Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

ペイトンズ・ヒルからの不思議な夕焼け

2008-07-25 | アメリカ生活雑感
うちの近所にペイトンズ・ヒルという有名な丘がある。地元シカゴベアーズの名選手ウオルター・ペイトンがこの丘をトレーニングしていたことで知られる。この丘から見る夕日が絶景だということに最近気付いた。うちのタウンハウス群の西の方角からバラ色の夕焼けがたなびいて、この丘につながっている。



もうこのピンクとグレーが入り混じった抽象的な色彩が目にはいると、ふらふらと足がペイトンズ・ヒルの方に向かってしまうほどの強烈な引力がある。いつもは緑が眩しい中で、息子たちはペイトンズ・ヒルを息を切らしながら走り、私は気持ちよく闊歩する。この丘は、二コル・ノールというゴルフ場にもなっていて、昼間は子供も大人も夏は気持ちよくゴルフに興じる。

しかし、太陽が沈む直前の夜の9時前にこの丘に登ると・・・強烈なオレンジ色の太陽が地平線付近に張り付き、グレーの雲とダークブルーの空の色が微妙に入り混じった大パノラマが視界に広がる。このアーティスティックな空は、あたかも別の次元にすっぽりとおちいったかのように、奇妙な感覚を私たちに抱かせる。空の空間が楕円状に押し付けられたかのように、渦巻いているのだ。不思議に思い、東の方の空を見ると、なんら普通のダークブルーの空だ。



ペイトンズ・ヒルが高いからこんな光景に出くわしているのか、このあたりの自然がなせる技なのか・・・通常の生活で、こんな美しい世界を垣間見れるなんて・・・ペイトンの魂がもしかするとこのパノラマを創りあげているのではなんて、おおげさなことまで考えてしまう。

丘を降りる途中で、2人のゴルファーが「いい写真とれたかい?」と話しかけてきた。2人ともペイトンズ・ヒルのことを知っていた。アルゴンキンから来たという。この場所は、みんなから愛されたウオルター・ペイトンの思い出と共にみんなから愛されている聖地なのだろうか。2人とはほんの一瞬の出会いだったが、名前までお互い言い合い、握手をして分かれた。

今日送別会をして、8月1日に日本に帰国する友達が、「車を走らせながら、この光景が最後かと思うと、涙がでてくる・・・」と声につまっていた。シカゴやアーリントン・ハイツの1つ1つの美しい1コマの風景。すべて記憶にとどめておきたいと思いながら、この丘をカメラに収めた。

独立記念日の家での過ごし方~パレード、野球、バーベキュー、花火

2008-07-05 | アメリカ生活雑感
今日は、7月4日独立記念日。のんびりできるかと思いきや、忙しい。朝は、日本から来ている父を連れて、アーリントン・ハイツ恒例の記念のパレードを見に行った。6年以上もシカゴにいるのに、このパレードを見た記憶がない。

毎年、レクレーショナル・パークで行われる「フロンティア・ディズ」というカッコいい題名の大掛かりの独立記念日のイベントの一環で、町中の人々が繰り出して、パレードを盛り上げているようだ。かなり込むと聞いていたので、トーマス・ミドル・スクールに車を駐車して、歩く。しかし、ここに駐車してあった車はうちもあわせてたった2台。みんな込むのに、路上駐車しているってわけ。

ダントンとオークトン・ストリートの交差するあたりからパレードは始まる。パレードを見る場所を探して、ダントン・ストリートにでると、道の両側に人々がローンチェアを置いたり、毛布をひいて、場所とりをしていて、まったく入り込む場所がないほど込んでいた。アメリカ人にとって、パレードがそんなに大事なのか!毎年恒例のパレードを見ないと、独立記念日は始まらないってわけなのだろう。

いよいよ10時過ぎにパレードが始まる。大きなバイク4台に乗ったサングラス姿のポリスがまず先導。とてもカッコいい!



