楽しいお散歩

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 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

今日は、ここから出かけましょう

2022-06-13 16:14:23 | 日記

降り立った駅はここです。駅ホームから改札出口付近に、こんなマスコットがありました。「マンガの聖地」とありますが、そういえば漫画家の修行地だったトキワ荘がある場所でもあるんですね。

南口から出発して、先ずは全昌院というお寺を目指しましょう。

前方に看板が見えました。何やらお寺らしくないなぁ?

門の前に来ましたが、普通の邸宅のような構えです。調べたところ、こういうお寺でした。豊島区南長崎5丁目21-8にある曹洞宗寺院の全昌院は、代受山と号します。昭和56年に創立しました。古くはなさそうです。普段は格式ばらず坐禅会開催、経典購読会、精進料理会を開催しているそうです。その先へと行くと

公園と同居している神社がありました。

五郎久保稲荷神社といい、豊島南長崎にある神社です。境内には小さい子供が遊べるような遊具もあります。この神社は南長崎三丁目南部、四丁目、五丁目は、五郎窪と呼ばれていたことから、五郎久保稲荷神社と命名されたそうです。全国でも数少ない北向の稲荷神社で、北向稲荷とも呼ばれていました。

こじんまりとした本殿があり、その右隣には別社として

榛名神社という神社の祠が祀られていました。

                         つづく


その先には、何があるかな

2022-06-09 09:38:58 | 日記

しばらく歩いて行くと青梅街道へ出ました。

関町公園というこじんまりした公園を通り過ぎ、また、少し行くと、こんな小さな神社がありました。

案内版にあるように、井口稲荷という神社ですね。練馬区関町北にある神社です。井口稲荷は、永禄13年(1570)伊豆国伊東の地に、井口但馬守平義久公が、自らの始祖始祖三浦平太夫為道公をはじめ18代の先祖を尊んで造立され、慶安2年(1649)当地へ移築しました。現在の社殿は昭和48年(1973)に移築され、境内には寄進された赤鳥居8基があります。毎年2月の初午は、関町付近の各井口家、その関係者、地元商店街の諸家、一般参詣者で賑わい、井口一族の菩提寺である日蓮宗本立寺住職が読経し催事を行った後、参詣者が各々祈願します。「病気の時お参りしてから医者にゆくとなおる」とされていて、現代でも絵馬や赤鳥居が奉納され、その信仰が今日に受け継がれていることを知ることができます。とのことでした。

道路沿いには、八重桜がよく咲いています。千川上水沿いに歩いています。

東北裏橋の傍には、こんな供養塔が建っていました。明治41年に建てられた千川上水施餓鬼亡霊供養塔と言うそうですよ。道標を兼ねていたようです。千川上水発祥の碑ですね。

今度は、こんな大きな公園に来ました。

この公園は、広さが7000平方メートルの広場があり、元は中央大学野球部のグランドだったそうです。子どもに人気のあるジャブジャブ池や犬を連れても散歩できる安心して楽しめる公園のようです。

おやおや、お隣の吉祥寺まで来たようです。それではここで終わりにして引き揚げましょう。

                          この稿 おわり

 


こんな神社へ来ました

2022-06-06 18:01:41 | 日記

狛犬が、睨んでいます。怖い!

こちらは神楽殿だそうです。

本殿にやって来ました。

質素な扁額が掛かっていました。しかし、屋根下の彫り物は立派なものでした。

ところで、この若宮神社は練馬区の関町の北にあり、天祖若宮八幡宮は、天祖神社と若宮八幡宮が昭和49年に合祀して天祖若宮八幡宮となりました。天祖神社は、もと三十番神社と称し、関村の鎮守として祀られ、明治維新後天祖神社と改称、明治7年(1874)には村社に列格、明治41年には溜淵の厳島神社を合祀、大正2年には竹下の厳島神社を溜淵厳島神社に合祀しました。一方の若宮八幡宮は武蔵関塞守護神で、当関廃止後に長い年月を経て、天祖神社の境内になたっと言われています。境内石造物で古いのは、天保14年(1843)の水盤と安政4年(1857)の燈籠で、また御嶽山大々神楽奉納記念碑(明治29年)、神楽殿落成記念碑(昭和55年)があります。 境内樹木は根回り2.1mのものをはじめとしてアカマツの大樹が多く、森の大部分はヒノキの樹林で覆われています。また長い参道にはケヤキ・モミジ・クロマツが並木をつくっています。

                                つづく

 


その先に行って見ましょう

2022-06-03 17:17:51 | 日記

しばらくすると、

右手に、このような学校が現れました。

踏切を渡って、南方向へ進みます。

今度は、公園に到着しました。武蔵関公園という公園です。木が多くて、池もありますね。

きれいな癒される公園ですよ。また、橋を渡って行きます。弁天橋という橋ですね。

ちょっと歩くと、鳥居が見えます。何という神社なのでしょう?

                       つづく

 


今日は、こちらです

2022-06-02 16:26:31 | 日記

今日は、こちらから出発します。

西武新宿線の武蔵関という駅からです。北口へ出ると石神井川へとぶつかり橋を渡ります。

渡ったら左折しましょう。しばらくすると、お寺へ来ました。

本立寺というお寺でした。日蓮宗寺院の本立寺は、法燿山と号します。この本立寺は、井口忠兵衛が開基、日誉上人(慶安2年1649年寂)が開山となり当地に創建したといいます。毎年12月9日に行われる暮の市「関のぼろ市」は練馬区登録無形民俗文化財に登録されています。記録によりますと開祖は日誉上人、開基は井口忠兵衛と記されており、日誉上人は慶安2年(1649)寂、井口忠兵衛は寛永16年(1639)関村検地の名主を勤めていますので、当寺の創建はその頃と思われます。本尊は特に、「旭日日蓮大菩薩」と尊称され、出世開運のお祖師様として多くの人々の崇敬をあつめております。墓地には開基以来関村名主を勤めた井口氏累代の墓があります。毎年12月9日にはお会式が行われ、10日にかけて門前に暮の市が立ちます。この市は昔は農具や呉服、古着などを売る店が多く、「関のぼろ市(練馬区登録無形民俗文化財)」と呼ばれて近郷近在の人々から親しまれてきました。今も時代の移り変わりの中に昔の面影を残しながら暮の行事として賑わいます。とのことでした。

それでは入って見ましょう。

この手水舎の水について一言あります。貴重な湧水で、江戸時代中期頃から湧いているとのことですね。

                        つづく