皆さま、大変ご無沙汰しております。少しずつ暑さが和らいでいく中、いかがお過ごしですか?こちらは夏休み3週間ほどアメリカへ行ってまいりました。またこの旅行については詳しくご報告できればと思っています。さて、久しぶりにパリ在住画家早川俊二氏の最近の動向をご報告いたします。このブログが早川さんの広報活動の一環ということで、ご本人からも了承を得て書いています。
まず、早川さんのお母様が亡くなられたため今年の3月日本に帰国されたおりに、奥様の結子さんとともに早川さんにお会いしたときのことです。 早川さんとは、2015〜16年の日本国内での巡回展以来なので、3年ぶりでした。びっくりしたのは、食事療法のため体重がかなり落ちて、顔も体もほっそり若々しくなられたことです。日本で普段会えない人々に出来るだけ多く会うため、相変らず精力的に動いていらっしゃるようでしたが、疲れを見せず、生き生きとされていました。体調が良いせいか、今後の作品への創作意欲に溢れているようでした。
銀座でのショットで『月刊美術』7月号にも掲載された。3年前の展覧会の時の重圧に満ちた暗い表情と打って変わって、明るく軽やかな表情。
2つ目の報告は早川関係者、ファンにとって嬉しいビッグニュースです。2016年の巡回展の最後の舞台となった酒田市美術館が早川作品を3点所蔵しました。結子さんが自身所蔵の3点を美術館に寄贈されたそうです。石川好館長のお話では、おりをみて展示できるようにしてくださるとのこと。2015年6月の長野展を皮切りに札幌、新潟、そして酒田へと回った「早川俊二 遥かな風景への旅」展での代表作、「まどろむAméry-2」(2008年)と早川夫妻の愛ネコを描いた「眠るtoto-2 」(2006年)と「錆びた機械油差しと貝、砂糖壷」(2008年)です。展覧会カタログの表紙にも「まどろむAméry-2」は使われています。今までは早川さんの数年おきの個展でしか作品を観れなかったのが、東北の美術館に行けば毎年あの神々しいAméryに会えるかと思うと、心踊りますね。
3つ目の報告は『月刊美術』7月号の巻頭特集「ベテラン・個性派洋画との再会 心で集める絵」で早川作品が紹介されています。代表作の「まどろむAméry-1」(2008年)が1ページにわたって大きく出ていて、最初の各作品の紹介ページには、「風景へ(コーヒー挽き、砂糖壷)」(2004年)が掲載されています。個人的に「まどろむAméry-1」は、2009年の個展でのデビューの時からお気に入りだったので、正直「やっとか!」という感じです。『月刊美術』の2011年12月号、2013年7月号、2015年6月号と、酒田市美術館所蔵の「まどろむAméry-2」が繰り返し掲載されていました。
「まどろむAméry」シリーズのこの2作はタッチが違います。「Améry-1」の方は何層にも塗り込められて生み出された独特のマチエール画面からAméryがすくっと浮かび上がってきます。Améryの顔の向かって左側の影から頭にかけて放たれる幻想的な淡いパープルの光の中で、強烈な存在感と生のエネルギーを感じます。一方「Améry-2」は、Améryがあたかも朝もやの自然の中で横たわっているかのような印象・・・・・・Améryの体全体の内から放たれる心地いい柔らかな光からゆらゆらとしたまどろみが伝わってきます。こちらはバックと同化している感じを受けます。過去あちこちで専門家によって評論・紹介されている作品二つですが、ここであえて自分の印象を再び書いてみました。
この7月号の特集の最後の早川さんの手記には、「ヨーロッパ絵画(油彩)の膨大な量と高い質を観て、東洋人である自分に何ができるかという問題と平面絵画における時間と空間性を問い続け現在に至ります」と書かれています。
3月末の帰国の際に少しお話を伺ったので、その時の心境も報告いたします。
まず、「共生共存の豊かな意識を持つ縄文時代の心を持つ日本人として、その心をヨーロッパ的な手法の上に絵画を通して伝えたい」と強調されていました。
そして、今年1月末にルーブル美術館で見た古代ギリシャの小さな壺にも同じような共存共栄のような暖かさを感じられたそうです。「ミケランジェロもセザンヌもレンブラントもそれは時代を超えて、非常にすごいエネルギーを持っているもんです。湧き上がってくるように。それこそ僕の先生ジリが言ったように、芸術というのは太陽のように常にエネルギーを発散するものでなければいけない」と力を込めて言われました。
「時代の流れの中でモードに流れるんじゃなくて、時代を作っていくという意識でもってやっていく」ときっぱりと誇り高く言われました。
2016年の展覧会後、前立腺癌を患い、2年間絵を描くことを意識的に辞めたそうです。日々の食事療法で体調を少しずつ少しずつ時間をかけて整えていかれたそうです。「絵を描きながら病気を治すことができないことがわかっていて、体に力が入らない。前立腺癌で意識的に2年間筆を止めてた。(しかし)この2年間僕の次のステップに行くためのエネルギーを貯める時間でちょうどいい。非常にいい感じで溜まってきた。だから体の方は俄然パワーアップしてきたしね。一応70才で再出発ぐらいでいいんじゃないですかね」と楽観的に言われました。今までここまで長い間絵を描かなかったのは初めてだそうです。
