この神社は、子ノ神社というそうです。どんな神社かな?
子ノ神社は、文禄元年(1592)8月、領主矢部藤九郎が小山村鎮守として地蔵尊を勧請したと伝えられます。字稲荷山(当村南方)、字西原(当村西方)、字大堂(当村北方)を明治11年(1878)8月境内末社として合祀しています。当社は、小山村の鎮守にして、文禄元年(1592)8月、領主矢部藤九郎により本地仏は地蔵の勧請と伝えられ、除地1町5段(4500坪)を有し、社地には槻・杉雑樹など繁茂していたといわれる。拝殿は文政元年(1818)10月建立し、後明治4年(1871)8月、明治42年(1909)5月等数回に亘り修築がなされた。神社名はもと「根神明神」と称したが、後世にいたり十二支の子を用い「子ノ神社」と変更された。子は大黒天の神使いであり、縁日を甲子祭として子の日を選ぶなどの故事から習合されたものと思われる。祭神大国主命は出雲大社の祭神と同一神にして国土開発の神であると共に、縁結び・子孫繁栄・五穀豊穣の神とされている。創立者矢部氏は相模三浦氏の子孫で、小田原北条氏に仕えていたが、徳川時代の始め、300石を賜り小山村の地頭となった。神社の西方畑地にその屋敷跡があったという。後、寛文5年(1665)2月死去し江戸牛込多聞院に葬られたといわれる。という説明でした。
ここでまた、矢部藤九郎という方の名前が出て来ました。大圓寺に供養塔がありましたね。この方が創建した神社だったんだ。
大きな木もあります。
古そうな灯篭です。
ここが本殿ですね。お参りしましょう、
ここには、ムクロジという木がありました。あの羽根つきに使う羽根に付いた黒い実がムクロジの実なんですね。
末社が並んでいました。
つづく
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