Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

始動!リトルリーグ!~上の息子のリーグについて

2008-04-09 | リトルリーグ
今年もいよいよ息子たちの待ちに待ったリトルリーグの季節がやってきた。先週から2人の息子たちのチームは同時に練習が始まった。

今年は、上の息子は、13歳、14歳混合のパロミノ・リーグで、チームはパイレーツで、下の息子は8歳のファーム・リーグで、チームはインディアンズ。長男は、毎年同じ背番号で、31番(たしか阪神タイガースの掛布からとった)、次男は、インディアンズの日本人メジャーリーガー小林と同じ30番をもらった。

主人は、初めて長男のチーム、パイレーツのアシスタントコーチに就任、バッティングコーチを引き受け、はりきっている。私も初めてビジネス・マネージャーに就任。監督は、ティムという頭脳派の感じの人で、息子マイケルは、去年180人ぐらい参加した息子のサラブレット・リーグの打率No.1のスラッガー。なんと6割2分も打ちまくったらしい。ホームランもかなり打つ驚異的なプレイヤー。

マイケルとうちの息子は、小学5年生のときに同じチームだったから、お互い良く知っていて、同じ長距離バッターなので、意識し合っている。去年、お互いピッチャーもし、打ち合っているライバル同士の仲。息子は、マイケルからホームランを打たれ、息子はマイケルから3塁打を打った。

毎年、監督が去年の記録に基づいてドラフトで選手を引き抜いていき、チーム編成が行われる。ティムの話では、公式記録によると、息子は去年打率5割8分で、リーグ4位だったという。おとどしが、4割4分ぐらいだったと記憶しているから、毎年打率が上がってきている。息子は、小学4年生ぐらいから、ヒットを量産し出し、バッファロ・ーグローブのリトルリーグ、BGRAで、じょじょに頭角をあらわしてきた。

小学5年生ぐらいから、ピッチャーとしても少しづつ機会を与えられ、去年のシーズンは完全にローテーション入りし、波が激しかったけれど、秋のシーズンでは安定したピッチングだった。今年は、間違いなくチームのピッチャーの柱となるだろう。主人の話では、球のきれがよく、手元でグーンとのびてくる。(私も見ていてわかるほど)球のスピードも去年より速くなっているので、かなりの打者が翻弄されるかもしれない。親として、息子の投打の活躍がとても楽しみである。

昨日主人のソフトボールチームMJの野球のNo.1実力者、植田さんが、メールの中で、興味深い言葉をくれたので紹介したい。

「日本の野球は、短所を如何に克服するか。
米国の野球は、短所を補うために、更に長所を伸ばす。」

そして主人が植田さんに送った返信メールも面白いので、紹介したい。

全くその通りだと思います。特にこの地区のパーク・ディストリクト等が主催しているリトルリーグの多くは、毎年所属チームが変わる(監督も変わる)システムになってます。ある意味、毎年子供達に新たなチャンス/機会が与えられる。息子は今年でもう7シーズン目になりますが、最初の2年は、もう完全な”ごまめ”状態。それが余程悔しかったのか、こつこつ練習を重ねて、3年目あたりからまずは打撃でチャンスを与えられ、4年目以降はピッチャーの機会も与えられと。5年目にはチーム打点王となり、6年目だった昨年は殆ど不動の4番&ピッチャーでも20試合以上の登板機会を与えられといった具合に。息子だけでなく、他にも多くの子供が上手く長所(持ち味?)を、毎年毎年フレッシュな環境の中で伸ばして貰いながらステップ・アップしているような気がします。日本のやり方を完全否定することは出来ないと思いますが、短所を徹底的に突き、それを克服できた者のみが次のステップを与えられる(かな?)日本のシステムとは”育て方”が随分違うように思えます。今、親として出来ることは、本人が納得するまで徹底的にやらせてやることではないかと思ってます。

まさに、日本とアメリカの少年野球を知っている主人ならではのコメントである。息子のアメリカでのリトル体験が将来息子の野球キャリアにどのように影響していくか、本当に興味深い。


写真は、去年のバッファロー・グローブのパーク・ディストリクト主催の秋の13歳、14歳混合リーグより

アメリカのリトルリーグの親の仕事

2008-03-12 | リトルリーグ
3月3日の投稿に今シーズンの息子たちのバッファロー・グローブでのリトルリーグ(通称BGRA)のことにふれたが、2人の息子たちのチームの監督からのメールが出揃い、最初にある恒例のペアレント・ミーティングに向けて私たちが各チームで何を手伝うのか主人と話し合った。

正直言って、2人の息子たちが同時に野球のチームに入ると、拘束時間が野球の試合は長いので、シーズン中はめまぐるしく、親の体もきつい。アメリカは、子供たちで行けないので、家から遠いフィールドだと、私たち親も練習時間も含めて4時間近くいる場合も多い。今年の上の息子の13歳、14歳混合リーグは、ウィークディが夜の8時から始まる試合があるため、7時過ぎに練習に連れて行き、試合が長引けば、帰るのは11時半ぐらい、へたしたら12時近くなるのではないか。その間、親たちはじっと試合を見るだろうから、下の子はたまったものではない。ずっとフィールドにいたら、恐怖の時間である。きっと主人とバトンタッチで、私は下の子と共に帰り、最後まで試合が見れないだろう。

息子がいつ長打を放ったり、いいピッチングをするかわからない。去年、私は、下の子の友達のバースディパーティに行っていて、なんと上の息子の初ホームランを見られなかったのだ。しょっちゅう息子の打席のたびにいつでるかいつでるかとビデオを回していたのに・・・あのときのくやしさったら。初ホームランというのは、一生に一度しかない。息子の話によると、井口選手が日本人学校の講演で言われたように、「打った瞬間、感触がなかった。」そうだ。野球は、見ていて面白く親ものめりこむ反面、やると決めたら親の時間をけずられると覚悟すべきである。しかし、子供が野球を通してアメリカ人と切磋琢磨して技術を向上させていく過程を見られるのは、アメリカ生活の大きな財産である。また、おおげさかもしれないが、親と子が一心同体というか・・・気持ちの上で。子供のチームを応援しながら、他のメンバーに対して時には嫉妬心も交えながら、アメリカ人の親とも心が心底通じ合う時がある。

私は、アメリカのリトルリーグを上の息子がやり始めて7年目を迎えるにあたって、そろそろ何か手伝いをしようと思っていたので、ビジネス・マネージャーに立候補することにした。バッファロー・グローブのリトルリーグは、白人人口が圧倒的に多い。アジア系やスパニッシュ系はサッカーに比べて、かなり少数派だ。その中で、会計やチームパーティーを企画するビジネス・マネージャーの仕事をやるのは、かなり勇気が入る。しかし、下の子の監督が今年3年目で、気心がしれているので、思い切って立候補してみた。だが、私が立候補する前に、すでに1人のアメリカ人のお母さんが立候補していた。監督がさっさとメールで、2人のビジネスマネージャーと紹介してしまった。うーん、2人のマネージャーで仕事の取り合いになるか!低、中学年の子供たちの親は熱心なので、こういうことも起こるわけだ。

さて、上の息子の方は、監督が最初のメールで、コーチもビジネス・マネージャーも両方足りないので、募集中ときた。やはり、年齢が上に行くにつれ、みんな親たちも面倒くさくなっていくのだろう。この監督は、初めてやるらしいが、メールの内容がとても詳しく、自分の野球歴や方針もはっきり打ち出している。かなり、頭脳派の監督になりそう。主人は、いてもたってもいられなくなり、さっさとアシスタント・コーチに立候補する長いメールをだした。バッティング・コーチ希望だ。前からずっとやりたかったようだ。監督からの返信メールは、「ぜひ、頼む!君がやってくれるなら、こんなにうれしいことはない!」

主人は、上の息子のバッティングを小さな頃からこつこつ指導してきて、結果がでたので、それをチーム全体に生かしてみたいようだ。おそらく、主人は自分もやってきた日本の中学校の部活のファンダメンタル中心の練習とアメリカの試合(実践)中心のリトルを両方知っているので、双方のいいところを生かしたコーチングを実践してみたいのだろう。「主人がアシスタント・コーチをする!」前からずっと思い描いてきたことなので、主人がチームに貢献できるよう祈るのみだ。ピッチング・コーチに立候補したアメリカ人のケンとは、2回も同じチームになっていて、お互いよく知っている。監督を2人でささえて、子供たちの適性を生かした起用を3人で考えていくだろう。また、8時からの試合というのが、仕事の忙しく早く帰宅できない主人にとっては、試合に間に合うので、逆にいいかもしれない。すべて、ポジティブに考えよう。

