Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

リトルリーグ、パイレーツのグッドラックは、靴下にあり!

2008-05-25 | リトルリーグ
今日は、美しいシカゴ本来の5月の気候の下、息子たちのリトルリーグの試合がバッファローグローブのエムリックというフィールドであった。午前中は、下の息子たちのチーム、インディアンズ対カブスの試合。

なんだか今日は、みんな元気がなく、ボールもぽろぽろ落とす。こんなに天気がいいのに、打線もイマイチ。よって、7対2で、5点差がついたので、5回でコールド負けをくらう。息子もヒット性のあたりがファールになり、三振して、がっくり。

さて、上の息子のパイレーツは、このところ連敗中。打線はいいんだけど、守備にミスが重なり、せっかくピッチャーが頑張っていても、あと少しで負けてしまっていた。今日は、前回負けているナショナルズとの対戦。

今日は、キャプテンでキャッチャーのケンの提案で、なんと靴下を右左黄色と黒をバラバラにはいてこいとのメールでの指示。なぜか、今シーズン、靴下が黒と黄色と2種類支給された。パイレーツの基調がこの2つの色だからか。最初の頃、監督の指示で、いやいやながら黄色をはかされていたが、負けが多いため、黒にみんな変えたのだが、これまただめ。よって、ケンが苦肉の策で、奇想天外の左右違う色にしてみたよう。出て行くときの、息子の後ろ姿が妙にマヌケに見える。だって、右左バラバラの靴下でプレーするなんて・・・ちょっと恥ずかしいし、どう見ても、勝てそうに見えない。こんなバカらしいことをまじめな息子がするなんて、やはり、チームの一員だ。「キャプテンのケンの言うことだから、しょうがない。」と、全然気にしてない。

しかし、なんとなんと、これが、当たった!息子が先発で、わりといい調子。3回まで好投し、4回で守備の乱れとフォアボール連発で、5点差になってしまったが、パイレーツの打線が爆発し、ひっくり返した。息子も鋭いシングルヒットと外野の深いところまで持っていった大きな2塁打と俊足で、両方とも本塁を踏む。このところ打順は1番で、足の長さを生かした歩幅のチーム一速い足で引っ掻き回している。「どうやったらあんなに速く走れるんだろう?」と超太っちょで恐ろしく鈍足のケン(キャプテンではないほうのケン)が、真剣に主人に聞くほど速いらしい。主人は、ケンの後に息子の打順は絶対持ってこれないと言う。ケンが塁に先にでると、息子が追い越してしまう恐れがあるためだ。

息子の大きな2塁打の後、3番マイケルも全開のすさまじいスウイングで、3塁打を放ち、うちの息子とマイケルとで、相手のピッチャーにスラッガーのこわさを見せつけた。ああ、なんて気持ちのいい試合だろう!マイケルのお母さんのコーニーと思わず、母親同士ハイファイをしまくった。なんて、子供っぽい親たちだろうね。相手のチームの子供たちに悪いけど・・・

結局、12対10で、久し振りにパイレーツの勝利。私たち親もすっきり気分は最高!子供たちのチームが試合に勝った日ほど、うれしいことはない。試合が終わって、キャプテンのケンに「また、この(違う色の)ソックスで行こう!」と言い合いながら、ケンを写真に収めた。ケンのユニフォームの左胸には、キャプテンであるパイレーツの象徴、海賊のがい骨のマークがはいっていて、すごくカッコいい。長身長髪のケンに合う。(最近のこのあたりのアメリカ人の男の子のティーンは、長髪好みだそうです。うちのチームもみんな髪の毛をたなびかせて、プレーしている)やっぱり、キャプテンだから、わかっているのね。皆さん、ケンの足元に注目!

ふところの深いアメリカのリトルリーグ

2008-05-16 | リトルリーグ
今日の下の息子のリトルリーグの試合で、またまたアメリカ人のふところの深さに脱帽した。息子は、先週花粉症からくるひどい咳で、2試合欠席、今週は、スタマック・フルーの可能性で、学校もまた休みとまったく練習不足の状態。病気のため、体力も落ちている中、やっと今日体調がもどってきた。だが、今日は、きき腕の右肩が痛くて、ボールがうまく投げれない。恐ろしくついていない息子。こんなに悪いことが続くのもめずらしい。

しかし、息子は痛いのを我慢しながら、どうしても「試合でプレーしたい。」という。よっぽど試合をするのが面白いのだろう。私としては、無理して肩を痛めたりしたら大変と心配しながら監督のアルに聞くと、「やりたいのなら、やらせてみよう!」とまったくの太っ腹。普通の監督なら、肩を抑えながら、プレーしている子供を見たら、試合にださせないだろう。他のコーチたちも心配して私に聞くが、「アルが許可した。」と言うと、ふんふんとうなずいている。ボスであるアルの決定には、みんなハハーッとばかり従う。

息子のチーム、インディアンズは、ピッチャー以外は、みんな内野と外野を半分半分づつ公平に守備を回す。肩の痛い息子にボールが来ないように祈る。幸いほとんどボールが飛んでこなかったので、ほっとする。

しかし、バッティングの方は、肩の力が入らず、2三振をくらう。コーチたちも息子本来のバッティングができていないのを練習の時からすぐに見抜いていた。あーあ、これじゃあ、いくら頑張ってもバッティングも今日はうまくいかないなあ・・・と私もがっくりきていると・・・

