深く、記者のさまざまな視点でついつい物事を見てしまう。いつも客観的な自分がいる。
ブログを書く前、メディアに記事を書くときは、1つの言葉さえ、徹底的にリサーチをし、裏を取り、きちんとした文章にし、と大変だった。しかも、エディターに記事を送り、記事をエディットされるまで、じっと待つ。新聞に記事がでるまで、数日、通信社でさえ、1分あるいは数十秒後に記事がでても、エディターの添削を終えるまで待たなくてはならない。時には表現のことで、エディターとけんかをしながら。なんてまどろっこしかったんだ!
それがいまやブログで、書いてしまえば、一瞬で世界中に私の記事が流れる。しかも自分が撮った写真つきで。誰の介在もなく、正真正銘の自分自身の文章だ。リサーチしなくても、個人のブログってことで許される。だから、ますます短い時間で記事が出来上がる。そして、話さなくても、みんなに私の言葉が伝わる。メジャーリーグのことでも、いち早く、巨大メディアがリポートしていないシカゴ在住日本人の視点で、アメリカ人がどう日本人メジャーリーガーをとらえているか語れる部分だってある。ジャンルだって、スポーツ、事件、教育、生活、美容、レストランとなんでもござれ。ライターとして、こんな楽しいメディアはない。
ところで、上記の松任谷氏の文章だが、コラムとして書かれている。つまりブログとは一線を博している。ウーン、どうみても、私たちが書いているブログと何ら変わりはないような気がするのだが。ブログなのかコラムなのか境界線もなくなってくるところが面白い。
このところずっと引越し準備で、1日中片付けと荷物詰めに追われている。誰とも話さず、1分1秒を惜しんで、黙々と作業する。唯一ストレスの解消が、このブログ。今日1日の作業が終わって、やっとパソコンに向かえるわ。
ああ、ブログ、されどブログ!
今日、何気に朝日新聞のサイトをチェックしていたら、「どらく」というコーナーのどらく編集委員の松任谷正隆氏のコラムのタイトル「軽さが心地良いブログ」という9月29日付けの投稿が載っていた。http://doraku.asahi.com/info/doraku/entertainment.html?ref=comtop
以下、その中の部分を引用する。
ブログの軽さは、コンピューターの向こう側にいるであろう人たちの、コンピューターに向かう軽さでもある。コンピューターはコミュニケーションを根本から変えた、とつくづく思う。だから、ブログの感想とかを読むときも、実に気軽に返してくれるているのが気分いい。ときどき、なんだか重いリアクションがあると、なんとも変な気持ちになる。これは軽いメディアなんだぞ、と言いたくなる。
そんなこんなしていくうちに、ブログは僕の生活のリズムの中に組み入れられてしまった。まるで、喫煙者がタバコを吸うみたいに、ふらふらっとコンピューターの前に座ってはなにやら書き始める。一瞬の涼を得ると、また仕事に戻っていく。多くの人たちもこのようにブログに接しているのだろうか。このコラムを書き終えたら仕事に戻って、そしてちょっと疲れたらブログを書こうと思う。
私が現在やっている作業やブログに対する感覚とまったく同じではないか!そうだ、ブログって、私の生活のリズムに組み入れられているんだ。根っからのジャーナリストである私は、いつも書きたいことが頭の中でぐるぐる回っている。見るもの聞くものすべてが興味深く、記者のさまざまな視点でついつい物事を見てしまう。いつも客観的な自分がいる。
ブログを書く前、メディアに記事を書くときは、1つの言葉さえ、徹底的にリサーチをし、裏を取り、きちんとした文章にし、と大変だった。しかも、エディターに記事を送り、記事をエディットされるまで、じっと待つ。新聞に記事がでるまで、数日、通信社でさえ、1分あるいは数十秒後に記事がでても、エディターの添削を終えるまで待たなくてはならない。時には表現のことで、エディターとけんかをしながら。なんてまどろっこしかったんだ!
それがいまやブログで、書いてしまえば、一瞬で世界中に私の記事が流れる。しかも自分が撮った写真つきで。誰の介在もなく、正真正銘の自分自身の文章だ。リサーチしなくても、個人のブログってことで許される。だから、ますます短い時間で記事が出来上がる。そして、話さなくても、みんなに私の言葉が伝わる。メジャーリーグのことでも、いち早く、巨大メディアがリポートしていないシカゴ在住日本人の視点で、アメリカ人がどう日本人メジャーリーガーをとらえているか語れる部分だってある。ジャンルだって、スポーツ、事件、教育、生活、美容、レストランとなんでもござれ。ライターとして、こんな楽しいメディアはない。
ところで、上記の松任谷氏の文章だが、コラムとして書かれている。つまりブログとは一線を博している。ウーン、どうみても、私たちが書いているブログと何ら変わりはないような気がするのだが。ブログなのかコラムなのか境界線もなくなってくるところが面白い。