しばらく、ご無沙汰していました。本日は、こちらから参ります。
武蔵小金井駅、南口からこのバスで行きます。
降りた場所から、すぐのところにあるのがここ幡随院です。浄土宗系単立寺院の幡随院は、神田山新知恩寺と号します。幡随院は、演蓮社智誉向阿幡随意上人白道和尚が徳川家康の招きにより慶長8年(1603)神田駿河台に新知恩寺と通称して創建、元和3年(1617)池之端へ移転、万冶2年(1659)浅草へ再転、延宝年間(1673-1681)浅草幡随院と通称したといいます。開山の演蓮社智誉向阿幡随意上人白道和尚は、館林善導寺、和歌山万性寺などを開山、熊谷寺を中興したという高僧です。関東十八檀林の一つとして、数多くの末寺を擁していました。台東区の区画整理に伴い、昭和14年当地へ移転しました。
とありました、この日はあいにく門が閉まっていて、中へ入れませんでした。
しばらく行くと、ややひらけた場所に鳥居が見えたので奥へと向かいました。
神明宮と書かれた提灯がぶらさがっています。
なかなか怖そうな狛犬のお出迎えです。
前原神明宮という神社だそうです。この日も、お正月の三が日でちらほらと初詣に見える人たちがいました。地元の神社は大切ですね。ところで、この前原神明宮とは、小金井市前原町にある神社です。前原神明宮の創建年代等については不詳ながら、天正年間(1573-1593)の創建と伝えられ、上小金井村の鎮守社だったといいます。明治42年(1909)小金井神社に合祀されたものの、昭和22年(1947)に復座したといいます。この記念碑ですが、これは「このたび境内地及び参道一九九六平方米が所有者鴨下良輔氏より社域として提供されたので、これを記念して有志相計りここに碑を建立して後世に伝えるものである。」とありました。
末社の稲荷社もちゃんとあります。
扁額は、はっきりと神明宮とあります。
本殿の脇に、このような舞台のような、何かを入れるような枠が置かれていましたが、催しものでもあるのでしょうか?
つづく
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