相手は、なかなか強豪のカブスだが、2対2の同点で、最終回。2アウト満塁、1打サヨナラの最重要場面。なんと息子に打順が回ってきた。普通なら、あの肩をかばっているバッティングで、打てそうにまったく見えないから、あきらめるだろう。私は、祈るのみ!しかし、ここでインディアンズの親たちは、「タ~カ! タ~カ!」(息子のニックネーム)コールを大勢でし始めたのだ。すごい盛り上がりようだ。あんな状態でもみんな息子のことを信じてくれているのだ。この間、ゲームボールをもらったときの、息子の「どうしても塁にでたい。」という気持ちからヒットを打ったときのことも覚えてくれているのかと思ってしまうほど。

息子は、落ち着いてフォアボールを選ぶ。このリーグは、子供たちがピッチャーをしていて、フォアボールが出た場合は、攻撃側のコーチが投げる。カウントの残りの分コーチが投げる。アルが打ちやすい球を投げる。息子は打った!またまた、一瞬すごい盛り上がり。しかし、内野ゴロで、本塁に突入した選手がアウトで、ゲームセット。タイゲームとなった。しかし、みんなコーチたちが、「よく打った!いいヒットだった!」と口々にほめてくれた。試合後のミーティングでも、アルが「肩が痛いのに、最後よく打った。」と言ってくれた。

アメリカのリトルリーグは、どんな子にも平等にチャンスが与えられ、そのチャンスを生かそうと努力する子供たちの姿をみんな応援する。みんなでそれぞれの子供たちを育てていこうとする。決して、不得手な部分を徹底的につこうとはしない。いい所をのばしていく。日本の子供たちのように、ファンダメンタルを徹底的に教えられないけど、こんな風に楽しく野球を学んだ少年たちは、きっと一生野球を好きになって、末永く続けていくんだろうなあと思う。息子は、野球技術のあるアメリカ人の中では、決してうまく見えないけど、試合をしながら、野球をますます好きになっているようで、私も毎試合毎試合楽しみになってきた。


次男、チーム初のゲームボールをもらう!~リトルリーグ・インディアンズ

2008-05-03 | リトルリーグ
今週水曜日のリトルリーグの試合で、下の息子にとって本当に忘れられない出来事があった。なんと息子のチーム、インディアンズの初めてのゲームボールを息子がもらえたのだ。

ゲームボールというのは、その日の試合で、監督から一番チームに貢献した選手がもらえる栄誉ある贈り物だ。上の息子は、今までの泥と汗にまみれたゲームボールを一つ一つ大事な思い出として、他のメジャーリーガーのサインボールと共に宝物として飾っている。

しかし、そう簡単にもらえるものではない。いい守備をして、ゲームの流れを変えたりしたら、打点を上げた選手やピッチャーより、その守備をした子がもらえたりとさまざまな観点で監督はゲームボールをあげる選手を決める。

そのゲームボールを今シーズン最初に息子がもらえるとは、夢にも思っていなかった水曜日。インディアンズ対カブス。カブスのピッチャーは、かなり速い球を投げ、コントロールもよく、インディアンズはなかなか点がとれない。インディアンズのピッチャーも好投し、投手戦が続き、1対0とリードされた最終回、6回裏2アウトで、うちの息子に打順が回ってきた。

絶体絶命。その前の打席で、いい当たりを捕られて、残念ながらアウトになっている息子。「絶対になんとしても打つ!」という表情で打席に入った。私は、何回かピッチャーが代わって、ものすごく速いスピードではないピッチャーになっていたので、「あのピッチャーなら、絶対に打てるよ!」と何回も助言して励ました。前日は、ジョイ・オブ・ザ・ゲームで、兄が速い球を投げて、次男はバッティング練習していた。このとき頼みの主人は、上の息子の試合に行っていない。他の選手たちは、お父さんたちに囲まれて、お父さんたちの大きな声援がとぶ。

息子は、ファールを打ちながら粘る。2ストライクと追い込まれて、打った!強いヒット性の打球がセカンドへ。必死で走る息子。ファーストが捕る。息子が間に合わない。万事キュースと思いきや、息子はすごい勢いでベースに向かう。その勢いで、ファーストが球をぽろっと落とし、息子はセーフ。ええっ!ヒットだ。みんな大喜び。

次の打順は、監督の息子、ジャスティン。このところものすごく積極的で、アグレッシブなプレーをしている。打ち気満々で、この日はすでにヒットを打っている。またまた、何回もファールを打ち、粘る。ジャスティンがまたヒットを打ち、1塁、3塁。息子は1打同点のランナーだ。しかし、残念ながら、最後の選手が、三振に倒れ、インディアンズは勝利を逃した。

しかし、息子のヒットが最後の山場を作るきっかけになった。試合後のミーティングで、監督のアルは、まずみんなに「今日からゲームボールをあげるほうがいいかどうか決めよう。」と言うと、みんなが手を上げて、ゲームボールを今後あげることに決める。「みんな今日は活躍したけど、最後の回、ビッグヒットを打ったTにゲームボールをあげよう。」と言って、息子に手渡す。みんながハイファイをして、息子を祝福。アルも息子の「どうしても塁にでる!」という根性を買ってくれたのだろう。普段ののんびりやの息子からは想像できないほどの負けん気の強さに私が驚いた。最後の回の盛り上がりで、なんだか負けた気がしない。たとえが大げさだが、カブスの開幕戦で、カブスは負けたけど、福留選手がホームランを打って、同点にし、みんなを盛り上げたような感覚だ。これだから、野球はやめられないね。

息子も前回の試合で三振だったので、やっとヒットがでてすっきりしたようだ。上の息子もこの日、打順4番で、ピッチャーはせず、打者に専念できたせいか、2塁打を含む、3打数3安打と好調。クリーンアップの面目を果たした。今日は、上の息子の登板日。最低でも4イニング投げさせるとの監督からの指令。いいピッチングができるといいが。息子たちがのびのび野球ができる環境に感謝、感謝!

