やって来た神社は、まだ新しいようですね。
目の前に、高橋新五郎遺跡という説明版がありました。この人物は、何者なのでしょう?
すぐ傍には、石碑が建っています。
この遺跡は「機神社」「はた神さま」とも呼ばれ、二代目高橋新五郎とその妻いせ、そして新五郎の信仰した関東宮が合祀されたものです。高橋新五郎は寛政三年(一七九一年)に生まれ、糸綿商の父の後を継ぎ、青梅、足利地方を往来するうちに、織物の生産を決意し、従来の「たかばた」に改良を加えました。この織機は後に高橋家の屋号「あずまや」から「あずまやたかばた」と呼ばれ、広く機業家に普及しました。文政八年(一八二五年)頃、この織機を使って「青縞」の生産を行い、さらに品質の向上をはかったので、当時の江戸の市場を圧倒する人気を得ました。この業績をたたえ後世の人々が「はた神さま」として祀り、毎年八月には新五郎の創業の日を記念し、「わらび機まつり」が行われています。
なかなか立派な彫り物がされていますね。
機神社(はた神社)という額が収められていました。
蕨市は、織物の町でもあったのですね。
つづく
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