ポリスの面々が各自さまざまなポリスカーを見せながら、ニコニコして、手をふる。みんな助手席に自分の小さな子供を乗せているのが、ほほえましい。俺たちがこの町を守っているんだよ!安心しな!って感じかしら。

その次は、消防署のアピール。大きなファイアーエンジンが小さな道を誇らしげに通る。

おっと、我らが町、アーリントン・ハイツのアイリーン市長がにこやかな笑顔で手をみんなに振っている。なかなか美人なので、これまた決まっている。



一番人気だったのは、なんといっても元兵士たち、老人のベテランのパレード。この人たちが来ると、みんな立ち上がって、敬礼するかのように、じっと見守って、拍手喝采。



独立記念日でもあり、ベテランというのは、みんなから慕われているものなのだ。この人たちの命をかけた働きで、今の自分たちの平和で幸せな生活があるのだとみんなが自覚していることが、アメリカらしくって、私たちも見習いたい。

活気だったのは、ローリングメドーズ高校やハーシー高校などのブラスバンドの演奏パレード。派手な衣装を着て、みんな音楽と動きがそろって、大人っぽい。晴れの舞台なのか!私も思わず、自分の子供が演奏するのを見るかのように、真剣に見て拍手していた。



このパレードは、アメリカの一端を垣間見るようで、なかなか面白く、父を連れてきてよかったと思った。

午後は、息子たちが所属するバッファローグローブのリトルリーグ、BGRAのボランティアワークで、昨日から行われているオールスター戦のお掃除おばさんに徹し、ジェイ・ジョーンズというフィールド内のゴミを拾う。あまり落ちてないので、試合を観ることにした。14歳のリーグのホームラン競争に続いて、小学5年生のスタリオン・リーグのオールスターゲーム。日本人の知り合いのアオイ君がホワイトソックスを代表して出場していた。このリーグの試合では、勿論日本人が1人。めちゃくちゃカッコいいね!明日は、いよいよ上の息子がオールスターゲームでチームを代表して、闘う。楽しみだ。

夜は、焼肉を焼いて、家の庭でバーベキュー。花火を見ながら、優雅だ。毎年、うちの近所の二コル・ノールの丘に登って、180度見渡しながら、さまざまな花火を見ていたのだが、今年はうちにいた。もうあの絶景は、去年が最後となるのだろうか。


シカゴはやっと野球日和の天気に!

2008-06-01 | アメリカ生活雑感
今日は、美しい初夏の雰囲気が漂う、絶好の野球日和のさわやかな土曜日だった。今年のシカゴの5月は、今まで体験もしたことのないような不安定な肌寒い天候。ちょっと暖かくなったかなと思ったら、凍えるほどの冬の寒さの中、子供たちは、体を震わせて、長時間野球の試合をやっていた。観ているほうも風邪を引きそうだった。まさに、忍耐の2008年5月。

明日、シカゴ日本人学校の運動会があるのを控えて、そのことを忘れるぐらい下の息子は、バッファロー・グローブのウィロー・グローブ・フィールドでの試合に没頭した。幸先のいいヒットを含む、いいヒット性の力強いあたりも毎回でて、バッティングの調子がいい。毎日のバッティング練習がいい結果を生むことが、息子自身わかったようだ。息子のチーム、インディアンズのメンバーもみんながそれぞれいろんな面で活躍し、レッズに6対2と快勝。

監督のアルも試合後のミーティングで、メンバー全員がどう活躍したかを詳しくほめ、チームワークのよさも強調。みんなの活躍で、今日のゲームボールは、投げやすい球を投げた、(ピッチャーがフォアボールをだすと、攻撃側の監督が投げるというルール)監督のアルへ。

毎回、毎回、試合をやるたびに、みんな少しづつうまくなっているのが観ていてわかる。息子のバッティングが、体がぶれずに、ミートがうまくなり、力強くなって、ヒットがでだした。今は、本人も試合が面白くてたまらないらしい。試合をやりながら、体で覚えていくアメリカのリトルリーグ。整備された芝生の美しさと共に、周りを囲む大きな緑の木々が、さわさわと揺れるたびに、あたかも子供たちのことを応援しているような感じがした。こんな美しい環境で、やさしいアメリカ人のお父さんコーチたちに導かれて野球ができる息子たちは、幸せである。


写真は、監督であるコーチ・アルを囲んでの試合後のミーディング風景。1人1人の試合での活躍をほめる。1人1人をアルが、とても細かく見ていてくれるのがわかる。みんな息子も含めて自分がゲームボールをもらえるのではないかと期待している。

シカゴでみんなが健康であることの幸せ!