息子、開幕投手5回まで好投するが、パイレーツ初戦飾れず!

2008-04-28 | リトルリーグ
今日は、上の息子のリトルリーグのチーム、パイレーツの開幕戦だった。息子は、先発投手で、とても調子は良く、異例の5回まで投げ続けたのだが、残念なことに、味方の守備にエラーが続出し、負けてしまった。

昨日も今日も気温はかなり下がり、4月下旬だというのに、ダウンや毛布が必要なほどの震えながらの開幕試合だった。場所は、先週の日曜にトラベル・チームのトライアウトが行われたエムリック・ノースというバッファロー・グローブのフィールド。ここは、BGRAのリトルリーグの本拠地で、コンセッション・スタンド(売店)まで備えてあり、オープンしていたので、アイスクリーム大好きの次男は、大喜び。

2時半試合開始前のフィールドに着くと、誰が持ってきたのか、大きな海賊のマークのはいった黒い旗がベンチ横にかっこよくたなびいている。まさに「パイレーツの登場!」といった感じ。こういう演出がアメリカらしい。母は1人でまず感動!

うちのチームは後攻なので、息子がまずマウンドに立った。1回は、落ち着いて、素晴らしく力強いピッチングだった。エラーがでなければ、7球で終わっていたというほど。相手は、赤いユニフォームのフィリーズ。こちらのピッチャーもかなりのスピードをだす速球投手。パイレーツ、まったく歯が立たず、連続三振。

その後の回から、息子はいいピッチングをしながらも、エラーがらみで点を入れられた。それも1人ではなく、ことどとくみんなが単純なゴロをはじいて、エラーが続く。寒さと守備の練習不足という感じだろうか。こんなとき、去年の息子なら、「もうやってられるか!」とグローブを叩き落して、切れていたかもしれない。しかし、今年は違った。エラーで走者がでて、点を取られながら、その間に三振をとって、なんとか踏みとどまる。チームメートのマークが、大きな声で、息子の名前を呼びながら「Yは悪くない、いいピッチングをしてるよ。(エラーしてる)僕たちが悪いんだよ!」と叫びながら、息子を励ます。

つまり、彼の言うように息子のピッチング内容は良かった。本来なら、このリーグだと平均3回ぐらいでピッチャー交代なのだが、投球数が少なかったので、監督のティムは、息子を続投させた。イニング4回で71球投げていて、次の回も投げられたので、めずらしく5回まで投げさせた。BGRAの息子たちがプレーする13、14歳のパロミノ・リーグでは、80球投げると次の回は投げられないというルールがある。結局、5回を通して、息子はヒットも少し打たれたが、四球は4つで、三振は7つも取っていた。そして、なんと今日、息子は、100球という自身最多投球数を記録した。

イニング数も今まで1試合3回平均しか投げたことがなく、初めて100球も投げた息子は、試合後右肩、右足などが痛く、肌もひりひりしているらしい。少なくとも3日は投げたくないような感じ。まったく投手というのは、大変なものだ。しかし、貴重な経験で、ピッチャーとして、ステップアップしたと思う。

さて、私は、チームメートの半分ぐらいが息子の前からの友達ばかりなので、試合の間、そのお母さんたちと久し振りに会って、楽しくおしゃべりに興じた。スラッガーのマイケルのお母さんは、「トラベルチームも(お宅の息子と)一緒でうれしいわ!マイケルは、トラベルに選ばれて、すごく興奮している。」「このチームのメンバーはほとんど知っているわ。」などとピーチク、パーチク。ご主人が監督のティムだから、親子を見ている目が本当にうれしそうだ。

息子の仲良しの美形の男の子、デュランのお母さん、リサは飛びついて私にハグしてきた。「また一緒のチームでよかった!」ご主人のマイクは、椅子に寝そべってのんびり試合を見ている。「やあ、君は、チームのオフィシャルなカメラマンだなあ。」

以前バスケットのチームで一緒だったマークのお母さんは、仁王立ちで、「守備が悪い。バッティングも。練習不足ね!」とぶつぶつ言っている。やあ、かなり厳しそうなお母さん。

息子を励ました賢そうなもう1人のマークの3人の男の子を持つお母さんは、「最初の試合だから、しかたがないわ。私は、これをカウントしないわ。じょじょに調子がでてくるわ。」とやさしそうに言っていた。この家族とも数年前に同じチームだった。みんなさまざま。

私たちは、今までなら、負け試合で、がっくりしていたところだが、客観的に息子のピッチャーとしての成長を見れたので、結果は気にせず、投球数の少なさと三振をいつものように取れたことをほめた。息子も自分のピッチングには満足しているようだった。パイレーツのみんな、守備が課題です。


追伸

ところで、1人すごーくカッコいい息子のチームメートを発見!長い金髪をたなびかせ、笑顔がすごくかわいい!身長も高く、スタイルもいいし、態度もさわやか。このくらいのティーン・エージャーになるとカッコいいアメリカ人は見栄えがする。yoshigonさん、だめですよ、見にきちゃ!

バッファロー・グローブのリトルリーグ、BGRA公式戦開幕!

