住居だった家は、路地から奥に入った3件目ですが、もう他の方の家が建っていますが、その向かいに、「井心亭(せいしんてい)」という三鷹市の和風の文化施設があって、旧宅にあったさるすべりの木が移植されていました。
途中でガイドさんと別れて、墓地のある南禅寺には1人で向かいました。
結構歩きます。と言っても私にしたらの話ですが、駅から普通に、歩いて15分~20分です。
三鷹駅からこのお寺までの一角の所有者だという「南禅寺」です。
ここには森鴎外のお墓もあるようです。高校の教科書に載る2大巨頭ですね。
お墓にはお花もあり、煙草も(吸いかけの)お供えしてありました。
太宰の津島家のお墓は8の5番、向かい側の9の6番が林林太郎(森鴎外)のお墓です。
駅に向かいながら買い物をしたりウィンドウショッピングをしていたら、すっかり駅の名所スポットを見逃してしまいました。
11月には生誕100年の最後に向けていろいろなイベントがあるようなのでもう一家ぐらい来るかもしれません。
途中でガイドさんと別れて、墓地のある南禅寺には1人で向かいました。
結構歩きます。と言っても私にしたらの話ですが、駅から普通に、歩いて15分~20分です。
三鷹駅からこのお寺までの一角の所有者だという「南禅寺」です。
ここには森鴎外のお墓もあるようです。高校の教科書に載る2大巨頭ですね。
お墓にはお花もあり、煙草も(吸いかけの)お供えしてありました。
太宰の津島家のお墓は8の5番、向かい側の9の6番が林林太郎(森鴎外)のお墓です。
駅に向かいながら買い物をしたりウィンドウショッピングをしていたら、すっかり駅の名所スポットを見逃してしまいました。
11月には生誕100年の最後に向けていろいろなイベントがあるようなのでもう一家ぐらい来るかもしれません。
夏に青森の金木に行って、太宰治の生家やゆかりの場所を巡ったが、三鷹にも「太宰文学サロン」が昨年オープンしていたので、「秋になって、涼しくなったら行ってみよう」と思っていた。
モタモタしていると寒くなってしまいそう(^_^;)
ぐずぐずしていると冬になっちまう。
秋晴れのお出かけ日和なので、行ってみました。電車で(笑)
渋谷からの井の頭線も数年ぶり、三鷹はほとんど馴染みが無く、ホームページから印刷した地図を片手に歩いて、文学サロンをみつけました。
が、ちっちゃい(;_;)
元は「伊勢元酒店」という太宰も利用した、太宰作品の中にも実名で登場するお店の跡地にマンションが建つにあたって、三鷹市がスペースを借りたらしく、生誕百年とぶつかったので実現したようです。
三鷹は太宰が玉川上水で山崎豊子と心中するまでの最後に住んだ町ですが、めぼしい物は残っていないそうです。
中に入ると男性が話かけてくれました。
夏に金木に行ったと言うと、新座敷の白川さんの事とかで話が盛り上がりました。
このカウンターは有名な写真にちなんで似せて作ったそうで、同じポーズで写真を撮って行く方も多いらしいてます。
今年の太宰の命日に当たる「桜桃忌」にはなんと、1100名を超える方が来たとか(^_^;)本当に狭いスペースなんで、想像を絶します。
お墓にも行ってみたいと思って尋ねたら、週末はボランティアの方が2名いるから案内してくださると言われ、「1人だし」(^_^;)と恐縮しましたが、お言葉に甘える事にしました。
地図にはあってもなかなか見落としてしまいそうな場所ばかりです。
仕事場にしていた建物も生家も、みな他の建物になっていますが、メモリアルプレートがあります。
第4の仕事場としていた山崎豊子の部屋のプレートは写真取り損ねてしまった。
第5の仕事場としていた「千草」跡です。
ボランティアの女性が玉川上水について、三鷹の街並みについてなど色々お話をしてくださったので、やはりお願いして良かったなぁと痛感しました。
元々は徳川4代将軍が江戸の人々に水を供するためにわずか7カ月で羽村から水路を作った物だそうです。
その跡で別の水路で江戸には供給するようになったので今はほとんど水が見えない状態です。
太宰が生前上水の川辺で微笑んでいる写真を見ると当時は深さも4M程あって、柵もなかったようです。
昔は柵などなかったので地元の民家でいらなくなった植物を勝手に捨てたので、各種雑多な植物が生えているとか、確かに、春にはきっと見事だろうと思われる桜のほかに、普通の庭に生えていそうな植物もたくさん見えます。
その三鷹市ではなく、都の管轄になっているようで、三鷹市民は手がつけられないようです。
ジブリ美術館のおかげもあってか、上水に沿っての遊歩道はきれいに整備されていて、風の通り道と呼ばれているそうです。
ここを真っすぐ行くとジブリ美術館です。
入水自殺した場所には金木から贈られた「玉鹿石」という石がありましたが、なにせ心中(^_^;)なんていうあまり威張れない死に様なんで、微妙ですわなぁ。
金木でもこの説明は聞いたような気がしました。
ここもガイドさんがいなければ、わかりにくい場所です。
三鷹市にはもっと有名な「山本有三記念館」があって、ここは建物もお庭も立派だし凄いです。ガイドさんと一緒に入館すると料金も100円割引になるそうです。
今日は中には入らないことにしましたが、この他にも武者小路実篤さんや、瀬戸内寂聴さんも住まわれていたようです。
モタモタしていると寒くなってしまいそう(^_^;)
ぐずぐずしていると冬になっちまう。
秋晴れのお出かけ日和なので、行ってみました。電車で(笑)
渋谷からの井の頭線も数年ぶり、三鷹はほとんど馴染みが無く、ホームページから印刷した地図を片手に歩いて、文学サロンをみつけました。