3年前の日本での大きな展覧会で得た早川ファンの大きな支援を心の糧に、今後早川絵画がどのように変化して、ますます大きく開花していくのか楽しみです。
まず、早川さんのお母様が亡くなられたため今年の3月日本に帰国されたおりに、奥様の結子さんとともに早川さんにお会いしたときのことです。 早川さんとは、2015〜16年の日本国内での巡回展以来なので、3年ぶりでした。びっくりしたのは、食事療法のため体重がかなり落ちて、顔も体もほっそり若々しくなられたことです。日本で普段会えない人々に出来るだけ多く会うため、相変らず精力的に動いていらっしゃるようでしたが、疲れを見せず、生き生きとされていました。体調が良いせいか、今後の作品への創作意欲に溢れているようでした。
銀座でのショットで『月刊美術』7月号にも掲載された。3年前の展覧会の時の重圧に満ちた暗い表情と打って変わって、明るく軽やかな表情。
2つ目の報告は早川関係者、ファンにとって嬉しいビッグニュースです。2016年の巡回展の最後の舞台となった酒田市美術館が早川作品を3点所蔵しました。結子さんが自身所蔵の3点を美術館に寄贈されたそうです。石川好館長のお話では、おりをみて展示できるようにしてくださるとのこと。2015年6月の長野展を皮切りに札幌、新潟、そして酒田へと回った「早川俊二 遥かな風景への旅」展での代表作、「まどろむAméry-2」(2008年)と早川夫妻の愛ネコを描いた「眠るtoto-2 」(2006年)と「錆びた機械油差しと貝、砂糖壷」(2008年)です。展覧会カタログの表紙にも「まどろむAméry-2」は使われています。今までは早川さんの数年おきの個展でしか作品を観れなかったのが、東北の美術館に行けば毎年あの神々しいAméryに会えるかと思うと、心踊りますね。
3つ目の報告は『月刊美術』7月号の巻頭特集「ベテラン・個性派洋画との再会 心で集める絵」で早川作品が紹介されています。代表作の「まどろむAméry-1」(2008年)が1ページにわたって大きく出ていて、最初の各作品の紹介ページには、「風景へ(コーヒー挽き、砂糖壷)」(2004年)が掲載されています。個人的に「まどろむAméry-1」は、2009年の個展でのデビューの時からお気に入りだったので、正直「やっとか!」という感じです。『月刊美術』の2011年12月号、2013年7月号、2015年6月号と、酒田市美術館所蔵の「まどろむAméry-2」が繰り返し掲載されていました。
「まどろむAméry」シリーズのこの2作はタッチが違います。「Améry-1」の方は何層にも塗り込められて生み出された独特のマチエール画面からAméryがすくっと浮かび上がってきます。Améryの顔の向かって左側の影から頭にかけて放たれる幻想的な淡いパープルの光の中で、強烈な存在感と生のエネルギーを感じます。一方「Améry-2」は、Améryがあたかも朝もやの自然の中で横たわっているかのような印象・・・・・・Améryの体全体の内から放たれる心地いい柔らかな光からゆらゆらとしたまどろみが伝わってきます。こちらはバックと同化している感じを受けます。過去あちこちで専門家によって評論・紹介されている作品二つですが、ここであえて自分の印象を再び書いてみました。
この7月号の特集の最後の早川さんの手記には、「ヨーロッパ絵画(油彩)の膨大な量と高い質を観て、東洋人である自分に何ができるかという問題と平面絵画における時間と空間性を問い続け現在に至ります」と書かれています。
3月末の帰国の際に少しお話を伺ったので、その時の心境も報告いたします。
まず、「共生共存の豊かな意識を持つ縄文時代の心を持つ日本人として、その心をヨーロッパ的な手法の上に絵画を通して伝えたい」と強調されていました。
そして、今年1月末にルーブル美術館で見た古代ギリシャの小さな壺にも同じような共存共栄のような暖かさを感じられたそうです。「ミケランジェロもセザンヌもレンブラントもそれは時代を超えて、非常にすごいエネルギーを持っているもんです。湧き上がってくるように。それこそ僕の先生ジリが言ったように、芸術というのは太陽のように常にエネルギーを発散するものでなければいけない」と力を込めて言われました。
「時代の流れの中でモードに流れるんじゃなくて、時代を作っていくという意識でもってやっていく」ときっぱりと誇り高く言われました。
2016年の展覧会後、前立腺癌を患い、2年間絵を描くことを意識的に辞めたそうです。日々の食事療法で体調を少しずつ少しずつ時間をかけて整えていかれたそうです。「絵を描きながら病気を治すことができないことがわかっていて、体に力が入らない。前立腺癌で意識的に2年間筆を止めてた。(しかし)この2年間僕の次のステップに行くためのエネルギーを貯める時間でちょうどいい。非常にいい感じで溜まってきた。だから体の方は俄然パワーアップしてきたしね。一応70才で再出発ぐらいでいいんじゃないですかね」と楽観的に言われました。今までここまで長い間絵を描かなかったのは初めてだそうです。
3年前の日本での大きな展覧会で得た早川ファンの大きな支援を心の糧に、今後早川絵画がどのように変化して、ますます大きく開花していくのか楽しみです。