2008-05-07 | アメリカ生活雑感
今週は、下の息子の咳がひどく、薬を飲んでも止まらないので、見ていて本当につらい。今まで病気で休んだことのなかった子が、今日で3日も休み、私は1人でハラハラしている。先週からせき込みだし、金曜日、月曜日、そして今日と病院通い。昨日は、ずっと楽しみにしていた遠足だったのに、行けなかった。こういうこともあるのだなと肝に銘じ、シカゴで健康に過ごせることがいかに幸せなことだとつくづく思った。

シカゴ生活での基本、自分を含めて、家族みんなが健康であること、車が無事に動くためにメンテナンスをきちんとすること。この2点は基本中の基本。車が動かなくなると、すべてに影響する。うちの大事な愛車は、トヨタのシエナ。少しでもおかしいと思ったら、すぐにトヨタに持っていき、しつこくチェックしてもらう。言っていることがわからなければ、しつこく聞くし、余計なサービスを押し付けられそうになったら、主人に確認。ここの判断がむつかしいけど。なんといっても、みんなの命がかかっている。車の健康も第一だ。

息子の一大事に加えて、日曜日から主人のいとこ親子が日本から来ている。息子の病気で、やるだけのことはやりながらも、2人の面倒がみれなくなったので、近所のエンタープライズというレンタカー会社に車を借りてもらった。しかし、逆に車を思いきって借りて、自分で自由に動けるようになったので、うれしそうだ。明日は、自力で、車でUSセルラーフィールドへ向かうとのこと。よかった。とても短い滞在だが、金曜日には、帰る。私も息子が病気中なので、自分ができることだけやった。でも、いとこの小学6年生の息子が、「また、夏あたりシカゴに来たい!」と言ってくれている。主人が、週末上の息子の野球の練習に参加させたり、息子のリトルのチームの試合を見せたりと、少しでもこちらの自然な生活を感じられるよう努力していた。

下の息子は、大変だったが、主人のいとこ親子の方は、なんとかなった。息子も明日こそ咳が止まって、学校に行けますように!

主人の友達も今週大怪我をして、今日手術だった。さぞや奥さんは心配で眠れないことだろう。絶対に早く良くなることを強く願う!

2羽のダックの夫婦の訪問~寒いシカゴの春

2008-04-29 | アメリカ生活雑感
小ぶりの2羽のダックの夫婦がいつもうちのタウンハウスの周りを散歩している。先週8時前頃、うちのバックヤードの芝生に静かにたたずんでいた。1羽は、美しい緑の羽を持ち、もう1羽は茶色のまだら模様だ。

最初、なぜ違う種類のダックがいつも仲良しで一緒にいるのだろうと不思議に思っていた。アメリカ人の友達に言うと、それは、緑の美しいほうがメスで、茶色がオスだという。「そうだ!下の息子の交流学習でネーチャーセンターを訪れた時に、説明があった。」と思い出した。メスは、その美しさでオスを引き付けるという。

今日は、先週とほぼ同じ時間にフロントヤードでくつろいでいた。私が車で脇のガレージに止まっても、微動だにしない。我関せずといった感じだ。2羽でときどきおしゃべりをしているような雰囲気だ。そのうち、うちと隣のうちの間の小道をよちよち歩いていく。シャッターチャンスとばかり、そっと写真を撮る。うちの前のチューリップがはえている土をオスがつついている。メスは、「ねえねえ、どうしたの。」と騒いでいる。私は、思い切って近づき、シャッターを切り続ける。あっと思った瞬間、2羽は私に気がついて、すごい勢いで、その羽を体の2倍ぐらいに広げて、はるかかなたへ飛び去ってしまった。

このタウンハウスでは、ずいぶん前に、一度親の茶色のダックと可愛らしい雛たちが10羽ぐらいよちよち一列に並んで散歩するのを見かけた。私が追うと、大急ぎでみんな一直線に並んで逃げていく。なんて、かわいらしい鳥たちだったのだろう。

そして、次男が2歳ぐらいの小さなときに、バッファロー・グローブのパーク・ディストリクトの建物の裏の小川で見つけた親のダックと小さな雛たちの泳ぎも思い出した。その頃、次男が小さくて、私は自分の時間が持てずにいらいらした日々を送っていた。でも、そのダックたちをとても大事に育てていた(その頃は)次男と見て、小川のきらきらした輝きと共に、「この瞬間は一生忘れないだろう!」と心の中で思った。どこに行くにも一緒だった「次男の子育てに悔いはないな。」とも思った。ダックやうさぎやリスたちは、母国日本から離れて、異国の地で忙しい生活を送っている私たちを癒す力を秘めている。今日のダックたちが、またもどってきてくれるといいが。

3年に1回、乾燥機の通気孔のお掃除は必須!

