それでは、失礼して次へと向かいます。
日大芸術学部の前を通って、東方向へと向かいます。
大きな山門のお寺へ到着しました。
能満寺というお寺です。西武池袋線の江古田駅より歩くこと8分程。旭丘小学校のすぐそばに夏雪山 能満寺はあります。
能満寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王です。元和年間(1615~1623年)に、源心僧都によって開基されたと推定され、真言宗は平安時代初期に弘法大師によって、中国からもたらされ日本で開宗されました。教えの中心はマンダラ思想です。世の中にはいろいろな宗教や思想がありますが、よく観察してみると一番底に共通の原点があります。この原点が大日如来という仏さまです。一切の諸尊はそれがお薬師さま、観音さま、お地蔵さま、お不動さまであれ、すべて大日如来の身を変えたお姿(応化身)なのです。
六地蔵も整然と並んでいます。
他にもこんな石仏が並んでいます。
これは二十三夜塔という石碑ですね。
本殿も立派なものでした。
ところで、真言宗豊山派寺院の能満寺は、夏雪山広原院能満寺と号し、僧源心(承応2年1653年没)が、当地に創建したと伝えられます。豊島八十八ヶ所霊場61番札所、板橋七福神の寿老人です。
「当寺縁起」によると、「昔、夏に雪が降って美しい景色の地があると聞いた源心僧都が、武蔵野に来て、村民のために仏教を説き、村民より篤く信望を得た。そこで堂宇を創建し、不動明王を安置して本尊とし、名づけて夏雪山能満寺とした・のち数台を経て火災にあい、庫裡の一部を焼失したが、天明6年(1786)11月、11世克龍がこれを再建し、あわせて大日堂を造営した」とある。明治初期の廃仏毀釈の頃には無住の時代もあり、文書類一切、亡失している。過去帳には宝暦年間(1751-64)から記載されている。墓石は宝永5年(1708)が最も古い。なお参道入口には千川上水が暗渠となる際に当寺に移された通称千川地蔵(延命地蔵)が小さな祠に安置されている。また、明治年間まで本寺があった所在地名(北豊島郡上板橋村字江古田新田)をしのぶことができるものとして、「板橋七福神の寿老人」がまつられている。平成15年(2003)に本堂が建て替えられた。ということでした。
つづく
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます