あの日以来、連日東北地方の被災者の厳しい避難生活のニュースを見たり、新聞報道を真剣に読んで涙を流す。
とくに朝日新聞の「3月11日14時46分から30分間」という九死に一生を得た人々の特集記事は、毎回毎回何度もむさぼるように読み返した。
その特集記事もその前からの報道も記者たちが被災者の証言を一字一句もらすまいと決死の覚悟でいどんで書いている気迫が伝わってくる。
この未曾有の大惨事は、どんなえらい人のコラム記事よりも体験した人々の声や事実がそのまま記されている報道記事が我々読者の胸をつく。
被災者を励ますような抽象的な言葉が著名な作家から書かれていたり、復興への道のりの具体的な提案などがさまざまな専門家によって書かれているが、今の絶望的な状態の被災者にどう届くのだろうか。
今まで経験したこともない大災害に直面して、ときおり「私たちは何も書く資格はないのではないか」とも思う。
そんな私たちは、義援金をだいぶ前に主人が企業を通して送って以来、具体的なボランティア活動は何もできていない。
現在の自分の生活をこなすだけでせいいっぱい。
短かったような長かったような二重生活が終わり、小田原で本格的に腰をおろす生活。
被災者といつかつながるために今日も新聞報道を読む。
とくに朝日新聞の「3月11日14時46分から30分間」という九死に一生を得た人々の特集記事は、毎回毎回何度もむさぼるように読み返した。
その特集記事もその前からの報道も記者たちが被災者の証言を一字一句もらすまいと決死の覚悟でいどんで書いている気迫が伝わってくる。
この未曾有の大惨事は、どんなえらい人のコラム記事よりも体験した人々の声や事実がそのまま記されている報道記事が我々読者の胸をつく。
被災者を励ますような抽象的な言葉が著名な作家から書かれていたり、復興への道のりの具体的な提案などがさまざまな専門家によって書かれているが、今の絶望的な状態の被災者にどう届くのだろうか。
今まで経験したこともない大災害に直面して、ときおり「私たちは何も書く資格はないのではないか」とも思う。
そんな私たちは、義援金をだいぶ前に主人が企業を通して送って以来、具体的なボランティア活動は何もできていない。
現在の自分の生活をこなすだけでせいいっぱい。
短かったような長かったような二重生活が終わり、小田原で本格的に腰をおろす生活。
被災者といつかつながるために今日も新聞報道を読む。