草もち姫 徒然なるままに

日暮し、PCにむかひて心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

東海道中膝OK?「石薬師」→「四日市」

2018年03月27日 | 東海道53次

四日市はちゃんと東海道を意識して標識をポイントごとに作ってくださっているので本当に嬉しい!感謝のメールでもしたいくらいです(笑)

    

「小澤本陣跡」を過ぎて北町の地蔵堂にはちょっとした休憩場所があって旅人が書き込めるノートがありました。珍しいので一言書いてみました。

    

「采女の一里塚跡」をなぜかスルーしてしまったようで竹林があって風情があるけど誰も居なくて寂しい、昔なら暗くなって追剥でも出そうな山道を歩いています(-_-;)

1組のご夫婦とすれ違ったのでほっとしたり。目指すは「采女神社」です。地図だと分岐点を上ったところが、それらしいけど、まぁ行ってみましょう。

おお!ちゃんと着いた、梅も咲いていい感じ、と写真を撮っていたら「うおっ!!!!」と一瞬オオカミでも現れた?とびっくりしました。

    

筋肉系のお兄ちゃん2人が階段上り下りトレーニングをしていたのです(笑)99段もあるんですと、それを30本くらいやるって(-_-;)頑張って!!

その近くの「杖衝坂」の手前まで行ってみました。東海道一の急坂?って感じもしないけどなぁ

「杖突坂とも書き、東海道の中でも急坂な所。日本武尊が東征の帰途、大変疲れられ「基地より、やや少しいでますにいたく疲れませるによりて、御杖をつかして、稍に歩みましき、故基地を杖衝坂といふ」(『古事記』)とあり、その名が称されるようになり、加えて、芭蕉の句「歩行ならば杖つき坂を落馬かな」により、その名が世に知られることになった。」らしいです。

    

町の花が水仙という内部町の内部橋(ないぶばし)を渡ります。

  

「大蓮寺」と「小許曽神社」がありますがかなり疲れてきてしんどい(-_-;)

    

妙に道路が混むなぁ?と思ったらなんと!!珍しく交通事故現場に遭遇(-_-;)名残の松という風に何とか東海道を遺しています。

    

さらに進むと「日永一里塚跡」と「日永の追分」があります。ここは伊勢街道との追分になります。立派な鳥居があっていかにもお伊勢さんへつながる感じです。

          

沢山のペットボトルにお水を汲みに来ている方がいました。ずーっと湧き出てていて美味しいんだそうです。なぜかこの「追分」という言葉が大好きで、なんでかなぁ?って考えながら歩きました(笑)

資料館は4時で終わり(-_-;)ちょうど4時でした(笑) 日永駅を過ぎると「大宮神明社」があります。狛犬も危険で近づいちゃいけないらしい(-_-;)

          

やっと四日市の街が近づいてきました。ホテルは駅の傍のハズ、今日はとにかくコンビニで食料を調達するのを忘れないように(笑)

    

近鉄四日市駅付近は凄く活気がある街です。夜の街に繰り出す元気はないけどアーケードには沢山の赤ちょうちんがある感じ(笑)

    

「四日市シティーホテル」はシンプルですがベッドが大きくてゆっくりできました。今回の靴が大正解!夕食はおなじみファミマのハンバーグです。今日は和風味。

    

明日は雨になりそうなのでなるべく早く出発しようかな?

コメント (2)
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