2008-04-27 | リトルリーグ
今日は、下の息子のバッファロー・グローブのリトルリーグ、BGRAのファーム・リーグの開幕戦であった。息子のチームはインディアンズで、相手はヤンキース。息子のシカゴ日本人学校の同じクラスの友達、カズキ君とナオキ君のチームといきなり初戦で対決だったから、息子は朝からとてもはりきっていた。

しかし、急に寒くなり、強風が吹き荒れ、天候のコンディションはあまり良くなかった。BGRAのファーム・リーグは、8歳の子供たちのリーグで、他の地域よりもレベルがやや高く、試合は最初から子供たちがピッチャーで投げる。去年のピントリーグは、お父さんコーチが主に投げ、子供たちが打ちやすい球を投げていたから、今年はかなりレベルアップした。アメリカ人の子供たちは、パワーがあるので、8歳とはいえ硬球を使ってそこそこ速い球を投げる。コントロールもまあまああるため、今日はみんな三振が多く、なかなか点が入らなかった。

しかし、ヤンキースの強打者が続けてヒットを放ち、先行された。インディアンズは、なかなかヒットが続かない。うちの息子も三振に倒れ、最後は結局3対0で負けた。息子はとてもくやしそうだったが、主人が「スウイングがとてもよくなっているから、次は打てるよ!」と励ましていた。去年までは、子供たちもそんなに試合の勝ち負けを意識しなかったのが、今年から勝つことに固執するようになっている。息子がそういうことを強く意識するようになり、くやしさやうれしさを学んでいくリーグが、ファームなのであろう。

そして、上の息子は、その間、近所のエスケープのバッティング・ケージで、チームのバッティング練習に参加。練習後は、エスケープでピザを食べながら、ミーティング。チームのキャプテンを決め、キャッチャーで息子より1つ上のケンが投票で選ばれた。息子もミーティングの前、「ケンがキャプテンをするのが一番合っているかな・・・」と言っていたので、妥当な選択か。ケンがリーダーシップをとって、チームがうまくまとまるといいが。

ミーティングが終わったら、監督のティムが下の子の試合をしているフィールドまで上の息子を連れてきてくれた。ティムは、下の子の開幕戦だと知って、「ゆっくり2人で見てあげるといい。」と言ってくれた。これからミルウオーキーに出かけなくてはいけないほど忙しいのに、「君が(ビジネスマネージャーとして)僕を助けてくれているから、僕だって君たちを助けるよ。」とうれしいことを言ってくれた。アメリカ人は、絶対無理をしない。用事があれば、できる人たちでチームのことをやる。私が知っているバッファロー・グローブの人たちは、いつも本当に優しく、日本人の私たちに親切にしてくれる。

明日は、朝8時半から上の息子の新しいトラベルチーム、パトリオットのミーティング兼練習があり、午後は、いよいよ上の子のハウス・リーグ、パルミノ・リーグの開幕戦。息子はパイレーツの開幕投手をつとめる。チームのピッチャーの中で一番安定しているようだ。開幕戦なので、責任重大だ。雪が降らないといいが。下の息子の試合から帰って、上の息子は主人とバッティングとピッチングの最終調整。そして、日差しが強いので、試合用のサングラスを買いにでかけた。万全の準備態勢だ。

息子、リトルリーグ、BGRAトラベルチームのトライアウト合格!

2008-04-23 | リトルリーグ
今日はハラハラドキドキした日であった。上の息子は、日曜日に受けたバッファロー・グローブのリトルリーグ、BGRAのトラベルチームのトライアウトに、めでたくパスした。

夜の7時にBGRAのオンラインのサイトに発表されると言われたので、ちょくちょくチェックするのだが、待てど暮らせど何もでてこない。あーあ、電話でくるのかなあ。だとすると、まだ電話がないので、だめだったのか・・・とくらーい気持ちでいると・・

9時半ごろ帰ってきた主人が、「もしかしてこれじゃない。」「名前あるよ。」となにげなく言う。「えっ!」リストが突然でていて、「最初に息子の名前があるではないか!」「やったあ!」と大きな声で息子に知らせる。息子は、いつものように淡々として、「あっそう。」とまた自分の部屋で黙々と読書している。しばらくして、私が「何でもっと喜ばないのよ?」と聞くと、「だって、へたな子もいたから。」ガクッ!

現在のチームで一緒の長距離スラッガー、マイケル、息子が小学3年生のときのすごいチーム、レッズで一緒だったキャッチャー、マリオ、5年生のときカブスで一緒だったマイケル、冬のバスケットのチームで一緒だったジョーディなど4人の野球技術のあるメンバーと一緒のチームだった。13歳のリーグは、2つチームを編成していて、息子は「パトリオッツ」というカッコいい名前のチームで、もう一つは、「バイソン」というなんだか草原をドドッと走りそうなチーム。

バイソンの方も3人よく知っているメンバーが入っていた。日曜日に心配そうにしていた、去年の息子が所属したチームの監督の息子ダニーも入った。よかった!みんなトラベルに入って納得がいく子供たちばかりだ。知っている子で、やはり力の差がある子は落ちていた。厳しい世界だ。

初めて挑戦したトラベルチームのトライアウトで、合格できて、本当によかった。今まで、息子は、トラベルに入ると時間が拘束されるので、まったくトラベルには入る気がなかった。しかし、初めてオープントライアウトというチャンスが訪れて、自分の実力を試してみたくなったのだ。

しかし、いったいどのくらいの時間拘束されるのだろう?チームのメンバーを見て、主人は、「このチームでやるべきだ。」と言っている。私は、監督がどんな人なのか気になるのだが。BGRAでは、よく名前がでてくるピッチング・クリニックも去年やっていた人だ。今までチームのお山の大将だった息子にとって、もまれるいいチャンスだろう。

ただ、一番の心配は、どのくらい下の息子にしわ寄せがくるか、それだけである。学校の勉強への影響も心配だ。とにかく、スケジュールと試合の場所を見て、泣くか笑うか?!