2008-04-25 | アメリカ生活雑感
今日は、自分のことはさておき、アメリカでの生活上、絶対必要なこと、ドライヤー・ベント・クリーニング(乾燥機の通気孔掃除)を業者にしてもらった。タウンハウスの管理会社からしつこくするように言われていて、6月30日までにしないと、100ドルの罰金というほどの厳しさなので、暖かくなったらすぐやらねばと決めていた。

12月の管理会社の会合で、このタウンハウスの各ユニットの持ち主は、3年に1回はプロのクリーニング会社にしてもらわないといけないというルールが、新しくできたからだ。この乾燥機の風が外にでていく通気孔の部分がごみでつまると、火事の原因になるというから、みんな必死でやるというわけだ。

管理会社の推薦で、この辺りでは、安価で、エクセレントな仕事をすることで定評のプロフェッショナル、ロン・マクファーレンに頼む。10時過ぎに大きな声のロンが到着。電話では、恐ろしくすごみがあったので、さぞや中西部の太っちょのおっちゃんを想像していたら、すらりとした背の高いおじさん。なんと92歳になるよぼよぼのおじいちゃん(ロンのお父さん)をアシスタントに連れている。

ばかでかい丸い形の掃除機のようなもので、乾燥機の回りを掃除し、まず、通気孔と乾燥機をつなぐパイプが、プラスティック製で法律に違反しているとのことで、捨てるよう指示された。これも焼けてしまうというわけだろう。金属製のに取り替えられた。

しばらく、通気孔を乾燥機がある側から掃除していたが、うまくいかないので、屋根の上についている通気孔の出口をロンがチェック。なんと出口に小さなスクリーンがあり、そこにごみが大量にくっついて風をさえぎっている。「管理会社の雇われ掃除人が取らなければいけないのに・・・」とロンがぶつぶつ言っている。これを何年もほっておいたら・・・と思うとぞっとする。それをロンがとりのぞいて、出口周辺を掃除すると、見事に風が通って、細かいごみが出て行く!

掃除機の横の椅子にちょこんと座ったロンのお父さんが、ロンの指示で、でかい掃除機のスイッチを押す役目。掃除機の騒音で聞こえにくいので、ロンがすごい声でどなる。おじいちゃんの耳が遠いらしく、ときどき指示もよくわかっていない。怒っているのかと思うほど、ロンは怒鳴る。ロンが屋根に上っている時は、このおじいちゃんは暇でウトウト。ウーン、不思議だ。

あっという間に掃除が終わり、時計を見たら、10時50分。40分でやってくれた。部品も取り替えたので、計140ドルなり。しかし、手早く確実な仕事で、安いとみた。皆さんもまだドライヤー・ベント・クリーニングをしていなければ、ロンに頼めば、すぐに手際よくやってくれますよ。

Just Dryer Vents, Ron MacFariane 847-634-8688

写真は、右がロンで左がアシスタントの92歳のおじいちゃん
右上の方に見える黒い突起が通気孔の出口で、ここに小さなスクリーンがあり、ごみがつまっていた。

次男とバレンタイン・チョコレート作りを楽しむ

2008-02-13 | アメリカ生活雑感
今日の夜は、2月14日のバレンタインをひかえて、次男がどうしてもチョコレートを作りたいと言うので、二人でバレンタイン・チョコレート作りをした。次男は、さまざまなアメリカと日本のイベントに敏感な子で、小さな頃からいろんなイベントにからむことは、必ず自分でやらないと気がすまない。

ウィークディは、学校があり、帰ってから宿題をやって、その後習い事も兄弟であるので、こういう時間を見つけるは、普段は至難の業。ただ、冬は、習い事で毎日スケジュールが埋まらず、ゆるやかなスケジュールだから、こういうこともできる。次男は、父親に似て、料理好きらしい。(主人の料理は、私より凝っていて、とてもおいしいと長男は言う)次男は、ワイワイ言いながら、チョコレート作りをとても楽しそうにする。

お湯でチョコレートを暖め、ゆっくり溶かし、カップに流し入れ、次男が飾りつけを真剣にする。女の子が喜んでやりそうなことを率先してやる次男。「このピンクと白のハートがいいかな・・・それともこっちの赤いハートがいいかな。」とじっくり考えながら、キラキラ光る粉も入れて、その出来上がりに満足そう。

なんだか、次男に引っ張られて、無理矢理やったチョコレート作りだったが、私のほうが最後幸せな気分になり、誰にあげようかと考え始めたほどだった。次男に「好きな女の子にあげたら。」と言ったら、「ウーン・・・」と真剣に考え込んでいた。

ミツワの「味の素の冷凍餃子」は大丈夫!