となると、私は上の子でビジネス・マネージャーはしなくてもいいか、と考えた。夫婦2人も1つのチームで手伝うよりか、下の子のチームをささえることに専念ししようと思った。スコアラーの仕事もやったことがないので、下の子の試合でお手伝いをしてみよう。上の子では、下の子を連れているので、試合に集中できず、スコアをつけることができないから。スコアのつけ方を前から知りたかったので、いいチャンスだ。

私たち親にとっても今年のリトルは、挑戦のシーズンとなりそうだ。どんなに忙しくなっても、野球好きなら、こなせるかな。主人は、自分のソフトボールのチーム、マリン・ジェッツ(通称MJ)の練習と試合もこなさなくてはならない。キャッチャーという重要なポジションなので、MJ優勝のためには、気を抜けない。そして、MJの試合の応援と撮影という大きな仕事も私には残っている!



写真は、去年の秋のバッファロー・グローブ・パーク・ディストリクトの13歳、14歳混合リーグの試合にて。息子が所属した「アイロンバーズ」という変わった名前のチーム(春からのレギュラーシーズンは、BGRAのリーグで、メジャーリーグのチームの名前がつく)の3人のコーチ、右が監督ラリー、真ん中がアシスタント・コーチ、ケン(ちょっと80年代ハードロックを引きずっているかのような風貌)左がアシスタント・コーチ、ビクター。この3人は、バッファローグローブの野球リーグのコーチの常連。ちょっと後ろの女の人が、監督の奥さんのモーリンで、スコアラーを担当。





もうすぐ息子たちのリトルリーグの季節がやってくる!

2008-03-03 | リトルリーグ
この週末は、4月から始まる息子たちのバッファロー・グローブのリトルリーグ(BGRA)の新しいチームがドラフトで決まり、監督たちから連絡があった。今か今かと待っていたので、チームが決まってほっとした。

下の息子は、インディアンズで、去年と同じ監督から引き抜かれた。この監督は、コーチ・アルというみんなから慕われているボス的存在の、理想のアメリカ人の父親のような感じの人。いくらほめてもほめ足りないほどのコーチなのだ。下の子が2年前、ティーボールで野球のチームに初めて入ったときからのコーチだ。自分の子供を絶対ひいきしない、めずらしい監督。自分の子供のジャスティンが3人目で、上の2人がもうかなり大きいので、客観的にチームをマネジメントできるのだろう。
(バッファロー・グローブのリトルリーグ、BGRAのシステム及び様子は、US新聞のコラム参照 http://www.usshimbun.com/childcare/childcare-littleleague.html)

そして、注目の上の息子は、パイレーツ。なんとリーグナンバー1のスラッガーの息子(今の日本のプロ野球でたとえると、中田クラスかしら)マイケル・オコーナーの父親ティムが監督となり、引き抜かれていた。マイケルは、ここ数年めざましく力をつけ、ホームランをガンガンとばすスラッガーに成長。3年前、息子が小学5年生の時、同じチームだったときもその片鱗はあったのだが、体がちょっと太めだった。ところが、去年から急にスリムになり、走りもしなやかになり、驚異的な長距離打者になっていた。

でもって、うちの息子もどちらかというとマイケルと似たようなクリーンアップを打つ長距離打者タイプ(マイケルにはかなわないけど)なので、主人は、「まさか同じチームになるとは・・・」と驚愕したわけだ。息子も、去年初めて夏のリーグで馬鹿でかいホームランやエンタイトルツーベースを放ち、その存在感をBGRAのみんなに印象づけていた。ピッチャーとしては、レギュラーシーズンは、波が激しかったけど、秋のリーグでようやく落ち着いたピッチングをしていた。春のシーズンで、マイケルからホームランを打たれ、今年は「打倒、マイケル!」とはりきっていたのだが。

今年は、マイケルは、お父さんが監督で、きっとそのたぐいまれな才能をますますのばしていけるだろう。うちの息子も、すごい刺激をもらうに違いない。他のメンバーも半分以上知っている子なので、息子にとって今年はさぞや楽しいチームになるだろう。なんといっても、去年の秋に、息子とバッテリーを組んだ体のがっちりしたキャッチャー、ケンが一緒なのも心強い。息子の投げる球がかなり速くなってきているので、受け止めるキャッチャー頼みなのだ。他に前の投稿に登場した(星の王子さま役をやった)きゃしゃで美形のデュランもいる。(デュランの投稿記事はhttp://blog.goo.ne.jp/kuniwindycity/e/5c98da536009389374b109f2217082a5)

同じクラスの野球仲間コウキ君は、去年の監督の息子ダニーと一緒のチーム。コウキ君とは、別のチームなので、日本人対決が楽しみ!


