「蕨(わらび)」という地名がいつごろ生じたのかは不明ですが、文献上では1352年8月17日(観応3年6月29日)付の「賀上家文献」で、「蕨郷上下」と記されています。蕨市役所付近には古来の日本住宅など多く残されており、旧中山道沿いに栄えた当時を偲ばせる建物も多くありました。
河鍋暁斎(1831~1889)は幕末から明治にかけて活躍した狩野派の人気絵師で、道釈人物画から浮世絵版画、戯画・風刺画まで幅広い作品を描きました。記念美術館は1977年に暁斎の曾孫にあたる河鍋楠美氏が自宅を改装して開館したもので、同館では肉筆、版画などの完成作品のほか、下絵、画稿など多数所蔵し、常時40点ほど展示しています。
さらに進むと、蕨春日神社という神社へ来ました。蕨春日神社の創建年代は不詳ですが、当社に隣接して日蓮宗本法院があることから、両寺の守護神として三十番神として創建したのではないかと考えられます。
この神社には、春日神社木造三十番神立像(市指定有形文化財)という立像があり、三十番神立像は一月(旧暦)三十日を毎日交代で「法華経」を守る神様として春日神社の前身である三十番神に納められたものです。この三十番神立像は、基本的には一材でつくられ、顔かたちが個性的で像全体がていねいに彩色されており、また台座の底部には三十番神立像を奉納した本法院の檀家と思われる人名が記されています。残されている資料を総合すると、江戸時代の享保(一七一六~一七二六)頃に造立されたものと考えられます。造立時期が古く、造立背景が分かり、また保存状態も良いことなどから、蕨を代表する文化財のひとつとして大変貴重なものです。
つづく
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