息子、バッファロー・グローブのリトルリーグのトラベルチームのトライアウトに挑戦!

2008-04-21 | リトルリーグ
今日は、絶対に親として寝坊できない日であった。上の息子が初めて、バッファロー・グローブのリトルリーグ、BGRAのトラベルチームのトライアウトを受けたからだ。

朝9時45分にバッファロー・グローブの中心地に位置するエムリック・ノースというレイククック・ロード沿いのフィールドへ集合。早めに着いたので、参加者はまばら。車から降りると、3月まで息子が所属したバスケットのチームの監督、バリーと息子のジューディに会う。「彼なら(トライアウトを)やるべきだよ!」と励まされながら、フィールドへ向かう。

すぐに、去年の息子のリトルのチームの監督デイブにも会う。とても心配そうな顔をしている。続々トライアウトを受ける子供たちが集まってくる。うちのチームのマイケルや顔なじみの子供たちが入ってくる。みんなBGRAのハウスリーグ(今現在のレギュラーリーグのこと)の自分の所属するチームのユニフォームを着てくることとなっているので、カラフルなユニフォーム姿が集まっていて、壮観だ。親たちの見学はシャットアウトなので、しぶしぶ出て行く。バッファロー・グローブではおなじみで、BGRAのメンバーたちがよく利用するベースボール・アカデミーのジョイ・オブ・ザ・ゲームのスタッフ3人が参加者を評価して、トライアウトの合否を決める。親たちは祈るのみ。

ドキドキしながら、フィールドを後にして、下の息子の練習試合を見学する。時間がたつのが長いような、短いような・・・よかった、下の息子の練習試合があって。しばらく、下の息子を見ていたので、上の息子のトライアウトのことは忘れられた。12時半に上の息子をむかえにいく。

ぎりぎりに着くと、お父さんたちがたむろして待っていた。みんなBGRAで長年活躍する監督やアシスタントコーチばかり。つまり、子供たちもできる子が集まったというわけだろう。守備のチェックが終わって、子供たちがこちらに出てきた。いつも各チームで活躍しているそうそうたるメンバーばかりだ。みんな野球の技術がうまそうにみえる。息子の話だと、13歳の参加者は30人以上いたらしい。マイケルのお父さんティムの話だと、ジョイ・オブ・ザ・ゲームのスタッフが各分野、フィールディング、ピッチング、バッティング、グラブさばきなど細かくレイティングを10段階でして、総合評価でトライアウトの合否が決まるという。去年のBGRAの個人の記録はあまり評価の中には入れないようだという。今日のパフォーマンスで決まるのだ。

息子が言うには、30球ぐらい投げたピッチングは、かなり調子が良く、自分でも納得がいくピッチングだったらしい。それで、そのとき評価しているコーチにかなりほめられたという。「変化球を投げるか?」なども聞かれ、スライダーのにぎりなどを確認され、「それでいい。」と言われたという。バッティングも10球投げた球を打つのに、外野まで運べていつもの調子がでたようだ。しかし・・・守備でミスを多くしたという。いつもやらないトンネルをしてしまい、送球もミスったという。やはり、トライアウト。かなり緊張したのだろう。他の子供たちも同様で、ミスが多かったらしい。ウーン、今回のミスった守備の悪い評価をなんとかピッチングかバッティングでカバーできないものか?!

ティムと話をしたとき、来る前はマイケルはトライアウトに受かると自信満々だったらしいが、ティムの目から見て、他にも才能がある子供が目についたので、これはわからないと言っていた。私もまったく同感だ。息子の話だと、黒人で一番体の大きな子の野球技術がずば抜けていたらしい。下手な子もいたという。息子は、知り合いの子供たちがたくさんいて、久し振りだったので、その友達としゃべり、また知らない子たちともしゃべりまくったという。トライアウトを楽しむ余裕もあったわけね。よかった、受けた甲斐があった。後で、家で主人がその話を聞いたとき、「まあ、トライアウトというよりか、合同練習だな。」と冷静に一言。

そろそろ帰ろうとしたら、6年前、息子が小学2年生のとき、BGRAに初めて入ったときのチーム、マリナーズのアシスタント・コーチ2人、ラリーとポールとその息子たちに出会った。ラリーは、「やっぱり、やってきたな!」と言う風な感じで息子を見ている。「ずっと会わなかったけど、大きくなったなあ!」とポール。息子たち、チェイスとニックは、当時からうまかった。ニックは、小学2年生の頃から剛速球を投げていた。家にバッティングケージを持っていて、小さな頃から、お兄ちゃんと共にお父さんが野球を仕込んでいたようだ。

2002年2月に日本から来て、まったく英語などわからず、3月の終わりからいきなりチームに入った息子を暖かく迎えてくれたコーチたちだった。その当時、野球を本格的にやったことのない息子とニックやチェイスたちの野球技術の差は比べ物にならないほどすごかったと思う。しかし、月日は流れ、息子は13歳のアメリカ人の中でも体がでかくなり、技術も他のアメリカ人には負けないくらい、格段に進歩した。30人以上の子供たちから、ふるい落とされ、おそらく10人ちょっとしか入れないBGRAのトラベルチーム。かなりの競争力の高さだ。今回たとえその中に入れなくても、息子の成長をじかに感じている私たちは、トライアウトに息子が参加できただけで満足だった。

家に帰った息子は、かなり疲れたらしいが、ずっと自分の部屋にこもって、勉強にいそしんでいた。スポーツをやっていると、勉強する時間が限られるので、「勉強しなさい。」と親が言わなくても、自分から必死に勉強するしかない。息子13歳、野球に勉強に忙しい年齢である。

リトルリーグ練習たけなわ~公式戦まで後1週間!