が、ちっちゃい(;_;)
元は「伊勢元酒店」という太宰も利用した、太宰作品の中にも実名で登場するお店の跡地にマンションが建つにあたって、三鷹市がスペースを借りたらしく、生誕百年とぶつかったので実現したようです。
三鷹は太宰が玉川上水で山崎豊子と心中するまでの最後に住んだ町ですが、めぼしい物は残っていないそうです。
中に入ると男性が話かけてくれました。
夏に金木に行ったと言うと、新座敷の白川さんの事とかで話が盛り上がりました。
このカウンターは有名な写真にちなんで似せて作ったそうで、同じポーズで写真を撮って行く方も多いらしいてます。
今年の太宰の命日に当たる「桜桃忌」にはなんと、1100名を超える方が来たとか(^_^;)本当に狭いスペースなんで、想像を絶します。
お墓にも行ってみたいと思って尋ねたら、週末はボランティアの方が2名いるから案内してくださると言われ、「1人だし」(^_^;)と恐縮しましたが、お言葉に甘える事にしました。
地図にはあってもなかなか見落としてしまいそうな場所ばかりです。
仕事場にしていた建物も生家も、みな他の建物になっていますが、メモリアルプレートがあります。
第4の仕事場としていた山崎豊子の部屋のプレートは写真取り損ねてしまった。
第5の仕事場としていた「千草」跡です。
ボランティアの女性が玉川上水について、三鷹の街並みについてなど色々お話をしてくださったので、やはりお願いして良かったなぁと痛感しました。
元々は徳川4代将軍が江戸の人々に水を供するためにわずか7カ月で羽村から水路を作った物だそうです。
その跡で別の水路で江戸には供給するようになったので今はほとんど水が見えない状態です。
太宰が生前上水の川辺で微笑んでいる写真を見ると当時は深さも4M程あって、柵もなかったようです。
昔は柵などなかったので地元の民家でいらなくなった植物を勝手に捨てたので、各種雑多な植物が生えているとか、確かに、春にはきっと見事だろうと思われる桜のほかに、普通の庭に生えていそうな植物もたくさん見えます。
その三鷹市ではなく、都の管轄になっているようで、三鷹市民は手がつけられないようです。
ジブリ美術館のおかげもあってか、上水に沿っての遊歩道はきれいに整備されていて、風の通り道と呼ばれているそうです。
ここを真っすぐ行くとジブリ美術館です。
入水自殺した場所には金木から贈られた「玉鹿石」という石がありましたが、なにせ心中(^_^;)なんていうあまり威張れない死に様なんで、微妙ですわなぁ。
金木でもこの説明は聞いたような気がしました。
ここもガイドさんがいなければ、わかりにくい場所です。
三鷹市にはもっと有名な「山本有三記念館」があって、ここは建物もお庭も立派だし凄いです。ガイドさんと一緒に入館すると料金も100円割引になるそうです。
今日は中には入らないことにしましたが、この他にも武者小路実篤さんや、瀬戸内寂聴さんも住まわれていたようです。
久しぶりに歯が痛い、いや数日間痛かった。これを書き始めたらなんだか治った(笑)
胃ガンの手術後は、食事の絶対量が減ったが、甘いものは特に制限なく食べるし、黒糖や飴の類が無性に食べたくて、かなり食べている。
しかも結構ボリボリ噛んだりもしているから、ちょっと気になっていた。
しかし、今回の歯痛はピンポイントという訳でなく、右の下側がまとめて痛い。
三叉神経痛だったらどうしょう(-_-#)とか心配になる。
義母が長く苦しんだ病で、三大奇病の一つといわれている。
最初は歯が痛いと思って、歯医者にかかるが、虫歯は全部治しても痛みが続くのでおかしいということになって、結局神経科と麻酔科にお世話になっていた。
外傷がないのに、激痛があるから気分がすぐれずに、気分が悪いから周りに不愉快な気分を与えたくないからと、最後はあまり私たちにも長居して欲しくないようだった。
原因は頭の中の血管がちょっと腫れたりしてそれが、神経に当たるかららしい。
しかし、一定の場所ではなく、どこかが流動的に腫れるから始末がわるい。
私の今回の歯痛は素人判断だが、日曜日の雨と寒さからの疲れかな?と思う。
いやはや、翌日の月曜日はしっかりお昼寝したりもしたが、あれごときでこんなんなるとは、やはり相当体力が落ちているな(-_-#)を実感しました。
胃ガンの手術後は、食事の絶対量が減ったが、甘いものは特に制限なく食べるし、黒糖や飴の類が無性に食べたくて、かなり食べている。
しかも結構ボリボリ噛んだりもしているから、ちょっと気になっていた。
しかし、今回の歯痛はピンポイントという訳でなく、右の下側がまとめて痛い。
三叉神経痛だったらどうしょう(-_-#)とか心配になる。
義母が長く苦しんだ病で、三大奇病の一つといわれている。
最初は歯が痛いと思って、歯医者にかかるが、虫歯は全部治しても痛みが続くのでおかしいということになって、結局神経科と麻酔科にお世話になっていた。
外傷がないのに、激痛があるから気分がすぐれずに、気分が悪いから周りに不愉快な気分を与えたくないからと、最後はあまり私たちにも長居して欲しくないようだった。
原因は頭の中の血管がちょっと腫れたりしてそれが、神経に当たるかららしい。
しかし、一定の場所ではなく、どこかが流動的に腫れるから始末がわるい。
私の今回の歯痛は素人判断だが、日曜日の雨と寒さからの疲れかな?と思う。
いやはや、翌日の月曜日はしっかりお昼寝したりもしたが、あれごときでこんなんなるとは、やはり相当体力が落ちているな(-_-#)を実感しました。