子供たちのスポーツのチームフォト

2008-02-21 | リトルリーグ
今日は、息子たちのスポーツのチームフォトの話。毎シーズン、スポーツのチームが新しくなるたびに、チームで記念写真を撮る。2人の息子たちの試合の合い間をぬって、「ピクチャーディ」という日に、バッファローグローブ北のハーフディロードにあるツィン・グローブ・ジュニア・ハイスクールまではるばるでかけた。(最近は、近所のクーパー・ミドル・スクールが多く、助かっているが)

最初は、アメリカ人のチームメートと写真におさまるというので、記念にもなるから、大喜びででかけて、1人のかっこいいポーズをつけた写真も同時に撮ってくれるので、いろんな大きさの写真やグッズを注文していた。野球のチームフォトのときは、ベースボールカードに仕上げてくれたり、はては、息子の写真が大きなバッジになったりと、あの手この手で、いろんなものを注文するようにできていた。さすがに、スポーツ誌の表紙になっているような写真は注文しなかったが。上の息子が、小学2,3年生の頃、チームの監督の奥さんが、双子の息子たちが写っている大きなバッジを2つつけて、堂々と現れた時は、「ウーン、かなりの親ばかだなあ。」とびっくりしたものだ。

上の息子なんて、シカゴにきて各シーズンさまざまなスポーツのチームに属するものだから、もう13、14回ぐらいチームフォトを撮っているのではないだろうか。数年前からやり始めた秋の野球のチームは、チームフォトを撮らないので、私が撮り、みんなにメールするのだが、自分で言うのもなんだが、プロよりもずっといい仕上がりだ。プロが撮影するチームフォトは、各リーグチームの数がすさまじいから、流れ作業になってしまう。アメリカって、スポーツがらみのビジネスがかなりもうかるのだろう。

去年春に日本で一眼レフを購入して以来、リトルリーグのアメリカ人たちの写真を撮ることにはまってしまい、それを主人がCDに焼いてチームのみんなに渡したら、コーチたちにとても喜ばれた。私としては、主人が忙しくコーチもできず、私もビジネスマネジャーもしていないので、せめてカメラマンとして、チームの写真を撮り始めようと思ったのが、きっかけだった。チームパーティの時、みんなが本当にうれしそうに、写真に写った自分の子供たちのバッティングやピッチングフォームを何回も見ているので、やってあげてよかった。コーチたちは、試合にかかりっきりで、自分の子供たちの写真を撮ることができないから、よけいに有難いのだろう。

でも、ファインダーからのぞくリトルリーガーたちの雄姿は、本当に美しい。ユニフォームの鮮やかな色やグラウンドの土煙りが立ち上る独特の瞬間を切り取るのが、快感だ。もう完全に趣味になってきたよう。自分の息子以外のアメリカ人のチームメートたちを撮るのも楽しくってしょうがなかった。なんというか、ユニフォーム姿がさまになっているのだ。

さて、再び、チームフォトの話にもどるが、残念なことに、バスケットのチームフォトに写る人数が、年々少なくなってきている。全部でメンバーは10人いるのだが、上の右下の写真のように、去年は6人しか写ってないし、(監督さえいない)今年は、左下の写真のように、監督を真ん中にして、なんとさびしいことに4人しか写っていない。アメリカ人も毎シーズンやっているから、「もういいや!」ということなのだろう。今のところ、うちは、毎回一応写りに行っている。

バスケットに比べて、野球のほうは、上の息子の年齢でも出席率がいい。下の息子のおとどしのティーボールのチームに至っては、12人の子供たちに6人のコーチが写っていた。やはり、小さい子たちの親は熱心だね。

4月からの野球のシーズンが待ち遠しい!今年もリトルリーガーたちのいいショットをバシバシ撮りまくるつもりだし、次男が仲のいい監督のチームに引き抜かれたら、チームのビジネスマネージャーに立候補しようかと秘かに思っている。これまで、さんざんお世話になっているので、そろそろちゃんとボランティアもしないとね。コンセッションスタンドなどの売り子のボランティアワークは、大変そうに見えるけど、これがやり始めるとなかなか楽しい。ぜひ皆様、一度学生のアルバイト気分で売り子に挑戦してみてください。