2008-04-20 | リトルリーグ
今日は、上の息子のリトルリーグのチーム、パイレーツのメンバーに名前の入ったユニフォームと帽子を渡しがてら、バッファロー・グローブのオールド・ファームというフィールド(兼公園)での練習を少し見学した。

今日は、朝方、少し小雨が降っていたので、心配したが、主人が「逆にグラウンドがしめって、砂埃が上がらず、絶好のグランドコンディションになる。」と言ったとおり、午後は快晴となり、監督のティムが、「今日は絶好の練習日だ。」と練習時間の2時前からはりきっている。

主人と息子2人は、家族会員になっているベースボール・アカデミー、ジョイ・オブ・ザ・ゲームのバッティング・ケージで、1時から打ち込みの調整。明日は、上の息子は、BGRAのトラベル・チームのトライアウトを初めて受けるので、入念な調整が必要だ。うちのチーム、パイレーツからも数人受けるらしく、ティムは、今日そのメンバーには投げ込みをしないよう指示。今日の練習で肩をつかいすぎないようにするためだ。明日は、BGRAでは、初めてのオープン・トライアウトが行われる。いつもコーチ関係の親たちのコネで、トラベル・チームを編成しているようだったから、初めて、一般の子供たちにもトラベル・チームに入れるチャンスが訪れた。かなりの人数が参加するようなので、何人もふるい落とされて、過激な争いになるであろう。親たちもそのトライアウトの見学は許されていないため、ドキドキだ。

今日は、最初、アシスタント・コーチの主人がまずみんなにノックをして、守備練習を中心に行っていた。日本人ながら、英語でアメリカ人の子供たちに指示をして、ノックをする主人はかなりカッコいい!そして、13歳、14歳の思春期突入の男の子たちとはいえ、素直にコーチの指示に従う。主人も「みんな素直で一生懸命で、まだまだかわいい!」と言っていた。正直言って、そんな気分を味わえる主人がうらやましい!

昨日は、下の息子のチーム、インディアンズの初練習試合だった。去年同じチームで、学校で同じクラスの双子兄弟、カズキ君とナオキ君のチーム、ヤンキースと対決だった。息子も双子兄弟たちも大いにはりきっている。うちのインディアンズの名監督、アルは、去年息子たちの監督だったので、カズキ君とナオキ君との再会がとてもうれしそうだった。

アルは、子供たちに野球を教えるのがとてもうまい。うまくみんなをのせて、楽しく野球を学んでいくようにしむけている。そして、そんなボスのようなアルに他のお父さんコーチたちがついていく。自分の息子だけではなく、他のメンバーたちのことも一生懸命面倒を見てくれる。そんな雰囲気がアルを中心に自然にでてくる。息子は、またしてもいいチームに入ったようだ。

練習試合が始まり、子供たちが守備につくと、アルたちコーチ陣は、ベンチで、「ベースボール・イズ・オン!」などと言って、大きな笑顔で、こぶしを作って、お互いそのこぶしをぶつけていた。本当に野球のシーズンが来るのを今まで待っていたかのようだ。「今年もやろうぜ!」という感じだ。

さて、試合は、さすがにまだ調整段階で、バッティングに慣れていないせいか、三振の続出で、スコアも1対0という貧打。強打者のマシューたちでさえ、三振だった。息子も三振だったので、奮起して、練習すると言っている。今日もはりきって、バッティング練習。明日も練習試合。公式戦まで、後1週間。


写真は、バッファロー・グローブ、オールド・ファームにて、パイレーツのメンバーにノックをする主人。隣は、パイレーツのキャッチャー、ケン。






リトルリーグのユニフォームと帽子に名前を入れる~ビジネス・マネージャーの仕事その1

2008-04-19 | リトルリーグ
今日は、上の息子のリトルリーグのチーム、パイレーツのユニフォームと帽子に名前を入れてもらう作業が終わり、まずは、ビジネス・マネージャーとしての仕事第一弾を無事終えた。試合が、今月27日から始まるため、どうしもその前に仕上げなくてはいけなかったので、ほっとした。しかし、こういう仕事も今まで監督が1人でやっていたチームも多く、実際にこの仕事をやってみて、「それを当然として受け取っていた私たちは、監督の大変さをわかっていなかったなあ。」と反省する。できるだけ、雑用は、私たちで補って、監督にはチームの采配に専念してもらわないといけないと思う。

昨日は、PTA総会のため、シカゴ日本人学校の学級委員と学級委員代表の仕事で忙しかったが、今日は一転、アメリカ人の母親としての仕事をアメリカ人と同じようにこなせて、うれしい!やっとこれで、本当に地域の親として根付いてきたような気がする。ハンサムなアメリカ人のお父さんたちから頼りにされ、よいしょされる快感も味わったわ。「もうどんどん何でもやるから言ってちょうだい!」と思わず言いたくなる。

今年は、みんなから集めたチーム・ファンドをマネージメントするにあたって、何に使って、どう収支したかみんなに最後メールで報告しようと思う。去年、ビジネス・マネージャーがいなくて、最後の方はおろおろして、お金がどう使われたか不透明で、不満を言っている人もいたからだ。そのことをチームの監督のティムに言ったら、驚いて、「そうか、そういう人もいるのか。今までBGRAでは、収支をみんなに知らせるチームはなかったけど、それもいいかも。君は、きっとBGRAのビジネス・マネージャー・オブ・ザ・イヤーになるだろう。」と冗談を言っていた。