2008-02-10 | アメリカ生活雑感
土曜日にミツワに行くと、かなり込んでいる。今日は時間帯がずれたせいか、すいていた。日本での餃子問題が心配になったので、先週、冷凍コーナーで、子供たちの好きな「味の素の冷凍餃子」がどうなっているか確認した。注意書きがたらしてあって、「ミツワの味の素の冷凍餃子は、オレゴン州ポートランドで作っているから、安全。」と書かれている。よかった!

冷凍餃子は、夕方習い事の日の忙しい時など、焼くだけで、簡単に一品できるから、重宝する。そして、勿論、うちの子供たちのお弁当の一品としても欠かせない。日本人学校全日校は、ご存知、木曜日を除いて、毎朝弁当を子供たちは持っていかなくてはいけない。私たち母親の一日は、この弁当作りがそこそこ大仕事である。最初の頃は、「ああ、弁当作りさえなければ・・・」とぼやいていた。しかし、毎日とにかく作らなければいけないので、適当に手抜きもしながら、(実は毎日手抜きしてるけど)冷蔵庫の物を組み合わせながら、なんとか一週間を終える。弁当を作り終わって、子供たちをバスストップに送ると、「ああ、一仕事完了!」という気持ちになる。

冷凍餃子以外でもさまざまな冷凍物が弁当には欠かせない。金平ごぼうの冷凍、コロッケ、魚の小分けされた冷凍パック、たこ焼き、から揚げなどなど。日本のスーパーに比べて、品数は少ないが、この一品で、弁当作りの時間がかなり短縮されるので、まさにミツワの冷凍さまさまなのである。

冷凍物を手にとって、どこで作られているかチェックして見ると、日本だったり、サンフランシスコだったり。はたまた、海老フライは、なんとタイ産であった。今までミツワの商品がどこで作られているかあまり気にしなかったけど、かなりの商品が、アメリカで作られ、日本と同じ味に仕上がっていることに気付いた。

日本の食品会社が、アメリカで、現地の人たちをトレーニングし、日本の味にしているのだろう。おかげで、私たちも日本食が新鮮で、安全に食べれる。ありがとう!

かつて、私たちが、80年代にニューヨークとニュージャージーにいた頃は、こんな食材は手に入らなかった。私は留学生で、主人は収入もさほど高くない駐在員に毛がはえたようなエンジニア職。車を持つなんて夢のまた夢。日本人はまったくいないような治安の悪い場所のぼろホテルの1ベッドルームに住み、日本食は1ヶ月に1回ぐらい古いものをマンハッタンの小さなお店で購入していたような記憶がある。日本の新聞もマンハッタンの紀伊国屋で(その頃の紀伊国屋は今の紀伊国屋の5分の1ぐらいの大きさだったかなあ)たまにしか購入しなかったなあ。マンハッタンの日本食レストランで深夜までウェイトレスのバイトもしたし。マンハッタンをてくてく歩き回り、電車で、いつもペンステーションから20分ぐらいかかる自分たちの住んでいるニュージャージー州のエリザベスという駅まで帰った。その当時でもおそらく日本人が多く住むフォートリーにヤオハンというスーパーは存在したのだろうけど、そこに行ったこともなく、日本人コミュ二ティと私たちは無縁であった。美容院もまったく行かず、コーヒー一杯も飲まず、節約していた貧乏留学生の1人だった。

その頃に比べると、私たちのアメリカ生活は、一変した。どっぷり日本人コミュニティの中心に住み、車2台、ミツワ行き放題、インターネットで日本情報には事欠かず。部屋だって、広々。快適、快適。

