その先を歩いて行くと
きれいな絵が描かれた建物が、長崎小学校でした。
今度は、古びた大きな格式ある屋敷が見えました。岩崎家住宅といい、豊島区南長崎4丁目にあります。旧長崎村字五郎窪の旧家で、清戸道沿いで肥料や糠を商っていたということ。江戸末期の建築で、1918(大正7)年に解体されましたが、その後、当時と同じ様式で再建されたそうです。清戸道は江戸中期以降、近郊農村の野菜を神田市場へ運ぶ産業道路であったということです。
もう一度、駅方向へ向かうことにします。
今度は、正面に神社が見えて来ました。かなり大きな神社ですね。
鳥居をくぐって入って見ます。
ご覧のように長崎神社という神社です。豊島区長崎1丁目9ー4にあり、長崎神社の創建年代は不詳ですが、長崎村の鎮守として信仰を集め、江戸時代の中期には十羅刹女社と称せられていました。明治の神仏分離令により十羅刹女神に代わり須佐之男命を祭祀し、氷川神社、そして長崎神社と改称し、現在に至るそうです。
この碑は、神社前の停車場開設記念碑ということで、現在の西武池袋線椎名町駅の開設を記念したものなのでしょうか。
神社を後にして、少し行くと椎名町小学校がありました。
つづく