今週のハーパー・カレッジの「アメリカ野球の歴史」のクラスで、ルー・ゲーリックとベーブ・ルースが活躍していた時代のDVDを観た。ルー・ゲーリックは、今まで写真でしか見たことがなく、「俳優のような甘いマスク」というイメージがあったのだが、そのハンサムな素顔とスマートな雰囲気に「やはり、ルー・ゲーリックは素敵だった!」と思わず深いため息をもらしてしまった。
ベーブ・ルース(右)とルー・ゲーリックの黄金コンビ。1920年代のヤンキースで打ちまくった。「NHK大リーグ中継をぜんぶみる!」NHKウイークリー、ステラ臨時増刊2007年5月11日号 p114より 写真とキャプション
偉大なベーブ・ルースの栄光の影に存在したこれまた偉大なルー・ゲーリック。14年間で、2130試合連続出場を達成し、「アイロンホース(鉄の馬)」というあだ名があったほど。この記録は、1995年に、「鉄人」と呼ばれたカル・リプケン・ジュニアによって更新された。
デパルマ教授の分析ノートによると、史上最強と言われる1927年のヤンキースのチームの中で、ゲーリックの打率は、3割7分3厘、ルースは、3割5分6厘。この年、ゲーリックが47本もの本塁打を打つが、ルースは記念碑的な60本塁打を放つ。その瞬間のビデオをみんなで観た。手足の長いルースが、40オンスもある重い長いバットでフルスイング。軽々と運ぶという表現がぴったり。デパルマ教授のノートによると、ロジャー・マリスが、その記録を破る61本を打つまで、34年の月日が必要だった。
子供たちを愛し、愛されたルース。当時のコマーシャルに出演しているルースは、とてもお茶目で、これまた子供たちと一緒に楽しんでいるといった感じだ。なんともいえない優しい表情を絶やさなかった偉大なアメリカ人のヒーロー中のヒーロー。
先日書いた「エイト・メン・アウト」の1919年のブラックソックススキャンダルの時代に、アメリカの野球は八百長事件があいついだというが、その危機を救ったのが、ベーブ・ルースだったとデパルマ教授が言う。野球史上類を見ない大スキャンダルによって、球界が沈んでしまったのをルースの存在でまた盛り上がったわけだから、ルースなくして今のメジャーリーグの盛栄はないとも言えるだろう。
ルースは、子供のころから大柄で、暴れん坊で手がつけられなくて、少年院のような施設に入れられたが、小さな子供たちのことの面倒を良く見ていたという。野球という天職にめぐりあって、世界中の子供たちから大人に夢を与えてくれた。
ちょっとコミカルな親しみやすい容貌のルースに対して、ゲーリックは、冒頭で書いたように、映画から抜け出てきたような甘いルックス。こんな感じのスマートな雰囲気をだだよわせたメジャーリーガーは今の時代にはいない。ゲーリックの伝記映画「打撃王」では、ゲーリー・クーパーが演じているから、まさにぴったりのイメージだ。
ゲーリックは、筋萎縮性側索硬化症を発症したため、打てなくなり(この病気は「ルー・ゲーリッグ病」とも言われる)出場記録もそのため途絶えた。DVDでは、突然病気のために打てなくなったゲーリックの苦悩を映し出し、その悲壮感でますます見ている私たちをひきつける。引退挨拶のスピーチでは、美しい姿のまま男泣きするゲーリック。そして、ルースがそばにいて、抱きしめる瞬間が感動的だ。ゲーリックは、37歳の若さで世を去ったという。万人に愛されたルースは勿論すごいけど、若くして亡くなったゲーリックのような悲劇のヒーローに私は、いたく心をひかれる。
ベーブ・ルース(右)とルー・ゲーリックの黄金コンビ。1920年代のヤンキースで打ちまくった。「NHK大リーグ中継をぜんぶみる!」NHKウイークリー、ステラ臨時増刊2007年5月11日号 p114より 写真とキャプション
偉大なベーブ・ルースの栄光の影に存在したこれまた偉大なルー・ゲーリック。14年間で、2130試合連続出場を達成し、「アイロンホース(鉄の馬)」というあだ名があったほど。この記録は、1995年に、「鉄人」と呼ばれたカル・リプケン・ジュニアによって更新された。
デパルマ教授の分析ノートによると、史上最強と言われる1927年のヤンキースのチームの中で、ゲーリックの打率は、3割7分3厘、ルースは、3割5分6厘。この年、ゲーリックが47本もの本塁打を打つが、ルースは記念碑的な60本塁打を放つ。その瞬間のビデオをみんなで観た。手足の長いルースが、40オンスもある重い長いバットでフルスイング。軽々と運ぶという表現がぴったり。デパルマ教授のノートによると、ロジャー・マリスが、その記録を破る61本を打つまで、34年の月日が必要だった。
子供たちを愛し、愛されたルース。当時のコマーシャルに出演しているルースは、とてもお茶目で、これまた子供たちと一緒に楽しんでいるといった感じだ。なんともいえない優しい表情を絶やさなかった偉大なアメリカ人のヒーロー中のヒーロー。
先日書いた「エイト・メン・アウト」の1919年のブラックソックススキャンダルの時代に、アメリカの野球は八百長事件があいついだというが、その危機を救ったのが、ベーブ・ルースだったとデパルマ教授が言う。野球史上類を見ない大スキャンダルによって、球界が沈んでしまったのをルースの存在でまた盛り上がったわけだから、ルースなくして今のメジャーリーグの盛栄はないとも言えるだろう。
ルースは、子供のころから大柄で、暴れん坊で手がつけられなくて、少年院のような施設に入れられたが、小さな子供たちのことの面倒を良く見ていたという。野球という天職にめぐりあって、世界中の子供たちから大人に夢を与えてくれた。
ちょっとコミカルな親しみやすい容貌のルースに対して、ゲーリックは、冒頭で書いたように、映画から抜け出てきたような甘いルックス。こんな感じのスマートな雰囲気をだだよわせたメジャーリーガーは今の時代にはいない。ゲーリックの伝記映画「打撃王」では、ゲーリー・クーパーが演じているから、まさにぴったりのイメージだ。
ゲーリックは、筋萎縮性側索硬化症を発症したため、打てなくなり(この病気は「ルー・ゲーリッグ病」とも言われる)出場記録もそのため途絶えた。DVDでは、突然病気のために打てなくなったゲーリックの苦悩を映し出し、その悲壮感でますます見ている私たちをひきつける。引退挨拶のスピーチでは、美しい姿のまま男泣きするゲーリック。そして、ルースがそばにいて、抱きしめる瞬間が感動的だ。ゲーリックは、37歳の若さで世を去ったという。万人に愛されたルースは勿論すごいけど、若くして亡くなったゲーリックのような悲劇のヒーローに私は、いたく心をひかれる。
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