と考えると、弁当作りなんて、楽なもんよ!上の息子の食べる量がすごいので、1年以上前にミツワで大きな弁当を保温するランチジャーを購入した。お茶碗1杯以上の量のほかほかのご飯に、おかずを目いっぱい入れ、おまけに味噌汁まで入れちゃう。あげくのはて、ホールフーズの上等のリブアイステーキ(間違いなくオーガニック)まで焼いて、オーガニックのサラダと共に弁当に入れちゃう。息子は、さぞや、ランチタイムが楽しみであろう。もしかすると、今の私たちの贅沢な食生活は、貧乏なあの頃の反動ではないか。

冬は寒くてシカゴの生活は大変だけど、日本人学校やミツワ、そして日本クリニックが近くにあるので、幸せな駐在生活を送れていると思う。ミツワの従業員の方々いつもご苦労様です。


写真は、味の素の冷凍餃子と息子たち愛用のランチジャー

シカゴでマンガ「Death Note(デスノート)」を再び読む

2008-02-09 | アメリカ生活雑感
今日読んだ日本発の記事に、また「Death Note(デスノート)」の人気が再燃しているという。うちの上の息子も、未だにユーチューブや全13巻(12巻で完結、13巻は真相)ある本で、この人気マンガを夜よく見ている。うちの息子は、いわゆる本の虫で、最近は大人の本をかたっぱしから、熟読して、同じ本も繰り返し読むが、(日本人メジャーリーガー松坂や松井秀喜の本は一つの本につき、最低でも十回は読んでいるもよう)勿論、マンガも気に入った本は何べんも繰り返し読む。

実は、私もこのマンガを描いている小畑健さんの大ファンで、その高度なシュールでアーティスティックな世界に魅入られている一人だ。小畑健といえば、ご存知「ヒカルの碁」で一世を風靡して世界中に碁ブームを引き起こした漫画家。私は、この「ヒカルの碁」で小畑健の画風が大好きになった。

「デスノート」の内容に関しては、かなりの親たちは、「うーん」とまったをかけるだろうが、(3年前ぐらいに子供がこれを借りてきたときは、私もその題名に驚いた)その劇画の描写力は、もうマンガの域を突き破り、完全なコンテンポラリーアートとしても君臨できるのではないかと思う。

数年前、ハーパーカレッジの「西洋美術史3」(現代アートが中心)のクラスで、各自リサーチして、自分自身がキュレーションして、個々のアーティストを紹介するミニ展覧会を開くという企画があった。私はもう一人の学生と組んで、世界でも注目されている村上隆や奈良美智、森村泰昌などいまどきの日本の現代作家を紹介した。そこに、勿論、デスノートの漫画本も持っていった。私は、村上や奈良の作品よりも小畑マンガ作品が好き。森村さん(彼だけさんづけします)に関しては、私は昔よくインタビューさせてもらってお世話になっているので、そんなことは絶対に口がさけても言えません。(世界的に有名なアーティストだけど、とてもいい人で私は大好きです)

この企画をしたステッファニー・リムランドという女の先生は、日本の現代アートの大ファン。「デスノート」の描写を「すごい!」と見入っていた。彼女のオフィスは、キティちゃんなどの可愛い日本のフィギアでいっぱい。私がアキバで買ってきたセーラー服の女の子のフィギアもお気に入りらしく、大事に飾ってあった。パソコンの壁紙も日本人の若い女性作家のゾウさんのアニメ風な作品を使っていて、「カワイイ!」と日本語で言う。

おっと、話は、「デスノート」にもどるが、デスノートの力で、世界をよき方向へ導こうとし、大量殺人を犯してしまうという主人公、夜神月(やがみライト)。デスノートに書かれた名前の人々は、必ず死んでいく。その冷血で崇高な美しさを放つさまざまな彼の顔の描写を見ているだけで、ぞくぞくする。数年前、デスノートが映画化されたブームの時は、ライトと彼の敵対するエルのフィギュアがのどから手が出るほどほしかった。

「デスノート」を見ている息子の横で、「ああでもない、こうでもない」とデスノートのことを話しながら、シカゴの夜はふけていく。息子も中学生になっているので、野球とか興味がある事に関しては、大人の(いや、私以上に精神年齢は上か)会話ができ、息子もしゃべりだしたら、止まらない。親子で共通の話題があるというのは、いいことだと思う。息子が思春期に突入して、親子の会話は減るかと心配したけど、シカゴという地で、部活もない長い冬の夜では、やりようによっては、親子で楽しめるということ。子供たちの世界を全面的に否定するのではなく、自分も一緒に楽しんじゃうと気が楽で、子供たちもうれしいんじゃないかな。