BGRAは、2000人ぐらいの会員のいるとても大きな組織のリトルリーグで、毎年リーグごとにBGRAに貢献したコーチに贈られる「コーチ・オブ・ザ・イヤー」などという賞もある。それを文字って、ティムは言ったわけだ。

ところで、肝心のユニフォームへの名前と背番号だが、HIGH-5というプリント・ウエア・ショップに先週の土曜日に頼んだら、昨日できたという知らせが入った。背番号、名前、各選手のサイズを全部合わせてチェックする。子供たちが13、14歳とそれなりに体が大きく、横幅があるので、ゴールドで名前を山なりに流れた形にしたため、すごく自然でカッコいい。ティムのアイディアだ。とくに長い名前の子の形が決まっている。子供たちのサイズと背番号のリストと1つの間違いもなく、すべてマッチして、さすが長年BGRAの選手のユニフォームのプリントを受けているプロの仕事と思わせた。帽子も後に赤で名前、横に赤で番号が入り、粋な感じだ。両方の腕の部分に、2人のスポンサーの会社名が入ったパッチもきちんと張られて、(1人は、チームのメンバーのお父さん)私は1人でみんなのユニフォームと帽子を見ながら、悦に入っていた。

HIGH-5は、今がかきいれどきらしく、ひっきりなしに電話が入り、超忙しそうであった。すべての作業を小さなオフィスで行っているという。この時期に、いったい何百あるいは何千のユニフォームや帽子のプリントを行っているのだろうか。スポーツ好きのアメリカだから成り立つビジネスであろう。そのミニ工場のようなオフィスをじっくり眺めながら、感心していると・・・

しかし、しかし、ここで、1つ大きな問題が起こった。なんと、なんと、1人の選手のユニフォームのサイズがないのだ!信じられないのだが、アダルトの2XLでも小さいという。つまり3XLというサイズで注文しなければいけないのだが、どこにもそんな大きさのパイレーツのユニフォームがない!「そっそっそんなにデブな子なの?」と息子に聞いたら、「デブなんてもんじゃないよ!」「100キロ以上あるのかしら?」「そんなの俺に聞かれたって・・・」

さすがの、HIGH-5でも、そんなユニフォームは手に入らないという。「BGRAのユニフォーム担当のフィルが、オンラインかなにかで、なんとかするらしい。」と言う。去年までは、この選手は、2XLでなんとかなっていたのだろう。さすがに巨漢のアメリカ人の子供だ。まだ、14歳だというのに・・・うちの息子が、身長170センチぐらいで、細身の筋肉質だから、アダルトMのサイズ。この子は息子より少し背が高いだけというから、かなりのメタボ君だ。チームの他の選手たちは、みんなアダルトのSかMかLのどれかなので、アメリカ人の子供たちは、同じぐらいの年齢なのに、かなり体の大きさの違いがあるということだ。しかし、175センチの身長の主人でもアダルトのMで、他の大柄のコーチもアダルトのLを注文しているので、3XLというサイズがいったいどのくらいの大きさなのか、想像もつかない。

後、27日まで1週間しかない。ウーン、とても心配だ。


写真は、息子のチーム、パイレーツのメンバーのユニフォームを並べてみた。右下が、ユニフォームが間に合わなかったメンバーの帽子。なんだかさびしいし、かわいそう。なんとかなるといいのだが。







野球のピクチャーディで、バッファロー・グローブのカリスマ・コーチ、ジョーイに会う!

2008-04-12 | リトルリーグ
昨日の夜は、2人の息子たちの野球のチームのピクチャーディで、バッファロー・グロ-ブのツイン・グローブ・ジュニアハイスクールで、恒例のチームの記念撮影があった。毎年4月のこの時期は、この学校の体育館は、バッファロー・グローブのリトルリーグ、BGRAのメンバーたちが総出の写真撮影でごったがえす。いつも1年ぶりになつかしい仲間たちに会い、「やあ、元気?息子は背が高くなったね。」などという会話をかわしながら、お互いの子供たちの成長を喜び合う。6年以上もバッファロー・グローブで息子たちが野球のチームでプレーをしていると、いろんな人たちと知り合いになって、地域の顔になる。

昨日は、1年ぶりに下の息子がかつてとても仲良かった近所のスコットとカイル親子に会う。スコットは、ステイ・アト・ホームダディ(専業主夫)で、奥さんがバリバリの出世頭のキャリアウーマン。スコットもバイトをしているが、2人のやんちゃな息子たちの子育てを一手に引き受けている。スポーツは何でもござれで、2年前ぐらいから、野球やバスケットの監督も毎シーズンするようになった。セント・ルイス出身なので、シカゴではめずらしくカーディナルスの大ファンで、真っ赤なカーディナルスのユニフォームを着て、うれしそうだ。去年もカーディナルスだったので、本人の希望かも。ここ数年お互いの息子同士がゆっくり遊んでいないので、「また、お互い子供たちをぜひ遊ばせよう!」と約束。

BGRAのドン、大柄のプレジデントのキースとその奥さんに会う。「今年もこのシーズンがやってきたね!天候が良ければいいが・・・」とうれしそう。キースの一家は、子供たちが小さい頃から、ずっとBGRAでプレーしてきて、20代になった息子は今でもまだBGRAでプレーしているという。いつもコンセッション・スタンドという売店を2人で管理し、みんなのボランティア指導もしてくれている。ずっとBGRAをささえてきているらしいから、一家で野球を本当に心の底から愛しているのだろう。

