三ツ木という所まで来ました。
旗が立っています。宿の子育地蔵尊とありますが、この堂宇の宿薬師堂は、慶長年間(1596-1614)に創建、長圓寺というお寺が管理して双盤念仏・滝山流の薬師念仏鉦はりが奉納されていたといいます。建立年代は不詳ですが、明治時代に旧青梅街道が改修されるまでは、東にあった道路の傍に立っていました。改修のとき現在の場所に移されたものです。
また、しばらく行くと石柱が二本立っています。どうやらお寺か神社らしいですね。それにしてもシダレザクラの見事なこと。
桜の木の下には水仙の花も咲いています。
真言宗豊山派寺院の真福寺とあります。どんなお寺なのでしょう?
梵鐘についての説明がありました。この梵鐘は、寛永十五年(1638)当寺第九世頼栄法師の代に檀家の協力により鋳造され、作者は、鍛冶長瀬理右衛門久次で、この寺が正応三年(1290)に瀧性法師によって再興されたことなどの由緒が刻まれており、年代のうえからも貴重なものとして、第二次世界大戦の時に供出を免除されたそうです。宝暦年間(1751〜63)当寺が火災にあった際、亀裂が入り撞けなくなったので、この山門楼上にかけられているそうです。高さ138センチメートル、口径75センチメートル、撞座高さ29.5センチメートルとあります。
周辺を見ると、
こんな装飾品も置いてあります。屋根の上に飾るものだと思われますが・・・。
弘法大師様の像でしょうか。
真言宗豊山派寺院の真福寺は、龍華山清浄光院真福寺と号し、和銅3年(710)、行基が創建、承久2年(1220)に落雷によって焼失したと伝えられ、 その後龍性法師(または瀧性法師、正応3年1290年寂)が中興したといいます。江戸時代には寺領20石の御朱印状を拝領していました。狭山三十三観音霊場20番、多摩八十八ヶ所霊場42番です。現在の本堂は、安永七年(1778)の建立で本尊は薬師如来、板戸の十六羅漢画や格天井花鳥画(市指定有形文化財)は、天保十年のころ青梅の人石川文松によって描かれたものです。江戸時代の建立とされる山門には、寛永十五年(1638)鋳造の梵鐘(市指定有形文化財)が収められています。観音堂も江戸時代の建立と伝えられ、江戸時代の中頃から奉納され始めた百体観音が安置されています。s外からは覗えませんが、真福寺本堂の格天井に描かれている花鳥画は、宗祖弘法大師の一千年ご遠忌の記念事業として天保十年(1839)檀家及び末寺の協力により完成したものです。一般には、百花百鳥といわれ、百枚に花、九十九枚に鳥、一枚に竜が描かれています。これに関連する古文書として「天井彩色勧化帳」(天保十年)が当寺に保存されています。作者は石川文松で現青梅市に生まれ、多摩や入間地方を中心に活躍した画人であり、当寺には花鳥画のほかに同人作の「板戸の十六羅漢画」が残されています。
つづく
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