車が雪の中につっこんだケース2件のこわ~い思い出

2008-02-08 | アメリカ生活雑感
さて、今日の朝の投稿で、2軒隣の黒人の女の人の車が雪につっこんで、動けなくなり、うちの上の息子が助けたという話を書いたが、似たようなことが今まで過去に2回ほどあった。両方とも、日本人学校のバスストップ内での出来事だ。

私たちがこちらに来て、1年ぐらいたった頃、学校の帰りのお迎えの時、子供たちをバスストップでピックアップして、帰ろうとした瞬間、バス当番さんが、何か叫んでいる。どうしたのかというと、1人の人の車がバスストップのモールに入る入り口で、右側の路肩に思いっきりつっこんでしまい、完全にスタック(雪に埋まって、車が動けない状態)してしまったのだ。どうアクセルを踏んでも、タイヤは空回りし、前に進まない。

数人の人たちが残っていたので、みんなで「どうしよう!」と思案してして、もうトリプルAを呼ぶしかないかという話をしていたら、どこからともなく、トラックが止まる。そして、禿げ上がった、刺青でもいれていそうな、いかにも怪しそうな(日本でいえば、ヤクザっぽい)いかついアメリカ人のおっさんがでてきた。

そして、いかにも「俺がなんとかしてやるから」という感じで、「どうしたのか」と聞いてきた。「なんてやさしいアメリカ人なのか。人はやはり外見で判断しちゃだめね!」と私は感動しながら、彼がどういう行動をとるか期待して見ていた。

そうしたら、ロープを取り出し、「これでこの車につけて、俺のトラックが引っ張るから、少しづつアクセルを踏むんだ。ただし、50ドルだぜ。」とのたまわったのだ。なにー!こいつは、やっぱり、その道の人だったのね。

友達は、子供の習い事で急いでいたようで、しょうがなく、うなずく。結果、見事にトラックはその車を引っ張り、すぐに脱出。やれやれ。50ドルね、払えばいいんでしょ!その時は、この手の人は、雪の日はうろうろしているかと思ったんだけど、それ以来出会ったことがない。

さて、2回目の経験談。去年の今頃だっけ。やはりバスストップのモール内でのこと。友達のお父さんの車のタイヤが穴があった場所にスタックしてしまった。このときは、みんなで囲み、4,5人でその車を押した。なかなか動かない。

その時、いつ見てもカッコいい(ちょっとしぶさもただよう)ミナミちゃんのお父さんが、「毛布がないか」と言って、みんなで毛布をそこに引き、またみんなで押す。ミナミちゃんのお父さんは、このとき、本当に一生懸命にいろいろと手を尽くしていたので、私はその純粋な人助けをする姿にまたまた打たれてしまった。そのスタックした車のご主人の奥さんが、「会社に遅れるから、もういいです。申し訳ないです。」と言うのにもかかわらず、「そんなことはどうでもいい。」と言わんばかりに、必死で車を押していた。そして、その車は無事に抜け出た。その日何人もの人たちが、同じ場所でスタックしたので、次の日、バッファロ・ーグローブの公共の車がでて、その穴を直していた。

二つの対照的なスタック事件だが、基本的にアメリカ人は、困っている人、弱い人に手をさしのべる。キリスト教の精神からきているのだろうが、見てみぬふりをするケースが多い日本人は、見習うべきであろう。

昨日の息子といい、ミナミちゃんのお父さんといい、「みんないい意味でしっかりアメリカナイズしているね。」と主人と二人でうなずきあっていた。でも、なかなか困っている人をとっさに助けるというのは、簡単に見えてむつかしいものだ。

ところで、この人騒がせなバスストップ、ダンディー・ロードとアーリントンハイツ・ロードにあるウオルグリーンのそばなのだが、ダンディー側のウオグリーンに入る入り口が鋭角でとてもせまくなっている。ここに最初のケースはつっこんだのだ。この入り口では、私も含めてみんなスライドしている。要注意の箇所だ。

写真は、うちのガレージの前に息子たちが雪かきをして積み上げた雪。しかし、この雪もあちこちに積まれて、車を運転するときに、視界がせばまり、かなり危険なのよねえ。