そして、とてもなつかしい人に会った。現在中学2年の上の息子が小学3年生のときのファーム・リーグのチーム、レッズの監督、ジョーイだ。話をするのは、4、5年ぶりか。私の顔は覚えていなかったが、息子の名前を言ったら、すぐに思い出してくれて、とてもうれしそうに、「息子は元気か?」と大きな笑顔がこぼれた。

ジョーイは、その当時BGRAでは、とても切れ者の監督で有名だった。コンピュータのように各選手のデータを頭に入れていて、ポジションや打順を完全固定し、試合を絶対に勝ちにもっていくというアメリカ人にはめずらしいタイプの監督だった。どちらかというと、日本人のやり方に近いかもしれないとその当時主人は言っていた。アメリカ人の監督は、小さな頃は、ポジションも回し、公平に打順も回すタイプの監督が多い。

よって、ジョーイがドラフトでとった選手たちもみんなうまい子供たちばかり。とくに、ジョーイの息子のジャスティンの才能はすごく、ピッチャーとしては、剛速球を投げ、ジャスティンが投げると、誰も打てなかった。ジャスティンは、ちょっと太めで、そうあのホワイトソックスのぶっとい守護神、ボビー・ジェンクスを彷彿させるようなタイプ。バッターとしても良く打っていた。息子を引き抜いてくれた理由というのが、ジャスティンの投げた球をファールだったが、打ったとそれだけの理由で、「息子に(バッティングの)才能を見出した。」と電話で大げさに説明してくれたのを覚えている。それだけ、他の子供たちはジャスティンの球にかすりもしなかったわけだ。私は、とのとき「息子に才能があるのかしら?!」と単純にいたく感激したのだが、よく考えてみれば、自分の息子ジャスティンがそれだけすごいピッチャーだとジョーイが自分で言っているようなもんだ。

BGRAのファーム・リーグというのは、コーチではなく、子供たちがピッチャーをし、コンペティティブへの入り口という感じで、それまで楽しく野球を始めた子供たちにとって、初めての試練を味あうリーグともいえる。上の息子も子供たちが投げる速い球に翻弄され、最初の打席でいきなり3三振をくらって、大泣きしていた。打順もジョーイに下位打線に回され、このシーズンは、とても悔しかったようだ。それで、「なにくそ!」と奮起して、それ以降こつこつ練習を始めた。とにかく、チームのみんながうまいアメリカ人だらけだったので、その時の自分の実力を思い知ったようだった。

主人は、このときの息子の体験があるからこそ、今のような実力がついた息子の姿があると言う。おとどしは、打順5番、去年は、4番で固定されたほど、のしあがってきた。

ジョーイが率いたレッズは、なんと信じられないことだが、ディビジョンもトーナメントも両方で優勝した。そんなことって、なかなかないものだ。大きなトロフィーを2つかかえたうれしそうな子供たちの姿は忘れられない。このときのもう1人のがっちりしためちゃくちゃカッコいいお父さんコーチは、フットボールの元シカゴ・ベアーズで活躍した人らしい。

しかし、他のアメリカ人の親たちは、ジョーイの打順やポジション固定をして勝ちにもっていくようなやり方は、子供たちにとってアンフェアだという意見が多く、かなりの批判をあびたせいか、ジョーイは、その次の年には、さっさと自分でトラベルチームを編成して、BGRAから脱退してしまった。それ以降、ジョーイと話す機会がなく、やっと会えたというわけ。

ジョーイは、野球だけでなく、フットボールや他のスポーツでも自分のチームを優勝させてしまうということで有名なカリスマ・コーチだった。その何年か後、ジャスティンは、バッファロー・グローブのフットボールでは、タッチダウンの記録をつくったとジョーイの奥さんから聞いた。ジョーイは、バッファロー・グローブのフットボールの総元締めみたいな感じで、今も君臨しているようだ。昨日は、フットボールの勧誘で、学校にきていたようだ。

ジョーイがうちの息子が野球をまだやっているかどうか聞くので、「とても楽しんでいる。」というと、とてもうれしそうにうなずいていた。去年のシーズン打率が5割8分までいったことを言うと、信じられないような顔で、息子の成長にびっくりしていた。「ジョーイのチーム、レッズが息子の転機になって、感謝している。」と言うと、本当にうれしそうだった。

ジャスティンがどうなったか知りたかったので、聞くと、なんと今年からもう野球はいやになってやめたという。フットボールとレスリングにしぼったという。なんだか狐につつまれたような感じだった。あんなに野球の才能があったのに・・・もしかすると、小さな頃からトラベルチームでやり続けて、野球漬けになって、いやになったのかもしれない。

子供にとって、やりすぎもよくないのだろうか。主人が言うには、「要は、自分でやるか、やらされているか。やらされていると感じるとよくない。」トラベルチームでやるのも、自分で望んでやるならいいけれど、親にそのように仕向けられると、いつかいやになる子もでてくる。最近のアメリカ人の親たちは自分の子供たちに小さな頃から野球を仕込んで、熱心で、小さな頃からトラベルチームに入れてとどんどんエスカレートしていくが、それも考えものだ。

いろんなアメリカ人のコーチに出会い、いろんな選手を見ていると勉強になる。


写真は、2003年のBGRAのファーム・リーグの息子が所属したチーム、レッズのピクチャーディに撮ったチームフォト。後ろの列の真ん中が監督のジョーイ。右隣が、元ベアーズにいたノベロフスキー氏(ファーストネームは忘れた)